452 息をのむ
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「じ、事情はわかった! だが会わせる訳には……!」
「オネガイジークサマ、ワタシノオネガイキイテクダサイ」
「せめてもう少し感情を込めてくれないか!?」
「読むのに必死で……」
視界の端で、織姫様が台詞を書いた紙を掲げている。
その紙に書かれてあることを読めば、紫の人は何でも言うこと聞いてくれるって織姫様が言ってたから、頑張って読み上げてたんだけど……もしかしなくても逆効果なんじゃ……?
「だめ……?」
上目遣いを実践すると、紫の人はビクついてみるみる顔を真っ赤に染めた。
あれ? 失敗した? もしかして怒ってる?
困った時は上目遣いをすればイチコロだって、これも織姫様が言ってたんだけど。織姫様の言うことってあんまりアテにしない方がいいのかな?
「だ、だめ、だ……けど、君が、その、そこまで、言う、なら…………」
あれ? 怒って、ない……?
怒ってないのかな? 成功?
織姫様の方を見ると、おっきな紙に「あと一押し!」と書かれてあった。
俺は思わず……
「“あと一押し”?」
そのまま口に出してしまった。
紫の人が怪訝な表情で眉を寄せる。
「何だって? あと一押し?」
「あ、織姫様が……」
紫の人が織姫様の方を見ると、彼女はさっと紙を仕舞って素知らぬ顔をしている。
でも紫の人は大体を察したらしい。
「…………ステラ、僕で遊ぶのもいい加減にしなさい」
深くため息を吐いた。
いいところまでいってたっぽいのに、最後の最後に失敗した。ごめんなさい、織姫様。
本当は、紫の人に会うのはすごく気まずかった。
だって俺はこの人をぶん投げてまだろくに謝れていない。
どうしよう、怒られるってあわあわしてたら、先に頭を下げたのは紫の人だった。
『あの時はすまない。怖がらせた上に誓約書だなんだと、君を不安にさせた。酷いことをしたと思っている。本当にすまなかった』
謝るのは俺の方なのに。
なのに、俺なんかに頭を下げて、謝ってくれた。
この人は、俺が思っているような怖い人じゃないのかもしれない。
そう思うと、逃げ回っていたのがすごく申し訳なくなって、俺は必死で頭を下げた。
「――――まあまあ殿下、ほむらがこんなにあいつに会いたがっているのです。それくらいお許しくださってもよいのでは?」
「ッ! サピエンティア侯爵、近いのですが!?」
おじさん二号は気安く紫の人の肩に腕を回した。
紫の人はあからさまに嫌がっている。
すごいな、おじさん二号。人見知りしないその社交力、俺にもわけてほしいぜ。
「ヒューゴに敵意がないのは貴方も確かめたはずでしょう。この先のことを思えば、あいつとほむらを会わせることくらい許してくれてもいいのでは? 何より彼女の美しさ! この姿を見られないのはあまりにも可哀想だ! ほむらもあいつのことを聞いた途端元気になったし、一度くらい会わせてみてもバチは当たりません!」
「ですが………………」
紫の人は疲れた様子で俺にチラリと視線を向けた。
よしもう一回やってみよう!と「お願い!」と上目遣いをすると、バッと顔を逸らされる。
だめだったかな? どうなんだろう。耳は赤い。怒ってるのか、照れてるのかわかんない。
「…………数時間程度なら、誤魔化すのも難しくはないでしょう」
「えっ、そ、それって……!」
「数時間……いや数十分だ。少し面会するだけなら、カイウス殿に掛け合おう。アカツキ側には伏せた方がいい。女王たちを説得するには時間がかかる」
おおおお…………! 折れてくれたってことだ!
紫の人ってやっぱり優しい!
