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46 見舞う


 その後、なんやかんやあって結局カノンの元に行く頃には陽が傾きかけていた。

 公爵邸に寄った後だったから、ルカも一緒だ。何も知らなかったルカは始終青い顔で、しきりにカノンのことを心配していた。


 石造りの頑丈な建物の一番奥がカノンの病室だった。病室に入る手前で、「フレア様!」と呼びかけられた。振り向けば、私の姿を認めたルベルが廊下から慌てて駆け寄ってくるところだった。目元が赤くて頬が腫れて……よほど泣いたんだろう。まだ目がうるうるしていた。髪もぼさぼさだし服もヨレヨレで、いつものルベルらしくない。

「フレア……様……どこにいらしたのですか!? 屋敷に戻ってもいらっしゃらないし、何の知らせも……」

「屋敷に戻ってたの? ……入れ違いかしら。ごめんなさい。そうとは知らなくて……」

「いえ……ただ……」

 ルベルはぎゅっと拳を握りしめた。

「恐れながら、カノンがあんな状態なのに……今までどちらにいらしたのですか!? 医者は見つかったんですか!? シリウスとステラは……」

 彼の目はメラメラと燃えていた。ひしひしと怒りを感じる。でもそれが私への怒りなのかというと、それだけでもないようだった。まるで自分の中から自分をじりじりと炙っているような危険な怒りの火だった。

「……そう言えばその話がまだだったわね。まずはその話を――」

「フレア、様?」


 擦れた声が部屋から掛けられた。ドアが僅かに開いていて、私の声が漏れ聞こえたらしい。私はドアを開けて中に入った。ベッドと小さな机だけの簡素な部屋だけど、この病院では一番上等な個室だろう。カノンは窓際のベッドに横になっていた。たっぷりのクッションを背に上体を起こして。

 頭や腕は包帯でぐるぐる巻きだ。腕は特に酷い。新手の武器かと思うほど大きく膨らんで固定されていた。



「フレア様……俺……」

「怪我するなって言ったのに。約束を破ったわね」


 カノンの顔が曇った。しゅん、と項垂れて落ち込んでいる。ルカがそっと近寄れば、弱々しく微笑んだ。


「医者から大体のことは聞いたわ。背中と右腕が特に酷いんでしょ? 運良く背中の傷は内臓に届いてなかったみたいだけど、右腕はまずいわね。これからまた手術にリハビリが必要だわ」

「フレア様、医者は一時間ほど前にここを出て貴族の診療に向かったと聞いておりますが、一体いつ……」困惑したルベルの言葉に「ああ、実は昼過ぎに一度ここに寄っていたの。カノンの病室には寄らなかったけど」と言えば「え……!?」と驚きに染まった。


「でも……フレア様、この腕……もう、前みたいに動かせないんですよね」

 カノンは左手でぎゅっとベッドのシーツを握りしめた。僅かに震えている。

「そうかもね」

 正直に頷けば、ルベルが背後でガタッとよろけたのがわかった。カノンは顔をあげない。いつも鮮やかな赤い髪が、今は萎れた花みたいに元気がない。

「右腕がこんなんじゃ……俺……」

 シーツに点々と滴が落ちていく。

「俺……もう……騎士になんてなれないですよね……」

「…………」



 利き腕をやられた。

 騎士にとってそれがどういう意味を示すのか。騎士にとって、いえ剣士にとってそれは“死”を意味する。もう剣をまともに握ることさえできないかもしれない。今まで培ってきた鍛錬全てが無駄になる。腕を奪われた人間が、剣士になんてなれる訳がない……




 ……と、思われている。






「――――で?」

「……え?」

「あんたはこの程度のことで騎士を諦めるの?」


 言葉を投げつければ、カノンは驚いたように顔を上げた。潤んだ瞳には涙がたまって、今にも零れ落ちそうだ。


「え? でも、腕を、俺……」

「右腕をやられたくらいで騎士を諦めるのかって聞いてるのよ」


 パチパチと瞬きすれば、溜まっていた涙が溢れて頬を流れていった。呆然としているが、さっきまでのただ萎れて絶望していただけの少年の顔とは少し違う。


「やめ……たくない……です。諦めたく、ないです……」

「じゃあ目指せばいいじゃない」

「でも……」

「これから先、騎士なんてものになったら怪我が絶えないわよ? 腕がもげることも足がもげることも、目を奪われることだってあり得る。殉職する可能性もある。あんたはそんなものを目指してるの。それでもこの国の人間を守るために騎士を目指してるんでしょ? だったらこの程度の怪我でめそめそしてんじゃないわよ。しっかり腕はついてんだし、リハビリ頑張りなさい」

「うまく……いきますかね。そんな……」

「仮に右腕が本調子に戻らなくても左腕があるでしょ」

「え?」

「左腕で鍛錬すればいい。体が不自由なら不自由なりにあるもので勝負すればいい。体の機能が欠けていることを私は不幸だとは思わない」

「左腕……」

 カノンは自由に動く左手をじっと見つめた。そんなこと考えたこともなかったのでしょうね。……まあ、普通は考えないか。

「……私の知り合いに、片目で右腕も使えなくて、いつも足を引きずって歩く剣士がいた」

「え?」

「視界が半分になったことで視覚に頼らない戦い方を覚えた。どうやっても右腕が使えないから左腕での戦い方を覚えた。足が不自由だから、動かなくても相手に届く剣技を高めた。体が不自由だったからこそ、最速・最小限で相手の意識を奪う戦い方を覚えた。……そうやって、50年以上剣士として生き続けた。そういう人間を知っている」

「そ、そんなすごい人がいるんですか……!?」


 ええ、あんたの目の前にね。


「右腕が使えても騎士なんてものはそもそも苦しい道のりよ。剣で生きるというのはそういうこと。その覚悟があるなら騎士を目指せばいい。その覚悟がなければ諦めればいい。それだけのことよ」

「俺、は……」


 カノンはぐっと何かを堪えるように飲み込むと、潤んだ目を私に向けた。その目の奥に僅かに光が灯っている。力強い意志の光が。


「俺は、騎士を目指します!!! 強い騎士になって、この国を守ります!!!」


 大声でそう宣言した。……そう言うと思った。ボロボロと勢いよく涙が零れる。赤く腫れた頬を濡らしていく。拭おうともしない彼の代わりに、その涙を拭えば、驚いたように目を丸くされた。


「あんたが危険を冒してステラを助けたことを、私は正しいことだとは思わない。自分の身を危険に晒すやり方に慣れてほしくはない。でも、だからってあんたを責めるつもりもない。それがあんたの選んだ道でしょう。だったら、最後までちゃんと責任取りなさい」


「はい……!!は……」


 そこでカノンははっとしたように顔を強ばらせて私に詰め寄った。


「ああ! ステラ! ステラはどうなったんですか!? 俺ずっとそれ気になってて!! 大丈夫なんすか!? あの子――」

「落ち着いて。大丈夫だから」


 自分のことでも相当落ち込んでいたくせに、人のことを心配する必死な顔を見て、少し愉快な気持ちになった。



「手術は成功した。ステラは無事よ」



 その瞬間、緊張していたカノンの顔が綻んで気の抜けた笑みになる。


「よかっ……たあ……」


 間抜けで優しい顔だった。それを見ていると、騎士になんてなって欲しくないという思いと、それでもきっとこの子は騎士になるために生まれてきたのだろうという思いが重なる。結局どうなるかは私にもわからない。彼が本当に騎士になれるのか、なれないのか。ただ今は、この子が必死で助けようとした命が無事だったという事実を、静かに噛みしめた。


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