37 【ルベル】激怒する
……俺が、もっと早く気づいていれば。
ステラは足下も覚束なく、頬は赤く腫れ唇には血が滲んでいた。誰かに殴られたんだ。誰に殴られたかは……もう明らかだろう。扉を押した途端飛び込んできた彼女を抱き締めると、その細さに驚いた。かなり華奢な人だとは思っていたが、まさかここまでとは。
虚ろな目をしていたステラは、俺の背後のシリウスの顔を見てぎょっと目を見開いた。
「な、んで……なんでシリウスちゃん……」
「……ッ!!」
言葉にならないのか、シリウスはステラに駆け寄ってその体を抱き締めた。
「早く帰ろう、大丈夫だから、このまま逃げれば……」
「ステラ。カノン……赤毛を知らないか? この先で何があった?」
ステラの身が強ばった。目に恐れの色が混じる。
震える指で、今自分が出てきたところを指さした。涙がぽろぽろ零れていく。行こうとする俺の腕を掴んで、必死で首を横に振った。
「行かない、方がいい……もう助からない」
「……どういうことだ」
――――――――
心の底から後悔した。ステラの話を聞いた時、怒りで頭が真っ白になった。
俺がもっと早く……いや、最初から2人で見回るべきだったんだ。この孤児院はかなり広いし敵が誰であるか定かでなかったから二手に分かれたが、何かあったときの連絡手段も、この孤児院にいる全員が起きてしまうような大きな音を立てるものしかなかった。つまりそれを使うのは最終手段だ。何かあったらできるだけ呼ぶようにとは言ってたけど、カノンが俺を探すのを躊躇ったのは仕方ない。俺でもそうしてたと思う。
……だけど、まさかそんなヤバい連中が来ていたなんて。
きっとカノンは、ステラを守るために……動いてしまったんだ。
俺のせいだ。
気づいたら駆け出していた。職員は薬でぐっすりだから、あの2人はきっと大丈夫だろう。
階段を降りる頃には騒がしい声が聞こえてきた。小さな明かりがいくつも浮いている。目が暗闇にも慣れて、何が起こっているか、気配を消して忍び寄る程に明らかだった。
「うッ……ぐ……」
「なかなかしぶといわねえ」
赤い血だまりが出来ている。
まるで、カノンの髪のように真っ赤な。
「これだけ痛めつけても吐かないなんてすごいわねえ。弱音も吐かないなんて偉い偉い。でもやめてあげないわ。あんたが暴れたせいで余計な損害が出ちゃったじゃないの。あれだけの傷を負った子供相手に、まさかこんなにやられるとはねえ」
何人か、男たちが血を流して倒れている。
でもそいつらの血だけじゃない。ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべるバーバラと、でっぷり太った男、それから幾人かの屈強な男たち……そいつらに組み敷かれて、カノンが呻いている。
血だらけだった。
肌も服も血で染まっているのが遠目からもわかった。
殺してやる。
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッ――――
ここにいる奴ら全員。
殺意が止まらない。カノンに……俺の主に何をした。お前らがやったことを何倍にして返しても足りない。砂の地に幽閉して毎日拷問しても足りない。地獄に叩き落としてもまだっ……
……落ち着け。
ゆっくりと息を吐き、呼吸を整えた。早鐘を打っていた心臓が、ゆっくりと、落ち着いていく。
考えろ。単純な力差ではあいつらに勝てない。カノンがあれだけやられた相手に、俺が勝てるとは思えない。冷静に状況を整理しろ。あいつらを出し抜きカノンを回収し逃走。やり合おうとするな。カノンの怪我の治療が遅れるだけだ。最善で最短の道を選べ。フレア様にもらった道具を有効活用しろ。
「何をしている」
俺の声に、カノンがぴくりと反応した。
バーバラの目が細められる。
「……あら、あなた。自分から来たのねえ。今から向かわせようと思っていたところだったけど」
「何をしている」
「じゃ、あなたに聞こうかしら。私の持っていた大切な書類、どこにあるの?」
大切な書類……何の話かはさっぱりだ。ステラからもう少し詳しく話を聞いてればよかった。男たちがじりじりとこちらに近寄ってくる。
「渡す。その代わりカノンを放してもらおう」
「あら。なかなか素直じゃない」
カノンが呻いたが、バーバラはそれを無視して俺に向き直った。その目がぎらぎらと光っている。
「で、その書類はどこにあるのかしら?」
俺は懐を探って紙を取り出した。メモ用に持っていたただの紙だ。だがこの暗い中でひらつかせれば、それが本物であるかどうかなんてあいつらにはわからない。
「私が持ってた書類はそんなだったかしら?」
「さあな。盗んだものはこれだ。確認したいなら、いますぐそいつを放してもらおうか」
「……確認が先よ」
「それならこうするしかないか」
素早くマッチを擦って火を灯した。じり、と紙の端を燃やすフリをすれば、バーバラがあからさまに焦るのを感じた。
「ちょっと!!」
「手が滑って全部燃やしてしまうかもしれない。そうなったら困るのはお前の方かな?」
「……確認をして本物ならこの子を放すって言ってるのよ?」
「そんなこと信じられるか? これが本物だとわかれば俺たちなんて用済みだ。口封じに殺すだろう。まずはそいつを放してもらおうか」
「…………」
バーバラはちらっとデブ男を一瞥すると、カノンの腕を引っ張った。
「うああぁっ」
それだけでカノンが悲鳴を上げた……ぐつぐつとまた煮えたぎるような怒りに襲われる。カノンの腕が……右腕が、おかしな方向を向いていた。剣を握るための腕が。あれほど鍛錬してきた腕が。……落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け。焦るな。怒りに囚われるな。そんなものは後でいい。この場を乗り切ることだけを考えろ。
「ほら、どうぞ」
バーバラがカノンを突き飛ばす。倒れそうになったあいつに駆け寄り、その体を受け止めた。
「さあ書類を――」
「カノン、目を閉じてろ」耳元に囁いてから、俺は奴らに向かって閃光弾を投げつけた。
「きゃあっ!?」
「うあっ!?」
焼いてくれ、そいつらの目を。
凄まじい閃光がお前らの視界を奪ってくれるはずだ。耳鳴りがする。ずっと暗いところにいたんだから、相当辛いだろ? 少しは苦痛を与えてやらないと気が済まない。俺はカノンの体を背負って出口へ走った。
「くっ、この、こざかしい……!!」
誰かが唸った。
バーバラか、誰かわからない。足を掴まれつんのめる。蹴って放させようとした時――
「ぎゃあああああっ!?」
悲鳴が響いた。
捕まれていた足が自由になる。何が起きたかわからない。ただ、悲鳴はそれだけで終わらなかった。
「いやああああああ!!」
「ぎゃあああっ!!」
「あっ、ぐあああっ!」
阿鼻叫喚だ。一体何がどうなっているのか。目を開ければごろごろ転がる手首が見えた。恐らく誰かがこいつらを裏切ったのだと……それとも目が見えなくなって暴れているのか知らないが……好都合だ。
ひたすら走って階段にさしかかった。カインは話す気力もないのかそれとも気絶しているのか、ぐったりとして反応がない。




