56 【ルベル】 立ち止まり、また歩く
昼過ぎ、子供たちへの掃除指導を終えていつものように事務仕事をしようと部屋に向かっていた時だった。玄関の辺りが非常に騒がしい。何事かと思い向かってみると、人だかりができていた。
真っ青な顔のシリウスが、俺に気づいて近寄ってきた。
「ルベル……」
「何があった?」
青ざめた顔で指さした方を見れば、大柄で顔つきも悪い男たちが数名、押しかけていた。明らかに“善良な”人間とは言いがたい。
「ど、どうしよう。今アランさんもいないのに……」
貴族令嬢が管理しているというのは誰もが知っている。
だが同時に、子供しかいないこともバレている。唯一アランが一番の年長だが、あいつとてまだ十代。子供のようなものだ。そこにつけ込む人間はいるかもしれないと思いつつ、イグニス家の管轄であれば手出しはできないはずと思っていた。
「おい、誰でもいいからガキをよこせ」
「は?」
「お前が責任者か? ククッ、ガキが管理してるってのは本当だったんだな~? こりゃおもしれえ。こんなガキどもに任せるとは、王族ってのはバカばっかなんだな! それともあんなことがあったから誰も手を出したがらなかったか?」
傷だらけの顔の屈強な男が俺を見下ろして嘲笑った。
「……シリウス、こいつらは」
「バ、バーバラの知り合いだ。この辺りでいろいろヤバいことやってる奴らで……盗みとか、スリとか、いろいろさせられたり殴られたり……一応帰してくれるけど……ば、バーバラがいなくなってから一度も来なかったのに……」
「…………なぜ言わなかった」
「もう来ないかと思って……」
まずいな。やはり警備兵を雇うべきじゃなかろうか。さすがにこの人数相手に大立ち回りは無理だ。まさか人身売買や虐待だけじゃなく、こんな裏家業の手先として危ないことに関わらせていたなんて。……まだバーバラからもそういう報告はきていないが、この他にも黙っていることがあるかもしれない。願わくば、拷問に加わらせてもらいたいくらいだ。
ここでの生活も慣れてきたと思った。
だが、想像以上にここは腐っている。
「もっと早く気づいてやれなくてすまない」
「え……?」
もし、フレア様がステラたちを見放していたら。
きっと今でもここで苦しい思いをしていたに違いない。中にはあいつらの拷問のせいで亡くなった子供たちもいると聞く。どれだけ辛かっただろうか、苦しかっただろうか。考えるだけで腸が煮えくり返る。イグニス領内ではこんなことあり得ない。あり得ないことが、ここでは平然と行われている。
「お? なんだ? お前やるつもりか?」
「……警備兵を呼ぶ。今すぐ消えろ」
「はあ? じゃあお前でいいや。綺麗な顔してるからなかなか使いどころがありそうだな」
――男の手が近づいた。
武器もなければ体格も劣る。正面切って戦うのは不利だ。どうする、どうすると焦って固まったまま……
その手が止まった。
「私の下僕に触らないで」
フレア様が、俺を守るように立ち塞がっていた。
彼女の華奢で小さな手が、男の腕を掴んで止めている。一体その体のどこにそんな力があるのか、男の顔が歪む。フレア様が手を放すと、男は急いで彼女から離れた。他の奴らは男の様子を見ておかしそうに噴き出した。
「お前何痛がってんだよ、だせえな」
「いや、こいつ、その……」
「まあいいや。お前が貴族令嬢ってやつ? いや~そういうのはいいんだって。後々面倒くせえから。俺らはイグニス家に刃向かうつもりはない」
「助けが欲しいなら父親に泣きつけばいいが、どうせお前嫌われ者の令嬢なんだろ? 誰も相手にしてくれねえんだろうな~。有名な話だぜ。親に見捨てられてこの孤児院に追い出されたって。一応王子の婚約者とか言われてるけど、破棄寸前なんだろ?」
「問題起こされるのは嫌だろ~? 俺の仲間どもに建物破壊されたら、お前ここにもいられなくなるんじゃねえの? それは困るよなあ? だったら大人しく子供差し出せよ。今まで通り。それで俺らはお前には手出ししねえから」
