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25 【ジーク】屋敷へ向かう


 衝撃、という言葉が相応しい。


 あんなに浅はかな娘ではあるが、一応あれでも婚約者。処刑場で気を失ったという連絡もあって、用事のついでに詫びくらい入れておくかという気楽な気持ちで公爵邸に向かった。



 ……フレアを見た瞬間、


 わからなかった。彼女が何を考えているのか。


 彼女に対してこんなことは初めてだった。

 我が儘で自分勝手で、わざわざ探らなくても考えていることがダダ漏れの子供だったはずなのに。


 神子の力の一つに、人の心を読むことのできる力がある。

 浅はかで横暴な人間ほど心の内を読むことはたやすい。……いや、読まなくとも流れ込んでくるから厄介なほどだ。フレアは聖騎士の中で最も心の声の聞こえる人間だった。自分のことしか考えていない。僕との結婚も、自分が好き勝手できるための一つの手段としか考えていない。

 これは早々に婚約破棄した方がいいか、それともこれほどわかりやすい人間なら妻にして操るのもありかと、悩んでいたほどだ。




 それが……処刑場で一体何があった?


 これは、誰だ?

 

 考えていることもわからなければ、まるで別人のような身のこなし。刃を砕き、ほんの一瞬でアグニという化け物の意識を奪った。近衛騎士すら歯が立たなかったというのに。二度目もそうだ。最早人とは思えない身体能力と、熟練の戦士のように研ぎ澄まされた気配、見事な剣技。


 しかし更に不可思議なのは、アグニと対峙して剣を構えた瞬間……あれはどう考えても幻覚としか思えないが


















 一瞬、老婆に見えたのだ。


 


 八十は超えているだろうか。

 高いところで括った白く長い髪が、袖のふわりと広がった、見たことのない黒い服の上で、絹糸のように流れていた。骨張って血管の浮いた手や、カサカサに乾き皺の目立つ肌は確かに老婆のそれだった。顔や手にはいくつも切り傷のような痕があり、左目には黒い眼帯がしてあった。

 ただ、片方の目だけはフレアと同じ、鮮やかな青。

 それだけが、彼女との共通点だった。






『……参る』





 彼女がそう口にした瞬間、気づいたらあの男との激闘を繰り広げていた。誰も入り込む隙のない、まさに殺し合いと言えるような――そしていつの間にかアグニが倒れかけていたのだ。斬った瞬間……いや、叩いた瞬間さえわからなかった。


 あそこまで鮮やかな手並みであると、アグニという化け物が思っていた以上に弱かったのではないかとさえ思えるが、けしてそうではないことはアグニの記憶を覗けば明らかだった。あの男がどれだけ多くの人間を殺し、多くの国を渡り歩いてきたかは神子の力を使って僕自身が確認した。火を噴いたのも、フレア以外の者の剣では斬れないというのも本当だ。奥方と子供を人質に取られていたとは言え、聖騎士である公爵でさえ手も足も出なかった。あの化け物は恐らく他の聖騎士よりも強い力を持っていると言える……フレアを除いて。




 興味が湧いた。あれは一体何者なのか。

 何が、隠れているのか。

 

 アグニも面白いがあれよりよほどフレアの方が面白い。本当はアグニの雇い主なんてわざわざ白状させなくてもわかっていたが……「何でも一つ願いを」と囁いた時のフレアの反応が面白かった。願いはあまりに予想外だったが、おかげでより興味が湧いた。



 そう、不可解なことはまだある。


 僕は本当に稀に……死の幻影が見えることがある。

 それが見えてしまった人間は、近々その幻影の通りに――死ぬ。一度見えればずっと見え続ける。まるで悪霊のように。死ぬのがいつのことか、わかる時もあれば、わからない時もあった。いや、わからないことの方が多い。それにわかったとしても、死を回避させようとして結局別の方法で死ぬ。そういうことが昔何度もあった。だから僕は、死の幻影の見える人間を諦めてきた。それが現れるということはよほどのことで、死に神に魅入られているということだから。




 僕はイグニス公爵、公爵夫人、騎士団長……


 そして、カノンの死を予見した。



 正直震えた。大規模な何かがイグニス家で起こる。それは明らかだったが、いつなのか、どこでなのか、それはわからない。


 だけどそれが、あの事件の翌朝に綺麗に消え去った。カノンを除いては。



 彼だけに死の幻影がつきまとい続けた理由はわからない。最初見えた時は焼死のようだったが、あの裁判の時には、別の幻影がつきまとっていた。死が変わったのだ。だけど死ぬこと自体は変わらない。まるで高いところから落ちたように、彼の体はひしゃげ、血だらけだった。事故か、自殺かはわからない。



 ああ、これはダメだ。

 近々死ぬというのに、必死で彼を騎士にと望むその光景は、滑稽とも言えた。死に神が本当にあるならば、きっと腹を抱えて笑っていただろう。





 それなのに、フレアが彼を「下僕」として求めたその瞬間……





 死が消えた。

 彼の死の幻影は完全にかき消えた。



 驚愕した。

 死の運命を変えるなど。こんなことのできる人間が、この時代にいるなんて。

 


 同時に、僕の目の前に一瞬鮮やかな光景が広がった。

 

 “未来”だ

 

 神子の力がそう告げていた。これは決してそう遠くない未来。

 陽の光が降り注ぐ眩して美しい景色の中で、二人の騎士がいる。彼らは跪き、その肩に誓いの剣を当てられている。彼らが誓いを立てている相手は……






 彼女か。







 ……面白い。

 運命を変えた少女。死にゆく命を救った。これは誰だ? 少女の皮を被った老婆か? 聖女か? それとも悪魔か? 

 見定めてみよう。もしそれが良いものであれば利用するだけ。もし悪いものであれば……

 




 その時は処分すれば良いだけの話だ。






――――――――――



「お、お嬢様ー!! 誰かおりませんか!? 約束の時間でしょう!!」

「やれやれ」


 呆れてため息を吐けば、青い顔をしたエイトが僕を振り返って首を横に振った。


「だ、だめです……誰もおりません」

「連絡しておいてすっぽかされたのは初めてだ。僕の婚約者は本当に予測不能だな」

「殿下……その、何かどうしようもない不測の事態があったのやも……」

「お前はこの間の事件からどうもフレアの肩を持つようになったな」


 エイトはわかりやすくびくついた。


「あっ、いえ、その……」

「わかってる。お前の考えていることは。そろそろ伝えてみてもいいんじゃないか?」

「……まず断られるでしょう」

「だろうな」

「ですよね……」


 しょんぼりしている。

 可愛い奴だ。

 まあ、応援くらいしてやるか。フレアへの嫌がらせにもなって面白い。


「この件で咎めることが一つできた」

「い、いえ、ですが、無理にというのは……」

「安心しろ。僕が許可する」

「は、はあ……」

「書き置きだけ残しておくか」


 僕が書いた内容を見せると、エイトは顔を青ざめた。

 それをそのまま屋敷の中に放り込んで、僕は上機嫌でその場を後にした。


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