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426 【義勝】 立ち尽くす




「――――お待ちくださいカイウス様!!」


 背後から呼び止められたが、待つつもりなどなかった。

 今はできるだけほむらから離れたかった。


「カイウス様!!! なぜほむら様を避けるのですか!!」


 ほむらの従者……ルベルは、ぜえぜえ息を切らしながら俺に追いついて、目の前に立ち塞がった。

 眼鏡の奥でギラギラと光るその眼差しの強さに、俺はヒヤリとした。



 彼は「ほむらに会ってほしい」と、わざわざ皇宮に出向き訴えてきた。

 ほむらが見つかったと聞いた時には心から安心したものだが、いざ会うとなると足が動かない。

 それとなく忙しさを理由に断ろうとした。

 しかしこの青年は、それで納得してくれなかった。

 俺が動くまで帰らないとまで言い始める始末。ぞんざいに追い払う訳にもいかず、悩んだ挙げ句、ほむらへの説明なら刀士郎にその役目を任せようとここに来てみれば…………意図せずして、あいつと再会することになった。



「ご覧になったでしょう? 貴方の仰っていた通り、記憶の大部分が抜け落ちています。今のあの御方は前世の……大体15歳くらいの頃のほむら様です。自分が前世の世界からこの世界に飛んできたと誤解して、元の世界に戻る場所なんて探している始末です。皇帝とはあろうことか友達になってるし……皇帝が彼女を手放して消えたのは想定外でしたが……それでもほむら様はまだ皇帝のことを信じている節があります。俺たちの言葉より、貴方の言葉の方が彼女に届く」



 貴方だから頼んでいるのだ、と、ルベルは真っ直ぐに俺を見た。


 俺は思わず視線を逸らした。

 ……彼らのような真っ直ぐさを、俺はもう持ち合わせていない。


 

「お願いです。ほむら様に説明を。難しいことだとはわかっています。ただ、元の世界が存在すると思い込んでいるほむら様を、このままにしておくこともできない。それはあまりにも残酷だ」

「……無理だ」

「カイウス様」

「無理だ!!!」




 ………………無理、なんだ。


 何も知らないほむらと向き合うのは、想像の何百倍もキツかった。

 眩しい程明るくて無垢で無邪気で……にこにこと、屈託のない、笑みで…………


 もう少しくらい冷静でいられると思った。思いたかった。

 だが現実は、泣きたくなるのを堪えるので精一杯だった。


 あいつが実際に歩んだ修羅の道。

 無実の罪で拷問を受け、不自由な体になり、想像もつかないような修行を経て、政府の下で働くことを選んだ。憎まれることも裏切られることも、数え切れないくらいあった。

 あんな生き方を、あいつが望んでいる訳がなかった。心根の優しい奴だ。素直で暢気な奴だ。



 本当は、何も知らないあの頃のように、笑いながら元気に生きる道もあったはずだ。

 穏やかな場所で、あいつが心から笑える場所で、幸せに、普通に、年老いていける道もあったはずだった。



 全て俺の所為だ。

 あいつを守れなかった。あいつを拷問にかけさせた。あいつから無垢な笑顔を奪った。

 あいつの剣を利用した。あいつを数十年に渡って危険な世界に拘束した。

 あいつは生涯、家族を持つことさえできなかった。





 いっそ、最初から…………出会わなければ。

 俺があの道場に通わなければ。

 俺があいつに勝負を挑まなければ。



 あいつの人生は、もっと違ったものになったんじゃないのか。

 時代の波に翻弄されることもなく、もっと穏やかに生きる道もあったんじゃないのか。

 もっと別の……例えば誠実で真面目な男と、一緒になる未来も、あったんじゃないのか。




 そう思わずにはいられない。




 …………こんな状態で、あいつに何を言ってやれる?




「ほむらは…………俺のせいで、あまりに苦しい人生を生きた」

「ですが――――」

「あの状態のあいつと向き合うのは俺には無理だ。俺にとって、あいつは…………。いや、君たちにはわからない。苦しむ姿を見ながら何もできなかった。その痛みを、君たちには――――――」

「お言葉ですが」


 ルベルはじっと俺を睨み付けたまま微動だにしなかった。


「一番苦しんでいるのは貴方ではなくフレア様です。フレア様は己を責め、自ら牢に入り、この国に来ました。そして俺たちは……そんな主人が苦しむ姿を、ずっと見てきました。ただ見ていることしかできなかった。何も出来なかった」

「…………檻、に」

「ええ」



 また…………檻に?

 自分から?

