453 【義勝】 焦る
「どどど……!? どう、なッ……!?」
ほむらは口をパクパクさせながら泡を吹きそうな勢いで動揺していた。
どうなっているのか。
それは俺が一番聞きたい。
俺はただ書斎で仕事をしていただけだ。
約束の時間までに、さっさと終わらせるものを終わらせてしまおう、と。
そしたら天井からほむらが降ってきた。……ジーク王太子と一緒に。
「!? こ、ここは……!?」
気づいた王太子が、顔をきょろきょろさせた。
「あ、紫の人! なあなあ、何これ!? どうなってんのこれ!? あ、あとさっきはほんとごめんぶん投げて――――」
王太子をぶん投げたのか? て言うか“紫の人”って、お前のその呼び方は不敬なんじゃ? 相変わらず命知らずな…………いや、この際それはどうでもいいか。この王太子はほむらが何をしても多分許すだろう。それより…………
「謝罪はいいがどうなっているのかは僕が聞きたい!! 一体ここはどこ――――」
「わかんねえけど何か緑の光がピカってならなかった!?」
「緑? みど…………あ」
「何かピンと来た!?」
「まさか……いや、だがこれは結局うまくいかなかったはずじゃ…………」
二人の会話が右から左に抜けていく。
一体…………何なんだ。その、格好は。
記憶の中にある、前世の世界では当たり前のものだった衣装。
真っ赤で華やかなそれは、ほむらによく似合っていた。…………綺麗、だ。本当によく似合っている。派手な顔立ちのほむらだからこそ、これだけ派手な着物もしっくり馴染んでいた。
そう言えば昔、ほむらが女物の着物を着たことがあった。
先生の家に眠っていたものだとかで、深紫色の、美しい着物だ。
ほむらは顔を真っ赤にしてそれを着ていて…………
あれだって、本当は似合っていたんだ。
だがあまりにも不意打ちで…………いや、違うな。着てみるという話は聞いていたから不意打ちじゃない。なのに俺は素直に感想を伝えることができなかった。
あまりにも…………可愛いと、思ってしまった。
咄嗟に顔を逸らして、にやにやを隠すために口元を覆ったことは覚えている。他の道場の奴らは「似合わない」と笑っていたが、俺はそうは思わなかった。刀士郎はどうしていたか。……多分あいつは、俺と違って素直に「天女のように綺麗だ」と褒めていたんじゃないかと思う。…………だが結局、あれからほむらが女物の着物を着ることはなかった。
目を逸らせずにいると、ほむらはハッと顔を強張らせた。
王太子の上から猫みたいに飛び上がって、部屋の隅へ逃げていく。チェストの後ろに回ったが、小さすぎて体のほとんどが見えている。
「…………隠れられていないぞ」
「うううううるせえ!! こっち見んじゃねえ!!! 俺の格好が面白いんだろ!!! 笑いたけりゃ笑えよ!!」
顔は見えないが、落ちた衝撃で乱れた髪の隙間から、真っ赤になった耳が見え隠れしている。
……………………クソ、可愛い。
「おい、何にやけてるんだ」
ぶすっとした声を投げつけたのは王太子だった。
「そもそも………………誰だ。お前は」
じっと俺を見て、怪訝な表情を浮かべる。
勝手に人の部屋に入ってきてそれはないだろう。
「ん? 待て……その顔、どこかで……どこかで見たような…………」
「…………本当に俺がわかりませんか」
「………………。聞いたことがあるような、ないような声だな…………」
俺の側近も声を聞いたらわかってくれたのだが。
いや、逆に言うとここ最近ずっとべったり一緒にいた俺の側近でさえ、俺がわからなかったということか。ならば王太子がわからないのも無理はない。
「カイウス・ファートゥムです。ジーク殿下」
「……………………ん? すまない、よく聞こえなかったんだが」
「ですから、カイウス・ファートゥムです」
「………………カイ、ウ…………」
王太子は徐々に目を見開き………………
「カッ!?」
机からずり落ちた。
王太子の姿が消えて本気で焦る。俺の部屋で怪我などされては困るどころの話じゃない。
「大丈夫ですか!?」
「も、問題、ありません……。まさかそんな……え、カイウスって、カイウス? あの、カイウス殿……?」
王太子を助け起こしたが、彼は未だにこれが現実だと思えないらしい。
俺を凝視して呆然としている。
…………そこまで変わったか?
