394 【ヒューゴ】 追い詰められる
なぜだ。
なぜ、こんなことに……。
「あ~あ、おじさんの声が大きすぎるせいで集まってきちゃってんじゃん」
「誰のせいだ……!!!」
「しーっ、しーっ。声大きいって。じゃ、二手に分かれようぜ」
「は?」
こいつ本気で言っているのか。
あっけらかんと暢気な顔のフレア……いや、ほむらを見ていると、思わず怒鳴りつけたくなった。
「いいか、お前はこの街のことを何も知らないだろう。当然今から行く屋敷がどこにあるかも知らない。大体落ち合うだなんだと言って、このまま逃げ出すつもりじゃ――――」
「逃げ出したりしねえって。この世界の恩人を裏切る訳ねえだろ?」
当然のようにそう言われ思わず面食らった。
恩だ何だと言うが、俺がこいつにやったのは別にうまくもなんともないただのパン一個だぞ。あれで恩義を感じるというのが馬鹿らしい。
「そうだなあ、どこかわかりやすい場所はない?」
「…………ない。お前がわかる訳もない」
「あ、すげえ! あれ何? あのでっかい丸い柱みてえの。あれの下とかどう?」
ほむらの視線の先にあったのは時計台だった。庶民がよく待ち合わせに使い、いつも人で溢れていて逆に待ち合わせに向かないと噂されている、巨大な時計台だ。確かにあれならばこいつが迷うことはないだろう。だが――――……
「あんな目立つ場所に集合だと!?」
「すげえなああれ! あんなの見たことねえ! なあなあ、あの下に集合しようぜ!」
「観光じゃないんだぞこれは……!!」
「いいからいいから。じゃ、俺屋根の上から行くわ。おじさんも捕まらないように頑張れよ!」
「は? おい、ちょ――――」
ほむらは老婆を背負ったまま、壁に足をかけて上り始めた。……ヤモリかこいつは。それとも猿か。
落ちても知らないぞと怒鳴りそうになったが、結局あっという間に見えなくなった。どういう運動神経をしてるんだ本当に。
バタバタと足音が近づいてくる。
俺は踵を返し、通路をひた走った。
本当に、どうしてこうなったのか。
ウンザリする。
目が覚めたらじっくり追い詰めてやろうと思った。
俺の物にしてあの力を利用してやろうと。なのに…………
『俺はほむらだよ! ほ・む・ら! フレアじゃねえって何度言ったらわかるんだ?』
効き目のわからない毒ガスなんて盗むんじゃなかった。今更何を言っても遅いが。
フレアの記憶が完全に消えてあれじゃ全くの別人だ。
言動がまるで男だし荒っぽいし勝手に老婆を背負うし言うこと聞かないし猿みたいだし……!!
こんなに思い通りにならない人間なんて他に…………――――――
『ちょっとヒューゴ! これ全然可愛くない!! 買い直してきて!』
………………。
『こんな地味なの、私には全然似合わないもの。もっと派手でなくっちゃ! この赤、全然綺麗じゃないわ。ね、早く買い直してきてよ!』
『で、でも、イザベラがこの前これがいいって……』
『やだ! 改めて見直したら全然よくない! 早く私にぴったりなブローチを買ってきて! あ、あと喉が渇いたからシャーベットが欲しいわ。それもお願いね』
……………………いたな。一人。
ちょっと可愛く微笑んでお願いしたら何でもやってもらえると思ってる、高慢な子ども。
いつも上から目線で偉そうで、皇子である俺を使用人にするように顎で使って…………
気が強くて謝るということを知らなくていつも堂々と胸を張って自信に満ちて……
……そうして、体の弱さを、決して悟られまいとしていた。
「――――――今晩はぁ」
歌うような声が、頭上から掛けられた。
驚いて立ち止まると、目の前に人が降ってくる。後ずさり、充分距離を取って観察した。
黒いコートを着て、手足はひょろ長く、濡れた青い髪からはぽたぽたと滴が滴っている。
禍々しい気配といい不気味な声に容姿といい、死神のような男だと思った。
「ヒヒッ、寝ないのは慣れてるんだけどさぁ、ちょっと今日はあんまり眠かったから水を被ってねえ。ちょうどよく目が覚めていい眠気覚ましになったよぉ」
「…………」
「行儀良く躾けられた坊ちゃんたちじゃ、君みたいなドブネズミは見つけられないだろうねえ。ほら、私みたいなさ、お前と同じ汚いドブネズミじゃなきゃあ」
「……俺をお前と一緒にするな」
「似たようなもんでしょお? 誘拐に逃亡って、小汚い犯罪者のすることだよ?」
キヒヒっと不気味な笑い声を上げながら、男は俺にゆっくりと近寄った。
髪の隙間から、鋭い青い目がぎょろりとこちらを睨んでいる。その目の下にはくっきりと隈ができていた。
「いや……お前をそこらの犯罪者と同列に語るのは良くないねえ。あんな気味の悪い人体実験をする奴なんて早々いないんだからさぁ」
ひたひたと、足音もなく近づいてくる。
猫みたいな奴だ。だが猫と言うには愛嬌の一つもない。
「早くフレア様を返してくれるかな? あの人はあんたがどうこうできる人じゃないよ?」
確かに。
それは嫌という程感じている。
「あの人が気安く触れていい人でもいない。わかったら教えてもらおっか。彼女は今どこにいるのかな?」
痩せた老婆を背負って屋根の上を走っている……と言っても、こいつは信じるだろうか。
「黙ってないでさ。俺は…………私は、けっこう怒ってるんだよ? こう見えて」
「貴様の気持ちなど知ったことか」
「王子サマに黙って拷問にかけてもいいんだよ? あの人の居場所を吐くまで。だからさぁ、さっさと教えてくれないかな? そしたら今は見逃してやってもいい。私はあの人さえ保護できればどうだっていいからね」
男の青い目がぎらついた。
……本気だな。
皇帝である俺を勝手に拷問してその後罪に問われようと全く構わない、と。
そこまであの娘に心酔する理由は何だ?
