53 【乱蔵】後悔する
『お前みたらし団子を食べたことがないのか? 人生変わるぞ。ほら、食べてごらん』
食い物なんて栄養が取れればそれでよかった。ただ甘いだけでなんとも思わなかった食い物を、そのうち美味いと感じるようになった。
『さあ働くか。今日は稲の収穫を手伝おう。腰をやられないように気をつけろよ』
足が不自由なくせにあの年で地味に辛い仕事をして日銭を稼いでいた。あのババアなら人殺しも強盗も難なくこなせるだろうに。人の命を軽んじる奴がいればそれがどんな相手であろうと、あいつはいつもの飄々としたのが嘘のように烈火のごとく怒った。
『乱蔵、見ろ、桜が咲いているぞ。綺麗だな』
多くを望まず、俺ならば見過ごすようなささやかなものに楽しみを見いだしていた。
『次はどこに行こうか。行ってみたい場所はあるか?』
お前がいる場所ならどこでもいい。
何年を共にしたかは覚えていない。
ただゆらゆらと旅を続けた。忍びの連中に命を狙われることになると思っていたのに、俺を追ってくる奴はいなかった。驚くほど退屈で平和な日もあれば、どういうわけかやばい奴らに絡まれて面倒な日もあった。困っている者がいれば、ババアはどんな面倒事にも首を突っ込むことを厭わなかった。救われたい者がいれば片っ端から救っていった。超がつくお人好しではあるが、だからといって甘い人間じゃなかった。どんな腐った人間も命だけは奪わない代わり、痛めつけることを躊躇する訳でもなかった。
おかしな奴だった。
いつからか、あいつに拾われたことを後悔する気持ちなんて消え失せていた。
ただ毎日、食べて、歩いて、働いて、寝て。そんな日々がこの先もずっと続くのだと思っていた。
九月一日
「いつまで寝ているつもりだ、乱蔵」
ゆさゆさと揺さぶられたが、俺は寝床から起き上がらなかった。
「うるせえ。昨日飲みまくったから今日は無理だ。昼まで寝るから放っとけ」
「やれやれ。怠惰な奴だな。まあ二日酔いなら仕方ないか。しっかり休んでおけよ」
そう言って肩に置かれた手が、いつものように酷く優しかったことだけははっきり覚えている。
顔くらい見ておけばよかった。
もう二度と会えないなんて想像もしていなかった。
本当は二日酔いじゃなかったんだ。
俺はあいつの誕生日も過去も何も知らなかった。昔の友人の命日だとかは墓に参ることもあったが、だからといってその友人とやらとの思い出は一度も語らなかった。墓参りは嫌いだ。お前は決まって辛そうな顔をするから。
だけど、九月一日、毎年決まってこの日は、お前は墓に参るでもしんみり茶を飲むでもなく……己を責めるような顔でぼんやりしている。気づいていたか? いつも通り仕事をしていても食っていても、この日のお前はいつもと違う。聞いても「なんでもない」と言いやがる。墓参りの時も辛そうだが、それとはまた違って……その顔が俺はもっと嫌いだ。
だから、何かしらしてやりたかったんだ。その苦痛からほんの僅かでも目を逸らせてやれたらと思った。ババアの喜ぶものなんて団子と茶以外わからなかったが……似合いそうな簪を見つけた。あいつに隠れてこっそり貯めた金で、あの簪を買いに行こう。それから団子でも作るか。似合わねえことをやっているが、まあ少しは驚くだろう。驚いて……なんだか知らねえが嫌なことなんて忘れてしまえばいい。
忘れて、ちょっとは心から笑ってくれたらそれでいい。
その後、昼頃に発生した大地震で、俺たちの泊まっていた辺りは火に飲まれた。昼飯の支度をしていた奴らが多かったせいだ。ぎゅうぎゅうに家がひしめき合うあの辺りは火が巡るのもあっという間だった。俺は宿を離れていたしすぐに避難して無事だった。あいつもそうしていると思った。きっと大丈夫だ。もしかしたら人助けをしているかもしれないが、あいつはこの程度のことで死ぬような奴じゃない。だから大丈夫、そう言い聞かせていた。
だがあいつは二度と現れなかった。
俺の名前を呼びながら宿の中に入っていったと、街の人間に聞いた。焼け崩れた宿の残骸から、あいつが肌身離さず持っていた鍔を見つけたが、結局あいつの遺体は見つからなかった。きっと骨まで焼かれたのだろう。
……そう言えば
ババアがあの頃読んでいた本があったな。どこぞの女給が書いた恋愛小説だとか。若い女に混じって並んで買っていたのが面白くて……あの本、なんて題名だったか。確か、アカツキの…………
――――――
「…………」
昔の夢を見たのか。
