59 【カノン】 泣く
久しぶりに訪れたイグニス邸は、正直目が潰れそうな程煌びやかで輝いてみえた。
公爵夫妻に会うのはすごく気まずかった。
やっぱ夫人だって俺に対しては思うところがあるだろうし、いくらルカが仲良くしてくれてるからって、どうなのかなって。でも俺の心配とは裏腹に、公爵も公爵夫人もすごく優しかった。
「背が少し伸びたか? 怪我をしたと聞いて心配していたが、元気そうで安心した」
「は、はい! ありがとうございます! 腕も順調に回復してます!」
公爵は厳しくて怖い顔つきだけど、やっぱり格好良い。いくつも武功を立てているし、皆から信頼されているし、なのに……
「…………フレア」
フレア様を見た途端、顔をぐにゃっと歪めてしまった。
なんでこんなに嫌っているのか、俺には理解できない。だってフレア様は実の娘なのに。いくら亡くなった奥様のことを嫌っていたからと言って、それを娘にまでぶつけるのはおかしいんじゃないだろうか。
フレア様のことが心配になって顔を向けると、すごく悲しそうに眉を下げていた。
ずき、と胸が痛んで、何か言おうと思ったら、最初に口を開いたのはルカだった。
「フレアは孤児院で素晴らしい手腕を発揮しているんですよ」
「……ほお」
だからなんだ、とでも言いたげな公爵に、ルカがさらに言葉を重ねる。
「孤児院の子供たちもだんだん笑顔を取り戻してきましたし、街の治安も以前より良くなってきています。こんなことができる公爵令嬢はフレアくらいなものでしょう」
うんうん、と公爵夫人が頷いている。
「本当に素晴らしいわ。最初に聞いた時はとても心配だったけれど。正直、私としてはこの屋敷を離れて城下のあの別邸で暮らすということがそもそも信じられませんでした。しかも侍女1人つけずに。出産後の体調が安定しなくて長く安静にしていましたけれど、そのことを聞いた時はまた卒倒しそうでしたわ。もし私が元気だったらそんなことは絶対にさせませんでしたのに」
公爵夫人はぎろ、と公爵を睨み……え、睨んでる? あれ睨んでるよな? ルカにそっくりの優しい顔が、笑顔のまま公爵を睨み付けてる。……こわっ
「もう何度も申し上げたことですけれど、この場でももう一度申し上げておきます」
「ソ、ソフィア……」
「フレア様はあなたの娘であると同時に私とルチアの命の恩人なのです! その恩人を屋敷から追い出すような真似をするなんて許せません! しかも聞いた話によると、フレア様に雷を落としたり使用人の前でも容赦なく怒鳴り散らしたり……明らかにやり過ぎだと思われる行為をされていましたね!?」
「それは、その……」
「もう絶対にフレア様にかような真似はなさらないと、謝罪し、反省し、娘として愛すると誓ってくださいませ!」
うおおおすげえ格好良い。
公爵夫人がこんなにはっきりもの申してるところなんて初めて見た。しかも使用人を含めるとけっこう大勢の目がある前で。いつも一歩下がって目立たないようにしているイメージしかなかったのに。あの公爵が小さくなってるのも驚きだけど、夫人の堂々とした姿にめちゃくちゃ痺れた。
「ソフィア、だがその娘は君が思っている以上に悪質で――」
「フェルド!!」
公爵夫人が公爵の言葉をぴしゃりと遮る。
さすがにこれ以上硬直したらどうなるんだろうと思っていると――
「良いのです、奥様。公爵閣下は私のことを娘だと認めたくないのでしょう……」
……誰?
あ、フレア様か。そんな弱々しい声も出せるんですね?
「でも、フレア様!」
「そんなことより、奥様。私のことは……フレアとお呼びくださいませ」
「え……?」
フレア様はもじもじと年相応の恥ずかしがり屋な女の子を演出……え、素じゃないよな? これ、どう考えても演技だよな?
