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18 【ルカ】決意する



 今日、フレア様は公爵邸を出て行ってしまう。公爵は騎士団の会議でいなくて、お母様はまだ安静にしているようにと言いつけられていて、部屋から出られない。

 だからって僕以外誰も見送りにいないのはさすがにどうかと思う。



 あっという間の日々だった。再婚が決まって、引っ越しをして、お母様が襲われて、妹のルチアが生まれて、またあの怖い人が屋敷に現れて……カノンの一家が罰せられて。

 砂の大地のことを僕はよく知らない。ただ、苦しい場所だって言うことはわかるから。……だから、そこに永久に幽閉されるっていうのは、相当辛いことだと思う。僕のお母様の命を狙おうとしたんだ。妹まで一緒に。だから慈悲なんてかけちゃダメだって思うけど、それでも凄く怖くなる。これでもし処刑だったら、しばらく眠ることもできなかったかもしれない。眠れても、夢に出てきてうなされたかも。


 僕はカノンのことが苦手だし、彼の両親のことも許しちゃだめだと思ってる。

 でも、やっぱり怖い。その人の気持ちを想像したり、もし自分が……て想像したりしたら、胸が苦しくてたまらなくなる。もし他にも僕らの命を狙う者がいたら……そう思うと、どんどん怖くなる。あの中庭やバルコニーでのことを思い出すと、恐怖で体が震えてしまう。


 こんなだから、僕はダメなんだろう。本当に僕みたいな弱い人間が、公爵……いや、お父様の跡なんて継げるんだろうか。お父様は僕を本当の息子のように可愛がって褒めてくれるけれど、正直、僕は自分に自信がない。昔から。ずっと弱虫、泣き虫で、虐められるのにも慣れてしまって、こんなじゃダメだと思うのに、結局いつも逃げてしまう。


 僕はずっと前から、僕自身のことが大嫌いだ。

 世界で一番大嫌いだ。

 だからだろうか。虐められていたのに、カノンのことをそれほど悪く思えないのは。



『うじうじしやがって。ほんとムカつくんだよ!』


 誰にだって優しいカノンが、僕のことだけは目の敵にしていた。


 特殊能力、聖騎士の力を持つ者はイグニス家で代々3人だけ。

 能力は代々、先代の死とともに受け継がれる。イグニス家の血を受け継ぎ、イグニス領の屋敷内で生まれた赤子。その条件さえ合えば、誰が能力を受け継ぐかはわからない。もし先代が亡くなっていなかったら、僕はきっと生まれてすぐ捨てられていた。「能力を受け継いでいるかもしれない」その可能性があったから、僕でも屋敷に置いといてもらえた。


 ただそれだけ。運がよかっただけ。


『なんでお前が……お前なんかが起爆能力者なんだ……。俺だって……俺だって……』


 相応しいのは君の方だった。

 現に、僕は能力の発現も遅かったし、今だって全然使いこなせていない。使うのが怖いから、練習さえろくにしていない。自分の力がどんなものも爆発させてしまうなんて、考えただけで足がすくむ。君だったら、きっと僕より、ずっとうまくこの力を使っていたはずなんだ。





『胸を張って生きなさいよ!!!』





 弱々しい思考を蹴散らすように、フレア様の言葉が、響く。

 お母様を鼓舞していたあの言葉は、強く僕の心を打った。生まれて来なければ良かった……自分は汚れている……ずっと胸を巣くっていた思いが、力強い彼女の言葉で霧散した。



 僕は、あなたのようになりたい。

 あなたのように、強くて真っ直ぐな人間になりたい。



 わざと憎まれるような言葉を使っていたけれど、彼女がカノンとルベルを救った時は、彼女らしいと思った。きっと、優しい彼女は見捨てられなかったんだ。砂の地で永遠に閉じ込められてしまう未来から、彼女は彼らを救った。

 同時に、僕も救われた。

 きっとカノンかルベル、どちらかが砂の地送りになっていたら、僕は今より更に落ち込んでいたと思う。……情けない、とても情けないけれど、僕はまだお父様のようにはなれない。




 こっそりとポケットの中に手を伸ばして、あのペンダントを取り出した。

 そっと表面をなぞる。あの夜のことを思い出して、僕はゆっくり息を吐いた。


 ずっと、あの夜見たフレア様の涙が忘れられない。

 あの涙を拭ってあげられたら、僕は……







「見送りなんて別に良かったのに」

「あっ……フレア様」

 

 思考が飛んでいて、フレア様が近づいたことに気づけなかった。

 綺麗な金色の髪を下ろして、それが大人っぽい水色のドレスとよく合っている。もう何度か食事を共にしたこともあるのに、彼女を前にするとどうもまだ緊張してしまう。フレア様の大きな瞳に見つめられると心臓がせわしなくなって、口がカラカラに渇いて、何を言おうとしていたか忘れてしまう。

 本当に綺麗な人だと思う。凄く大人っぽくて、整っていて、凜としていて、上品で、可愛くて、それから、それから……


「大丈夫? 顔が赤いけど、熱でもあるの?」

「えっ、あっ、いえ、そんなことは……」

「ならいいけど。念のため医者に診てもらった方がいいかもね。じゃ、私行くから。元気でね」

「あ、はい……」


 フレア様の後に、緊張した表情のカノンとぶすっとしたルベルが続く。

 カノンは僕を見てびくついた。僕も、僅かに震えてしまう。あの裁判の後、彼の姿を見るのはこれが初めてだ。あれからずっとルベルの屋敷で軟禁されていたから。今日から、彼らはフレア様の下僕として働くことになる。本当はルベルは家を出なくても良かったけれど……彼は、やっぱりカノンの傍にいたいのだろう。


