117 追い詰められる
「ここが君の部屋になります」
「……ありがとうございます」
私は簡素ながら広くて心地よさそうな部屋を見渡した。
「ほんと、なんでこんなことに……」
「おや、何か不満が? 君が暮らしたことのないような部屋なんじゃないですか?」
「まあ、そうですけど……」
「何か必要なものがあればいつでも侍女に言いつけて下さい。では失礼します」
レオンが部屋を出てから私を深いため息とともに頭を抱えた。
本当にまさかこんなことになるなんて……。
せめてあの時、レオンが最初に私に取引を持ち掛けた時に「イエス」と答えていれば……。
「にゃあ」
「おはぎ……慰めてくれるのね。ありがとう」
可愛い子猫をぎゅっと抱き締める。ちょうど店を出た時に私の元に飛び込んでくれた勇敢なこの子がいなければもっと落ち込んでいたかもしれない。
遡ること数時間前……
「お断りします」
「そうか、それは残念です」
意外にあっさり諦めてくれたと思った。レオンは封筒を懐にしまった。デザートが運ばれてきて舌鼓を打っていると、途中で執事のような男が来てこそこそと彼に耳打ちした。
……何だろう、とても嫌な予感がする。
「ところでルーク、君が暮らす家まで送りたいんですが、どこで暮らしているんですか?」
「えっ……いやいや、送って貰うなんてそんな。自分で帰れますから」
「いやここで送らなければアクア家の名に傷がつく。君はクリスタを助けてくれた恩人ですから。どの地区に暮らしているのか早く答えてくださいませんか?」
「あ、いや……」
えっと……なんか怖いんだけど。
目も口元も全然笑ってないし。
「まああの、私実は人の家にちょっと居候させてもらってる身でして、それもボロボロの家に……」
「居候? なぜ?」
「まあそれは……金も職もないから……」
「金も職も? それは大変ですね。そんなに大変なのにどうしてさっきの申し出を断ったんですか? 男性恐怖症を治すといっても、何も君に専門的なことを求めているわけではありません。アクア家に来て貰ってただクリスタの話し相手をしたり一緒に過ごしたりするだけの話です。彼女には男性に慣れてもらわなければなりませんから」
「いえ、ですがその……やっぱり私には荷が重いというか……」
「そこまで拒否するとはまさか……我々に関わると何か困ることでも?」
……なんかじわじわと追い詰められてる。ケーキが喉を通らない。誤魔化すみたいにお茶を流し込んだけどどうも味がしない。
「いやいや……私は善良な一般市民ですから」
「善良な一般市民は声をかけられたくらいで逃げ出すでしょうか?」
思わずビクついてレオンを見ると、その口元にほんの僅かに笑みのようなものが浮かんでいた。
「……ど、どういう……」
「クリスタと出会った時、君はとても急いでいたと聞いていますが……もしかして誰かに追われていたのでは?」
「いや、何のことか……」
「実は会ってもらいたい人がいるんですよ。君のような金髪で色白で細身の二十代男性を捜しているんだとか。挙動不審だったので声をかけたら全力で逃げられ、屋根の上を駆け上がり、挟み撃ちにできたと思ったらその場で大の男を軽々と越える跳躍を見せたらしいんですよ」
「…………………………………………」
「おや、顔色が悪いですね」
「いえ、そんなことは……」
「まさかあなたが……?」
「ま、まさかまさかまさか!! 違います!!」
勢い余って机に膝をぶつけた。痛い。
「まあ一度会ってみてください。彼らが今必死でその人物の捜索を行っているらしいので」
あ、あいつら~。ほんと諦めが悪いんだから!
「会っていただくくらいできますよね? ではすぐにお呼びしま――」
「待って!!」
思わず叫んでいた。レオンは「おや」と首を傾げた。
「どうして?」
「いえ、その、あの…………」
どうしようどうしようどうしよう!! とにかくまずい、あいつら呼ばれるのはまずい。どうせ乱蔵もくっついてくるでしょうしそんなことになったら私だってバレて人生最大の黒歴史になる! じゃいっそ窓からダイブして逃走する? ううん、相手は氷結の特殊能力者。そう簡単に逃げられないし発火能力使ったらいろいろ面倒だしこいつねちっこいから逃げ出したりしたら絶対今後もっと面倒なことになる! なんとか、なんとかこの場を切り抜けなきゃと思うけどうまい言い訳が思いつかない。
「……恩人を追い詰めるようなマネはしたくありませんでしたが、あなたなんですよね?」
「…………………………」
「正直に話してください。なぜ逃げ出したんです? もしかして……最近起きている少女失踪事件に何か関係が?」
「え? 失踪?」
「家庭に問題を抱えた少女が家出してそのまま行方不明になるという事件が最近頻発しているそうです」
「ないないないない!! そんなことしてません!!」
あらぬ疑いまでかけられた。家出少女失踪? 確かに私は家出少女かもしれないけどそれはやむを得ない事由があったからであって知らない女の子を誘拐したり危ないことに唆したりそんなことは断じてしてない! 知らないし全く関係ない!! でもそうか、そんな事件があるから私もそれに関わって失踪したんじゃないかってシリウスたちは考えているわけね。
「なるほど。ではなぜ逃げたんですか?」
「そ、それは……………」
「言えないんですね。それは怪しいな。ではあなたの身柄はアクア家が引き取りましょう」
「はい?」
驚いて顔をあげると、レオンは淡々と言葉を続けた。
「それとも管轄としてはここは正統な手順を経て近衛騎士に引き取ってもらいましょうか?」
「いやっ、それは……!!」
「まずいんですか?」
「ええと……」
だって近衛騎士に引き取られたら結局ジークとか出てきて乱蔵とかにも会わせられるかもしれないし身分証も持ってないしとにかくそんなことされるのは困る!