「その代わり、お母様とお呼びしてもいいですか? 私、お母様の記憶がないから、ずっとお母様に憧れてたんです……」
「フレア様……!!」
その言葉が公爵夫人の琴線に触れたのか、彼女は涙ぐみながらフレア様を抱き締めた。
「あ、ごめんなさい。フレア、でしたわね。お母様だなんてとても嬉しいですわ。私のことを母と思ってくれるなんて……感激です」
公爵夫人がぽっと頬を染める。
ルカも「僕もフレアが妹でとても嬉しいです」とニコニコしている。
「…………」
公爵が1人、入っていけなくて棒立ちになっていた。
あれ……おかしいな……公式な場や鍛錬の時はあんなに格好良い公爵が、今全然格好良くないぞ……?
「やれやれ……」
ルベルが苦笑していたのでどうしたのかと思ったら、俺にしか聞こえない声でぼそぼそと続けた。
「よく見てみろ。フレア様の表情。棒立ちの公爵を見てとても良い顔をしているぞ」
「…………あ、ほんとだ」
公爵夫人には見えないところで、にやあぁ…と心底愉快そうな悪い顔をしている。「ざまあみろ」という声が聞こえてきそうだ。これ絶対最初から全部演技だったな。
「あ、お母様~。私スイーツが食べたいですぅ~。甘い物って孤児院ではあんまり食べられないから~」
すんげえ甘い声で甘いおねだりしてる。もし俺がフレア様にこんなことされたら絶対断れねえ。ていうかあれ? 甘い物ならめっっっちゃアランって奴に食わせてもらってるんじゃなかったっけ……?
「あら、それは可哀想に。今日はシェフが腕によりを掛けてつくったデザートがあるから、たんと食べてくださいね」
「わあい! とっても嬉しい。食べきれない分は持って帰っても良いですか?」
「ええ、もちろん。……フレア、こちらに戻ってくるつもりはないの?」
「子供たちの笑顔を見ているとなんでもできちゃうんです☆ 私、王妃よりこっちの方が向いてるのかもしれません! うふふっ」
「フレアはとても優しい子なんですね」
これが全力の媚の売り方か……すげえ、プロだ。
ほわほわと表情の緩みきった公爵夫人と対照的にルカはなんか笑い堪えてねえか? 噴き出したら怒られるから頑張って耐えろよ。
……でもああやって笑ってると、ほんと普通の女の子みたいで、そういう所もなんか……
「……可愛い人だな」
「え?」
俺の思考が読まれたのかと思ったけど、隣のルベルを見ればじっとフレア様を見つめて……え?
「え? お前、今」
「何も言ってない」
「いや、だって、あれ? 今確かに可愛いって……」
「何も言ってない」
ど、どど、どういうことだ!? この前も思ったけどまさかルベル……いや、ない、よな? ない……いやあるのか!? だってかわ、可愛いって……あのルベルが女の子見て「可愛い」なんて聞いたこともないぞ!? まさか俺がいない間に2人の間で何かあったんじゃ……
「ぼんやりしてないでさっさと媚売ってこい。それが今日のお前の仕事だろうが」
「うおっ!?」
急に突き飛ばすな! 俺けが人だぞ!?
