20 【ルベル】答える
これは本当に公爵令嬢なのか……?
どうなってるんだ、この家事スキル。専属の使用人がいないとこうなるものなのか……!?
いやあり得ないあり得ないあり得ない。
あり得ないが、間違いなく掃除をしたのも食事を作ったのも彼女だ。目の前で見たから間違いない。あの手並みは一体なんなんだ? 俺は一体何を見せられている?
感動しっぱなしのカノンと皿洗いをしたのはぎりぎり使用人らしい仕事だった。
だけどその後、汗臭いから湯浴みをしてこいと言われて風呂場に行けばすでに熱い湯が張られていて、綺麗さっぱり疲れを取った後使用人用の部屋がある屋根裏に行けば、すでにそこはベッドメイキングされてあった。洗い立てのようなシーツにふかふかのベッドに腰掛ければ、間違いなくこれは下僕用のものではない。
正直、何が起きているのかよくわからない。
長い間放置されていたらしいから、もしかしたら小さい妖精がいてこんなことをしているのではないかと意味のわからないことを考えてしまった自分を一回殴りたい。これは間違いなくイグニス嬢の仕業だ。
もてなされているのか? 俺たちは。
一体なぜ? 下僕としてこき使われるはずだったのに、今のところ大した働き一つしない上むしろ家主に世話を焼かれている。この異常な状況は一体なんなんだ?
なのに隣のこいつときたら、何一つ疑うことをせずベッドの上でのんびりしている。
「あー、フレア様の料理ほんっっと旨かったよな!! これから毎日あれ食べられるのかな-」
このバカは何浮かれたことを言っているんだ? お前は新婚にでもなったつもりか? やっぱりいっぺん砂の大地で幽閉された方がいいんじゃないのか?
「お前は一体何のためにここに来たんだ、このバカ!!」
思わず胸ぐらを掴むと、カノンは俺の行動が意外だったのか慌て始めた。
「急にどうした!? つーか細い腕がぷるぷるしてるぞ。無理すんなってー」
「何をヘラヘラと……!! これだから坊ちゃんは!!」
思わず突き飛ばしたが、俺の非力でカノン相手にはあまり意味がない。
「なんだよ、坊ちゃんって。お前も似たような生活送ってきただろ?」
「お前みたいなバカと一緒にするな! ほんとバカ! 大馬鹿者!! 俺たちはお嬢様に仕えに来たんだろうが!! まともな使用人のいない中、掃除も料理も、もちろん湯を張るのもベッドメイキングも、本来俺たちがしなければならない仕事だ!!」
「えっ、そうなの? 鍛錬は?」
「この鍛錬バカ!!」
こいつ、本気で下僕になったことを理解していないな。
「鍛錬だけしていればいい身分はもうなくなったんだ! それをまず理解しろ!」
「わ、わかってるよ、下僕だろ?」
「わかってない! お前のそういうところほんとダメだから! そんなんじゃ……」
そんなんじゃ、いつまで経ってもルカには追いつけない。
あんなに下に見ていた弱々しい奴が、いつの間にか俺たちよりずっと上にいた。……いや、本当はずっと上だったんだ。ただその事実から目を逸らすために、優しいあいつにつけ込んで、虐めて、優位に立っていると思いたかった。
あの強い眼差しを見た時、何もかも理解した。
こいつは、もう俺たちの手の届かない場所にいるって。
「お前は立派な騎士になるんだろ。そのためには剣術だけじゃなくて、いろいろ叩き直すことがあるだろ!」
「え……例えば?」
「その甘ったれた性根だ!!」
言葉がそっくりそのままブーメラン。
この屋敷に来た時は、下僕の仕事なんて大したものじゃないしゆっくり覚えればいい、どうせイグニス領に戻って見慣れた使用人に教えてもらうことになるだろうくらいに考えていた。子供だけで暮らすなんて無茶な話だからだ。だけどその考えが酷く甘ったれたものだと今は理解できる。ここに来て数時間で打ちのめされた。自分より下に見ていたのはルカだけじゃなかった。イグニス嬢のことも、俺はその能力を除けば下の存在だと思っていた。
バカにしていた使用人の仕事すらまともにこなせない。同じように暮らしていたはずのイグニス嬢に、こんなにも遠く及ばない。自分の無能ぶりに反吐が出そうだ。