胸の辺りがざわざわする。気持ち悪ぃ。昔の夢は、決まっていつもあの悪夢の九月一日で終わる。……ババアが死んだ日。俺が嘘吐いたせいで何より大事なものを失ってしまった日。
あれからも俺は生き続けたが、心にぽっかり空いた穴を埋めることはできなかった。大戦が終わって焦土と化した本土を見た時にも似たようなことを思ったが。とにもかくにも、もうあんな思いはごめんだ。俺は病気で死んだが、心底ほっとした。これでこの記憶からも解放される。ババアのことを意味も無く探す日々もようやく終わるし……もしかしたらあの世で会えるかもな。そりゃあいいと本気で思った。
思って……いたのに。
なんだって記憶がくっついてくるんだ。赤ん坊の頃から朧気に記憶があって、物心つく頃にはもうはっきりと俺の中に残っていた。
正直絶望した。ここは俺が生きた昔の世界ですらない。東の最果てに行けばもしかしたら俺の前世の国があるのかもしれないとも思ったが……この世界の地図を見ればどこにも俺の国はなかった。心底ババアを恨んだ。あの時先生に首絞められてたら俺はこんなめんどくせえ思いを抱えて生まれ変わらなくてよかったんだ。死んでも忘れられねえなんてどんな呪いをかけやがった、と。
だがそれからしばらくして、俺はシノノメ帝国の伝説を知る。
ほんの僅かな希望が見えた。可能性はゼロに等しい。だけどもしかしたら、万が一にもこの世界のどこかにババアがいるかもしれねえ。だからちっせえガキの頃に家を出た。飲んだくれの父親を置いていくことに罪悪感なんて欠片もない。幸い昔と同じ体質だったからこの世界を渡り歩くのは簡単だった。……ババアの真似して余計なことに首突っ込んで、危うくヤバい奴に殺されかけたこともあるが、もし死んだらそれでいいとも思った。終わりの見えない、いるかどうかもわからない人間を捜し続けることの辛さを、俺はもう前世で十分経験していたから。
わからないんだろうな、あいつは。
俺がどれだけお前に会いたかったかなんて。
お前は俺に会いたくなかったって言うけれど、俺は本当に嬉しかったんだ。思わず泣いちまうくらいには。
――――――――
「何やってんだ、ステラは」
孤児院の様子を見に行くと妙に元気な顔をしたステラがあっちへ行ったりこっちへ行ったり酷く騒がしそうにしていた。対してシリウスはぐったりしている。
「……元気な体が楽しすぎるんだって。動きすぎてぶっ倒れそうだから俺としてはベッドで休んでほしいのに。あいつだってまだ動かなくて良いって言ってんだ。なのに洗濯したり掃除したり、動かないと死んじまうとでも思ってるのかずっっっっと忙しないんだよ」
あいつって言うのはババアのことか。
ステラを自分の侍女にしたらしいが、だからってあのババアが自分のために馬車馬のように働かせることはないだろと思っていたが、まさかのステラ本人が馬車馬になりたがっているとは。いや、ただ動いてもなかなか疲れないのが楽しいだけか。レインの腕はやはり確からしい。
「まあほっとけ。あんだけ動いてりゃそのうち疲れて勝手にベッドで寝るだろ」
「うん……」
「新しい院長はどうだ? 一ヶ月くらい経ったか」
「…………………………」
シリウスはぎくっと肩を強ばらせ、なぜか俯いた。
「最初は反対してたよな。またバーバラと同じ目に遭うとかなんとか。で、実際どうなんだよ」
「…………………………バーバラ、ではない」
「ていうと?」
「……………おかしいんだ、あいつ。いや、ルベルも。あいつら2人とも普通の人間じゃない……!!」
「は?」
「いつの間にか施設の中がぴっかぴかになってるしご飯は美味しいしおやつとか作ってくれるし風呂も入らせてもらえるしベッドまでなんでか寝心地よくなってるし皆に毛布が配られたし寒い日は暖炉までつけてもらえるし窓割っても怒られないし誰1人殴られないし当番ちゃんとしたら自由時間もあるし勉強まで教えてもらえる……」
「ほお、良かったじゃねえか」
「おかしいんだってば! 大体職員が実質2人しかいない上俺とほとんど変わらない子供のくせにこの馬鹿でかい孤児院を管理してるんだよ!? そりゃ俺たちだって掃除当番とか洗濯当番とかいろいろあるけどそれにしたっておかしいだろ!? あの2人どうなってるんだ!? 正直バーバラより気持ち悪いし怖い!!」
まあ「怖い」って気持ちはわからなくはないが、あのババアには弱点ってのがねえし、ルベルって奴も子供らしくねえ子供だったしな。
「あのさ、アランさん。あのフレアって貴族の女とどういう関係なの?」
「あ?」
「昔なじみって感じだったし。でもババアっておかしいし」