気味が悪い。
果たしてこの死神を前にして、それでもあの娘を自分の手元に置いておくことに意味はあるのか……
『はむはむはむ……ふむぅ、パンうまあ!』
『あ! 見てみておじさん! ほうき! あやとりでほうき作った! 凄いだろ? え、何だそれはって? じゃあふたりあやとりしようぜ! 俺が教えてやるからさ~。え、やらない? え~……』
『おじさんって何で全然笑わないの? 福が逃げていっちまうぞ~? こちょこちょしてやろうか?』
『あ~あ、おじさんの声が大きすぎるせいで何か集まってきちゃってんじゃん』
……このまま持って帰って貰おうか。
いや待て。待て待て待て。
なかなか思い通りにならないとは言え、あれが重要な戦力であることは間違いない。
大体ここで引き渡すのでは、何のためにわざわざあいつを攫ったのかわからない。
ほむらが傍にいないと言うだけでも、こういう奴らは掻き乱され冷静でいられず仲間同士諍いを産むことにも繋がるだろう。そうだ、易々とほむらを手放してなるものか。たとえ頭の中がスッカラカンの阿呆だとしても……!
「……あの娘は渡さない」
「お前がそんなにフレア様に執着する理由は何? 好きなの? 気持ち悪いよ」
「その言葉、そっくりそのままお前に返す……!!」
あの娘のどこがいいんだ貴様らは本当に!!
青髪の男に向かって煙幕を投げつけ、辺りは煙に覆われた。
ただでさえ真っ暗な中で煙が満ちれば、普通は見失うし逃げようとするだろう。
記憶を頼りに通路を曲がり、ひた走る。やり合うつもりはない。そんなことをして兵士どもに集まられたら迷惑どころの話じゃない。随分走った、その時――――……
「ッ……!!」
また頭上から奴が振ってきた。キン、と耳障りな音が響く。
あいつの振りかざした短剣を咄嗟に避け、その刃先が壁を擦った音だった。
チッ……壁に張り付いて移動でもしたのか? こいつもヤモリか? 猿か? 気持ち悪い。
兵士どもの足音まで聞こえる。ガチャガチャと……。このままでは本当にまずい。爆弾を使うか、毒でもばらまくか――――……この男は相当の手練れだ。今まで幾人も殺してきたんだろう、暗殺に長けた奴の気配というのはすぐにわかる。
「ッ……チッ」
「キヒヒッ、ほらほら、早くしないと間違って殺しちゃうよ~?」
短剣が腕を擦る。一度、二度――――……痺れるような痛みに襲われた直後、勢いよく血が飛び散った。致命傷じゃないが、怯んだところでまた斬りつけられる。傷が増えていく。
俺をじっくり痛めつけるつもりだろう。本当は俺の喉元を切り裂くことなど造作もないが、ほむらの居場所をさっさと吐かせたいがために手を抜いている。
ならば余裕をかましている今のうちに、爆弾でも使って吹き飛ばしてやるしかない、そう思った直後――――
「とぉッ!!!」
空から別の奴が降ってきた。
青髪の男の背中を突き飛ばす。男は「ぐえッ」と蛙の潰れるような声を上げ地面に倒れるが、そいつは……空から降ってきたそいつは、男の上にそのまま乗っかってあろうことか立ち上がった。「うッ……」と青髪の男が呻き声を上げるが、お構いなしに俺に手を差し出す。
「へへッ、参上したぜおじさん!! 何となく不安になってさ。ほら、さっさと逃げるぞ!!!」
そいつは、ストールのようなもので顔の上半分をぐるぐる巻きにして目のところだけちょっと出していた。青い目がストールの隙間から覗いて、俺をキラキラした目で見ている。うん、髪はまとめてストールの中に隠してあるし、これなら人相もわからない。きっとこいつなりに地味にしよう、目につかないようにしようと思って咄嗟に変装したのだろう。したのだろうが…………
精神年齢いくつだ、貴様。