 そんなばかな。あいつは、檻を酷く恐れていたはずだ。

 近づくことさえ嫌がっていた。なのに…………



「ほむら様と向き合ってください。今の彼女に必要なのは貴方です。忙しいのはわかりますが取りあえず逃げるのはやめていただけますか。ほむら様は存外楽しそうにしていますが本当は不安なところもあるはずです」

「………………」



 何も言い返せない。

 それは……そうだ。あいつはバカ明るいが繊細なところもある。

 繊細なところも…………




『おい義勝、体ぶくぶくは天罰として、俺にお詫びの品をよこせ。饅頭一週間分と一生二の腕揉み揉み券だ!!』





 ………………………………。



 いや……あるさ。

 繊細なところもある。ただあの笑顔を見ると、本当に…………



 泣きたくなる。怒りたくなる。笑いたくなる。話したくなる。

 そして堪らなく…………







 愛おしくなる。







 …………だめだ。

 せめてもう少し年を取ってくれ。

 ほむらの記憶だけでも全部取り戻したあいつとなら、俺はまともに会話できる……はずだ。恐らく。






「――――――――義勝!!!」



 名を呼ばれ、一瞬ほむらの顔が浮かんで慌てて振り払った。

 俺の名を呼んだのはあいつじゃない。……刀士郎、だった。


 廊下の奥からずんずんこっちに歩いてくる。


 ほむらに一体何を言われたのか……何となく想像はつくような気もするが、刀士郎の顔は未だ塗ったように赤かった。



「貴様の役目だ! 貴様がほむらに説明しろこの世界のこと!」


 刀士郎は俺を睨み付けながら当然のように言い放った。

 その背後から、ほむらのもう一人の従者……カノン、それにルカ・ローズ・イグニス公子が、疲れた様子で続く。


「ローガン様! 貴方だってほむら様にとっちゃ信頼できる人なんすから……――――」

「だから無理だと言っている!! 俺は大罪を犯した。ほむらとまともに話していい権利なんてない」

「いやでも……」

「ローガン殿、見たでしょう? 貴方に再会した時、彼女がどれだけ安心して喜んでいたか」


 イグニス公子の言葉に、刀士郎は口を噤んだ。

 苦しそうに床に視線を落とす。


「お願いします。彼女の傍にいてあげてください。それが、きっと彼女にとっても一番安心できることなんです」

「ッ……だが、俺は……!!」

「貴方だって、このままじゃだめだって……わかっているんじゃないですか。あんなにも大切に想っているのなら」

「……だめだ。俺は――――」




「はあ……ほ~んと、どいつもこいつも意気地無しだねえ。うだうだうだうだ……なっさけなぁい!」



 今度は誰かと思ったら胡散臭い医者だった。

 一体いつからいたのか、どこから来たのか、ひょろっとした青髪の男は、壁を背に預けてニヤニヤ笑っている。

 確かレイン……と言ったか。

 レインは刀士郎の肩に手を回し「ねえおチビちゃん」と笑った。……お、おチビちゃん? こいつそんなあだ名をつけられているのか? なぜ?



「……煩い」

「あ~わかるわかる。すっごい罪悪感に押し潰されそうなんだよねえ?」

「お前に何が…………!!」

「わかるよお? だって私は醜い裏切り者で、あの人を死に追い詰めた張本人なんだからさ」

「………………は?」


 平然と言い放った言葉は聞き間違いかと思った。

 だが奴はもう一度「裏切り者だよ」と口にした。


「それは……どう、いう……」

「あははッ、変な顔~! ね、厄介だよねえ、罪悪感って。死んでもこうして苦しめられるんだから。やっぱダメだねえ、真っ当な生き方のできない人間はさぁ、一度死んだくらいじゃ許されないんだよ」


 医者はぽんぽん、と刀士郎の肩を叩き、それからゆらゆらと離れた。


「どういう、ことだ。お前一体何を――――」

「でもねえ、同類だと思えば思うほどムカつくんだよ、お前らみたいなの」


 医者の声が低くなる。


「…………教えてあげる。君たちのほむら様は、フレア様に転生する前に、一度この世界に生まれ落ちたんだ」





 ……………………?



 今、何と言った?

 


 そんな話は……………………聞いて、いない。

 つまりあいつの転生は………………二度目?



「嫌な予感でもする? そうだよ、その通り」


 医者の青い目は、静かな怒りと深い悲しみに揺れていた。


「あの人の最期は壮絶だった。一度目は生きたまま焼かれて、二度目の人生では自ら腹を切って死んだんだ。嘘みたいでしょ? 嘘だったらよかったのにね。…………あの人の全てを知ってると思ったら大間違いだからね? あの人はお前らの記憶にあるよりずっと大きな痛みと苦しみを抱えて生きている。お前らなんかよりよっぽど…………。それがわかったら、くだらない意地はそこら辺に捨ててきな」



 医者は踵を返して去って行った。





『――――――腹を切るのがどれだけ痛くて辛くて孤独だと思ってんだ!!? あんなことすればどれだけの人間が傷つくと思ってる!? お前は知らないだろ!?』



 確かに……ほむらはそう叫んでいた。

 その時知ってしまった。あいつは腹を切って死んだのだ、と……。何があったかは知らないが、そういう最期を選ばざるを得なかったのだ、と。だが…………






 …………まさか、二度も死んでいたなんて。





 俺も刀士郎も、ただ言葉を失い立ち尽くしていた。

 嘘であればどれだけいいかと、願いながら。


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