112 頼る
その扉を押すと、中から漂ってきたのは思わず顔を背けたくなるような異臭だった。
「ウヒヒヒ! ど~なったさ~ん?」
そう言えばこの特徴的な笑い方を聞くのも久しぶりね……。
「ちょっと困ったことが起きたんだけど……助けてもらえない?」
「…………」
レインは私を見て固まった。
何があっても大抵のことには動じず面白がっていそうなレインがこの反応なんだから、やっぱり逃げ出してよかったと思う。
――――――――――
「あっはっはっは!! ヒイ~! お腹痛いんだけど! あ~面白~。どうなってんのその体。やっぱフレア様最っ高だよ~!! こんな面白い人他にいないから~」
「全然嬉しくないんだけど」
「一回解剖させてよ」
「お断りよ」
「て言うかこの傷どうしたの~? フレア様らしくないな~」
「まあちょっとね……」
私の体はあちこちに傷ができていた。切り傷とか打撲とか、全部大したことはないんだけど地味に痛い。レインが手当してくれたしすぐに治るとは思うけどね。
アクア家の領地から出るのは本当に一苦労だった。ゼファは私と茶を飲むためだけによくあんな罠をかいくぐってきたわよね……。あ、よく考えたらあの子翼があるから楽勝なのか。うん、私にも翼があればこんなに苦労しなかったと思う。
急に足場が崩れたり矢が飛んできたり釘が飛び出てきたり……ああ本当にありとあらゆる罠が張り巡らされてあった。うまく動けないのはこの体のせいもあったと思う。やっぱり怪力だし耐久力も俊敏性も女の体の時と変わらなかったけど、まだ慣れない。だって足の間に……ああやだ、もう考えないでおこう。
「ほんとふっしぎだよね~。なんで男になっちゃったの?」
「知らないわよ。私が聞きたいくらいだわ」
本当に、心の底から意味がわからない。
何度鏡を見ても私の顔は知らない男の顔のままだった。レインならば何かピンと来るかもしれないと思って頼ることにしたわけだけど、さすがのレインもこんな現象は見たことがないらしい。
「何か変なものでも食べたの? 飲んだの?」
「……わかんないわよ。そんなおかしなものは食べてないし飲んでない。パーティーに出されたものは他の皆も食べてるはずだし……」
あれ? じゃあもしかして私が知らないだけで皆今頃性別逆転してとんでもないことに?
「ふ~ん。今朝孤児院の子たちと会ったけどおかしなことになってる子はいなかったけどな~。み~んないつも通りだったよ」
その言葉に少しほっとした。私以外にもこんなことになっていたら大混乱どころじゃすまないもの。まあ子供たちは笑って楽しんでるかもしれないけど……。
「あ、そう言えばいつも通りじゃないのもいたなあ」
「え」
レインはにやっと意地悪な笑みを浮かべて私を見た。
「フレア様一体何したの~? フレア様のこと聞いたら顔真っ赤にしちゃうのが何人かいたんだけど」
……多分シリウスたちのことね。
「ちょっと思い出させないでくれる?」
「へ~そんなにやばいことしたんだ」
「うるさい」
睨み付けたら「わ~すっごいゾクゾクする~」とからかわれた。
「そもそも公爵家のパーティーでおかしなものが出されるかな~。それまでに何か変なもの食べたとかはない?」
「ないわよ」
「落ちてるもの食べたりしてない?」
「あんたと一緒にしないで」
「うひゃっ、ひっど~い」
「真剣に考えてよ。本当に困ってるんだから」
「私は真剣だよ~? んー、そうだな~。タソガレの魔術とか?」
「魔術……」
確かに魔術とか呪いの類いなら何でもありだし、私を男にしてしまうのもあり得そうだとは思うけど……
「変な人物には接触してないし妙な気配も感じなかったんだけど……」
「見過ごしてるだけかもよ? 魔術に関することは残念ながらお手上げかな~。ま、そもそも女が男になるとか意味わかんないけどね! 魔術だとしてもそうじゃなかったとしても」
「ほんとよ。一体誰が何の目的でこんな……」
考えても答えは出ない。絶対誰かしらが何か企んでこんなことになってると思うんだけど、思い当たる人物はいない。まさかあの変態兵器? いえ、でもあいつにこんな力は無いはずだし、そもそも私を男に変えるメリットなんてないでしょう。
