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470 【ジーク】 苦しむ





 あああああああ本当に夢ならさっさと醒めてくれないか!?

 今、すぐに!!!




「は、な、れ、ろ!!! いつまでほむらにひっついているんだバカイウス!!!!」



 半泣きになりながら怒鳴りつけると、義勝はぱちりと瞬いた。



「バカイウス……俺はそんな呼び方をされていたのか……」

「ししし紫苑!? な、ななん、何でここ……!!」


 ほむらは義勝の腕の中でぶわあああっと頬を赤らめた。

 元々赤くなっていた顔が、ますます赤くなる。


「ッ…………」


 僕は思わず視線を逸らした。

 可愛い……。可愛いから、苦しい。

 義勝とほむらがキスをしていたことも衝撃だったが、それより一番ショックだったのは……彼女の、表情だった。




 本当に、幸せそうで。




 とろんと、夢見るような表情だった。

 赤く上気した頬は涙で濡れていたが、嫌でそうなった訳じゃないってことはすぐにわかった。

 可愛い。可愛すぎて嫉妬する。そんな顔、僕はかつて見たことがなかった。

 フレアの時も――まあルークの時は見たことがなくて当然だけど……――もちろん、ほむらの時だって。


 彼女は恋に落ちていた。

 それが嫌という程はっきり伝わった。



 僕は腹立ち紛れに刀士郎の方を睨み付けた。


「おい、誰が狼じゃないって……? あいつはどこからどう見ても狼じゃないのか!?」

「……まあ、そういうこともあるだろう」

「お前ッ……!!」

「だが、幸せそうだ」


 僕は言葉に詰まった。

 刀士郎は穏やかに微笑んでいた。

 あの無愛想で危険極まりない男が、ほっと安心したように、願いがようやく叶ったかのように、穏やかに、優しく微笑んでいた。



 …………理解に苦しむ。

 お前だって、本当はほむらのことを好いていたんじゃないのか。

 なのにどうしてそんな顔ができるんだ。

 僕はこんなに…………こんなにも苦しいのに…………




「う……ぐす……」

「て、サピエンティア侯爵!? なぜ貴殿が泣いている!?」


 僕のすぐ背後でサピエンティア侯爵がぐしぐしと目元を擦っていた。


「いや、その、ヒュ、ヒューゴとイザベラかと…………二人がようやく結ばれたのかと思っ…………あ、あの子がこんなに父親に似ていたとは……若い頃のあいつそっくり……うう……」

「ちょッ……僕の服で涙を拭くな!! おい!! 鼻水ついてるぞ!!」


 騒いでいる僕らを尻目に、義勝はほむらの上体をそっと起こした。

 ほむらはあいつの腕の中で「どどどどうしよう義勝心臓が出そうポンって!ポンって!」泣きそうな顔をしている。

 なのに義勝の方はというと、もう何もかも吹っ切れたのか恥ずかしがる様子も動揺する様子もなく「大丈夫だ。心臓はそう簡単に飛び出さない」と冷静沈着にほむらを落ち着かせていた。

 それがまた無性に苛つく。



「……髪」

「へあ?」


 義勝はほむらの髪をそっと撫でた。

 乱蔵に結わえられていた髪が乱れている。義勝に押し倒された所為かもしれない。


「簪が……。これも買ったのか? 綺麗だな」


 乱れて取れそうになっていた簪を、義勝がそっと引き抜いた。長い金髪がふわりと広がる。

 簪は、赤い玉が一つついた、シンプルだがセンスの良い代物だ。確かあれは……。


 ほむらは「あ」と目を丸くする。


「これ、どこかで見たことが……。あれ? 俺、こんな髪飾りつけてたっけ……」

「その簪、乱蔵がほむらに贈ったものだろう」


 爆弾を投下したのは刀士郎だった。

 乱蔵は鋭く「チッ」と舌打ちして、余計なこと言うんじゃねえよと言わんばかりに刀士郎を睨み付けた。


「え、乱蔵さんが、俺に……? あれ? そうだっけ? 俺、全然覚えて……」


 ほむらは混乱している。当然だ、あれを乱蔵が渡したのは意識がルークだった時。

 その後はいろいろあって、恐らくずっと手放していたのだろう。



「…………………………」



 しばらく簪を見ていた義勝は、それをほむらに握らせてから、真っ直ぐに彼女を見つめた。



「ほむら、……簪を買いに行くぞ」

「え?」

「良い簪だ。それもよく似合っていたが……俺といる時だけは、別のものをつけてほしい」

「へ? え、えっと……それは……」

「頼む」

「か、簪って高いだろ? それに、その……」

「お前に贈りたいんだ。……頼む。贈らせてくれ」



 義勝にじっと見つめられて、ほむらはうるうる目を潤ませた後、こくんと頷いた。


 差し出された手を取り、彼女が立ち上がろうとする。……だが、どういう訳か、ほむらは「あれ」と目を丸くして、なかなか立ち上がらなかった。いや……立ち上がれない、のか?