フレア様が父親と不仲であることを知ってこんなことをするとは……
「俺らが欲しいのは替えの利くガキどもだから」
「ここに替えの利く子供は一人もいない」
フレア様の声が低い。発火能力は使っていないはずなのに、怒りの炎がめらめらと燃えたぎっているのが見えるようだった。
「あんたらが暴力を振るって良い子供も、一人もいない」
相手を飲み込むようなフレア様の気迫に、ヘラヘラしていた男たちも一斉に顔を強ばらせた。
『どんな相手にも物怖じしないんだぞ。怒鳴られても凜としてるの。あれこそ聖騎士だよなあ』
――以前、カノンが俺に言った言葉がまた脳裏を過った。
確かに、普通なら逃げたくなるような相手を前にしても彼女が逃げ出しているのを見たことはない。何を言われようとどんな目で見られようと、常に凜として相手を威圧する。
それが、フレア・ローズ・イグニスという少女だった。
「この院の子供たちに手出しすることは私が許さない。もしそれでも手出ししようってんなら、私が相手になってあげるから覚悟しなさい」
「……はっ、お嬢様が。強がってんじゃねえ!!!」
男が手を振り上げた。まずい、と思ってフレア様を庇おうとしたが……俺は伸ばした手をそのままに固まった。
目にも留まらぬ鮮やかで、男が地面に叩きつけられていた。
「ぐっ、があっ……!!」
「いい? これは正当防衛よ。暴力じゃないからね」
フレア様は呻く男のことは構わず、子供たちに「正当防衛」を強調していた。……いつも怒っているような顔のせいでまだ怖がられることがあるのを気にしているのだろうか、もしかして。
「人体の構造を頭に叩き込んでおけば、力が足りなくてもある程度の反撃はできる。これからは護身術も教えてあげるわ。レイン辺りなら知ってるでしょうし、講師としてやらせようかしら」
フレア様の足が倒れている男の首元をトンっと小突いただけで、男は気を失った。
「私のは参考にしちゃだめよ。首なんて蹴ったら一歩間違えれば死ぬから。私は的確に狙ってるからうまく気を失わせてるだけ。良い子はまねしちゃだめだからね」
「このガキ舐めてんのか!!」
男たちが一斉に襲いかかった。さすがにこの人数は……と思ったのに、器用に男たちの攻撃を全ていなしたフレア様は、踊るように優雅に男たちの意識を奪っていった。正直、どこでどんな攻撃を仕掛けたのかさえわからなかった。傍目にはまるで彼女がただ男たちの傍を通り過ぎただけのようにしか見えない。……そうして最後の1人を残して、彼女は俺を振り返った。
俺はその時、アグニという暗殺者から夫人を守ったのは彼女の発火能力ではなかったのではないかと思った。バーバラに張り手を食らわせた時も驚いたが、あの時とも違う。
こんな鮮やかな動きをする者を、俺はイグニス家でも見たことがない。
「こりゃまた派手にやったな」
そこで暢気に現れたのはアランだった。
「ちょうどいいわ乱蔵。こいつら拘束して警備兵に突きつけてきて」
「なんで俺が……」
「あんたしかいないでしょ。このゲスどもに子供たちを触れさせていいわけ?」
「……チッ」
アランはやれやれと男を転がしその両手首に何か吐き飛ばしていった。何だあれ、気持ち悪。
フレア様は最後に残した男に顔を近づけた。男は口をパクパクさせて腰を抜かしている。
「あんたらのボスに話があるわ。連れて行きなさい」
「だ、けど……」
「何度も言わせないで。……痛い目見たくないでしょ?」
声を低くしているから子供たちには聞こえなかったかもしれないが、完全に悪役のセリフになっている。そのまま男を連れて行こうとするフレア様の後を慌てて追った。
「1人でいいわ。ルベルはここにいて」
「いえ、さすがに……近衛騎士を呼んだ方がいいのでは? 相手は裏家業の人間です。その巣窟ともなればそんな場所にお嬢様を行かせる訳には……」
