58 【ステラ】 赤を知る
「公爵夫人からパーティーに誘われてね。イグニス家の親戚連中が何人かと……あと公爵とルカと、ルチアもいるんですって」
「ルチア様?」
「ああ、ごめんなさい。ルチアはルカの妹で、まだ赤ん坊なの。あなたも私の侍女として参加してもらうわ。公爵夫人が私に侍女をつけたがってるみたいなんだけど、取りあえず大丈夫ってことを示したいの。侍女としての振るまいは大丈夫そう?」
「ええ、お任せくださいませ」
城下で以前も利用したことがあるというドレスのお店で、フレア様は今日のためのドレスを選んで一日だけ借りることにした。驚いたのは私の分も選んでくれたこと。1週間前に「体のサイズを教えて」と言われた時は「なんで?」となったけれど、まさか私の分のドレスをいくつか見繕うためだったとは思わなかった。
フレア様、とてもお綺麗ね。いつも簡素なドレスや野暮ったい農作業着姿だけど、こうして着飾るとどこからどう見ても立派な公爵令嬢だわ。市場で最初にお会いした時を思い出す。この姿をシリウスちゃんにも見せてあげたいのにそうできないのがとても残念。きっと今のあの子が見たら最初に会った時とは全然違う反応を見せてくれるんじゃないかと思うんだけど。
こんな素敵なドレスなんて久しぶりだわと思いながら馬車の方へ歩いていると、私たちに近づく影があった。
「お待たせしました! ……あの、本当に俺行ってもいいんですかね?」
その声に心臓が一つ早鐘を打った。
真っ赤な赤い髪の少年は、比較的こざっぱりとしたパーティー用の装いで、それがとてもよく似合っていた。でも右手にはまだギプスをしている。傍らのルベルさんは色違いみたい。2人も来るとは思っていなかったせいかしら、なんだか動揺が……そうだわ、彼と会うのはあの夜以降初めてのことだもの。動揺だってするわよね。
「公爵がそれを望んでいるのだから大丈夫よ。胸を張りなさい」
「あ、ありがとうございます」
彼の顔がぱっと輝く。……怒った顔しか知らなかったのに、こんな子犬みたいな顔もできるのね。
「粗相だけはするなよ」
ルベルさんが彼を小突いて「わ、わかってるよ」と彼がむくれた。
「公爵夫人主催のパーティーだけど、参加したらお小遣いも狙えそうだし、あんたら気合い入れて媚売りまくりなさいよ」
「は、はいっ!!」
「……フレア様」
彼はバカ正直に元気よく返事をしたけれど、ルベルさんはため息を吐いてこめかみの辺りを押さえている。この4人で馬車に乗ったらどんな感じになるのかしらと思っていたけれど、基本的にずっと彼が喋っている。看護婦さんが怖いこと、少しずつリハビリがうまくいっていること、この様子なら後遺症も残らないだろうと言われていること、でもまだまだ時間はかかりそうなこと、あまり食事が美味しくないから早く退院したいこと……
よくこれだけペラペラ喋られるものね、と思いながら、この狭い馬車で沈黙も気まずいからよかったわ、と耳だけ傾けていた。
到着して馬車から降りたところで、急に彼が「あのさ」と私に話しかけた。
「えっと……何?」
「ちょっとだけ話したいことがあるんだけど。いい?」
おずおずと言われて、そうよね言いたいことたくさんあるわよね、と自然と体が強ばった。
そもそも私は彼にスリを働いたし、私のせいで大切な右腕が大変なことになったんだし、痛い思いだってたくさんしたもの。何も思わない方がどうかしている。助けてもらったのに、私はまだ感謝の言葉すら言えていない。罵倒されるか、殴られるか……殴るなら見えないところを殴ってもらいたい。この後パーティーなのに顔を殴られたらフレア様の面目が潰れてしまうから。
「カノン? ステラ?」
フレア様が訝しげに振り返った。
「あ、ちょっと、ちょっとだけ話したいことあるんで、その……少しだけ離れたところで待っててもらっていいですか!?」
「……カノン、主人を待たせるなんてお前はどういう神経して……」
「いいわよ。すぐ来なさいよ」
「はい!!」
フレア様とルベルさんの姿が見えなくなってから、彼が気まずそうに私を見た。
「あ、あのさ、最初に市場で、俺が追いかけた時のことなんだけど」
「はい」
責められるのはわかってる。平気な顔してこんなところまでついてきやがって、とか、虫けらの分際で、とか。いろんな言葉を想定して、心の準備をした。何を言われたって殴られたって私は出て行くつもりはまだない。誰かの好意に縋り付いても、どんなに惨めでも、もう諦めない、私は生き延びると決めている。
シリウスちゃんと一緒に。
「あの時、怒鳴ってごめんな。怖かったよな」
「……………………は?」
何を言われたかわからなくてぽけんとしてしまった。
いろんなパターンを想定していたはずなんだけど。え、あれ? 私「ごめん」って言われたの? なんで?
