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471 【ルカ】 動揺する






『義勝の子供』





 欲しいものと聞かれて、そんな爆弾が放り込まれることになるなんて、さすがに誰も思わなかったと思う。




「だ、大丈夫か義勝!?」

「ッ…………ぐ……も、問題、ない…………」



 問題しかない。

 ただでさえカイウス殿下は怪我だらけなのに、さっき頭を打ち付けた音は本当に痛そうだった。

 ほむらは皇子の上であわあわと慌てている。

 本当に腰に力が入らないらしく、立ち上がることもできずにいた。



「……大丈夫?」

「あ、るかさん! うん、俺は大丈夫! でも義勝が……」


 僕は呆然として動けないでいるジーク殿下に代わって、ほむらに声を掛けた……けれど、うっかり近寄るものじゃなかったかもしれない。



 彼女は、あまりにも綺麗だった。

 頬は赤く染まって、目はうるうると潤んで……乱れた金髪も、どこか艶めかしい。

 それにその縋るような表情を向けられると…………――――――。


 ヒヤリと心臓が凍えた。

 彼女を全力で守りたい、どんな悪意からも遠ざけたい……そう駆り立てられる一方で、こんな愛らしい彼女を他の誰にも見せたくない…………そんな、かつて感じたことのない仄暗い衝動をも、自分の中に見出してしまったから。


 


「フフフフレア!! 何てことを言っているんだ!?」と父上。

「そうだぞさすがにまだ子供は早い!! それよりどうだうちのローガンは!? 確かにカイウスは良い男だし君たちが幸せそうなのは非常に心温まったが、うちのローガンもなかなか良い男だぞ! 人生は長い! いっそ二人と同時に付き合ってみるというのは!?」

「アホかお前!! サピエンティアは黙っていろ!!」

「こっちの台詞だイグニスは引っ込んでいろ!!」


 父上――――イグニス公爵とサピエンティア侯爵の喧嘩が始まってしまった。

 これは多分しばらく収まりそうにない。思わずため息が零れそうになったけれど、武器を手にしていないだけ良しとしようか。



「義勝、大丈夫? 頭生きてる?」


 ほむらが不安そうにカイウス殿下の顔を覗きこむ。

 殿下は顔をしかめながら上体を起こした。


「生きてる。お前……ほんと……どっからそんな発想が…………」

「だって、何でも欲しいものって……」

「だからって子供は…………」

「義勝は子供欲しくない?」


 多分、ほむらはすごく純粋なんだ。

 カイウス殿下はほむらの体を片手で支えながら、困惑した表情を浮かべた。


「いや、その、それは、そういう、訳では…………だが…………。ああクソ、俺は一体何を試されているんだ……」

「?」

「お前、そこら辺の知識全然ないだろ」

「え、そんなことないぞ! 子供はお母さんから生まれてくるんだ!」

「………………」

「何だその目。俺だってちょっとはわかってる。……えっと、子作りは大変なんだ! 夜中に叫び声を上げながら――――――むごッ」

「お前がほとんどわかっていないことはわかった。後で聞くから、それ以上この場で喋らない方がいい」


 カイウス殿下はほむらの口を手で塞いだ。

 ほむらが首を傾げながら頷いたのを見て、そっと手を離す。

 “後で聞くから”…………か。

 そういうことは二人きりの時に喋ってほしいって、そういうことかな。




 殿下はそのまま彼女の体を抱え、立ち上がった。



「お、お待ちください!」


 ルベルとカノンが、二人に駆け寄る。


「このまま病院に行くならお供します! それに市場で買い物するにしても、ご、護衛が必要でしょう……!」

「必要だと思います!」


 二人とも、顔に“二人きりで出かけさせるなんて絶対にダメだ”と書いている。そこに遅れて「お、俺も!」とシリウスが加わった。

 カイウス殿下は彼らの顔を見て静かに頷いた。


「ああ、そうだな。護衛は必要――――」

「護衛ならば俺がやる」


 名乗りを上げたのはローガンだ。


「ほむらたちの視界に入らないようにうまくやる。二人の時間と思って楽しむといい」


 それを聞いたほむらはこてん、と首を傾げた。


「えっと、皆で行くって話だよな? だったら普通に楽しくやろうぜ! 刀士郎と買い物なんて久しぶりだし、かのんやるんるんたちとは初めてだよな? 楽しみだな~!」


 にこにこと邪気のない顔で笑っている。

 どこまでも無邪気なほむらに、刀士郎は「今は義勝と過ごして」とふんわり微笑んだ。

 正直、驚いた。彼はそんな柔らかな顔で笑うこともできたんだ。


 これには自警団の面々もショックを受けたらしく、「み、見たか!?」「笑ってやがる……明日は嵐、いや雪でも降るんじゃねえの」「嘘……ショック」ひそひそ顔を見合わせて囁いている。



