464 【刀士郎】 憎み続ける
………………義勝、俺はやはりお前を許せない。
目の前の男への憎しみが、自分の中で一段と燃え上がるのを感じた。
『あいつは関係ない。俺とあいつの間には…………何もなかった』
あれだけわかりやすくほむらのことが好きだったくせに、今更何が……何が“何もなかった”だ……!
家のことがなければと、わざわざそう聞いてやったのに、意味がわからないみたいな顔で。
俺は、お前が高村あやめと幸せに暮らしたことをとやかく言うつもりはない。
結果的に良い結婚となったのならばそれはそれでいいだろう。
ほむらへの想いを封じて、お前は見事妻となった女性を愛することができたんだ。高村あやめは芯の通った聡明な女性だった。お前たち二人は、まるで兄妹のように雰囲気の似た、似合いの二人だった。
だからその選択を非難したい訳じゃない。
あの時のお前の選択は、結果的に、正しかった。
ただ…………ただ、あの時点でのお前の気持ちは、本当はどこにあったのか、と。
高村あやめのことをよく知らなかったお前が、あの時結婚したいと思っていたのは……あの時好きだったのは、本当は誰だったのか。家のことがなければ、本当は誰と一緒になりたかったのかと。
今更考えても仕方のないことだし、聞くだけ無意味だとはわかっている。
だがどうしても聞きたかった。お前の口から、確かめたかった。
お前が、ほむらを選択する未来もあり得たのだと、思わせてほしかった。
家のことも責任も投げ捨てて、ほむらと共に生きる未来もあったのだと。
それほどに、あの時のお前はほむらを想っていたのだと。
そんな幸せな未来が起こり得た可能性を、他の誰でもなく、お前から示してもらいたかった。
その未来の中では、ほむらはきっと拷問なんて受けることはなかった。
『――――――――やめろ……やめてくれ! もうこれ以上、ほむらを傷つけないでくれ!!!』
お前は覚えているか?
暗い檻の中で、俺はひたすらお前に訴えた。
ほむらだってそうだ。お前の名前を呼ぶのを何度も聞いたぞ。必死で助けを求めていた。
なのにお前はそれを無視した。
彼女がどれだけの痛みと絶望の中にいるか、それがわかっていながら無視をした。お前は何もしなかった。彼女があんな拷問を受けていたのに、お前は……!! それがほむらにとってどれだけ辛いことか、お前にわかるか? 他の誰でもない、お前に助けを求めて無視されたんだぞ? 誰よりも信頼していた、お前に…………!!!
俺は呼吸を落ち着けながら木剣を構えた。
こうしていると昔のようだ。
昔のようだが――――――――――決定的に違う。
かつての俺は、こんな悍ましい憎しみをこいつに抱いたことはなかった。
怒りのままに駆け抜け、薙ぎ払った一撃は義勝の脇腹に入った。
あいつは為す術なく、無様にごろごろと地面に転がっていった。
「…………弱い」
義勝は避けることも木剣を向けることもできなかった。
記憶の中にあるあいつより弱くなっている。……まあ、それはそうか。つい最近まであんなに肥え太って走ることさえ覚束なかったんだ。少しばかり鍛えたからと言って、毎日のように鍛錬した昔のように体が動く訳がない。
あっけなく手合わせは終わった。
俺はそのままその場を去ろうとした。
「――――――――――待て」
背後からあいつの声がした。
俺はぴたりと足を止め、振り返った。
「俺はまだやれるぞ。もう一度、もう一度だ」
腹を押さえながら、義勝は立ち上がっていた。
震える手で木剣を握り締め、俺に向ける。
「……無駄だ。お前は俺には勝てない」
「慢心か。お前はもっと謙虚な奴だと思っていたが」
「………………」
「参る!!!」
義勝が距離を詰めてくる。……全然速くないし隙だらけだ。
あいつが木剣を振りかぶったと同時に、俺はがら空きになった胴に木剣を打ち付けた。
「ぐッ……」
短い呻き声を聞きながら、あいつの出方を窺った。
……義勝の目はまだ諦めていない。
俺は手の甲に更に一撃を加えた。あいつの木剣がカラカラと転がる。体勢を崩したところを、足を払って床に転ばせた。
何でもありの手合わせだ。
そんなにボコボコにされたいならお望み通り叩きのめしてやろう。
――――――――――それから、俺はあいつが立ち上がる度に叩きのめした。
何度も、何度も。
嫌な音がした。骨がいくつかいったはずだ。
血が飛び散って床を濡らした。……それでもあいつは諦めなかった。俺が去ろうとすると、足首を掴んで引き止めた。
「お、おいローガン!! もういいんじゃねえの!? なあ!!」
耐えきれなくなったらしい、ディランが俺たちに割って入った。
「なあおい、影武者さん! あんたももういいって! さすがにこれ以上はやめとけ! な?」
「ッ…………」
