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54 ため息を吐く


 …………クソ忙しい。

 まあ想定の範囲内だけど。いや、それにしてはかなり手間取ってない方かもしれない。なんせこの孤児院の子供たちは皆死んだ魚のような目をしているから。従順だし目立った問題行動は起こさない。一番うるさいのはシリウスだけど身勝手に暴れるなんて真似はしないし、なんだかんだ言ったことはちゃんとしてくれる。


 この孤児院で虐待が行われているんじゃないかってことは最初から予想してたことだけど、その内実は想像以上に最悪だった。レインの腕を見込んで子供たち全員の健康診断も済ませたけれど、レイン曰く「拷問痕の図鑑」ばかり見せられていて気分が悪いらしい。あのレインが。


 一緒に生活していれば嫌でも子供たちがどういう目に遭ってきたのかはわかってしまう。




 ガチャンッ


 小さい年少の男の子――リクが皿を落とした。途端に空気が凍って、皆の顔が青ざめる。

「ご、ごご、ごめんなさい……」

 消え入りそうな声で素手で破片を手にしようとする彼に、私は思わず「やめなさい!」と怒鳴っていた。近づけばリクの体の震えがみるみる酷くなる。

「怪我はない?」

 リクはコクコクと頷く。

「ルベル。代わりのお皿に――」

「どうぞ」

 いつの間にか動いていたルベルがリクに皿を渡していた。手慣れたものだ。おまけに私と違って表情まで柔らかい。

「次からは気をつけるように。もし落としてしまった時は、危ないから素手で触ってはいけないよ。皿の処理は僕たちがするから、君は祈りを捧げて食べているといい」

「で、でも……」

「気にしないで。ほら、もうフレア様が綺麗にしてくれた」

「え」

 リクは自分が落としたはずの皿やスープがないことに目を見開いた。

「あ、あれ? 僕……」

「ほら、もう大丈夫」

 ルベルに笑い掛けられて、リクがぽろぽろと泣き出してしまった。




 ――こんなことが、この孤児院ではしょっちゅう起こる。

 恐らく皿を割ったら殴られたり破片で傷つけられたり、平気でそういうことが行われていたのだろう。何をしていても子供たちは怯えている。夜になるとシーツに顔を埋めて必死で声を押し殺して泣いている子もいるし、暗い場所を怖がって失禁してしまう子もいる。

 大人じゃなくて私やルベルで良かったのかもしれない。相手が子供だからまだ精神を保っているのかも。



 バーバラめ……

 今頃牢屋か処刑台か知らないけど、もう少し痛めつけておけばよかった。あいつのせいでイライラが止まらないんですけど。執務室でペンを走らせていると危うくペン先を折りそうになった。危ない危ない。


「フレア様、レインの件ですが、今後も定期的に診断を行って貰うかわりに医師免許について申請を出しておきました。今週末にもレインに医師免許が届きます」

「ありがとう。いつまでも闇医者のままでいられたら困るからね。でもよくレインが大人しく試験を受けたわね」

「そちらの方は全く問題なかったのですが、面倒なのは医師会の方でした。レインは過去に一度免許を取得していたそうですが、王宮医師会の会長と喧嘩して免許を剥奪されていたようです」

「喧嘩?」

「会長が死者を冒涜したとかなんとか……詳しいことはわかりませんが、個人的な恨みで免許剥奪されたのは確かでしょう。レインの成績は当時の他の試験者と比べても文句の付け所がありません。優秀な人間を喧嘩程度で免許剥奪はやり過ぎですから、試験を受けることにもすんなり納得してもらいました。本来なら試験抜きで免許を返してもらってもよかったのですが。レインが面白そうだからと試験を受ける方に前向きでして」

「ふーん、それにしても会長って頑固者で有名よね。よく話が通ったわね」

 そこでルベルは黒い笑みを浮かべた。

「……まあ、個人的な弱みも握ったので」

「え」

「何でもございません」


 ……何か怖いから聞かないことにしよう。


「じゃあ後は――」


「おい貴族の女!!」


 ノックもなしに怒鳴りながら部屋の中に入って来たのはシリウスだった。顔を真っ赤にしてぜいぜいと息が荒い。彼がこんな風に怒鳴り込んでくるのは珍しいことじゃない。私は思わずこめかみを押さえてため息を吐いた。