「前に話しただろ。シノノメの……記憶繋がりだよ。俺がずっと捜してた女だ」
「………………やっぱり、恋人とかそういう……」
「はあ?」
シリウスの耳が赤い。こいつ、完全に勘違いしてやがるな。
……まあ確かに端から聞けば好意があるように映るか。相手は今や俺より年下だし、「お前に会うために生まれてきた」なんて、完全に失言だった。だが百歩譲ってあれに深い意味なんてねえ。ババア相手に恋愛感情なんてあるわけねえだろ。
「いいか。あれはそういうんじゃねえ。言うなればまあ、育ての親みてえなもんだ。俺も昔、ガキの頃に嫌な思いをして逃げ出したがそこであいつと会った。あいつには一応恩がある。それだけの話だ。勘違いするんじゃねえ」
「………………そっか」
シリウスの頭をぽんぽん叩いて、俺は孤児院の裏の畑に向かった。
――――――――――
「よう。今日もガキどものために忙しいんだな」
そいつは俺を睨み付けて舌打ちした。
「いい? 私はね、もう誰かのために自分を犠牲にするような生き方はしないの! 自分の幸せだけを考えて余計なことには首を突っ込まない! って決めてあるから!! 勘違いしないでくれる?」
「そんな格好で言われても説得力ねえんだが」
自分第一で生きるとか言ってる奴がガキどものためにダッセえ作業着着て畑耕してんじゃねえよ。こいつ一応公爵令嬢に生まれ変わったんだよな? 人生勝ち組の奴が昔とさして変わらねえことしてんじゃねえ。自分の幸せを追い求めるなら、ステラのことも孤児院のこともほったらかして豪華な屋敷で侍女を使って優雅な生活を楽しめばいいじゃねえか、普通の貴族みたいに。
変わったな、て思った。
俺の知ってるババアじゃねえ。あの飄々としてどこか達観していて、人の苦しみを静かに全部背負っちまうような、人間離れした奴とは違う。このフレアってガキはまるで俺みたいに憎まれ口ばっか叩くし、ツンツンしてるしうるさいし、一見したところ我が儘なお嬢様って感じだ。だけど、やっぱ化け物みたいに強えし、なんだかんだ自分と関係ねえ奴を一生懸命救おうとしてるし……
変わったけど、芯の所は変わってない。
記憶があるなら人格もさして変わらないはずだ。それがどうしてこうなったのかは知らないが、やっぱりこいつはあいつなんだ、間違いなく。俺を救ってくれた、あの人なんだ。ただ、その優しさの形が変わっただけ。
「……ほんと変な奴だな、お前」
「はあ? 茶化しに来たなら帰ってよ」
ぎろりと睨まれれば思わず口元が緩む。あのババアに睨まれた事なんてあったか? 俺が何言おうと笑って受け流してた奴が、言葉の一つ一つに全力で突っかかってくる。それが不思議と心地良い。つかみ所のなかったあいつと違って、こいつは自分の感情全部ぶつけてくる。眉間にしわ寄せて不機嫌で、ああこいつも人間だったんだなって思う。
まるで娘みたいだ。あのババアに娘がいたら、もしかしたらこんな奴なのかもしれない。それともあのババアも子供の頃はこんなだったのか? だとしたら愉快だな。
できるならもう少し笑った顔も見てえな、やっぱり。昔のような笑顔でも、そうじゃない笑顔でもなんでもいいから。あんたが笑ってくれるとほっとするんだ。
俺は多分……本気であんたに会うためだけに生まれてきたんだろう。
「大福でも食うか?」
そう言った途端キラキラ目だけを輝かせて、まるで普通のガキみたいに俺のところに駆けてくる。茶を啜りながら美味そうに大福を頬張っているのを見ると、なんとも言えない気分になる。
「…………ババアは甘党だな」
「それやめてよ。ババアババアって。私あんたより年下なんだけど? 私がババアならあんたはクソジジイよ」
「それは嫌だな」
確かにもうババアじゃねえな。
あいつはあの時死んで、こうして違う人生を歩んでいる。
「………………お嬢」
「え?」
「お嬢でいいか。ババアの子供みたいなもんだしな」
「様つけなさいよ、様」
「お前に様つけるのは癪だ」
「何よそれ」
意味わかんないと言いながら、大福を食べ終えて茶を啜る。俺の作ったもん食って緩んだ顔をされると、胸が妙にざわついた。
「美味しかったわ。ありがとう」
「…………おう」
色恋? あり得ねえ。そんなの絶対あり得ない。
慌てて視線を逸らしてから、さっき変なことを言いやがったシリウスを恨んだ。あいつが変なこと言うのが悪い。これは絶対そういうのとは違う。そういうのとは……
そう言い聞かせてから、畑に戻ったあいつの後ろ姿を目で追った。
あの頃とは違う、鮮やかな金色の髪が揺れていた。




