17 宣言する
「……別に、あそこまでする必要はなかったんじゃないですか?」
私の言葉に、ジーク殿下は意外そうに口の端を上げた。
「あれくらいしないと納得しないだろう。神の言葉が手っ取り早い」
「本当に見たんです? その……」
「さあな。それを君に言う必要はないだろう?」
「……そうですけど」
私はやれやれと肩をすくめた。
話をするためだけに借りたにしてはだだっ広い部屋には、私とジーク殿下、それから少し離れたところにエイトがいるだけだ。もちろん扉の外には近衛兵が何名か護衛についているけれど、話の内容は聞こえないでしょうね。
あの後は忙しかった。公爵は罪人を連れて手続きやら何やらに旅立った。カノンもルベルも放心状態。奥様はあの場にいなかったけれど、一部始終を見ていたルカの顔は見られなかった。今頃あの温厚な顔を怒りで歪めているかも……いえ、あの子はそういうタイプではないでしょうけど。静かに落胆しているかしら? それともこれから私のところに頻繁に来て、下僕となったかつてのいじめっ子をいじめ返そうとか思ってる? ……うーん、やっぱりそういうタイプでもないと思うのよね。
ルカは、きっと安堵している。
100%善人の顔で、カノンとルベルが砂の大地に幽閉されなくて良かったと思ってるんじゃないかな。
「これから本当に一人で暮らすつもりか?」
「はい。でも一人じゃないですよ。下僕を二人連れて行く訳ですから」
「王都の城下町にある別邸だったか? 子供三人で過ごすには広すぎるだろうが、よく公爵はそんなことを許したものだ」
「奥様を狙った罪人の息子を下僕にする以上、同じ屋敷も近くの別邸もやめた方がいいんじゃないですかって意見しただけです。あの人からすれば、次に同じようなことをしそうな危険人物は私でしょうし、できるだけ離れていてくれた方が安心なんでしょ。生まれたばかりの赤ん坊に危害を及ぼしたりしたら大変ですから」
「……君はそれでいいんだな」
「この方がいいです」
むしろもっと離れてもよかったくらい。
でもまあ、けっこううまくいった方だと思ってる。公爵と奥様とルカと生まれたばかりの赤ちゃん。完璧なこの四人の家族に、私は邪魔なだけだし。同じ屋根の下で暮らすなんて違和感バリバリだった。
カノンを下僕にしたことでちょうどいい言い訳ができてほんとに良かったわ。
「ふっ……驚いたな」
「何がです?」
ジーク殿下が不気味に笑う。
「君の願いはもっと別のものだと思ったが?」
……そりゃそうよ。
あの時、ジーク殿下は私に取引をもちかけた。
――もし、アグニから犯人について白状させられれば……願いを一つ、叶えてくれるって。
どうやればあの戦闘狂を従えられるかなんてわからなかったけれど、ジーク殿下に言われたままに言葉を伝えれば、あの馬鹿は本当にすんなり白状してくれた。それはもうペラペラと。
だから私は、何でも一つ、願い事を叶えて貰う権利があったのだ。
ジーク殿下が私を愛しい婚約者だって言って我が儘を叶えてくれると思う? あり得ないでしょうが。
「なぜ彼らを助けるようなマネを?」
「助ける? そんなつもりは一切ありません。ただムカついただけです。あの自己犠牲の美しい友情を見せられて、気分が悪くなったの。それ以外に理由はありません」
「では、君の本当の願いは? 気になるな」
ジーク殿下の目がぎらりと光った。
……柔らかい表情だけどその仮面の下の獣みたいなぎらついた目は全然隠せていないわよ。本当に十二歳の子供なのかしら。もしかして私と同じように前世の記憶でもあるの? ……いや、さすがにそんな訳ないか。私みたいなのがそうポンポンいてたまるもんですか。
「私の願いは、目下の所、ただ一つです」
ジーク殿下…
