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27 【シリウス】追いかけられる


「あっ……大丈夫?」

 しまった。姉は体が弱いのに、走らせすぎた。

 不安になって顔を覗きこむと、ふるふると首を横に振って、彼女はいつものように穏やかに微笑んだ。


「大丈夫よ、ごめんねシリウスちゃん。私ってばまたドジ踏んじゃった。まだ子供だったし少し小綺麗な感じがしたから、お金を持っているのかと思ったけど……ハズレね。しかもすごく足が速くて」

「姉はこんなことしなくていい。何回言ったらわかるんだよ! こういうことは俺がやる。体弱いんだから休んでろ」

「でも……」

「いいから! 迷惑だ。また変なのに捕まって、さっきみたいにバーバラに見られたらどうする」

「それは……そうね」


 姉はしゅん、と肩を落とした。俺が暴言を吐こうものなら、ここで一発拳骨が飛んできそうなものだけど、今日の彼女はいつもより元気がない。生まれつき体が弱いのもあって可憐な印象を持たれがちな姉だが、実はけっこうがさつで乱暴なところがある。


「とにかく、金は俺がなんとかする! 今夜にはあの人も帰ってくるし……大丈夫だ。きっとあの人がなんとかしてくれる」

「うん……」


 だからなんでそんなに元気がないんだよ。こんなに元気ないと、こっちの調子まで狂う。スリの失敗なんていつものことだし、それを気にするのもらしくない。

 あの人は、約束通りに戻ってくるだろうか。もし戻ってこなかったら……俺たちはどうしたらいいんだ。一緒に施設を抜け出した他の子たちだって、もう限界だ。これ以上は耐えられない。あれからまともな物を全然口にできていない。


 つくづくあの貴族の子供の姿を思い出して腹が立った。偉そうな顔で、俺たちを見下して、あんな上等な服を着て……俺と、さして変わらないただの子供のくせに……。良い物を食ってるんだろうな、毎日召使いに世話してもらって、優雅に暮らしてるんだろうな。自分では何もできない、ただのガキのくせに……


「……本当に、来てくれるかな」


 ぽつりと姉が零した。


「だ…いじょうぶだって! あの人が俺たちを裏切るとか……あり得ないだろ……」

「うん……わかってるよ」


 胸騒ぎがした。

 もしこのまま来てくれなかったら……見捨てられたら……俺たち、どうなるんだろう。

 いや、大丈夫、大丈夫だ。あの人は絶対良い人だから。ちょっと口は悪いけど、絶対悪い人じゃない! あの人が戻ってくるまで耐えればなんとかなる。俺は足も速いし、手先だって器用だ。スリだってなんだってしてやる。なんだって……





――――


 その夜はなかなか寝付けなかった。

 殴られたところが痛む。今日はとことんついてない。スリは失敗するし店先の物をくすねようとしたらバレて袋だたきに遭うし……。


 姉が心配してくれてるけど、治療するためのものなんてここにはない。頬がヒリヒリする。くそ、子供相手に本気出しやがって……。


「シリウスちゃん……何か、変な感じしない?」

「変な感じ?」


 姉がまだ起きていたことに驚きつつ、あばら屋から顔を突き出して、きょろきょろと辺りを見渡した。もしかしてあの人が……と思ったけれど、それらしい人影はない。月が綺麗で、思わず目を逸らした。あまりじっと見ていると魂を抜かれそうだ。体を寄せ合って眠っている子供のうちの1人が僅かに身じろぎした。俺を信じて孤児院を抜け出してくれた。この子たちのためにも、俺は間違える訳にはいかないんだ。


 ふと、誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。

 酔っ払いか? それとも孤児院の奴らか? 思わず身構えたけれど、その人影はどうやら小さい。子供か。なら害はない。大方腹を空かせたガキがゴミを漁っ……



「こんなところにいたのか、お前ら」



 目に痛い程の強烈な赤が、闇夜の中でもはっきりと焼き付いた。



「そんなところで寝てたら風邪引くぞ。こっち来い」


 昼間、姉を追いかけてきた貴族の従者……!!

