45 落ち込む
その後朝刊に大々的に発表されたことは、人身売買に手を染めていた孤児院の職員と貴族たちが一斉に検挙されたということだった。教会を使っての人身売買取引は波紋を呼び、関わった貴族はお家取り潰しに遭うなど、大きな処分が下された。
朝方屋敷に戻り、届いていた朝刊を広げながら私はやれやれとため息を吐いた。屋敷には誰もいない。ルベルもカインも町医者のところだろう。
『おはよう』
「……これも全部あんたが仕組んだことでしょ、ジーク」
『ご機嫌斜めのようだな。何か気に食わないことでもあったか? 朗報ばかりだと思うが。孤児院から抜け出していた子供たちも全員無事保護された。怪しい男は行方知れずだが、上々だろう』
怪しい男って……ああ、乱蔵のことか。
首につけられたチョーカーに思わず触れていた。ジークの声が頭に響く。……うーん、ほんとこれ嫌なんだけど。なんて言うか、頭の中に直接語りかけられているような感じがして……すごく気持ち悪い。
奴隷か、牢屋か。
あの夜、私が選んだのは奴隷だった。牢屋なんていれられたらたまったもんじゃないし、選択肢なんてあってないようなものだ。まあ、牢屋に入れられた後に脱出っていうのもありだったけど、ステラのことをほったらかしにしたままってのもちょっとね……。
人身売買を禁じているアカツキ王国で、奴隷なんて身分はない。王子が奴隷を買ったなんて大スキャンダルだ。だから厳密には奴隷という身分に落ちたのではなくて、彼にとって『奴隷』のように忠実で自由のない立場に秘密裏にされてしまった、という状態。
このチョーカーから、ジークは便利な神子の力を使って私の状態を監視することができる。
こうして会話することもできるし、ジークが私の居場所を特定することもできるし、更に私に罰を与えることもできるらしい。なんなら、首を押し切るなんてこともできるんだとか。しかも自分で外すことはできない。許可なく外そうとしたらジークにすぐに知られることになって、それだけで今度こそ牢屋行きだ。一体どうやって作ったのよ、こんなもん。よっぽど暇だったのね。
神子だけは、一つしか能力を持たない聖騎士と違って複数の力を持っている。
それは透視であったり、未来を見たり……私も詳しいところは知らないけれど、今回レインの居場所をぴたりと当てたことや彼の作ったこのチョーカーなんかから、そういう類いの力を持つのだろうということを推測した。小説の内容を思い出したらもっとはっきりわかるんだけどね。
あのアグニも、これと同じものをつけられているらしい。つまり、今私はあいつと同列だ。
イグニス邸での火災誘拐事件で、アグニと私の間で交わされた取引。
ジークから「願いを一つ叶えてやる」と言われて約束したのは、決してアグニでは成し遂げられないであろうと思われた約束だった。『今まで殺してきた人の数だけ、ジークの命令に従う。その間、人の命を一つでも奪えば処刑とする。もしそれを達成できたら、私との殺し合いを認める』……あの男はかなりの数を殺してきたはずだし、そもそも覚えているかも怪しかったし、こんな曖昧な約束であいつが納得するとは思えなかった。こんな約束をしたところで、すぐに処刑されてしまえば終わりなんだから。あいつは私以外には殺せないって妙に自信満々だったけど、確実なことなんてこの世にはないし。けれど、私の予想とは裏腹に、アグニは承諾した。そしてペラペラと機密事項を喋ってくれた。
で、私はジークから「願いを一つ叶えて貰う」権利を得て、それをカノンたちのために捨ててしまい、ジークとの婚約破棄を叶えることかなわず、今に至ってはまた赤の他人のために危険を冒してジークの奴隷的存在へと成り下がってしまった。
……クソが!!