確かに体重はかなり落ちたかもしれない。……いや、どうだろうな。量っていないから正確なところはわからない。ただ…………
「筋肉の量はかなり増えたと思います」
「増えすぎでしょう!? 人間が為せる技とは思えない。特殊能力か!?」
「特殊……いや、まあそういう体質と言うか……」
「数日前に会った時はこんなじゃ…………一体何があればあの体がこんな…………!?」
「まあ……ここ最近忙しかったもので」
「ハッ……まさか影武者!? せめてもう少し似せた方が…………」
「本物です」
思わずため息が出る。この様子だと外交に支障が出そうだ。
まさかここまで信じてもらえないとは思わなかった。
「最近は寝る前のおやつを控えていましたし、一昨日も昨日も鍛錬をしていました。そうそう、火事の時も火の中に飛び込みましたし……これが本当の脂肪燃焼」
「? あ、ああ。なるほど?」
……一応ダジャレだったのだが。
伝わらなかったか。
「ゴホン。まあ……そういう訳で引き締まったのでしょう」
「……引き締まりすぎでは?」
王太子はまだ俺を疑っているようだ。
無理もないか。そのうち慣れてくるだろう。
「それで、どうしてここに? 突然天井から落ちてきましたが、あれは一体?」
「僕らも一瞬のことで何がなんだか……」
瞬間移動。だとすれば、そんなことができるのはこの世界で一人だけだ。
「ヴェントゥス公爵に? 彼がこんな悪趣味なことをするとは思えませんが」
「ええ、ヴェントゥス公爵に悪意はありません、が…………とにかく事故です。大変失礼をしました。…………ほむら、いつまでそこで隠れているんだ?」
ほむらの肩がびくっと震える。
俺たちの話を聞こうと顔を突き出していたのが、俺と目が合った途端またサッと隠れてしまった。
……思えば、あの火事以来か。まともに顔を合わせるのは。
どうやら怪我は残っていない。よかった。その事に、今更ながらほっとした。
「えーと……取りあえずカイウス殿下、皇帝に面会の許可をいただけますか」と王太子。
「皇帝……?」
「ええ、事故ではありましたが来てしまったので、ついでに許可が貰えればと。どうやらほむらが皇帝に会いたいようでして」
「それは……」
一体何を言い出すのかと、俺は思わず眉をしかめた。
正直、それは賛同できない。
皇帝は何か憑きものでも取れたように人が変わったが、それも一時のことかもしれない。
あれは危険な男だ。会ってしまえば最後、ほむらに一体どんな悍ましいことを囁くかわかったものじゃない。
「………………………………別にいいじゃん」
ほむらの声がした。
むすっとこちらを睨み付けている。
「て言うか、何で義勝の許可なんて必要なの? こいつ関係ないじゃん」
「……あれは俺の父親だ」
「ふうん、義勝の父…………父!?」
……知らなかったのか。
まあ仕方がないか。こいつは興味のないことはすぐに忘れるし、理解するのも面倒でさっさと放棄するようなところがあるし……細かいことはもちろん細かくないことも気にしないからな。ほむらはそういう奴だ。ややこしい人間関係より夕食の中身の方がずっと大切だろう。
「義勝の父親ってあんな感じだったっけ……!? 絶対違うと思うんだけどな……だってもっと怖そうな感じだったじゃん!」
「俺の父親(前世)は誇り高い人だ!」
「うん、そうそう、父ちゃん大好きだよな、義勝って。それはいいんだけどさ、それってほんとにおじさんのこと?」
「…………いろいろ複雑な事情があるが、お前の言う“おじさん”に関しては父親と思ったことはない」
「? つまり父親じゃないんだろ?」
「だが父親ではある」
「??? どういうこと?」
これ以上どう説明すればいいのか。
俺はこいつに何と言えばいい?
お前の帰る世界はここだ。他にはない。お前はもう死んでいて、生まれ変わったんだ、と?
…………無理だな。
言ったところで冗談と思われるだけだ。
「とにかく、いくら殿下の頼みとは言え、皇帝に会わせる訳にはいきません」
「僕だって会わせたい訳じゃありませんが、ほむらは思い通りにならないと実力行使に出ます。それは僕としても望むところじゃない」
「とは言っても、あの男に会わせるのはさすがに……」
「まあそこを何とか……」
王太子としてもあまり乗り気ではないのか、言葉に覇気がない。
ぐだぐだ押し問答を続けていると、しびれを切らしたほむらが「もういいじゃん勝手に行こうよ!」と声を上げた。なぜか窓の傍に移動している。
…………とても嫌な予感がした。