「私は大丈夫よ。1番目の聖騎士、発火能力者のフレア・ローズ・イグニスなんだから。ヤバくなったら発火能力でもなんでも使って逃げられる。それにイグニス家を敵にしたいわけじゃないみたいだし、最悪の事態にはならないわよ。近衛騎士に任せても相手が悪い。うやむやにされて終わりでしょ。これからこの孤児院に嫌がらせされるのは目に見えてるんだから、今のうちに叩いておかないと」
「で、ですが……」
「ここで待っていて。これは命令よ、ルベル」
命令。
そう言われて体が固まった。わかっている、恐らく、フレア様は大丈夫だと。先程の立ち回りを見れば、あれならばどんな大勢の相手を前にしても大丈夫ではないかと。彼女には発火能力もあって、イグニス家の令嬢という絶対的な肩書きもある。……だけど本当は、俺が彼女の盾になるべきなんだ。そんな危険な場所に行かせて良い訳がない。今すぐ追いかけるべきだった。なのに……足が動かない。
俺は、盾にすらなれないんじゃないか。
ただフレア様の足を引っ張ることしかできないんじゃないか。きっとあの人は、俺が危険な目に遭ったら反射的に俺を守ろうとしてしまうのではないか。
そんな恐怖が過った。
「おい、お前さっさとガキどもを中に――」
「ルベル! どうしたの?」
上等な馬車が停まったと思ったら、ルカが出てきた。急いで俺に駆け寄って、「これは一体?」と意識のない男たちを見下ろして青ざめている。
「……孤児院に今まで人手を要求していた、裏家業の人間ども、だと思う」
「裏家業!? フレアは!?」
「フレア様は……その頭領の元に行かれた」
「え!? まさか1人で!?」
「……俺は、ここに残れと……」
「行こう、ルベル」
ルカが俺の手を取って、「どっちに行ったかわかる?」と声を張り上げる。
「いや、だが、ルカ、お嬢様は……」
「フレアは強い人だ。だけど、だからって全部を彼女1人に背負わせるのは嫌だ」
振り返ったルカの目には、「イグニス家を引っ張る」と宣言した時のような、力強い光があった。
「これは僕のエゴだよ。でもフレアは、本当に辛い時に誰かに頼ることができなかった人だから。だから傍にいたい。僕じゃ足手まといになるかもしれないし何の役にも立たないかもしれないけれど、それでも傍にいたい。困ったことがあれば一緒になんとかしたい。……ルベルもそうなんじゃない?」
「……俺は……」
「僕も力になりたいんだ。だから行こう、ルベル。君がいてくれるなら僕も大丈夫だって思えるから」
俺の手を握るルカの手が、僅かに震えていた。
そうだ、怖くないわけがない。大体ここに来たのも、いつものようにお茶をして子供たちの相手をするためだろう。孤児院に引っ越してからルカは以前にもまして頻繁にここを訪れるようになっていた。
なのになんでこんな無鉄砲なことができるんだよ。相手はよくわからない裏家業のヤバい奴らだぞ? 転がっている男を見てもヤバい奴らだってわかるだろ? なのに、気が弱くて大人しいお前が…………
「………………行こう」
俺は、ルカの手を握り返していた。
「俺、あいつらがどこに行ったかわかるよ」
おずおずと近寄ってきたのはシリウスだった。
「案内する」
「……やれやれ、ガキどもの世話は俺がしろってか。どうやって警備兵呼べってんだよ」
アランはぶつくさ言っていたが、俺たちを止めることはしなかった。
シリウスはてっきりアジトとやらに行ったことがあるのかと思ったが、時折鼻をひくつかせながら慎重に道を進んだ。よほど鼻がいいのか? いや、犬でもあるまいし臭いを嗅いで追跡するなんて不可能だ。きっと記憶を頼りに案内してくれているんだろう。
しばらくしてうねうねとした小径を進むと、いかにも怪しげな通りに出た。
治安の悪い場所に行ったことがない訳ではなかったが、そことはまた明らかに空気が違う。こんなところに来たのは初めてだった。恐ろしい程に静かだ。シリウスもどこか怯えている。古びた廃屋のようなところで、シリウスは止まった。
「……ここだ」
ごく、と喉を鳴らして、さてどうやって開けるかと思っていたら……
壮絶な音を立てながら男が扉を突き破って転がっていった。
「!?」
どうやら中から弾き飛ばされたらしい。
