44 待つ
「いやほんと! ほんと残念なことしたなああああ!! くっそおおおお解剖したかった!! お金どうでもいいから解剖したかったあああ!! もあああああ悔やまれる! 悔やまれるよ!!」
「…………」
「うるさい。近所迷惑よ」
シリウスは力の制御がまだうまくできないのか、建物の屋根に着地して蹴り上げた時に軽く破壊しているようだ。だからステラを私に託したのだろう。レインの地下室までたどり着くと、そこでようやく彼は元の姿に戻った。
……ただし、素っ裸で。
まあそりゃそうよね。普通に考えて。あんな図体のデカい獣になったんだから。
みるみる赤くなる彼にマントを貸すと「こ、こ、こっち見るな!!」と怒鳴られたので「ガキの裸なんて見たって何とも思わないわよ。自意識過剰」と返してあげたらますます顔を赤くした。
レインはたった1人で手術を行うらしい。未だにシリウスの解剖権を放棄したことを悔やんでいる。あんなにブツブツ言ってて集中して手術なんてできるのかしら?
その間、私とシリウスは別室で待っていることになった。「姉に何かあったらあいつを殺す」「絶対許さない」「あの孤児院も燃やしてバーバラの首を……」ぶつぶつと物騒なことばかり呟いている。正直このまま帰りたくなったけれど、私はただシリウスの隣にいることにした。
……
どれだけ経ったかしら。
地下室のせいで今が夜か朝かもわからない。シリウスはずっと微動だにしない。ただ手を組んで終わるのをじっと待っている。彼の心臓の音が、わざわざ探らずともはっきり聞こえてくるようだった。
大切な人が生死の境をさまよっている。
それがどれだけ恐ろしいことか。
『獣騎士シリウス』について、あれから少し思い出したことがある。
彼は小説の中で私を処刑する人物だ。
アケボノが人体実験の末作りだした、獣に変化できる人間。それが彼。
騎士という名称を使ってはいるけれど、彼が忠誠を誓ったのは王家じゃなくて主人公の女の子。可愛くて愛され系の主人公は、フレア以外ほとんどを虜にしていたからね。シリウスも彼女のことだけは大好きだったらしい。主人公はジークと結ばれるから叶わぬ恋になっちゃうんだけど。
確か小説の中でシリウスは姉を失って……そこに私が絡むんだっけ? 市場でぶつかった相手が私で、ステラが袋だたきにあっちゃうとか? 苦しみ出したステラをほったらかしにしたとか? 記憶が曖昧だからわからないけど、まあそんなこんなで私を恨んだ彼は復讐を誓う。主人公の女の子とは孤児院で出会うって設定だったはずだから、もしかしたらあの孤児院に主人公がいるのかしら? それとも別の孤児院? 主人公が暮らした孤児院はとても温かくて良い場所で、間違っても虐待や人身売買に手を染めている人たちじゃなかったはずだから、多分あの孤児院とは違うと思う。姉を亡くしたシリウスが、ここを離れて流れ着いた先ならば納得できる。
シリウスは獣の姿になった時限定で強い。普段から少しはその片鱗てのもあるのかもしれないけれど、私でさえもわからなかった。だから小説の私も油断したのだろうか。いや、まあ私はどうせ罪人として処刑されることになっていたから、油断も何もないか。
ただ殺された時に、シリウスが獣の姿になったことは確かだ。うん、思い出した。フレアに恐怖と苦痛を与えるために、わざわざ獣になってフレアの体をグチャグチャに喰い散らかしてぎりぎり殺さず、最期に斧で首を斬った。……確かそんなラストだった。なんてえげつないことするんだか。思わずぶるっと寒気に襲われる。
よくよく考えれば、今この瞬間も私この子の隣にいていいんだろうか。この手術が失敗するとあの姿になって私を八つ当たり……もとい八つ裂きにしようとするんじゃ……。その可能性は十分あるわね。まあその時は頑張ろう。どうか私より弱くありますように。
シリウスが小さく息を吐いた。指が僅かに震えている。顔色も悪いし。寒いだろうと思ってその辺にあった毛布を渡したけど、それが度々ずり落ちて毛布の意味を失っている。寒いことよりもっと怖いことがあるから。
世界が違えば私を殺していた男の子。
今はただ小さくなって震えている。
「…………怖い?」
「…………」
「そうね、怖いわね」
シリウスはぎろっと私を睨んだ。その目に僅かに涙が浮かんでいる。
「お前にっ、何が……!!!」
「わかるわよ。……まあ、少しはね」
私は彼から顔を逸らした。手術が行われている部屋の方に顔を向けて、ステラのことを想う。今私にできることは、ただここにいることだけ。
「お前なんか……お前なんか……」
「何を言われてもここにいるわよ。一人じゃ寂しいでしょ?」
「うるさい!! 馬鹿にすんなよ、この……ブス!!」
「悪口まで底辺なのね。びっくり」
「う、うううるさい!! どうせ何か変なこと企んでるくせに……俺のこと売り飛ばしてそれで……」
「私猫派なの」
「は?」
「あんたなんてこれっぽっちも興味ないから安心しなさい。売り飛ばす価値もない」
「なっ……そこまで言わなくてもいいだろ!」
「何? 売られたいの?」
「そういうわけじゃ……」
バアアアアアアン!!
「お待たせ~。もうヘロヘロだよ~」
よれよれのレインが姿を現した。シリウスが勢いよく立ち上がり、部屋に向かって走り出す。レインを押しのけ、よろめきながら入っていって……
彼の泣きじゃくる声が、部屋の外にまで響いてきた。