「いや、俺ちょっと熱くなってて、怒鳴りすぎたし、やり過ぎたなって思って……。ほんとごめん。そのことずっと謝りたかったんだ」
思い切り頭を下げられて、理解が追いつかない。
「な、んで? だって私、あなたに酷いこと……」
「え? ああ、いや、だってステラは生きるのに必死だったんだから仕方ないだろ。ほんとに体だって悪かったんだし。あ、手術成功したって聞いたけど元気そうでよかった! バーバラにやられたところも綺麗に治ったな」
「え、ええ……」
理解できない。あなたは私のことが嫌いなはずでしょう? なんで助けてくれたのかはわからないけれど……そのせいであなたは大切な右腕だって失いかけて……
「ほんと無事でよかった!」
「……わ、たし、酷いことたくさんしたわ。本当に、ごめんなさい」
「たくさんもしたっけ? スリくらいだろ?」
「わ、私のせいで何かダメになったと言っていたし……」
「え?」
「スリを、した時に……」
ものすごく怒っていた。何かがとんでもないことになったって。私がぶつかった時、きっと大切なものを壊してしまったのだと……。
「あ、それ、なんだけどさ……」
彼は急にもじもじしたかと思うと、辺りをちらっと確認してから何かを取り出した。薄くて細長い、赤いリボンをあしらったそれは、どう見ても誰かへのプレゼント。
「あの時買った薔薇を使って押し花にしたんだ。一瞬馬車にひかれたけどルベルが回収してくれてて。だから大丈夫!」
「薔薇……」
赤い薔薇なんて、どう考えても恋人に贈るような……
「押し花だし栞だし、これなら軽く受け取ってもらえるかなって。ルベルって天才だよな。こういうのすぐ思いつくんだ。次の日に市場で紙とか紐とか買って。あいつが出してくれたし作る時も教えてもらったからこれほとんどルベルが作ったようなもんなんだけどさ」
そう言って、照れながら笑った。
「フレア様の誕生日だったんだ。渡すタイミングを逃し続けてさ、もうだいぶ経っちゃったけど、渡したいなと思って」
「……恋人、なの?」
「まさか! フレア様には婚約者がいるじゃん! そんなことしたら俺の首が飛ぶだろ」
でも、赤い薔薇なんて。
この国ではとても大切な意味を持っているのでしょう? 押し花で栞だとは言え、彼がそこに込めた意味はきっと大きなもののはず。何より、永遠にそこにあり続けるという意味では、花束より大きな意味を持つんじゃないかしら。
薔薇が1本。その花言葉は……
一目惚れ。
「フレア様は、俺にとって特別な人だから」
彼の目がキラキラ輝く。まるで火の粉が煌めくみたいに。
「叶わなくていい。届かなくてもいいんだ。ただ、喜んでくれたら嬉しいな。フレア様が笑ってくれたらめちゃくちゃ嬉しい!」
そう言って朗らかに笑った。
屈託のない爽やかな笑顔が瞼に焼き付いて、鼓動が一つ、大きく打った。
「じゃあ行くか! 悪いな、けっこう話し込んじゃって」
「いえ……」
彼が……カノンが私の手を引く。
まだ子供なのにゴツゴツとして、大きくて、シリウスちゃんの手とは全然違う。先を行く彼の赤い髪が、陽光を浴びてキラキラ輝いている。
……おかしい。
まがい物の私の心臓が、さっきから急にドキドキしているの。
赤い髪が、さっきよりすごく輝いてみえるの。
握られている手がすごく熱いの。
私……今ちゃんと可愛いかしら?
ねえシリウスちゃん。
この感情は……なあに?




