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373 【ヒューゴ】 苛立つ




 なぜだ、なぜ……




 俺は拳を握り締めた。

 使うことはないと思っていた、暗く狭い隠し通路を走りながら、背後を振り返る。

 ……誰も来る気配はない。




「ッ……クソ!!」




 なぜあいつらは俺の後を追わない!?

 普通兵士を使って追わせるだろう! なんのために入り口を閉めなかったと思っている。


 隠し通路には俺にしかわからない悍ましい罠をいくつも張り巡らせていた。

 阿鼻叫喚の地獄絵図が見られると楽しみにしていたのに……。ここに罠があることなど、あいつらは一切知らないはずだ。なのになぜ。



 あいつらがここまで想定していた、とすると――――次はどうする?

 出口の場所はわかるはずもない。だが予想することはできるだろう。

 そこに自警団なり手下なりを向かわせるつもりか……。



 あの化け物どもめ。本当に腹の立つ……。

 あんな気味の悪い息子があったものか。




 殺す。




 あいつらは必ず殺さねばならない。





『……どうして、どうして私を見てくださらないのですか。どうして……!? 私は貴方の妻なのに……!! 貴方は今でも――――……』




 あれの母親は俺を恨みながら死んだ。

 それであんな化け物どもが生まれたのか?


 思い返せば、つくづく腹立たしい女だ。

 ただの政略結婚。

 そこに感情を持ち込むから面倒なことになると、なぜわからない。なぜ親の決めた相手に必要以上のものを求める。

 ……女というのはつくづく妙な生き物だ。皇妃の役目は世継ぎを生むこと、相応しい振る舞いをして皇帝の顔に泥を塗らないこと、ただそれだけだ。それだけで贅沢な暮らしも地位も名誉も思いのまま。誰からも愛されることが決まっている。なのに――――――













 ………………なのに、彼女を繋ぎ止めることはできなかった。



 苛立ち紛れに壁を叩いた。

 ただ拳が痛み、空虚な音が響いただけだった。





『ヒュ~ゴ~♪』



 …………今でも、あの声を覚えている。



『あら、こんなところにいたわけ? あんたってほんと狭くて暗いところが好きねえ』



 意地悪な笑みを浮かべて、俺を見下ろす。

 金の髪、青い目、白い肌。

 その顔は、いつもキラキラと自信に満ち溢れている。



『また教師に怒られたの? それでこんなに落ち込むなんてバカみたい。あいつが言うことなんて無視すればいいのよ。あんたが皇帝になったら真っ先に極刑にしちゃえばいいじゃない。――――――え? そうもいかないって? あははッ、あんたってほんといい子ちゃんねえ。あたしだったらあんなクソ教師に馬鹿にされたら、明日にでも殺しちゃうけど。…………て、何これ。は? あんた、これ誰にやられたのよ』


 幼い顔を赤くして、彼女が立ち上がる。


『あのクソ教師……!! 信じられない!! 卑しい教師の分際で、皇子の体に傷をつけたわけ!? 今すぐ地獄に叩き落とすわよ!!』

『お~いイザベラ、ヒューゴ、庭で何騒いで……』

『兄様!! 拷問の準備をして!!! 今、すぐ!!!』

『は? え?』

『誘拐して拷問してぶち殺したい人間がいるの!!』

『はあ……またそんなこと言って。何があったかは大体想像つくが、落ち着きなさい。どうどう』

『落ち着いていられないわ!!! 見てよこれ!! ヒューゴがこんな目に遭ってるのに黙ってろっての!!?』

『よし今すぐ攫おう』

『そうでなきゃ!! ――――って、何よ、ヒューゴ、あんたの言うことは聞かないから! 非人道的? 皇帝に相談? そんな甘っちょろいこと言ってたらいつまで経ってもやられてばっかりよ!! 目を覚ましなさい!!』



 …………結局、イザベラとレイモンに誘拐される前に、あの教師は皇宮からも帝都からも追い出すことにした。

 イザベラは自分の手で制裁を加えられなかったと地団駄を踏んだ。



『あいつを逃がすなんて。あんな奴に同情なんて何考えてるの!? 同情の余地なしだわ!』

『全くだ! あのクソ教師め、次に会ったときはお前が受けた仕打ちの百倍……いや一万倍にして返してやる!!』


 血気盛んな兄妹だった。



『あたしが皇后になったら、ヒューゴのことは私が守ってあげる。だってこんなに情けないんだもの。私がいなきゃやっていけないでしょ!』



 何度も、そう言っていた。

 その一方で、忘れられない人がいるのだとも、話していた。



 彼女は、前世の記憶保持者だった。



『ここじゃない、遠い遠い世界よ。あたしの運命を変えた人。愛しい人。赤い髪の……』



 そいつのことを話す時だけ、彼女はいつもと違う顔をした。

 彼女の幸せを願った。

 その反面……




『もし出会えたら、何を捨てても一緒になるわ。だってあの人と結ばれることが、私の一番の幸せなんだもの!』





 永遠に、巡り会わなければいいとも、思っていた。









 ――――――――暗い隠し通路を進むと、やがて行き止まりになった。



 扉を押し、外に出る。

 自警団の姿はなかった。

 さすがにこの出口までは想定できなかったか。

 帝都の墓地の一つ。

 そこに出るように設計した隠し通路なんて、そうそうあるものじゃない。




「…………本当にこんな場所に出るなんてな」

「ッ!!」



 月を背に、男が木の上からこちらを見下ろしていた。

 一切の気配を感じさせない、悍ましい男だった。



 レイモン……?

