35 【???】再会する
眩しい月が雲に隠れている間に、さっさと事を終わらせたい。
ただの孤児院に警備員がいるはずもなし、忍び込むことなど容易いだろうが……いや、あいつに会ったことといい、油断は禁物だ。
俺とシリウスはこそこそと塀の傍に身を隠した。人の気配はない。音もない。そのまま塀を駆け上がろうとした時だった。
「……ほんとに来たわね」
急に子供の声がして、俺は思わず顔を向けた。
ちょうどその時雲の隙間から月の光が差し込んだ。小さな人影だ。フードを目深に被っていて顔は見えない。塀の上に腰を下ろして、脚をぶらつかせている。……不気味だった。さっきまで確かに気配も何もなかった。なのに急にそこに現れ……いや、恐らくずっとそこにいたんだ。それに俺が気づかなかった。
俺は咄嗟にシリウスを背後に回し、奴から距離を取った。
「……なんだ、お前。孤児院の奴らじゃねえな?」
「あんたがうちの子たちを痛めつけてくれた謎の男、でしょ? まあ大したことはなさそうだけど。お礼はたっぷりさせてもらなわないとね」
うちの子……つまりあの2人組の仲間か?
「先に手出してきたのはそっちだろ」
「あの二人は話し合いを望んでいたはずよ。それを聞かずに喧嘩に持ち込んだのはそっちじゃない? あの子たち、殴ったり蹴ったりした?」
「…………」
シリウスを見れば、顔を青ざめているのがわかった。……確かに、あの二人はステラにも危害を加えていない。シリウスを追いかけただけで、袋だたきにした訳でもない。……だけど
「お貴族様を信用できるほど、俺たちは恵まれちゃいないんでね」
「言い訳ね。見苦しい」
子供は立ち上がった。
……いや、これは子供、なのか? 立ち上がっただけで威圧感が凄まじい。
この感じを、俺は昔どこかで感じたことがあったような気がした。
「まあいいわ。話し合いをしましょう」
「話し合い……?」
「あなたたちの……いえ、あなたの目的は何? シリウスたちと行動を共にする理由は? 今日この孤児院に忍び込もうとした理由は? 正直に話してくれても全面的に賛成することができるわけではないけれど、正直に話すことをおすすめするわ」
「はあ?」
なんだこいつ。
話し合いだぁ? こいつは貴族の従者ってやつだろう。そんな奴と話し合い? ハッ、笑わせてくれる。そんなもんやるだけ無駄だってことくらい、俺は痛い程わかってる。
上に立つ人間はいつだってそうだ。下でもがき苦しんでる人間のことなんて何とも思っちゃいない。
反吐が出る。
「お前とお喋りすることなんて何もねえ」
そう言いながら、俺はシリウスに合図を出した。
シリウスがゆっくり俺から離れていく。ただのガキ相手、俺がさっさと殴るなり蹴りつけるなりしちまえばいいんだが……こいつはただのガキじゃない。俺の本能がそう告げている。あいつと同じだ。……アグニ。人間の皮被った化け物だ。
「あら、シリウスをどちらへ?」
「……お前には関係ねえ」
「この中には私の可愛い下僕がいるの。……まあ、シリウスでは勝ち目はないでしょうからいいけれど。早く事情を話してもらえない? まどろっこしい駆け引きは苦手なのよ」
「お前が引けば全部丸く収まるんだよ。邪魔だ、クソガキ」
「はあ……。あんたは何者? 人身売買やってる人? それともシリウスのお友達? 善良な市民? どっかの誰かの手先? あんたを拷問して吐かせるなんて無駄な時間は過ごしたくないのよ。わからない? あんたは私にかなわないんだから」
まだ幼い声で言っていることが苛烈すぎる。その違和感は不気味だった。
「早く教えて? あんたの目的を」
「断る」
次の瞬間、ガキの姿が消えた。
とっさに右に避ければ、俺がいた場所にあいつが立っていた。
「あら、意外にすばしっこい」
どうなってる……!? 姿が見えなくなるなんざ……幻術でも使ってるってのか!? 早すぎて目に見えないなんてアグニ1人にしてくれ。ただこいつは……アグニより早かった。
「教えてくれたら穏便にすませてあげるって言ってるのよ」
ガキが俺の耳元で囁く。こいつ、いつの間にこんなに近づきやがった!?