情けなかった。
世話してやらねばならないはずの相手に世話されることほど、屈辱的なことはなかった。
「……クソ」
「まあまあ、ルベル、そんなにピリピリするなって。もうちょっと肩の力を抜いて――」
「お前は悔しくないのか……!」
……そりゃそうか。
こいつはイグニス嬢に惚れているんだった。それなら余計に劣っているなんて思われたくないんじゃないかと思うが、下僕になったことをちゃんと理解していないこいつにとって、イグニス嬢に世話されるというのは自分が劣っていると突きつけられるというより至福の時間というわけか。
このバカ。
「……掃除するぞ」
「へ?」
「俺たちが使った後の湯船の掃除。それとイグニス嬢にお茶をお出ししに行く」
「え?なんで?」
「それは、俺たちが、あの人の使用人だからだ……!!」
ぽけんとしているカノンを置いて、俺は風呂場に向かった。勢いよく扉を開ければ……
ちょうどイグニス嬢が脱衣所に上がったところだった。
「――――――ッ!!?」
勢いよく扉を閉めてへたり込む。
バクバクと心臓がうるさい。一瞬のことだったし湯気でほとんど見えなかったけれど……あれは間違いなく、は、はだ……
「何か用?」
扉の向こうからイグニス嬢の冷めた声がする。
「い、いえっ、その、掃除を、しよう、と……」
「熱心なのね。上がるついでにしとくからいいわ」
「いえ、ですが……」
「掃除の仕方一つ知らないんでしょ。明日からにして。今日は教えるの面倒だから」
胸を抉られた。
そうだ、その通りだ。掃除の仕方なんて知らない。それは使用人の仕事だったから。だけど……何一つできることのない無能だと言われているようで。
あんなに勉強してきたのに、ここじゃまだ何も役に立てない。
「……はい。あの、お茶を」
「あら。お茶を淹れられるの?」
「は、はい」
「じゃあお願い」
本当は淹れたことなんてなかったけれど、これならなんとなくわかる気がした。近くで見たことがあったから。
「はあ……クソ、落ち着け」
廊下を急ぎながら、胸が忙しなく鼓動する。
さっきのことが頭をちらついて、思い出すたびに顔が熱くなる。
……何を動揺してるんだ。確認もせず勢いよく扉を開けたりするから……俺はカノン以上のバカだった。そうだ、でも、何を動揺する必要がある? 相手は十歳の子供だぞ。……俺も十二のガキだけど。はだ……なんて見たところで何だって言うんだ。
また勢いよく厨房に入り込んで竈の前に立ってから、そう言えば火の付け方がわからないことを思い出す。
額を押さえて項垂れていると、声を掛けられた。
「……何してるの?」
「!! お、お嬢様……」
光の速さか。もしかして分身の術でも使えるのか……!?もう風呂の掃除を終えたらしいことに驚愕する。
「お茶はまだ?」
「それが、その、火の付け方が……」
「ああ」
お嬢様は仕方ないという感じでテキパキと火をつけ、鍋に水を注いで火にかけた。
「仕事はゆっくり覚えたらいいわ。すぐに覚えられるなんて思ってないから」
「いえ、しかし……」
「無茶されて風邪でも引かれた方が面倒。ただでさえ寒くなってきたんだから」
「ですが、お嬢様にばかりいろいろさせてしまうのは――」
「……私でさえ予想外よ」
「え?」
イグニス嬢は諦めたように肩をすくめた。
「本当はもっと楽するつもりだったけど、気づいたら体が動いてるんだから、忌々しい。それもあんたたちが役に立たない所為だからね」
容赦ない。その通りだが。
「ま、明日からはやってもらうから。カノンには鍛錬の一種とか言えば喜んでやるんじゃない? 実際家の仕事って体力使うし」
「……そうですね、あれは鍛錬バカなので」
「とにかく体調崩さないでよ。医者なんて面倒くさいから。お金もかかるし。私の大切な資金を少しでも無駄にするような真似したら許さないからね」
「はい……」
やっぱり性格は最悪だ。そう思うものの、本当に酷い性格なら自分で湯を沸かすことも、こうして下僕の俺にまで茶を差し出すこともない、と思う。……何で俺にまで。別に欲しいとは言ってないのに。