そもそも媚売れって言われても何したらいいんだと思いながら……取りあえず、ひとりぼっちの公爵に近づくことにした。
「あの、閣下……」
「……情けないところを見せたな」
公爵の顔色が心なしか悪い。なんかちょっと可哀想だなと思ってると、封筒を差し出された。
「えっと、これは……?」
誰からのものか確認した俺は、一気に血の気が引くのを感じた。
――――――――――
「あら、こんなところにいたの」
声を掛けられて、はっと顔を上げた。
片手にケーキをたっぷり積んだ皿を持って、もう片方の手にはフォークを持ったフレア様が、茂みの上から俺を見下ろしている。それが似合いすぎてて可愛くて一瞬なんで自分がここにいるのか忘れそうになる。
「なんでこんなところに隠れてるの?」
「あ、それは、その……」
「媚売りまくれって言ったわよね?」
「あ……」
そう言えばそうだった……完璧忘れてた……。ルベルは営業スマイルで媚売りまくってるのに……! 俺はまた何もできてねえ。
「すいません! 今から媚を――むぐっ!?」
勢いよく開けた口にチーズケーキの塊を押し詰められた。
驚いてもごもごしながらフレア様を見ると、いたずらっ子みたいな顔で笑っている。
「美味しいでしょ」
「ふぁい……」
幸せで死にそうです。
「で、何落ち込んでるわけ?」
「へ!?」
「こんなところで1人足抱えて座り込んでるってことは落ち込んでるんでしょうが。ステラが気にしてたわよ? 茂みに入って出てこないって」
「え? ステラが?」
「で、何があったの? 公爵に虐められた?」
「いえ、そういうんじゃ……」
気づいたら、俺は手紙をフレア様に渡していた。
「これ、その……フレア様が燃やしてくれませんか」
「は? なんでそんな――」
手紙の差出人を確認して、フレア様が1度言葉を切る。
「……なんで? あんたのご両親からの手紙じゃない」
また泣きそうになって、ぐっと堪えた。
砂の地から送られたその手紙は、確かに俺の両親からのものだ。罪人は手紙を自由に送ることもできない。当然中身は1度検められているし、手紙を出せる頻度も決められている。
「だ、だからです! だって俺の両親は罪人ですよ!? 悪い奴らと繋がって公爵夫人に酷いことしようとして……だから、だから……」
「読むがの怖いの?」
「それも、あります、けど……」
「なんで?」
フレア様は俺に手紙を突き返した。
「読めばいいじゃない。あんたへの恨み言なんて書かれてないわよ。それでも1人で読むのが怖いならルベルでも呼んできましょうか?」
「……わ、わかってます。多分父上も母上も、俺のこと心配してくれてるんだろうなって。でも……ダ、ダメなんです」
「なんで?」
「だって罪人なんですよ。砂の地送りになった大罪人です。それなのに俺が普通に連絡取るとか、正直、なんていうか、間違ってるんじゃないかって思うし、その……なんて言ったらいいかわからないですけど、悪いことしてるような気がするし、駄目なことな気がするし、ルカや奥様にだって申し訳ないっていうか……」
両親がやったことは絶対に許されないことだ。
強く誇り高い騎士だったはずの父は、守るべき相手を卑劣な手で死に至らしめようとした。母もそれがどれだけ恐ろしいことか知っていながら、父に協力した。
俺は、俺も、2人を憎まなきゃいけない。
「…………そうやってずーっと我慢してたの?」
「え?」
「意外にわかりづらいとこもあるのね、あんたは」
フレア様は笑うと、「いいからさっさと読めば?」と封を切り始めた。
「え、あ、ちょ、フレア様!」
「どうせ燃やせって言うなら封を切ってもいいでしょ?」
「そ、それは……」
「“カノン、怪我をしたと聞いたが大丈夫か?”」
「ま、まま、待ってください!!」
「はい、どうぞ」
フレア様はすんなり俺に手紙の束を渡した。分厚い。その重みに、また泣きそうになる。
……ああ、文字を見てしまったら、嫌でも父上と母上の顔が浮かぶ。だから嫌だったんだ。だから手紙なんて見たら……
憧れだったんだ。