「我がアクア家であれば私の監視の下であればある程度の自由は認めましょう。君の経歴についても言及はしません。君はどうやら失踪事件には関わっていないようですし、恐らく何らかの後ろめたいことがあって逃げ出したのでしょうが、その辺りのことは不問とします。君を捜していた人物にも君の存在は秘匿しましょう。かなり良い条件では?」
「ほ、本当に……?」
「本来であれば君は近衛騎士に引き渡し徹底的に調べ上げてもらうべきなのでしょう。ですが恐怖症を治す希望が見えた今となっては他のことは些事です。あんな奇跡を目の当たりにすれば絶対に逃がしたくはありません。君にはクリスタの治療のために全力を尽くしてもらいます」
うわあ……
本当にクリスタ大好きなのね……。ルールに煩いクソ真面目なレオンがこんなことをするなんて。ゼファとかなら疑問にも思わないけど。近衛騎士管轄の城下で勝手に怪しい人間を連れて行くなんてけっこうなルール違反だわ。
「で、どうしますか? 近衛騎士、それともアクア家?」
「ア、アクア家で……」
最早私に拒否権とかなかった。
――――――――
こうして私はアクア家に連行されることになった。家に寄っても良いと言われたけれどレインとの関係を探られたくなかったし特に荷物もなかったから断った。レインなら私が帰らない程度で騒ぎ立てないと思うし。
店を出る時のレオンの言葉が忘れられない。
「君が最初にお金を受け取って了承してくれたら、君を追い詰めるようなマネはしませんでしたよ。せっかく治療の協力を引き受けてくれた恩人の機嫌を損ねたくはありませんから。まあ、失踪事件に関わっていないかくらいは探りを入れたかもしれませんけどね」
「あ、そうですか……」
そしたらあのお金も手に入ったのね……。こんなことになるならさっさとオッケーしとけばよかった!! そしたらレインの地下室で暮らしながら情報収集しながらアクア家でのんびりお茶を飲む程度のことで済んだのに!!
「ほんとやれやれだわ。……こんなあっという間にここに帰ってくるなんて」
まあ屋敷は違うけど。もし万が一明日の朝フレアの姿になってたらどうしたら良いんだろう。そしたら誰にもバレないように脱走してルベルたちのところに行くか。まだ脱走するしかなかったと誰もが納得するようなそれっぽい理由は考えられないけど仕方ない。
ドアをノックする音がして思わずビクついた。返事をするとクリスタの声。開けると彼女はおずおずと私を見上げた。本当、いつものツンと冷たい感じが今は全然ないのがすごく不思議。
「レオンが無理を言ってしまってすみません。これから私の治療のために滞在してくださると聞きました」
「ええ、まあ……」
私とレオンの詳しい取引内容は口外しないという約束だ。それを知ったらクリスタもアクア家の人間も絶対反対するはずだもの。ほんとレオンは治療のためとは言え、よくもまあ私みたいな怪しい人間を屋敷に引き込めるわ。私におかしな真似はさせないって言う絶対の自信があるんでしょうけど。
「ありがとうございます。ご助力、感謝いたします」
「いえ……」
「本当に……驚いたんです。もう一生男性に触れることもできないと思っていましたから……」
まあ私中身女性なんだけどね。……もしかしてクリスタが私に触れられたのって中身が女性だからなんじゃ?
「これからよろしくお願いします」
お手本みたいな綺麗なお辞儀をした後、彼女は優雅に廊下を立ち去っていった。その後ろ姿を見ながら、ふと思う。
「…………いっそ嫌われちゃう?」
見た目は男性だし、そしたらクリスタはさすがに私にも触れられなくなるのでは? 触れられなくなったら私は用済みでさっさと屋敷の外に放り出されるのでは? うんうん、失礼な態度ばっかり取り続けてたらレオンの方が嫌になって私を追い出すかも。あの規則に厳しいアクア家が近衛騎士に黙って管轄外の城下で勝手に怪しい人間の身柄を引き取ったなんてルール違反はあまり知られたくないでしょうし、こうなった以上レオンは私を近衛騎士にも引き渡さないはず。
「ふふふ……よし、さっさと嫌われてあげようじゃないの」
レオンめ、私と関わったこと、後悔すると良いわ!!
思わず高笑いをあげそうになるのを我慢しながら、私は悪い笑みを浮かべた。