「……あんた、貴族なんていつの間に洗い出したのよ」
『アグニを使って書類を盗み出してもらった。あれは本当に便利だな。生かしておいて正解だった』
「……アグニとの約束、果たせないように頑張ってよ。殺し合いなんてするつもりないからね」
『できるだけ頑張る』
「できるだけじゃなくて絶対そうならないようにして」
『あいつは絶対記憶というのを持っているらしい。自分が殺した人間の数もしっかり覚えていた。軽く10000は越えていたが』
「え」
『なかなか有能な奴だ。案外、あれが目標を達成するのもそう遠くない未来かもな』
「本気で言ってるの!?」
『じゃ、僕はそろそろ朝食だから失礼する』
「……あーはいはい。行ってらっしゃいダーリン」
『気持ち悪いから次それ言ったら処刑だ』
「…………」
ほんと可愛くない。悪魔みたいな婚約者なんだけど。あれが小説のヒーローってどうなってんの? ヒロインにだけゲロ甘くなるとか? ヒロインが可愛かったことは覚えてるんだけど、正直ジークのことはあんまり覚えてない。なんで私こんな奴のこと好きだったんだろう……。あ、そうか、この中身知らなかったからか。知ってたら絶対好きになんてなってない。
処刑される未来を変えようとしてるはずなのに、このままじゃあと一回「ダーリン」て呼んだだけで処刑て……小説より死に近づいてるって……我ながらうんざりするわ。こんな調子で本当に幸せになれるのかしら……。
まあ立ち止まってる暇はない。
今からが忙しいんだから。そう思って立ち上がったら、突然声を掛けられた。
「ここがお前の屋敷か。なかなか良い場所じゃねえの」
「……窓から侵入なんて何考えてるの? 警備兵呼ぶわよ」
乱蔵……お前に構っている暇はないのよ。
いつの間にか鍵を開けられた窓から不躾に部屋に入ってきた乱蔵は、相変わらず目つきの悪い顔をしていた。前世で顔にあった傷はなくなっている。髪も黒い。こいつ、若白髪だったのね。それにしても私といいこいつといい、目を見たら前世の人間ってわかるのもやばいけど、やっぱり外見まで昔と同じってどういうこと? あの頃若造だったこの男と今目の前のこの……よくよく見れば少年って言えるようなこの男は、若干年齢に差はあるもののうり二つだ。東洋風の顔立ちはこの国では浮くんじゃないかと思ったけど、案外馴染んでいる。よく考えればこの国には異国の人間がけっこういて、髪の色も肌の色もごっちゃだから、シリウスの獣バージョンくらい見た目が変わってないと浮くことはないかもと思い至った。
「つれねえな。前世で一緒に旅してたってのに、お貴族様になった途端それは酷いんじゃねえの?」
「悪いけど前世で良い思い出なんて欠片もないし、思い出したくもない記憶ばっかりだから。今回は一応礼を言うけど、もう二度と関わらないで。シリウスたちを連れて旅でもするつもりだったんなら、連れて行って好きにすればいい」
「あいつらは遠方にある良心的な孤児院まで連れて行く予定だった。だけどもうその必要はねえだろ。……つーか、お前ほんと人格変わりすぎだな。ババアの皮を被った別人か? 何度もそう思ったが、何度見てもまちがいなくババアなんだよな」
「ババアババアうるさいわよ、あんた」
「昔のお前はそんなこと言う奴だったか? 過去のことなんて思い出したくもない、とか」
……イライラする。私のことなんて何も知らないくせに。
「たかが数年一緒にいただけの話だわ。私は仕方なくあんたを拾っただけよ。離れられて清々した」
「じゃあ聞くけど、お前、なんで火の中に飛び込んだりしたんだよ」
「はあ? 何の話?」
「地震だよ!!」
乱蔵の怒鳴り声に、耳がキンと鳴る。
「うるさいわね……」
「地震で火災が起こっただろ! なんで宿の中に戻ったんだよ!! お前が燃える家に飛び込んでいくのを何人も見てる。何を取りに戻った!?」
「…………」
いちいち思い出させないでよ。
老いぼれた私の惨めな最期なんて。
「俺が……いると思ったからじゃねえのかよ」
「…………」
「俺は昼まで寝るっつって宿に残った。それで……」
「嘘吐いてたのよね? あんたは実際のところ外に出かけてた。どうせ賭け事でもしに行ってたんでしょ?」
「……だけどお前はそれを知らなかった。お前が必死で俺の名を――」
「うぬぼれないで」
私は乱蔵を睨み付けた。
「あんたのために火の中に飛び込む訳ないでしょ。ババアだの化け物だの、人のことを散々悪く言ってた奴のことなんて、私が助けようとすると思う?」
しかもそのせいで誰もいない部屋で1人、火に焼かれて死んだなんて……ほんと、惨めで滑稽にも程がある。
「私はただ用があって中に入っただけ。あんたのことなんて関係ない。忘れ物を取りに行って、それで運悪く逃げ遅れただけよ」
「…………」
「わかったらもう二度と私の前に姿を現さないで。私は贅沢な貴族生活を楽しんでるの。昔みたいな貧乏暮らしはもうたくさん。あんたとの生活なんて思い出したくもないし、あんたになんて会いたくなかった」
「………………………………そうかよ」
乱蔵はあっさり部屋を出て行った。やはり窓から。昔から手癖の悪い奴だったから、何か盗られていないでしょうね、と簡単に確認する。窓の外を覗くと、乱蔵の姿はもうどこにもなかった。
「……これでいいのよ」
あいつが抱えなくていい罪悪感を抱く必要はない。あれは私の失態なんだから。気配を探ればあいつが部屋にいるかどうかなんてすぐにわかったはずだった。でもそれすら頭にないくらい、私は取り乱していた。……ばかな老いぼれ。これで私のことなんて忘れてくれるでしょ。そもそも前世関係者なんて邪魔なだけだし。余計な過去を知っている人間とは関わらないのが吉。
窓の鍵を閉めて、私は部屋を出た。