父のようになりたかった。
母を、イグニス家を、国を支える誇り高い騎士になることだけが目標だった。
「俺はっ……」
ぼろぼろと涙が零れる。めちゃくちゃかっこ悪い。かっこ悪くて、情けない。
「拒まなきゃいけない理由があるの?」
「……当然です。大罪人です。あの人たちは、俺のこともずっと騙してた。誇り高い騎士の皮を被った最低な人間だった。憎む、くらいしないと、俺は……同情して、辛くて、怖くなる。だから……」
「別にあんたまで憎む必要はないんじゃない」
「でもっ……」
「あんたの両親がやったことは間違ってた。酷いことをした。そのことは揺るがない事実だけど、その一方であんたの両親には良いところもあったでしょう」
「良い、ところ……」
「少なくとも裁判の時、あんたの母親は必死で息子だけでも助けてほしいと嘆願していた。プライドの高そうなあの人が、額を床に擦りつけて。それってなかなかできることじゃないと思うわよ」
「……でも……」
「確かにいろんな人に憎まれているかもしれないけれど、あんたが無理に自分を追い詰めてまで嫌おうとする必要はないんじゃないの? こんな分厚い手紙を出したんだから、読んであげるくらいしたら?」
フレア様の表情が、まるで神様みたいに優しい。
「……………………許される、でしょうか」
「子供が親を想うことに罪はないでしょう。たとえそれを咎める人間がいたとしても、だからって簡単に割り切れるものじゃない。それが人間の感情だもの。許してはならないと思っても自分だけは許したいと思ってしまうものよ。他の人にとっては最低な人間でも、カノンにとっては、大切なご両親だったんじゃないの」
俺に、とっては。
『カノン、お前は強い騎士となれ。立派な騎士となってこの国を守るんだ』
強く誇り高い父。
『カノン、言葉遣いを直しなさい。あなたは上に立つ人間なのよ』
厳しくも気品に溢れた母。
フレア様の言う通りだった。
いや、ずっと誰かに言って欲しかったのかもしれない。
酷いことをした2人だけど、確かに大好きな俺の両親だったから。
「…………はい……」
頷くと、また涙がボロボロ零れた。
――――――――
日が傾く頃に馬車に乗った。泣いたのがバレないように必死で顔洗ったんだけど、多分ルベルにもステラにもバレてる気がする……すげえ恥ずかしい。でも誰もそのことに触れないでいてくれたから助かった。
先に市場まで行って、ドレスを返却する。それからしばらく行って今度は病院へ。俺1人だけ下りて、フレア様たちを見送った途端
「あ…………」
とんでもないことを思い出して、俺は思わず大声を上げていた。
「わーーーー!! ストップストップ!! そこの馬車ストップ!!!」
全速力で追いかけたら、やがて馬車が停まった。
「何?」
「カノン、お前まさか……」
ぜえぜえと息を切らしながら膝をつくと、フレア様と呆れた顔のルベルが窓から顔を出した。
「何してるの? 何か忘れ物?」
「あ、の、これっ……」
必死の思いで手を伸ばした。
ルベルと作った薔薇の栞。これをどっかのタイミングでスマートに渡すつもりだったのに。こんな汗だくで情けない姿で渡すつもりじゃなかったのに。
「あの、誕生日、おめでとうございました……!!」
「誕生日……」
フレア様は栞を手に取って、きょとんと目を丸くした。
呆れられるだろうか、嫌がられるだろうか、捨てられたらどうしよう。多分それ一生落ち込むから受け取るだけでも受け取ってもらえるとものすごく安心なんだけどやっぱ薔薇ってのが意味深過ぎて駄目なんじゃないだろうかとかいろいろ考えて目眩を起こしそうになってると……
「………………ふっ」
フレア様がふわっと微笑んだ。
「私あんまり本とか読まないんだけど。もっと本読んで勉強しろってこと?」
「えっ、あ、それは、その」
「冗談よ。……綺麗な薔薇ね。ありがとう」
彼女が笑ってくれた。
それがめちゃくちゃ嬉しい。
馬車が見えなくなるまでずっと見送ってた。
早く右腕を治して、あの人の傍にいきたい。
心の底から強く思った。