 そのまま立ち去るかと思われたカノンは、突然ぴたっと立ち止まった。

 それからゆっくりと僕の方に体を向ける。


「……公爵夫人のこと」


 腰を曲げて、頭を下げた。

 あの、カノンが


「本当に、申し訳ありません、でした……」


 僕に、謝った。


「その、本当は、もっと早く、でも、できなくて、ごめん、なさい。今までのことも、お前……じゃない、ルカ様に、酷いことばかり、して、本当に……」


 ごにょごにょと声が消えそうになったところで、ルベルが一緒に頭を下げた。


「本当に、申し訳ありませんでした」

「ご、ごめんなさい!! あの、ペンダントも、その、どうにか、えっと……」

「……ペンダントは大丈夫だよ。フレア様が、見つけてくれたから」

「えっ、あっ、そ、そうなんだ……良かった」


 カノンはポリポリと気まずそうに頬を掻いた。


「――許すの? ルカ」

 

 フレア様はさしてつまらなさそうな顔で僕たちを見ていた。


「本当に心から悔い改めてると思う? 人間ってそんな単純なものかしら? 自分の立場が悪くなったから頭を下げるなんて最低じゃない?」

「フ、フレア様……」

 カノンはしゅん、と肩を落とし、ルベルはトラウマになりそうなほど怖い目でフレア様を睨んでいる。


「……恐れながら、お嬢様も今まで散々使用人を虐め、ルカ……様も苦しめていたではありませんか?」

 ルベルの低い声に、僕の背筋が震えてしまう。

「えっと、僕は……」

「謝罪の一つしないあなたと、頭を下げることを覚えたカノン、どちらが誠意ある態度ですかね?」

「……さあ?」


 フレア様は僅かに口元を歪めた。


「そんなの知らないわ。謝ったってどうせ憎まれ続けることに変わりはないし、お詫びに私の方から彼らと離れてあげてるんだから、それで十分じゃない? 心底憎んだ相手に形だけの謝罪なんてされたってムカつくだけ。黙って消えてあげるのが一番でしょ。どうせ永遠に許されることはないんだから」


 侍女の一人すら連れて行かないのは、彼女なりの気遣いだったんだろうか。


 でも……僕は、フレア様を憎んだことはありませんでした。

 パーティーの時くらいしか会ったことがなかったし、確かにあの頃は怖かったけれど、酷いことをされた訳じゃないし……フレア様が僕をよく思っていない理由は、お父様の態度を見れば明らかだ。それに、今は……



「僕は、許します」


 気づいたら、自分でもはっきりと声が出ていた。


「それに、許して欲しいです」

「え……?」

 カノンが不思議そうに目を丸くする。

「今まで、僕はずっと、気弱で、泣き虫で、怯えてばかり、いたから……」


 それじゃダメなんだ。僕は、聖騎士として生まれたから。


「僕は公爵になります。イグニス家を引っ張って、この国を守れる人間になる。だから許します、カノンが僕にしていたことは、僕にとってはもう大したことじゃないから。だから君も許して下さい。君が騎士としてイグニス家に戻ってきた時、僕はその名に恥じないような強い人間になっているから」


 話し始めてからどんどん体が火照っていったけれど、一気に話し終えた後はもう酷かった。もしかしてフレア様が発火能力を使っているんじゃないかと錯覚するくらい体が熱くて、顔もきっとめちゃくちゃ赤くなっていて、恥ずかしくて恥ずかしくて、今すぐ逃げ出したいくらいだった。

 お前が何言ってるんだとか、無理に決まってるだとか言われたらどうしよう。

 いや、でも僕は誰に何を言われても強くなりたくて、立派になりたくて、だから、だから……



「……お前、すげえな……」

「……へ?」


 視線を合わせると、カノンは慌てたように顔を逸らした。


「い、いや、その、ほんと、今までのことは悪かったよ。じゃ、じゃあな……」


 そそくさと離れていくカノンに、小さくため息を吐いたルベルが、僕に向き直る。

 頭が良くてしっかり者の彼を前にすると、また体が震えてしまう。


「……本当に、申し訳ありませんでした」

「いや……」

「ルカ様が公爵となられるその日を、楽しみに待っております。……俺もあいつも、いつまでも負けっぱなしではいられない」

「え……?」

「では、お元気で」


 ぺこりとお辞儀をして、彼もまたフレア様の方へ歩いて行く。

 一瞬、僕も歩きだそうになって、思わず踏みとどまる。そんなことしたら、きっともっと辛くなる。


 フレア様は僕をじっと見つめた後、


「じゃあね。元気で」

「は、はい。フレア様も――」

「それ、要らないから」


 僕の心臓が止まりそうなほど、柔らかな笑みを浮かべた。



「様も敬語もいらない。一応私の兄なんでしょ? ならちょっとはそれっぽくなりなさいよね」


 兄。その響きは恐れ多いというか、違和感しかないけれど……


「はい……いや、うん! わ、わかった! フ、フフ、フレア!!」


 もうやけくそみたいに名前を呼ぶ。

 情けなくて、恥ずかしくて、呆けた顔のカノンたちから逃げ出したくて、でも、その全てがどうでもよくなるくらい、君の笑顔が眩しい。



「楽しみにしてるわよ。ルカ」





 ……いつか、あの涙を拭ってあげたい。

 いつか、誰よりも強いあなたを守れるような人になりたい。



 小さくなっていく影が見えなくなるまで、僕はずっとその影を見送っていた。


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