 いや違う。あの団服は…………



「…………ローガンか」

「お久しぶりです、皇帝陛下。……まさか棺桶が動いて中から陛下が出てくるとは思いませんでした」

「お前、どうして」

「あなたの息子に命じられただけです。ここが一番可能性が高いと」



 レイモンの息子、ローガンは、木から下りて俺に近づいてきた。

 映像で兵士と戦っていた時には、ここよりもっと離れた場所にいたはずだ。

 それが息切れ一つせず、歩調を一切乱すことなく、静かに近づいてくる。



 その表情といい身に纏う空気といい、まるで死神のようだった。

 顔だけは若い頃のレイモンとよく似ているのに、激情家のあいつと違ってこの息子は一切表情が読めない。





 ……気味が悪い。

 ローガンだけではない。

 ここでこいつに見つかると言う、この展開さえも気味が悪くて仕方ない。

 ここまで読まれているとなると、これは最早必然ではないかと、こうなるように誰かに仕組まれているのではないかと……運命の神か何か知らないが、見えない力でも働いているのではないかと、そんな超常的なことを考える。


 俺はどう足掻こうと何をしようと、息子に追い詰められ殺される運命にあるのではないか?



 …………まあ、殺されるに足ることなら、いくらでもやってきたがな。



「俺を殺すか? ローガン」

「連れて行くだけです。抵抗は無駄ですから、大人しくなさるのが得策かと」

「ここが一番可能性が高いと言ったな? なのにお前一人か?」

「……後はついてこれなかっただけです」

「そうかそうか。お前は昔から運動神経のいい子どもだった。……カイウスのことは嫌っていると思っていたが、お前があいつと手を組むとはな?」

「…………組んだつもりはありません」



 どう考えても協力してるだろうが。

 それを認めたくないほど、あいつのことを毛嫌いしているというわけか。



「あいつの言いなりで好き勝手使われて楽しいか? サピエンティア家の次期当主ともあろう人間が、情けない」

「…………」

「お前たち自警団は使い捨てにされるだけだ。あいつはそういう人間だろう。利用できるだけ利用して、都合が悪くなればお前らを切り捨てる」

「……その程度の存在ということくらい、わかっています」


 ローガンの表情は僅かに歪んだが、それだけだった。

 歩みはとまらない。



「今だけは利用されてやりますよ。それがこの国のためならば。けれど今後、もしそんな卑怯な真似をあいつがしたその時には――――……殺してやる」






 その時、殺意が空気を揺らした。




「ッ!」




 ローガンが飛び退る。

 あいつがいた場所に音もなく銃弾が撃ち込まれ、地面を抉った。



 墓や木々の影に、気配がする。

 …………どうやらようやく到着したらしい。

 俺に何かあった時には駆けつけるように指示しておいた人間兵器ども。

 腕を銃や剣にされた者、口から毒を吐く者、体と鎧が融合した者……見た目があまりにも気色悪い奴らばかりでほぼ失敗作も同然だが、まだ使える。


 ノアに実験施設を掌握されていたことは想定外だったが、手元にもいくつか残していた。

 まあ、人間爆弾程使えるものはないがな。



「まあいい。……お前たち、あいつを殺せ。自警団の連中も、刃向かう者は皆殺しだ」



 ローガンが持っているのは木でできたおもちゃのような剣。

 あんなものでこいつらとやり合うなど無理に決まっている。

 兵器どもが、じりじりとあいつを囲い始める。





 …………一瞬、レイモンの顔が頭を過った。



『ああああなんて可愛いんだローガン!! ほっぺが蕩けそうだ。何と言う柔らかさッ……!!』

『ふふ、兄様ってばほんと親バカなんだから』

『この可愛さの前には仕方ないだろ!!? ――――あ、すまない! 声が大きかったな。はい、大丈夫でちゅよ~。お~よしよし。泣かないでおくれ~。お乳飲みまちゅか~?』

『あははっ、気持ち悪~い』

『何だとイザベラ!! あ、ごめんごめん、ローガン、怖かったでちゅね~』






「…………俺には関係ない」



 俺は踵を返した。

 これから、皇宮を掌握したと思っているバカ二人に鉄槌を下さねばならない。

 切り札はまだある。この程度のことで諦めて堪るか。



 たとえどんな運命だろうと、俺は抗ってみせる。



 そしてあの国を……




 アカツキを、我がものに。



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