それが見知らぬ男であったことにほっとしつつ、中から聞こえてきたのは聞き慣れたはずなのに妙にドスの利いた声だった。
「うちにまたちょっかいかけてきたらぶっ潰すっつってんだよ」
言葉遣いが男みたいになっている。あれはフレア様で間違いないんだろうか。
フレア様は大勢の男どもに囲まれていたが、一切怯んでいない。むしろ脅している。
「ほ、ほお……? なかなかやるようだな」
頭領とみられる男はじっとフレア様を睨み付けていた。遠目から見てもゾッとするような顔つきをしているが、明らかにフレア様に怯えているような気がするのは多分気のせいじゃない。
「だがな、ここらの裏家業を潰すなどイグニス家であっても不可能! 有力者が後ろについている上、派閥も別れているのだ。お前がここで暴れたところで――」
「そんなこと聞いてんじゃねえ。お前らがどこの誰と繋がっていようがどうでもいい。ただうちに手出してくんなって言ってんだよ。てめえらが手先に使って良い子供はあそこに1人もいねえんだわ。何の仕事させるつもりか知らねえが、仕事くらいてめえらでやれ。ド素人の子供の手なんて借りるな。それがプロってもんじゃねえのか」
「あ、あの孤児院のガキなんて掃いて捨てるほどいるだろうが。だから――」
「命を軽々しく扱うな」
フレア様の殺気が増して、びりびりと体が痺れるような感覚がここまで伝わってきた。
「あの子たちはお前らの道具でも玩具でもない。尊い命を持った1人の人間だ。あの子たちの尊厳をまた踏み潰すつもりなら容赦はしない」
「お前のような子供に、何が――」
「試してみるか?」
「カ、カシラに近寄るな!!」
殺気立った男の1人が拳銃を構えた。
だがそれは、発射するより前に爆発した。
「ひいいいっ!?」
ルカが、俺の手を引いて廃屋の中に足を踏み入れた。
「……いつからいたのよ」
フレア様が気まずそうに顔を逸らす。私としたことが、とぶつぶつ呟いている。
「こ、今度は誰だ!? またガキか!」
「ルカ・ローズ・イグニスと申します。あの孤児院は妹のフレアが責任持って管理している大切な施設。その施設に手出ししようものなら、イグニス家次期当主としても黙ってはいられません」
それに、と笑顔で続ける。
「この能力を使えば、この場所一帯を一度に爆破することも可能ですね。簡単にほぼ壊滅くらいには追い込めるんじゃないでしょうか?」
……確かに。
いや、だめだそれは。しかしルカが本気でないのはわかっているものの、こうも笑顔で恐ろしいことを言われると本気なんじゃないかと思ってしまう。
パチパチパチッ!!!
「うわッ」
「ひゃあ!?」
男たちの足下で小さな爆発が連続して起こる。
彼らからすれば信じられない現象であるし、俺もルカが能力を使うところを初めて見た。
凍えるような沈黙が下りた。
それから裏家業の頭領が下した結論は――――
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「……なんでついてきたのよ」
フレア様は呆れ顔だ。ルカは「だって、フレア1人に行かせるのは心配じゃないか」と兄らしいことを言った。
「だからって危険でしょ。普通子供は――」
「フレアは僕より年下ってこと忘れたのかい?」
ルカに微笑まれてフレア様が言葉に詰まる。
「何かあったら僕も呼んで。力になるから」
「そ、そんなの、要らないわよ」
「まあ、まだこの辺り一帯を爆破する程のことはできないんだけど」
「でっかく出たわね。あいつら真っ青になってたわよ」
「あれくらい言った方がいいかと思って」
なぜ俺とカノンはこんな恐ろしい子を虐めていたんだろうか。
理解に苦しむ。
「……私が言ってたことは忘れてよ」
「え?」
「ちょっと口が悪くなってたから」
確かにあれには驚いたが、凄みを出すために敢えてしたのならば納得できる。シリウスが「……まるで男だったな」と呟けばフレア様は顔を真っ赤にして怒った。
その顔が愛らしくて……
今はただこの人の傍にいたい。
そう思った。