 俺が理解するより、姉が手を振り上げたのが早かった。


「おっと」


 華奢な姉の腕を受け止めて、彼はしかめ面したようだった。


「お嬢様がお前らをお呼びだ。悪いことする訳じゃない。腹減っただろ? うまいもん食わせてやるから、大人しくついてこいってば」

「そんなの……信じられる訳ないでしょう!?」


 腕を捕まれた姉が振りほどこうとするけれど、ビクともしない。体付きからして俺たちとは違う。細いけどがっしりしてて、ちゃんと飯食って鍛えてる奴の体だ。


「姉から手を放せ!! どうやってここがわかったんだよ!?」

「それは言えねえけど……」


 もごもごしながら、奴は姉から手を放した。

 なんだ、こいつ。無理矢理連れて行くつもりじゃないのか? いや、俺たち相手ならどうにでもなると思ってるんだろう。大体なんであの女のところに行かなきゃならないんだ。バーバラが俺たちの捜索を頼んだのか? 貴族の嬢ちゃんに? 信じられない。貴族なんて信じられるか。何か企んでるんだ。俺たちをどこかに売り飛ばそうとしてる? それとも奴隷にでも――


「そっちで寝てるのは孤児院の子供たちか?」


 奴の目線が、俺たちの背後へ向けられた。

 ――まずい。


 咄嗟に地面の石を掴んで奴に向かって投げつけた。難なく避けられたけれど、一瞬隙ができる。俺は奴の背後へと飛び上がって、地面をくるくる転がった。


「なっ…」

「追いつけるもんなら追いついてみろ!!」

「あっ、待てこら!!」


 この路地裏は俺の庭みたいなもんだ。足の速さでも負ける気はしない。俺がこいつを引きつけてる間に姉が子供たちをたたき起こして逃げてくれるだろう。

 だけど、今日はやっぱりとことんついてない。



「……ッ、ほんと……し、つこい!!」



 絶対すぐに撒けると思った。なのに全然撒けない。追いかけてくる奴の体力がおかし過ぎる。俺にここまでついてくるなんて同世代とは思えない。大体この辺りのことだってそんなに知らないはずなのに……まるで俺がどの道を使って逃げるのか把握してるみたいに少しの迷いもなく俺を追いかけてくる。


「く……そっ……」


 ああ、腹が減った。昼間やられた傷も痛む。くそ、万全の状態なら絶対逃げ切れた。なのに、なのに……足がもつれて転んだ。その先に、見覚えのある人影があった。



「遅いぞ、カノン」

「う……るせえなあ。こいつめちゃくちゃ速いんだよ!」


 後ろからあの少年の声がする。かなり息が荒い。挟まれた。

 目の前の少年は、やはり例の貴族の従者だった。最初から2人いたんだ。そして俺は、気づいたら自分からこのガキのところまで走ってきた。誘い込まれた、何か仕組まれた。それだけは確かだけど、一体こいつらがどうやったのか見当もつかない。


「他の子供たちは?」

「計画通りだ。皆眠っている」

「そっか」


 それを聞いた途端、ゾッとした。

 そう言えば、ずっと静かだ。姉がたたき起こしてくれたなら、もう少し声が聞こえてきてもおかしくないのに。じゃあ、姉は!? 姉に何をした!?

 灰色の髪は俺を見下ろして、ため息をついた。


「そう睨み付けるな。お前の姉は俺の方から説得した」


 姉がこいつらの言うことを信じた? そんなの信じられる訳がない。俺を騙そうったってそうはいかないぞ。


「お前ら……何が目的だ!?」

「腹を空かせているだろうと思って、お嬢様がお慈悲をお掛けになっただけだ。何も悪いことはしない。安心してついてくるといい」

「だから、そんなの……!!」





「信じられる訳、ねえよな?」





 その声を聞いた途端、心の底からほっとした。


「ア――」

「クソガキども。俺の縄張りで何やってんだ」


 次の瞬間、赤いのと灰色の奴らは、なすすべ無くその場に蹲っていた。


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