俺は今度こそ立ち去ろうとした。
なのに…………
「ま…………て…………」
擦れた声で、あいつが俺を引き止める。
「俺は、まだやれる。…………逃げる、つもりか」
義勝は血を拭い、俺の視線の先でよろよろと立ち上がった。
「来い、刀士郎」
「………………やめろ」
「まだ終わっていない」
「もう決着はついている。死にたいのか?」
「まさか。この程度、何だと言う。大した痛みじゃない。……あいつが、受けたものに比べれば」
義勝は傷だらけになった手で木剣を握り締め、俺に向き直った。
「来い、刀士郎。こんなものじゃないだろう。お前が抱き続けた憎しみは、全部俺にぶつけろ。俺にはそれを受け止める義務がある。そして……」
あいつは一旦言葉を止め、それから真っ直ぐに俺を見つめた。
「できることなら忘れるんだ。俺にぶつけたものは全て忘れろ」
「…………は?」
「お前に似合うのは、陽の当たる温かい場所だ。刀士郎、お前は暗い檻の中にいるべき人間じゃない。もう随分苦しんだだろう。いつまでそこにいるつもりだ? 俺はお前を救いたい。お前を絶望に叩き落としたのは俺だった。だから、他の誰でもない俺が、お前をそこから引きずり出さなければならないんだ!」
ひたすらに真っ直ぐな、嘘偽りのない目だった。
……俺はその目をよく知っている。
「…………やめろ」
やめてくれ。
そんな目を俺に向けるな。俺に見せるな。
「憎しみを捨てろ……!? ふざけるな!! そんなこと出来るわけがないだろう!!」
「お前は死んで生まれ変わった。その憎しみは、今世にはもう必要のないものだ」
「俺は忘れない。許しも要らない。俺を救い出すだ? 調子に乗るなよ義勝……!」
「よし来い。怒りは全部俺にぶつけろ。お前が忘れられるまで、お前の心が晴れるまで、俺が何度だってお前の剣を受けてやる」
「だからふざけるなとッ…………!!」
俺は咄嗟に義勝から視線を逸らした。
このままあいつの目を見ていたら…………あいつへの憎しみが揺らぐ。
あんな奴に縋りそうになる。昔のように、心を許しそうになってしまう。
俺はお前を憎んでいるんだ。
この世のどんなものよりもお前が憎いんだ。
だから……だから、どうかこのままお前を憎ませてくれ。
お前は酷い男なのだと。
結局家のためにしか動けない、つまらない男なのだと。
自分の気持ちにもほむらの気持ちにも鈍感な、ムカつく男なのだと。
本当は腰抜けの情けない奴なのだと。
俺が憧れた男は…………最初から、どこにもいなかったのだと。
そう、思わせてくれ。
「刀士郎」
やめろやめろやめろ。
俺を見るな、俺の名を呼ぶな。
「せめて…………自分を憎むのはもうやめろ」
泣きたくなる程、優しい、声だった。
「お前の心は傷だらけだ。これ以上自分を責めるな。終わったんだ、何もかも。死んで忘れるはずだった憎しみを、これ以上背負い続けるな。お前は、もう自由になっていいんだ」
……………………
………………………………
『――――――君は卑劣で、嘘吐きで、心の冷たい人間だ』
あの夜、血の臭いのする冷たい檻の中で、俺はお前を呪った。
ほむらへの仕打ちを、この憎しみを、俺は来世まで忘れないだろうと思った。
けれど、本当は…………
『俺はお前を許さない』
全部……全部自分への言葉だったんだ。
本当はわかっていた。義勝、お前が上の指示に逆らえないことは。
お前がどれだけ苦しんでいたかも。
お前は誰よりも忍耐強い奴だった。優しい奴だった。あんな拷問を見て、お前が苦しまない訳がなかった。
難しい立場だっただろう。お前がどれだけ自分を責めたかは、想像に難くない。
俺のせいだったんだ。
全部、全部俺のせいだった。
俺がほむらに剣を向けなければ。
俺があの時あの場所で人を殺さなければ。
俺が村を抜けなければ。
俺が危険な思想に己を見失わなければ。
俺が…………
俺が、君たちと友達にならなければ。
君たちをあんな目に遭わせずに済んだんだ。
本当に憎むべきは、俺自身だった。
「こんな俺が…………救われるわけ、ないだろう」
声が震えた。見開いた目から涙が流れた。
あいつが息をのむ気配がしたが、それでも構わず喋り続けた。
「俺は俺自身を許せない。この先何があったって、俺は俺を憎み続ける。お前が何を言っても無駄だ、義勝。俺は薄汚い大罪人だ。俺に相応しいのはあの冷たい檻の――――――――」
「わああああああ刀士郎!!! 避けて避けて避けてーーーーー!!!」
「ぐッ……!?」
避けれなかった。
何かが俺の上に落ちてきて、そのまま床にたたきつけられた。
「乱蔵さん! ヤバいって! 刀士郎が死んだらどうするんだよ!?」
「問題ねえ。グダグダ煩かったから静かになって丁度いい」
目の前に、輝く金色が広がった。