「はあ……ほんと勘弁してよね……」
「でもおかしいよね。本当にこれってただ男になっただけ?」
「え?」
意味がわからないで首を傾げると、レインは私をじーっと見ながら私と同じ角度に首を傾げた。
「だ~ってさ~、ただ男になっちゃったってだけなら何で髪が短くなるの?」
……確かに。
「体を女から男に作り替えられただけなら髪が短くなるのはおかしいよね? 髪の長い男になるはずだよね?」
「それは……まあ……」
「あとさあ、フレア様って14歳だよね?」
「ええ」
「じゃあやっぱりおかしいよね? フレア様が14歳なら男になっても14歳じゃないとおかしいじゃん。でも今のフレア様は20代中頃から後半くらいの男性って感じだよ? それにそう、目も綺麗な青だね。両目とも。フレア様って片目が見えなかったはずだけど今はどう? それに見える方の目は紫って聞いてたんだけどそれも違うね。なんでだろう?」
確かに私は今久しぶりに両目とも元気だ。ちゃんと見えるってことはやっぱりすごく安心感があるし便利。だけどレインの言う通り、ただ男にさせられただけならこんな風にはならないはず。
「これじゃまるでさ……男に作り替えたんじゃなくて、全く別の誰かになってしまったみたいだけど?」
「別の……誰か?」
私はもう一度鏡を見た。
鏡に映る男もじっと私を見つめている。何度見たってぴんと来ない。こんな知り合いなんていないし……。
「誰かと体が入れ替わったってこと?」
「かなあ」
「でもおかしいわよ。私が目覚めた場所は確かに私の部屋だったし、それに……」
私はレインにそっと指輪の残骸を見せた。
「それは?」
「私がつけてた指輪。指の太さが変わっちゃったせいで痛いことになったから壊して取ったの」
「じゃあ入れ替わったってのはないか~。う~ん、わかんないなあ。お手上げ~」
「ねえレイン、この指輪直せないかしら?」
「ん~?」
「ジークからもらった物なの。こんな無残な状態にしたことがバレたら殺される。せめて元の姿に戻したいの」
どんなに直しても魔術までは直せないし、一度壊しちゃってることは多分隠せないでしょうけど、バラバラの状態よりは綺麗な状態の方がまだお怒りが少なくてすむかもしれない。
「なんで直すの?」
「だからそれは――」
「このままフレア様に戻れなかったらあの王子サマにはもう会えないんじゃない?」
レインは当然のことのように私に突きつけた。
「それともまた会いたいの? だから指輪を直したいの?」
「それは……」
「フレア様って婚約破棄したいんだよね? だったらいっそさ~、このまま消えちゃったらいいんじゃない? 今のフレア様をフレア様って思う人はいないんだしさ、新しい人生スタートさせちゃいなよ。新しい場所で自由な人生! 最高じゃん。あ、ステラたちも一緒がいいんだっけ? だったらこっそり話通してさ、皆でこの街を離れちゃえば?」
…………
レインの言う通り、私は婚約破棄したいと思ってる。いつかこの街を出てステラや大切な人たちを連れて自由気ままな生活を送りたい。それは変わらない。権力とか政治とかそういうものに関わるのはもうごめん。この1年だってほとんど屋敷に閉じ込められて自由なんてまるでなくて、だからいっそジークにバレない今のうちにこの町を出てしまえば……
「…………………………………………」
「悪いお兄さんたちから新しい身分証でもゲットしてあげようか?」
「……………………………………だめ」
「なんで?」
「可愛くないもの。この姿」
レインはぽけんと目を丸くした。
「可愛くないの。この顔も体も。逃げ出すにしても私は元の姿に戻ってからにするわ。今この街を離れたら二度と元に戻らないかもしれない。私がこうなった原因がここにある限り逃げはないわよ」
そう、私は可愛い。
可愛い格好が大好きだしドレスの似合わない体なんてごめんなの。
だから断じて…………ジークにもう一度会いたいとかそういうんじゃない。うん、ないない。それはない。