「……今度は何よ」

「洗濯当番から返ってきた姉のシャツが真っ赤に汚されてたんだ! どうなってんだよ、これ!! お前が何か指示したんじゃないだろうな!?」

「知らないわよ」

「知らないって……」

「あんた、バーバラから逃げ出したことで相当恨み買ってるんでしょ? またメラクあたりがやったんじゃないの」

「メラクって……誰だっけ」

 ……こいつ、本当に姉のこと以外は驚くほどどうでもいいのね。

「あの夜もいたでしょ? あんたに恨み持ってる同い年くらいの男の子」

「…………いた。うん。あいつか」

 恨み持ってるしねちっこい子よね。昼間年少の子の足を引っ掛けて転ばせていたのも彼だった。

 バーバラがいなくなったからって全ての問題が一気に片付く訳がない。そんなの最初からわかっていたことだった。

「じゃあ今すぐあいつボコボコにしてくる」

「ちょっと待て」

 さすが獣騎士というか肉食獣というか、血の気が多いわね。

「そんなことしても意味ないわよ。大体証拠もないんだから。犯人と決めつけるのはよくないわよ」

「お前がそうだろって言ったんじゃん……」

「まあ冷静になりなさいって。そのシャツは私が預かるからちょうだい」

「え……」

 シリウスは手元のシャツと私を見比べ、やがて嫌そうにおずおずと差し出した。木の実か何かで汚したのか、シャツは無残に赤く染まっている。

「……お前が何とかするって事か?」

「さあね」

「さあねって……!」

「もういいでしょ。事情はわかったから下がって。私は忙しいの」

 シッシッと払うと、シリウスの顔が屈辱で歪んだ。

「…………どうせわかってたよ、お前は結局俺たちの味方になってはくれないって」

「は?」

「アランさんも騙されてるんだ!昔知り合いだったかなんだか知らないけど、あの人の優しさにつけ込んで――」

「つけ込む? 冗談言わないでよ。私はあいつにつけ込んだつもりはないしできればあいつにはどっか遠くに消えてもらいたいくらいだから」

「え?」

「何を勘違いしてるか知らないけど、そんな良い関係じゃないから、私たち。離ればなれになって清々してたくらいなのに、再会して最悪よ」

「…………最低だな、あんた」

 シリウスは私を睨んだ。

「アランさんはあんなに……あんなにあんたに会いたがってたのに……」

「迷惑だわ」

 キッと睨まれて、その目が若干潤んでいたことに驚いた。


「やっぱお前だけは嫌いだ! この人殺し!!」

「…………ッ」


 さすがの暴言にルベルが立ち上がるが、それより前にシリウスが風のように部屋を出て行った。

「フレア様……その……」

「……仕事進めましょ」


 人殺し…………か。


 シリウスには獣の本能みたいなものがあるんだろうか。あの子の言っていることは間違っていない。……そうだ、私は人殺しだもの。





 前世で大きな罪を犯した。

 私は自分の師をこの手で殺めたんだから。





 人の命が事切れる瞬間をこの手が覚えている。一回死んでもまだ私の中に残っている。真っ白な服を、肌を赤い血が染め上げていったあの絶望を……




「……フレア様」


 気遣わしげなルベルの声で、私は自分の手が止まっていることに気づいた。


「……ごめんなさい。ぼーっとしてた」

「恐れながら、わざと相手を挑発するのはもうおやめになっては?」

「…………別にわざとじゃ…………」

「そうは思えないから言っているのです」


 ここ最近ずっと一緒に仕事してるからかわからないけど、ルベルがまるで保護者みたい。何でもお見通しみたいに言われるとは思わなくて、私は思わず視線を逸らした。



「…………ねえ、シノノメって何?」

「何、とは?」

「何があるの? 運命がどうのって言っていたじゃない。なぜジークは乱蔵がシノノメ出身ってだけで動揺してたの? イグニス家ではタブーでしょ。調べようとは思ったけど、今時間がないから。もしルベルが知っているなら知りたいと思っただけ」

「…………有名な話です。ですが、確かにイグニス家本家ではタブーだったのでしょう。フレア様のお母上が帝国出身の令嬢でしたから」


 ルベルはこほんと咳払いした。


「俺が知っているのは、あの帝国は運命というものを信じている、ということです」

「運命?」

「あの帝国の人間は、魂は巡るものと考えています。そして稀に、あの帝国の血を引く者の中には、前世の記憶を持って生まれる者もいるのだとか。……普通、赤ん坊の頃から記憶がある、ということです」

 ぎく、とした。

 前世がそんな一般的に信じられているなんて、私は知らなかった。家庭教師も、私に気を遣ってかお父様に言われてか、帝国のことだけはほとんど教えてくれないから。

「記憶保持者は珍しく、帝国内ではそれだけで重用されることもあります。さらに珍しいことは、その保持者が前世の知り合いとまた巡り会うこと。……過去には、皇帝が前世の自分の恋人を捜すために領土を広げたという噂があるほどです。そういう相手を、帝国では運命の相手と呼ぶんだとか。この時相手にも前世の記憶があるなんてことはもっと稀なことなんだそうです」

「へえ……」

 思わず口の端が引き攣った。

「フレア様のお母上は、イグニス公爵に一目惚れしたと言われてますが……実は前世の恋人であったんだとか。それを知った帝国は必死でお母上の婚約を後押ししました。あの国はこと前世の話になると、異常なほどそれを尊ぶのだそうです。公爵はアカツキ王国の人間ですから、当然記憶はありません。なぜお母上が間違いなく前世の恋人だと確信したのかは、我々にはわかりませんが……恐らく見た目が似ていたのでしょうか」


 見た目……だけじゃない。目を見ればわかる。だからきっと間違いなく、本当に前世の恋人だったのだろう。それとも前世で一方的に恋い焦がれた人か。


 でも母は過ちを犯してしまった。

 記憶のない相手にとって、そんな思いをいきなりぶつけられても困るだけなのに。


 前世なんて、もう終わったことなんだから。



「なるほどね……なんとなくわかったわ。それでジークも嫌そうな顔になったの?」

「あの国は運命を尊びすぎて何が外交上のトラブルになるかわかりませんからね。アランがすでに帝国を離れていても、前世保持者は前世の人間を求めて旅する場合が多いらしいですし。……あと、アカツキにとってあの国はあまり仲の良い国ではありませんから」

「そうなの? 確か戦争が起きたことはないわよね?」

「ええ、ただこれは千年以上昔の建国伝説に由来することなので……」

「また今度にするわ。教えてくれてありがとう。……はあ、やることがいろいろあるわね」


 まさか私みたいなのがある意味珍しくないなんて。

 赤いシャツを手に、やれやれと一つため息を吐いた。


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