「今捜索中のあれさえ捕まえれば、彼女に変身させて誤魔化すのもラクになるのだが……」
「“捜索中のあれ”? “変身”?」おじさん二号が首を傾げる。
「いえ、こちらの話です。まあここはステラにうまくやってもらいましょう。基本的にはここには誰も来ませんし、アクアやテラのご令嬢の協力もあるなら、誤魔化すのも難しくないと思います。ヴェントゥス公爵は……」
「私を迎えに1時間後にはこちらに来る予定です。その時頼み込めばいいでしょう」
「そうだな…………。女王よりは説得もしやすいか」
おじさん二号や紫の人が中心になっていろいろ話している間、俺は隅っこの方でそれを聞いていた。
話し合いが一段落した時、俺はそそくさと紫の人に近づいた。
「あの…………」
「……ん?」
「あ、ありがとう、ございます」
ちゃんと伝えておかなきゃならないと思った。
そしたら、紫の人は「……別に、気にしなくていい」とぽそぽそ返してくれた。
「君はその気になれば一人で逃亡するのも訳ないだろう。勝手にいなくなられたら心臓に悪い。ならせめて、協力してほしいと頼ってもらえてよかったと考えている」
俺は驚いて紫の人を凝視した。
数えるくらいしか会ったことがないのに、すごく大切に扱われているようで不思議な心地だった。
最初は怖かったけど、ほんとは優しい人なんだ。そう思った。
「……あ、あのさ」
この人となら、もしかしたら結婚もできるかもしれない。
ふと、そんな考えが頭を過った。
折角俺なんかと結婚してくれるって言ってるなら、いいんじゃ、ないだろうか? もしかして。心桜も元気になって何もかも丸く収まって、元の世界とこっちの世界を自由に行き来できるようになったら、この人と結婚、なんて道も――――――――
「お、俺――――――――!!」
「? ど、どうした?」
言おうとした。
ちょっと待ってくれないかな?って。先生にもちゃんと紹介したいって。
この人なら大丈夫かもしれないって、ちゃんと謝ってくれたしほんとは優しい人っぽいし、いろいろ丸く収めるのに時間はかかるだろうから、それまで待ってくれないかな、って。勇気を出そうとした。
「お、おおお、俺俺俺…………!!」
「?? お腹が空いたのか?」
紫の人は何か見当違いのこと言ってる。
俺は目眩がした。ぐるぐる顔が熱くなって、なかなか言葉が出てこない。
「大丈夫か? 顔が赤いようだが……まさか熱――――――」
紫の人の顔がちょっと近づく。
ただでさえばくばく煩い心臓が、張り裂けそうだった。
だめだ。
だめだだめだだめだ。
またこの前みたいなこと、する訳には――――――――
「お、俺! けっ――――――」
結婚。そう、言おうとした。
その時、脳裏に…………あいつの顔が浮かんだ。
皆が告白告白ってうるさい所為だ。そのせいで、あいつの顔なんて浮かんじまったんだ。俺は別にあいつのこと……何とも……思っ……て………………ない………………のに……………………
「ほむら?」
紫の人の顔が、一瞬義勝に見えた。
その途端…………
「あばばばばばばばばばあああああああ!!!」
「ぐふッ!?」
ドゴッ
嫌な音がした。
俺は、また紫の人の体を掴んで地面に叩きつけてしまった。
「殿下!?」
「ごごごごめ――――!」
今度はすぐに謝ろうとした。本当だ、謝ろうとしたんだ。
その時、紫の人の胸元で、緑色の何かがキラッと光った。
「え…………」
思わず息をのんだ。
その緑色の光はあっという間に大きくなって視界を埋め尽くしたから。
「ほむら様!?」
「殿下!!」
「ほむ――――――」
遠くで、織姫様と橙の人の声が聞こえる。あ、おじさん二号も。
でもそれはすぐになくなって……
視界が瞬時に切り替わった。
「うわあああ!?」
「ッ!? な、なん――――――」
俺は紫の人と一緒に、でっかい机の上に体を叩きつけられていた。
バサバサァっと書類が散らばる。
「だ、大丈夫か紫の人!?」
「むッ……僕は、ジークだ……! 紫の人って何だ……!?」
よかった、紫の人は俺の下にいたけど元気そうだ。
俺は紫の人の上に乗っかったまま、顔だけ上げた。
「…………ほむ、ら?」
「へ?」
…………………………
………………………………………………義勝?
義勝がいた。
でっかい机の前に座ってて、俺を見て目を丸くしている。
俺も多分同じような顔をしていたと思う。
それに驚くべきことはもう一つ。
「義勝……お、お前、どうして…………」
ついこの間見た時は、饅頭みたいにふっくらしていたはずなのに。
そこにいたのは、俺のよく知るあいつだった。




