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52 【乱蔵】思い出すのは



「ひいッ、ひッ……」


 情けなく逃げ出した。追っ手の気配はないけれど、これがどれだけ無駄なことなのかは自分が一番よくわかっている。どうせすぐに殺されるのだ。いつ誰が自分の首を搔ききるのかと思うと恐怖に囚われた。自分の中にこんな感情があったのかと、不思議にもなる。ただひたすら、無我夢中で手足を動かして山を下った。


 視界が開けたところで、背後から殺気を感じた。まずい。咄嗟に体を捻って、腹に力を込めた。ぐぐ、と上体を反らして、思い切り糸を吐く。網のように広がった太い粘着質な糸が、飛んできた何本ものクナイを捕らえて飛んでいく。


「チッ……」

「どこに行く」


 冷めた男の声だった。“先生”だ。


「俺、は……」

「乱蔵、お前には才能がある」


 全身黒づくめの先生は、いつの間にか俺の背後について俺の首元を掴み、地面へ投げつけた。咄嗟に受け身を取りながら地面を転がり先生から距離を取るけれど、次々クナイを投げられてただそれを避けるだけで精一杯だった。


 本気で、殺しにきてる。

 いや、半分本気くらいか。この人なら俺なんてすぐ殺せる。今のこれはただ遊ばれているだけだ。


「殺しに来い。ほら、早く。早く俺を殺してみせろ」

「う……」


 泥の味がする。転がってる時に口の中に入ったのか。これがいつ鉄の味になるか……ああ、吐き気がする。もう何もかもがどうでもいい。生まれてこなけりゃ……生まれてこなけりゃこんな想いせずにすんだのに。

 他の奴らは違う。あいつらは今頃必死で殺し合ってる。恐怖なんてないんだろう。いや、俺だってずっとそうだった。どれだけ相手を半殺しにしたってなんとも思わなかった。思わなかったのに、いざ目の前で殺し合う奴らを見た時に、……人の死を目の当たりにした途端、怖くなった。ついさっきまで生きてたのに、人形みたいにぴくりとも動かなくなって。


 俺は、ああなりたくないって思った。


 先生が飛び込んでくる。咄嗟に避けたら坂で、俺は転がりながら体勢を変えて木と木の間を抜けていった。殺気の塊が迫ってくる。いつでも俺の背中にクナイを刺すことができるはずなのに、そうしないのは楽しんでるからだ。……どうせ殺すつもりなんだ。逃げ出した時点で俺の死は確定した。


 少し開けたところにあばら屋があった。誰も住んでいないだろうと思って屋根に飛び乗ると、思った以上にぼろくてそのまま屋根が抜け家の中に落ちた。


「ッ……!!」


 体を酷く打ち付ける。追うように先生が下りてきて、俺の体にのしかかり首を絞めてきた。


「ぐっ……がぁっ……」

「こんなところでこんな無様な死に様を晒すことになるとは。……残念だ。お前はもう少しできる奴だと思っていたが」


 首が熱い。苦しい。掴んで引き剥がそうとしてもビクともしない。頭が沸騰しそうなほど熱くて視界がぐらつく。口の端からぶくぶくと泡が零れていく。


「んっ……ぐぅ……」


 殺すならひと思いに殺してくれたらいいのに。加減している。じっくり嬲り殺すつもりだ。……いや、でもどうせ殺されるなら何も抵抗しない方がいいんじゃないのか? なんで俺の手は、足は、この化け物から逃れようともがくんだ?

 ここで生き延びたところで、どう生きていけばいいかわからない。一時的に逃れられたとしても追っ手は来るだろう。長く苦しみながら生きるより、この場でさっくり殺された方がいいに決まってる。


 …………そうだ。このまま、俺は……



 一瞬諦めて、次の瞬間には伸ばした手に掴んだ木片を先生の腕に突き立てていた。血が飛び散り、先生が僅かに目を見開く。だが俺の首にかける手の動きは強いままで――



 意識を手放す、そう思った時、鬼のような先生の顔が急に消えた。喉を締め付けられていた手もなくなって、必死で肺が空気を求める。


 この場に全く似つかわしくない、暢気な声が耳に届いた。



「やれやれ。こんな場所で、一体何をしているんだ」



 必死で起き上がり状況を確認しようとすると、ひょいと持ち上げられた。……誰かに抱えられていると理解するのにしばらく時間がかかった。先生じゃない。それならばこんなに高い位置に抱え上げられるはずがないし……引きずるんじゃなくて抱えるってのがよくわからない。

 

 銀色の髪がさらりと胸元に垂れていた。長い髪を高い位置で結わえている。左目には眼帯がしてあって、顔には何本も傷が入っている。足が悪いのか引きずっていた。シワシワのババアだ。だがババアにしては背が高く、なぜか葬儀の時に着るような真っ黒な男物の着物を着ていた。

 なんなんだ、このババア。つーかさっきまでどこにいやがった。もしかしてこのあばら屋の主人か? その割には気配がしなかったし、あそこには誰かが生活している雰囲気はなかった。

 ババアはあばら屋の外に俺を下ろし、首を傾げた。


「ふむ、元気そうだ。首を絞められて殺されそうになっていた割にはピンピンしている。余計なお世話だったか?」

「なんだ……お前」

「私は通りすがりのただの老人だよ。余計なお世話なら放っておこう。尋常じゃない殺気の量だったもので、ついつい体が反応してしまった。ほら、あれはお前の兄さんかな? さっきから私を殺したい殺したいとうずうずしているようだ。おお怖い怖い」