 ルベルはゴホンと咳払いした。


「ま、まあ護衛の数が多いのは良いこと――――」

「俺一人で十分だ。お前たちは来るな」

「なッ……、皇子と公爵令嬢の護衛が一人で務まると!? 自分の腕を過信し過ぎないことだローガン」

「数が多ければいいというものじゃない。お荷物が増えると護衛がやりづらくなる」

「何だと……!?」


 ルベルとローガンがいがみ合って、カノンが「まあまあ、落ち着けって」と仲裁している。

 カイウス殿下はどうしたものかとしばらくその様子を眺めた後、放っておいても問題ないと考えたのか、ほむらを抱えたまま出口へ歩き始めた。


「なあ義勝、刀士郎ってばどうしたんだ? 何か雰囲気変わった?」

「少々変わったな。気にするな。根っこの部分は変わってない」

「そっか! よかった」


 ほむらとカイウス殿下が楽しそうに話している。



 僕は彼女に伸ばした手を、どうすることもできず引っ込めた。

 掛けるべき言葉は見当たらなかった。

 恥ずかしそうに、幸せそうにカイウス殿下を見つめるほむらを見て…………まるでフレアが彼と結ばれてしまったように、感じていた。





――――――――――

――――――――――――――――――




「…………今頃、二人は市場で仲良くデートか」



 ジーク殿下がぽつりと呟く。

 ほむらの腰が問題なく元通りになって、元気に歩けるようになったのは聞いていた。

 それでもしばらくは安静にしといた方がいいんじゃないかなとは思ったけど、彼女は元気に市場へ出かけていったようだ。

 もちろん、カイウス殿下と一緒に。


 ルベルとカノン、それにシリウスと……あとなぜかサクラも心配になったのか、護衛に走って行った。

 ローガンはルベルたちといがみ合っていたし、父上とサピエンティア侯爵も喧嘩しながらついていってたし……あれをみれば心配になるのもすごくわかる。サクラがいればだいぶ和らぐんじゃないだろうか。彼女にはそういう力があるから。


 アランはふらりとどこかに消えた。

 多分、彼も影ながらほむらの護衛をしているんじゃないかな。

 彼はそういう人だ。ただ静かに、大切な人の幸せを守れる人。



 僕とジーク殿下とエイトさん、それにレインはそこに加わらなかった。

 レインは黒いオーラを発しながら黙々と書類作業をしている。……もしかしたら医学の勉強だろうか。長い前髪で顔が隠れて、一体何を考えているかはわからない。


 僕はジーク殿下へ視線を移した。


「……よかったんですか? ほむらは本当はアカツキ王国にいなければならないのに……女王陛下には何と」

「わかってる。僕だって本当は今すぐにほむらをアカツキ王国に連れて帰りたい。だが…………。取りあえずイグニス公爵もヴェントゥス公爵もついていることだし、安全は保障されてる。幸いほむらが消えたことも女王の耳には届いていないらしい。正直、僕としては女王のことまで考えていられない。バレたらバレたで何とかする」


 ジーク殿下は疲れたように肩を落とした。

 今は女王のことだとかアカツキ王国のことだとか……それを考える余裕もないのかもしれない。

 ずっと働き詰めだから疲れも相当溜まっているだろう。


 殿下はふと僕を見た後、「そう言えばレオンは?」と首を傾げた。


「ああ、彼は…………ルークに繋がるものがないならここにいる必要はない、とアカツキに戻りました」

「ぶれないな」

「ええ。まあ、今回ほむらを捜しに来たのも、クリスタに頼まれてのことだったようで……」

「ほむらはいつの間にクリスタと仲良くなったんだ」

「さあ……。彼女は誰とでもすぐに仲良くなれる人ですから」

「……そうだな。彼女はそういう人だ」



 ジーク殿下は小さく息を吐き、床に視線を落とした。




「この先のことを、考えたんだが」




 嫌な予感がした。


 あまり聞きたくない。

 でも、耳を塞ぐ訳にもいかない。……多分、殿下が言おうとしていることは、僕がさっきからずっと考えていたことだ。




「現状、フレアは罪人だ。イグニス邸を放火した罪に問われている。その点は既に裁判のやり直しを求めて準備も進めているし、皇帝も捕まって何の問題もない。……ただ、イグニス家から追放されている件に関してはそう簡単にはいかない」



 フレアはイグニス家から名前を消された。

 いくら無罪を勝ち取っても、いくら当主である父上がフレアを迎え入れることを望んでも、除名処分を取り消すには時間がかかる。

 彼女が受けたのは、それだけ重い処分だった。



「そもそも、フレアがイグニス家に戻ることを望むかもわからない。今の彼女にはサピエンティア家という強力な後ろ盾がある。わざわざ時間と手間をかけて公爵令嬢の身分を取り戻す必要はない。そもそも、彼女はイグニス家を出て、アカツキ王国を去り……新しい場所へ出かけることを夢見ていた。シノノメ帝国は、彼女にとって住みやすい地となるかもしれない」



 それは……そうだ。

 彼女はアカツキ王国から出ることを望んでいた。


 彼女が自由気ままにやるには、きっとイグニス家は窮屈だった。

 いや、そもそもイグニス家に良い思い出なんてあるんだろうか?

 幼少期の彼女は、ずっと孤独だった。早くに母親を亡くし、父親には冷たく当たられてばかりで、頼りになる大人も、仲の良い友達もずっといなかった。




「今の彼女……つまりほむらは、義勝との結婚を望んでいる」




 ズキリと、心臓が悲鳴を上げた。

 苦しくなって、僕は咄嗟に胸を押さえた。



 ……何を、動揺しているんだ。

 彼女の顔を見たじゃないか。喜ぶべきことだ。祝福するべきことだ。

 そもそも……いつか、こうなることはわかっていたんだ。彼女が誰かと結ばれることは。

 だから僕は決めたんじゃないか。


 彼女の幸せを見守るって。

 彼女が泣いている時、寄り添える人間になるって。

 いつか彼女が遠くに行ってしまっても、彼女の心の拠り所として、イグニス家を、アカツキ王国を守り続けるって。

 そのために、強くなるんだって。



 なのに…………




「ほむらと義勝の婚姻は簡単だ。ほむらがサピエンティア侯爵の養女となり、侯爵令嬢となれば反対する者はいない。そして記憶が戻った場合……つまりフレアに戻った場合も、残念ながら彼女はその婚姻を望む可能性が高いと思う」



 カリカリと、一心不乱に書類仕事に打ち込んでいたレインのペンが、殿下の推測を受けてぴたりと止まった。


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