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55 【ルベル】 諭す


 その夜、俺はシリウスを個室に引っ張り込んだ。


「言い過ぎだ」


 さすがにあれはない。貴族相手以前に普通の人に対して言っていい言葉じゃない。

 そもそも主に対しての暴言、フレア様は気にしていないとでも言うように深追いしなかったが、下僕として放っておくわけにはいかなかった。

 シリウスは足をもじもじさせて正座したまま、じっと俯いている。


「いや……俺もその……あれは言い過ぎたと……」

「わかってはいるんだな。安心した。もしわかっていなかったらどこから話し始めればいいかと思っていたところだ」

「ご、ごめんなさい……」

「それを言う相手は俺じゃないだろう」


 俺に対してはそこそこ素直になり始めたシリウスだが、フレア様に対しては一向に素直にならない。フレア様もフレア様で、わざと嫌われるような言動を取ってしまうのはあれは癖なんだろうか。


「……俺も、昔は正直フレア様のことをよく思っていなかったことだがある」

「え」

 驚いたように顔を上げたシリウスに「昔の話だ」と念を押す。

「今は心底尊敬している。そもそもあの御方は公爵令嬢だ。ここで働く必要なんてどこにもないのにお前たちのために働いているんだぞ」

「……でも、何か裏が……」

「あったとしてここまで働くなんておかしいだろう。いいかシリウス、フレア様はわざと憎まれ口を叩いているんだ」

「な、なんで」

「そんなのは知らない。不器用なお人なんだろう。多分照れ隠しだ。誰に対しても素直になれないんだ。だから言葉通りに捉えるな。大体、あの乱蔵、だったかアランだったか」

「アランさん」

「アランのことだって、本当に嫌だったらあんな顔をするか」


 正直、うっかり動揺した。

 アランが「会うために生まれてきた」なんて口走った時、フレア様があんなに穏やかに笑うところを見て……こんな顔もできるのか、と。柔らかくて穏やかで、心からの笑みだった。


「シリウス、どうせ知らないんだろうから教えてやる。イグニス家はアカツキ王国の四つしかない公爵家のうちの一つであり、資産も相当なものがある」

「……もうわかってるよ」

「だけどお嬢様が使える資金は限られている。それはごく僅かなものだ」

「…………え?」


 フレア様は俺が知っていることもご存じないかもしれないが……さすがにずっと傍にいればわかる。身の回りの物が徐々になくなっていくのだから。さすがに王太子からもらったドレスを売ってしまったらしいと知った時は震えたし、不敬罪で処刑されないだろうかと不安にもなった。


「当然、ステラの手術費やカノンの入院代を賄えるだけの資金はお持ちでない」

「え、いや、でも……」

「ご自分の物を……ドレスやアクセサリーの類をほとんど全て売り払ってしまわれたのだ。城下で暮らしていた屋敷も、そのために売り払ったのだろう」


 公爵に金を借りるために頭まで下げたと、ルカから聞いた。カノンの怪我についても散々責められたようだ。だがフレア様は一言も自分を擁護しようとはしなかったらしい。


 シリウスの顔色がどんどん悪くなる。


「で、でも、なんで、そんな……」

「人のためなら平気で自分の身を削れる御方だ」


 俺もシリウスと同じだった。カノンを下僕にしたのだって何か裏があるんじゃないかとか俺たちを貶めるためじゃないかとか、邪推しまくった。その結果……本当にただの善意しかなかったのだろうと、この数ヶ月で悟った。


「お前は姉を救った命の恩人に、あんな言葉を投げかけたんだぞ」

「…………ッ」

 


 “人殺し”



「お、俺、その、あの……」

「なぜあんな言葉を?」

「……バーバラと、同じ目をしてるって思った。そういうことをする奴の目だと思って、それで……」

「つまりお前の想像でしかないんだな」

「…………うん」


 シリウスがどんどん小さくなっていく。俺はそこにたたみかけるように言葉を続けた。


「あんな言葉を投げつけられて傷つかない人間がいるか」

「…………ごめん、なさい」

「わかったら、お前から謝りに行くんだ。いいな、もし1人じゃ無理なら一緒に行く」

「ありがとう……」


 すっかり萎れたシリウスの背中を叩くと、よろよろと立ち上がった。一緒に部屋を出て執務室へ向かったが、フレア様は不在のようだ。いつもならまだ休まれないはずだが。

「謝罪は明日にするか」

「うん……」

 取りあえずシリウスを休ませようと思って彼の大部屋へ向かうと、そこから声が聞こえた。孤児院にはいくつか大部屋があって、基本的に子供たちはそこにベッドを置いて十人程度で休んでいる。蝋燭が灯っているところを見ると、どうやら彼の部屋ではまだ誰も休んでいないらしい。

 バーバラの時は消灯時間を過ぎても起きていると酷い暴力を振るわれたそうだが、今は夜遅く起きていても特に何も言っていない。基本的に子供たちは夜遅くまで起きて騒ぐなんてことはしないから、言う必要がないというだけかもしれない。ただぐっすり眠れているかどうかは怪しいが。