 義勝が「ほむら……どうした? 大丈夫か?」と声を掛けるけど、彼女は困ったようにふるふると首を横に振る。もしかして何か怪我をしたのかと青ざめた僕の目の前で……




「腰に……力、入んない……」




 ほむらは泣き出しそうな顔で義勝に縋った。




「え、ど、どうしよう。何これ何これ。力、全然入らな…………」

「腰が抜けたのか? 痛みは?」

「な、ない。痛いとかないし、そんな叩かれても殴られてもないし……そもそも俺頑丈なのに……な、ななな、なん……」

「なら精神的なものかもしれないな」

「精神、的…………あ!」



 ほむらは涙を浮かべたまま、カーッと顔を赤らめた。

 何か心当たりでもあったのか、と思ったら…………





「よ、義勝が、何度も口づけするから……!!」





 は?





「絶対それだ! お前のせいだ! 馬鹿!」

「……嫌だったか?」

「い、嫌じゃない! 全然、嫌じゃない。だって、俺がしてほしいって……言っ……だから、えっと、嬉しかっ……けど…………」



 ほむらは「ばかばか! とにかくお前のせいだぞ! ばか!」と目をうるうるさせながら視線を迷わせた。まるで幼子。多分頭が大混乱して自分でも何一つまともに整理できなくなっているんだろう。

 ああクソ可愛いちょっとそこ代われ義勝。

 て言うか貴様何度もキスしたのかふざけるな地獄に落ちろ。



 もうどこから嫉妬していいのかわからない。

 僕の心の中はグチャグチャで、いろんな感情が入り交じっては暴れ狂っている。


 できることならやり直したい。

 でもどこから? 乱蔵がほむらを連れて行こうとしたところか? 皇帝と連絡を取ったところか? それとも瞬間移動が暴発する前か? 彼女がこんなに可愛く着飾ったところか……?



 だが、どこからやり直したところで、結局こうなる運命だったんじゃないかと、そんな気もしてしまう。

 ならやり直したくはない。

 こんな思いを何度も味わってまともでいられる程、僕の心は打たれ強くない。



 義勝は立てなくなった彼女を両腕に抱え、立ち上がった。


 そこで僕は、ようやく義勝がボロボロになっていることに気づいた。

 恐らく刀士郎との手合わせの後か。

 こんなにボコボコに叩かれ殴られ打ちのめされた後に女性を一人抱きかかえるだけの筋力は僕にはない。……いや、ボコボコにされる前でも無理かもしれない。そこでまた一回落ち込んだ。義勝なんてこの前まであんなにふにゃふにゃした身体だったのに……転んだら自分で起き上がれないような丸っこい身体をしていたくせに…………悔しい。



 ほむらはあいつに抱きかかえられてあわあわと慌てている。


「よ、義勝!? 何すんだよ!?」

「念のため医者に診せる」

「い、いいって! 下ろせ!! 多分しばらくしたら元に戻る!!」

「だめだ」

「だから……いいから下ろせってば……ばか……」


 ほむらは恥ずかしそうに顔を手で覆って、あいつの腕の中で小さくなってしまった。

 豪快で適当で細かいことを気にしない君はどこにいった?

 ただの恋する可愛い女の子になってしまっている。

 いや彼女は元気いっぱいの時もただただ可愛い女の子ではあったけれど。更に可愛くなっている。それはもう尋常じゃない程。





「……簪の他に、何か欲しいものはあるか」

「え?」


 義勝の言葉に、ほむらの目がみるみる丸くなった。


「何でもいい。甘味でも着物でも……腰を治して買いに行く時間はたっぷりある」

「いいの? 義勝、忙しくないの?」

「元々、刀士郎に叩きのめされれば今日一日は使い物にならなくなると思っていた。仕事は片付けてある。想定外のことが起こったとしても……問題ない。信頼できる人間に任せてある」

「よくわかんないけど……そっか! じゃあ今日一日は一緒にいられるんだ!」


 正直、病院に行った方がいいのはほむらよりお前の方な気もするんだが。

 だがほむらがにこにこしているせいで何も口を挟めない。

 この二人の間に、割り込む勇気がない。



「欲しいもの……欲しいもの…………あ」



 ぱあっとほむらの顔が輝く。

 義勝はこれ以上なく優しい表情を彼女に向けた。



「思いついたか?」

「何でもいいんだよな? ほんとに? ほんとだよな?」

「ああ」

「じゃあ……」




 ほむらは、子供のように無邪気な笑顔をあいつに向けた。







「義勝の子供」







 ゴンッ……――――!!!






 冷静沈着に見えた男はツルッと足を滑らせ、背中から床に倒れ後頭部を強打。

 痛恨の一撃を食らってしばらく動けなくなっていた。


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