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391 【ヒューゴ】 企む 



――――――

――――――――――――



 あの親不孝者どもめ。

 カイウスは貴族も人民も諸外国さえあっという間に味方につけ、帝都を掌握したか。



 愚図な息子だとずっと思っていた。

 時折子どもとは思えない顔をするが、それも気のせいだろうと。

 引きこもってばかりで勉強もろくにしない。どもって、普通に喋ることもできない。


 あいつの母親も、あいつのことを目障りだと気にも留めなかった。

 その分、ノアの方に期待していたのだろう。



『カイウスは失敗しました。でもノアは、ノアは優秀です。そうでしょう? ね? 皇帝陛下――――』



 …………面倒な女だった。

 ノアが優秀? カイウスは失敗? だから何だと言う。……どうでもいい。酷くどうでもいい。

 愚図だろうと優秀だろうと失敗だろうと、俺の邪魔さえしなければ、後はどうでも――――――……





『――――――俺が面倒を見ます』




 シドの面倒を見ると、そのために取引材料まで用意してきた時、こいつはやがて俺の脅威となると感じた。あの堂々とした態度も口ぶりも、普通ではなかった。


 愚図な振りをしていたんだ。子どもの頃からずっと。ゾッとした。

 そんなことをする理由は、一つ。



 こいつも、前世の記憶保持者だったということ。



 俺の脅威になる前に殺してしまおうと、何度か暗殺者を仕向けた。

 だが、それも結局うまくいかなかった。

 あいつは暗殺者の罠を悉く見破り、騎士に突き出した。


 どうやって殺すか、いっそ反逆罪を被せて極刑にするかとも考えたが…………



 そのうちどうでもよくなった。

 フレア・ローズ・イグニスを手に入れられる。それが具体性を帯び始めた時から。




 ずっと決めていた。

 忘れな人と対峙した、あの娘の映像を見た時に。

 フレアは、絶対に手に入れるのだと。


 あの強さ、剣技、そして何より――――――……






 手に入れられなければ、殺してやるつもりだった。

 他の誰かのものになる前に。








――――――――

―――――――――――― 



 俺はフードを目深に被り、真っ暗な通りを静かに移動した。


 昼間は危険だが、夜も安全とは言い難い。

 懸賞金がかけられ、荒くれ者どもが目をぎらつかせながら俺を探している。

 捕まえられずとも何らかの情報を提供しただけでも相当の額を渡すつもりらしい。……当然か。


 死体でもいいから俺を見つけなければカイウスは皇帝にはなれない。むりやり皇帝を名乗ることもできなくはないが、それではそのうちそこにつけ込む者が現れる。

 但しもし殺してしまったら、フレアの居場所がわからない。何としても生きたまま捕まえたいところだろう。あいつらが一番欲しいのはフレアだからな。



 街は自警団やアカツキの騎士団、カイウスに寝返った兵士どもでうじゃうじゃしている。


 しばらくの間はこんなものか。

 俺が逃亡することも考えて、関所の警備も強化されるはずだ。



「……まあいい。方法はいくらでもある」



 何年でもかけて、じわじわとカイウスを追い詰めてやる。

 親を不当に追放した奴に誰が従うものか。

 俺がこうして生きてさえいえれば、カイウスの統治はすぐに綻ぶ。そうなれば、あいつがしたようにあっという間に皇位から突き落とし、奪い返せばいい。今度こそ極刑にしてやる。その後はアカツキもその同盟国もまとめて属国に堕としてやるから覚悟しろ。



 俺は貧民地区の、狭い通路を横切った。

 濁った水溜まりの上を、ドブネズミが走って行く。痩せ細った老人が、死んだように蹲っている。



「……汚らわしい」



 ひたすら先に進み、朽ちかけた屋敷の前に立つ。鍵はかけていない。

 壁は変色し、所々欠けて、いつ倒壊してもおかしくない有様だ。

 扉を開けて中に入れば、湿っぽい、嫌な臭いがした。


 当然、盗まれて困る物は何一つない。人が生活しているようには見えないだろう。

 屋根からは雨でもないのに濁った水がぽとぽとと落ちてくるし、床は土や埃だらけだ。


 どう考えても俺がいるべき場所じゃない。

 ついこの間までこの国は俺の物だった。

 なのに今では、こんな掃きだめのようなところに追いやられている。



 …………まあ、いざと言う時の隠れ場所はまだまだある。

 こんな場所に長居するつもりはない。しばらくの辛抱だ。



 俺は廊下の仕掛けを外し、動かした。

 地下へ通じる階段が現れる。中に入ってから、床をまた元通りに戻し、ランプの明かりを頼りに、階段を降りた。




 随分降りてから、ようやく下に辿り着く。

 そう広くはないが、狭すぎるという程でもない。

 荒れるだけ荒れた家の中に比べれば、むしろ綺麗で過ごしやすい方だろう。



 俺はランプの明かりで、彼女の様子を確かめた。

 ……どうやら、まだ起きていないらしい。



 念の為手を縛って転がしているが、これがどれだけ意味があるかはわからない。

 もし起きれば、こんな縄など無意味も同然だろうか。



 高熱に苦しんだかと思うと凍えるように体が冷たくなってガクガク震え、このまま死ぬのではないかと思ったが、今は静かに眠っている。

 ノアの部屋から盗んだ毒ガスは、「危険」とされた廃棄用の場所に置かれてあった。どんなものかは知らないが、前世の記憶保持者にしか効かないと書かれてある。恐らく死ぬ危険のある悍ましいものだろうが、丁度良いと思って盗んだ。




 フレアの心が、あの赤髪の言葉に傾いていたことはわかっていた。

 だからあいつに心奪われる前に、いっそ殺してしまおう、と。

 連れ去ったのは、死体をやるのも癪だったからだ。

 我ながら馬鹿らしいとは思ったが…………まあいい。結果、こいつはまだ生きている。



 好都合だ。



 起きればじわじわと心を蝕んで、俺の物にしてしまえばいい。こいつの精神は不安定だ。何より俺の容姿も、こいつを惑わすには好都合。俺を通して、別の誰かを見ているのだから。

 味方さえいなければ、あのカノンという男さえいなければ――――フレアは容易く俺の側につくだろう。


 そうなれば、間違いなくどんな軍隊より強力な戦力になる。

 こいつの存在が俺の運命を変えてくれる。

 カイウスを極刑に処す時期も早まるはずだ。アカツキさえも、我が物に。




「ん…………」




 フレアの白い瞼がぴくぴくと震える。

 ごろんと寝返りを打って、その拍子に金の髪がさらりと揺れた。……恐ろしい程、母親に生き写しだ。



 ゆっくりと、その目が開けられた。

 透き通るような青い目が、天井を見つめる。




「…………」




 ここがどこか、どういう状況か、理解できないのだろう。

 無理もない。ずっと生死を彷徨い、今ようやく気がついたのだから。



「…………?」



 フレアはゆっくりと地下の中を見渡してから、ぼーっと定まらない視線で俺を見て、こてん、と首を傾げた。







「………………………………おじさん、誰?」





 妙に舌足らずな、幼さを感じさせる、喋り方だった。


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