「……それから、お姫様は王子様に――」


 声が聞こえてきた。静かで心地良い声だ。それが誰のものかはすぐにわかったが、彼女がこんなことをしているとは知らなかった。


 部屋に入ると、彼女はすぐに俺たちに気づいた。さっきまで聖女のような顔をしていたのに、俺たちを見た途端わかりやすく眉を寄せた。蝋燭を一つだけ灯して、絵本を読み聞かせている。……眠れない子供たちのために読んでいるのだろう。


「ええと、どこまで読んだかしら……もういい?」

「…………まだ」


 小さな女の子がぎゅっとフレア様の袖を引っ張った。あまり大きな音を立てないように注意しながら、俺とシリウスは彼女たちの傍に近寄った。


「存じませんでした。いつもこんなことを?」

「そんなわけないでしょ? 昼間にそういう話になっただけで……たまたま通りかかったらまだ寝てないみたいだったから、ただそれだけで……」


 ぶつぶつ言っているけれど、結局のところ心配だったから見回りをしていたのだろう。俺が把握できていないだけで、こっそりこうして読み聞かせをしていたことも一度や二度じゃないのかもしれない。子供たちが夜を怖がっているのは知っていたし。


「その、俺――」

「読み聞かせ中だから話しかけないで」


 勇気を振り絞ったシリウスの言葉をばっさり切ってしまった。シリウスが怒るかと思ったが、しゅんと肩を落としている。その様子がさすがに哀れで、よしよしと頭を撫でた。


 有名な絵本だ。お姫様は毎晩囚われの塔で歌を歌う。それを聞いた王子が彼女の存在を知り、惹かれ、やがて二人は恋に落ちる……とか、そういう話だったような。この絵本に出てくる歌は庶民でも知っているほど有名だ。ゆったりしているから子守歌としても良い。


「で、お姫様は歌を歌いました。素敵な愛の歌を――」


 だんだんフレア様の声が小さくなっていく。どうしたのかと思ったら、「やっぱりここまでで」と言って絵本を閉じようとしたが、結局女の子の悲しそうな目に耐えられず、小さく口を開けた。



「わ、わたし~のたいせつな~……」



「ふッ」

「ぶっ」

「ちょっと何笑ってんのよ!!!」

 顔を真っ赤にしたフレア様が怒鳴り声をあげるが、それに怯える者はこの部屋にはいなかった。むしろあちこちからクスクスと笑いが零れている。


 何でも完璧にこなすのだろうと思っていたが……まさか、歌が苦手だったとは。


「な、何よ、もう……だから私は歌なんて……」

 ぷしゅうううぅぅ……と湯気が出そうな程顔を赤くさせて、フレア様が絵本に顔を押しつけて隠している。それが何とも……可愛い、と思ってしまった。


「代わりに俺が読みましょうか。お姫様の歌は無理ですが、王子様の方なら歌えますよ」

「……何よ、もう」



 絵本の続きを歌えば、徐々に子供たちの目がうとうとしてきた。寝息が聞こえるようになって、そっと絵本を閉じた。シリウスが欠伸を噛み殺している。「お前ももう寝ろ」と言えば、チラチラフレア様の方を気にしながら自分の寝床に向かっていった。

 


 明かりを消して廊下に出ると、フレア様が小さくため息を吐いた。


「……いろいろ、うまくいかないこともあるから」

「え?」

「あなたがいてくれて良かった」


 ぼそっと足された言葉が俄には信じられなくて立ち止まった。フレア様の耳が赤い。


「それは、その……」

「ふ、深い意味はないわよ。明日も朝早いんだから、あなたもさっさと休みなさいよ。じゃあね、おやすみ」


 まだ部屋の前ですらないのに、急に早足になってあっという間に姿が見えなくなった。

 俺は思わずしばらくの間そこに立ち尽くして――



「…………ふっ」


 思わず笑みが零れた。

 不器用な人だ。これで本当に王妃が務まるのかと、イグニス家にいた時とは違う意味で心配になる。王宮なんて利用し利用され、騙し騙され合うような場所だ。あの人は善人すぎる。そして善人なのに、悪人のような顔をして余計な敵を作ってしまう。

 だからこそ……守れないものだろうか。

 フレア様は現在第一騎士団の聖騎士として所属されている。だが王妃となればその身を守るのは基本的に近衛騎士の仕事となるだろう。

 

 騎士団に入るならばイグニス家の所有する第一騎士団しか考えられなかった。

 だが、もしかしたら近衛騎士としての道も……



「いや……あり得ないか」



 カノンの進む道が俺の進む道。

 除名されたとは言え、元々イグニスの騎士たちに憧れてあいつは騎士を目指してるんだ。カノンの味方は多いし、現状ルカと良好な関係を築いていることを考慮すれば入団は問題なく許されるだろう。そもそも実力と忠義心さえあればどんな身分の者にも騎士団は開かれるのが原則だ。

 カノンが第一騎士団に入団すれば、俺は迷いなくあいつについて行く。


 余計なことは考えるなと、俺は自室の扉を開けた。




――――――


 事件が起きたのは次の日のことだった。

 

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