「私の淹れたお茶は飲みたくない?」
俺が一向に飲まないのを見て、イグニス嬢はあきれ顔だった。
「い、いえ。そういうわけでは……」
「飲みたくなかったら捨てていいわ。……あんたの主人はカノンだもんね。私の下僕なんて心底嫌なんでしょ? それくらいわかってるわ」
ぎく、と体が震える。……別に、隠していた訳じゃない。この人だってそれはわかっていたはずだ。それでも俺がついてくることを承諾した。
「でもま、あんたの忠誠心? 友情? すでに度を超えてるけど、あんまり相手に期待とかしない方がいいわよ」
「……期待?」
「考えたことはない? カノンが騎士になれなかったら……カノンが別の道を志したら……」
「何が言いたいのです?」
「カノンが、自分から離れていったら」
挑発でもされているのかと思わず睨んだが……彼女の顔を見て拍子抜けした。
なんだ、その……
寂しそうな顔は。
「あなた以外の誰かを一番の部下にしたら? 結婚して子供ができたら? あなた以上に大切なものをたくさん見つけたら、あなたは蔑ろにされちゃうかもね。もしかしたらあの裁判の時のように……今度は周りの人間じゃなくて、カノンに捨てられちゃうかも」
「……別に僕は捨てられた訳じゃありません。自分から志願したんです」
「あなたは本当にそれでよかったの? たった一人のために人生を棒に振って、もし相手が自分のことを忘れて楽しく生きていたら……そうは考えなかった?」
「別に……」
「あなたにとってはカノンが一番大切でも、カノンにとってはそうじゃないかもしれない。今はそうでも、ずうっとそうとは限らない。特に主従なんて、対等な力関係とは言えないんだから。いつ捨てられたっておかしくない」
「……だから、何が言いたいのですか。さっきから」
「虚しいわよ、そういうの。今だってカノンのために下僕になりさがってここにいるようなものでしょ。尽くし続けても見向きもされない日が来るかもしれないのに。大切な時間をドブに捨てるよりは、今すぐお家に帰ったら?」
クビ宣告かと思ったが、そういうわけではないらしい。お嬢様は「ま、好きにすればいいけど」と言ってお茶を飲み干した。
「……俺は、見返りなんて求めてません」
お嬢様は空のカップを置いて、静かに俺を見た。
「別にあいつの一番になりたいとか思ってません。ていうか考えたこともありません、想像しただけで気持ち悪い。俺はあいつの友達で、臣下で、家族です。それで十分です。何番だろうとどうでもいい。あいつが夢を叶えてくれたら自分のことのように嬉しいし、結婚して幸せな家庭を持ってくれれば良かったなって思う。ここにいるのは俺の意志だし、下僕になったことに後悔もありません。あと」
ちら、と厨房の入り口へ目を向けた。
「あいつはけっこうバカなんで期待ならすでにだいぶ裏切られてます」
「ひっでえ!!」
……やっぱり。
いつから聞いてたんだ、あいつ。
お嬢様はちっとも驚いていない。もしかして気づいててカノンの話題を振ったのか? だとしたら相当タチが悪い。
「お、お、俺は、その、あんまり何も聞いてないぞ!」
そう言いながらカノンの耳が少し赤い。こいつ、どうせ全部聞いてたな。まあいいけど。あの裁判以上にこっぱずかしいことはない。
「じゃあね。せいぜい頑張って」
フレア様の口元は、僅かに微笑んでいるように見えた。
彼女が厨房を出て行って見えなくなってから、カノンはじとっとした目で俺を睨んだ。
「なあ、なんでお前がお嬢様と二人きりでお茶してんだ? なあ? なんで俺も呼んでくれなかったんだ!?」
「うるさい。成り行きだ。明日からビシバシしごかれるらしいからな。覚悟しておけよ」
「わかったからそのお茶俺にくれよ~。お前飲まないんだろ? もう冷めてるじゃん!」
「…………」
イライラされっぱなしのこいつにやるのも癪で、俺はぐいっと一気にあおった。
「あ~!」
カノンが情けない声を上げるが無視。
ほどよく温くなったお茶は、心地よく俺の喉を潤した。