 全然怖くなさそうに言うなよ。

 なんなんだ、こいつ。まさか余所の忍びとか……

 そう思っているとクナイが飛んできた。まずい、と思って体勢を立て直そうとしたらババアに足蹴にされて、何すんだこのクソババアと言おうとしたら涼しい顔でクナイを全部手に取って笑っていた。


 ……こわっ


「どんな事情があるのか知らないが、子供と老人を虐めるのは感心しないな。それにこの……クナイか。忍びがまだこの世にあるとは、驚き驚き。てっきり絶滅したものだと思っていたが、まだ細々と生き延びてこんなことをしていたんだな」


 手に持ったクナイが鈍い音を立てて粉々に砕け散った。……おいおい、まじかよ。あのほっそい干からびた腕にどんだけの握力を秘めてるんだ。しかもそんなことして手を切ってすらいないなんておかしいだろ、手の皮どうなってんだ。


「貴様……どこの手の者だ?」

 先生は物陰からゆっくり姿を現した。いつもの冷めた声、冷めた態度。だけど本能的なものだろう、全身が緊張しているのを感じる。

「私はどこの手の者でもないよ。ゆっくりあてもなく旅をしている至って普通の世捨て人だ。ただ殺気にはつい体が反応してしまってな」

 つい殺気に反応するババアってなんだよ。あと至って普通の世捨て人なんて存在しねえよ。

「少年、君、名前はなんだ」

 ババアは俺の方を向いた。

 先生がこっちに駆け出す。「おい殺され――」思わず声を張っていたのに、一体何をどうやったらそうなるのか、次の瞬間には先生を片手で地面に叩きつけ、その上に呑気に腰を下ろしていた。


「――――――ッ!!」


 なんだ、このババア。


「君、名前はなんだ?」

「………………ら、乱蔵……」


 多分答えなかったら殺される。

 そんな気がしたから答えたのだが、奴は「そうかそうか」と朗らかに笑った。


「乱蔵、お前は生きたいか?」

「…………え?」

「忍びの者は本来あまり感情を出さないものだと聞く。だけどお前はどうも感情豊かで面白い」

「お、か、かん……?」

「自覚なしか。はっはっは、本当におかしな子だな」

「……?」

「乱蔵、もう一度問おう。お前は生きたいか?」


 こいつの右目は……見たこともない、美しい青だった。

 



「……………………い、生きたい」



 気づいたら言っていた。いや、言わされていたと言うべきか。

 にやっと嬉しそうに笑ったババアの顔が憎たらしくて、生まれて初めて自分の意志で人を殴りてえと思った。だけどそれが無駄だってことは、こいつの尻の下で身動きの取れなくなった先生の姿を見れば明らかだ。




 またどこからともなくクナイが飛んできて、それをババアが器用に弾き地面に刺さった。先生にも当たらないように弾いたらしい。

 ……現れたのは数名の“先生”だった。いや、長老も混じってる。数えるほどしか見たことなかったけれど、間違いない。見た瞬間、体が勝手にガクガク震えた。



「おやおや、これはまた懐かしい奴が来たものだ」


 ババアは余裕の笑みを崩さない。こいつ、やっぱ頭おかしいんじゃないか。ううむと顎に手を当てて考え込み始めた。


「名はなんと言ったかな。長兵衛、長治郎、長太郎……いやいや、そんなどこにでもある名前ではなかったな。うん、もうちょっとこう……凝った名前だった。頭の悪い子供が考えるような」

「黙れクソババア」

長老の眼光が凄まじくて、そばにいる俺の方がちびりそうになる。

「はっはっは、口が悪いなあ、クソジジイ」

「お主がなぜここにいる。お前はもう引退したはずじゃろう。守るべき者もなくし。あれだけわしらの手を煩わせてくれた奴が、ここに来てまたわしらの邪魔をするか」

「とんだ勘違いだ。私はたまたま通りかかっただけさ。子供が殺されそうになっているのを見て善意で助けただけ。……なあ、まだこんな腐ったやり方で後継者を作っているのか? いい加減時代遅れだ。第一、そこまでして手塩にかけて育てた子供たちの誰1人として、私に勝てた者があったかな」

「黙れ。消えろクソババア。おい乱蔵、そいつを殺せ」


 急に命じられてビクついた。無理だ、絶対無理だ……それはわかってるけど、長老の命令は絶対だ……殺さないと。この年老いた女を、今すぐ殺さないと……

 体がどうしようもなく震える。そうだ、この近距離で火を噴き出せば……いや無理だ、先生ですら手も足も出なかったんだぞ。そんなことしたって無理に決まってる。このババアは規格外な化け物だ。俺じゃ無理だ。俺じゃ……







「――――――――情けない」

「ひッ……」


 長老がため息を吐けば次の瞬間には首が飛ぶ。

 

 思わず身をすくめて目を閉じた。

 ……だけど、俺の首は繋がったままだ。



「この子供は私が引き取ろう。政府の奴らには私の名前でも出しておけ。誰も手出しはできまいし、誰もお前を責めはしないよ、クソジジイ」

「…………チッ」


 長老が舌打ちまでする。だけど俺の首は繋がっている。


「さて、行こうか。乱蔵」


 ババアは微笑みながら俺に左手を差し出した。……ああ、やっぱり死んでおけば良かった。長老以上にヤバい奴のオモチャになっちまった。


 ――それが、俺が最初に思ったことだった。


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