「ち……かよるんじゃねえよ!!!」
息を吸い込み近距離から糸を吐き出してやった。大抵のやつはこれにビビって逃げていく。蜘蛛の糸みてえなのを口から吐き出す人間なんていねえからな。俺は昔っからなんでも口から吐き出せた。盗んだもんを飲み込んで口から吐き出すことも訳なかったし、糸やら火やら、どろっとした粘液やらを吐き出して操ることができた。およそ人間業じゃねえことを軽々やってのけたもんだ。
元々そういう訳わかんねえ体質だったってのと、ガキの頃に叩き込まれた術がうまく合致したってだけだが。
俺以外にも火ぃ噴ける連中がいるとわかった時は一瞬昔のお仲間かと思ったもんだ。アグニなんて意味わからんほど火の塊を噴き出すからな。あれは新種のバケもんだ。
「ッ……糸……」
ガキが息をのむ。
へッ、そりゃそうだ。ようやく子供らしいとこを見せたな。
だがあいつは易々と俺の糸に引っかかってくれた訳じゃないらしい。あの近距離で体を捻って避けやがった。すぐに俺から距離を置いて、こっちをじっと見ている。
……なんだ? 様子が変だな。
目深に被ったフードのせいで、こいつの表情はいまいちわからない。
「あんた……いや……あり得ない……そんな……」
「?」
何を動揺してやがる。糸にビビった訳じゃないのか?
クソッ、来るならさっさと来いってんだよ。俺はシリウスを追いかけなきゃいけねえってのに。……あのガキ、ステラが消えたせいでかなり動揺してたからな。「孤児院は地獄だ。バーバラに捕まったら何されるかわからない……!」って理性をなくしかけてて、正直連れて来たくはなかった。だけどあいつがいれば何かと便利なもんは便利だし……病弱なステラにもしなんかあったら、その時近くにいられねえ辛さは俺もなんとなくわかる。
俺は、この世で唯一大切だったもんを、みすみす死なせちまったことがあるから。
他ならない俺自身のせいで。
「……あんた……その声……糸……まさか……」
ガキがぶつぶつ言っている。
こいつ、まじでさっきからどうした? 俺のこと知ってんのか? いやいや、こんなクソガキ俺は知らねえ。こんなバケもんみたいなクソガキ。
ったく、ほんとうんざりする。
こんなバケもんがうじゃうじゃいる世界に生まれ変わっちまうなんて。
少なくともあの世界で俺がバケもんだと思ったのは……
クソババアだけだったってのに。
クソガキが急に俺の目の前に現れた。そこまで来て初めて、こいつの髪が金色であることを知った。銀じゃないし、目は二つある。なのに……一瞬見えたその顔に絶句した。
ぼけっとしてたのが悪かった。気づいたら顎に拳を叩きつけられて宙を浮いていた。
「ガッ……!!」
慌てて受け身を取って着地する。クソ、顎が割れるかと思ったじゃねえか!! この……この……
「クソババアぁあ!!!」
月明かりに照らされた顔は、もう間違いない。
ガキだし傷はねえし隻眼じゃねえし髪も金だが……その青い目を見れば明らかだった。不思議だ、目を見ただけで、風貌がこんなに違うのにあいつだってわかる。心の底から震える。こんなことがあるのか? あり得ねえ、あり得ねえことだけはわかるけど、こいつならあり得るんじゃねえかと思う。むちゃくちゃなことばっかやってた奴だ。死んでも忘れられなかったババアだぞ。あのアグニを超えるナンバーワンの化け物だ。……いろんな気持ちがぐっちゃぐちゃになってよくわかんねえ。忘れてえと思った記憶が次から次へと溢れてきて、顎を殴られた痛みなのかなんなのかわからねえけど涙まで流れてくる始末だ。
「クソ……ババア……」
ぜえぜえと息が荒くなる。口がカラカラに渇いて、なのに涙が止まらねえ。
……クソ、文句が次から次へと溢れてくるのに何一つ言葉が出てこない。
「……つまり」
違和感しかねえ幼い声には苛立ちが含まれていた。
「バーバラが黒ってことね。あんたが人身売買ってあり得ないから」
背を向けたあいつの肩を思わず掴んだ。
「おい!」
「何よ! 触らないでよ下層民の分際で!!」
……え?
こいつ、今なんつった?
一瞬思考が消える。まじまじと顔を見れば、やっぱこいつはあのババアで間違いない。
間違いない、その上俺のことも覚えている、はずなのだが……
「あんたなんかと再会なんてほんとしたくなかったわ! あ~ほんと腹立つ!! さっさと言ってくれればこんなとこで無駄な時間使わずに済んだのに! この役立たず! ステラもシリウスも回収してくるからあんたはどっか消えてて! 顔も見たくないから!!」
…………
………………ハッ、やべえ、意識飛んでた。
思考ができねえ。えっと……あれは俺の知ってるババアか? それとも……
別の、誰かなのか?