「あなたと、婚約破棄することです」
しっかりはっきり言ってやると、彼は数秒後、意外そうに目を丸くした。
エイトがめちゃくちゃ動揺しているのが視界の端で確認できる。顔がコロコロ変わってほんと面白い。
「へえ……それは面白いな」
「面白い?」
「ああ、君は僕との結婚を待ち望んでいるように見えたが」
確かにそうだった。記憶を思い出すまでは。
私を唯一愛してくれてる……と、思い込んでいたジーク殿下と結婚さえすれば、何もかもうまくいくと思っていたから。きっと王妃になりさえすれば、自然と皆私を愛してくれる。幸せになれるんだと信じていた。
でも、それが幻想だとわかった今、彼との結婚は障壁でしかない。
私が幸せになるための。
「君は王宮で最後に出会ってからまるで別人のようだ」
「え?」
「元々公爵邸を訪れたのは、君に言い過ぎたかと思って謝罪に来たんだ。王宮を飛び出してその足で処刑場に向かったんだろう? そこで倒れたと聞いたから、これはさすがにまずいことをしたかと思ってな。処刑場で君は何を見たんだ? なぜ、君は……そんなに行動の読めない人間になってしまった?」
「さあ……私にもわかりませんよ」
『お前のような醜い女の話なんて聞きたくもない! 出て行け!』
そんなことも言われたわね、そう言えば。お父様の再婚も仕打ちも辛くて悔しくて、泣きながら話をしていたら、ジーク殿下が急にキレたんだ。珍しく余裕のない感じだったけど。
「……まあいい。とにかくすまなかったね、フレア。あの日は少し気が立っていたんだ。君には悪いことをした」
「別にいいですよ」
「特別な日だったんだ」
そう言うと、ジーク殿下は一瞬私から視線を逸らした。
「それにしても君が僕との婚約破棄を望んでいるとはね」
「ええ」
「残念ながら、その願いは当分叶えられそうにない。こればかりはもう随分前に決まったことだからね」
「殿下がその気になれば、神子特権でなんとかなるんじゃないですか?」
「そう乱発するものじゃないだろう。僕の信用問題に関わる。そんなに嫌なら、何かとんでもない問題でも起こせば一発じゃないかな?」
「嫌です。間違って処刑されたらどうするんですか」
「処刑か。穏やかじゃないな」
ジーク殿下は面白そうに口の端を歪めた。
「とにかく……しばらくは我慢しますけど、なんとしても穏便に破棄されるよう頑張りますので、そのつもりで」
「ふっ、そうか。それは頑張りたまえ。僕は手を貸すつもりはないが」
「あなたの手なんて結構です。私は私の力で幸せになりますんで」
面白いな、と顔に書いてある。完全に人のことを面白生物か何かだと思っているようね。
すごく苛つくんですけど。
「……一つだけ聞いてもいいですか」
「構わない」
「アグニは……処刑しないんでしょ?」
エイトがまたぐわっと反応している。正直その反応だけで答えになっているような……
「さあ?」
ジーク殿下は小首を傾げて見せた。
ええい、完全に面白がってくれちゃって……
「どうかな?」
「……もういいです。あれが生きていようが死んでいようが、私には関係ないんで。どうせあんな約束を果たせる訳がありませんし。じゃ、失礼します。次いつ会うかわかりませんけど、どうぞお元気で」
「待て」
さっさと部屋を出ようとしたのに、引き留められた。
振り返ると、ジーク殿下は穏やかに微笑んでいた。
「敬語は不要だ」
「……急にどうして?」
「その方が面白そうだからな。今の君は」
「…………」
私はちらっとエイトを見た。あわあわと忙しなく表情を変えていた彼が、今は完全に固まって私を凝視している。
「あっそ。……じゃあね、ジーク」
――無礼ですよ! と怒られることはなかった。
ほんの少しだけ良い気分になって、私は部屋を出た。