「それにステラたちにもこの顔は見られたくないし」
「なんで?」
「可愛くないからに決まってるでしょ!! こんな姿誰にも見られたくない。だから何としてもバレない内に元に戻らなきゃならないの! で、まあ屋敷を抜け出したことに関しても適当に何かしらどうしようもない理由を考えるしかないわ。あんたも良い案考えてよ」
「ふ~ん、可愛くないからか~。その感覚は私にはわからないな~。て言うか私には見られても良いんだね?」
「あんた変わってるからね」
「それが理由? フレア様も相当変わってるよ」
「あんたに言われたくないわ」
私は改めて自分の姿を見下ろした。ボロボロのマントに黒いワンピース。いつまでもこんな格好でいるのも心許ないわね。
「ねえ、何か服ちょうだい。男物の服で構わないから」
「くくくっ、今のフレア様は男物の服じゃないとちょっと違和感だよ~?」
「うるさいわね!」
レインが適当にぽんぽん放り投げてきた服はどれも汚れていた。絶対ちゃんと洗ってない。なんか臭うし……。この部屋だいぶ前に来た時よりもっと酷くなってる気がする。この異臭もちょっとどうにかした方がいいと思う。なんなの? これ。なんかの実験でもしてるの? 地下にあってただでさえ日当たり最悪なのに掃除もろくにされていないし部屋のあちこちがカビっててねちょってしてるところもあるし……。
「あんたねえ、ちょっとはまともに生活しようって気はないの?」
「私はただやりたいことをやってるだけださから~。あ、これお茶~。フレア様ってお茶好きなんだよね?」
「…………」
浮いているのは茶葉じゃなくて埃よね……どう見ても。
「いいわ。助けて貰うお礼にこの部屋を綺麗にしてあげるから。掃除道具は?」
「さあ。その辺?」
レインが指さしたところにあったのはガラクタの山だった。
「……あんたってば本当……」
「あはは! も~別にそんなことしなくて良いよ~。十分面白い思いさせてもらったし。私にとってはお金より価値のある出来事だったよ。ブフフ……」
「もう良いわ。勝手に綺麗に――」
「にゃあ」
山からぴょこんと飛び出してきたのは小さな黒猫だった。胸元に飛び込んできたので思わず受け止める。か、可愛い……!! 柔らかいし手触りも最高だし何よりちっちゃくて超可愛い!!! しかもこんなにスリスリするなんて何て人懐こい子なの!?
興奮で手が震えていたけど何とか堪えながら声を絞り出した。
「こ、こ、この子は?」
「最近うちに住み着いててね~」
「名前は?」
「ねこ」
「冗談でしょ?」
「名前を付ける趣味なんてないからさ~。つけるならフレア様がつけなよ」
「にゃあ」
可愛い。可愛すぎる。こんな可愛い子猫に名前をつけないなんてレインは鬼なの? 人の心を持ってないの?
考えているとぐうとお腹が鳴った。みるみる顔が熱くなる。
「ありゃ、お腹減ったの? フレア様」
「こ、この子もお腹減ってるんじゃないの? ちゃんと食事あげてる?」
「適当に食べてるでしょ。そもそも勝手に入り込んできたんだからわざわざ食事あげる義理なんてないし」
「レインの鬼!」
「え?」
「ご飯はどこ?」
「その辺」
レインが指さしたところには幾つもの紙袋が無造作に転がっていた。中には黒パンが詰め込まれているけどいくつかは床に落ちている。他に食材らしきものはない。
「あんたってこの超硬いパンしか食べないの? 何で? 黒パンしか食べられない呪いにでもかかってるわけ?」
「いちいち何食べるか考えるのって面倒じゃない?」
「だからってこればっかりはおかしいでしょ! そんなに好きなの!?」
「別に~」
「野菜は? 肉は? 黒パンだってスープに浸して食べるとかいろいろ――」
「やだよそんなの面倒臭い」
「あんた本当に医者なの!?」
「キヒヒ、一応医者ですよ~ん」
よくこんな食事で体調崩さないわよね。
でも年がら年中顔色悪いし、食生活がこんなんじゃ私の知らないところで体調崩しまくってるんじゃないかしら。この場所は人の住む場所とも思えない酷さだし。やっぱりこのままこの住環境の酷さを見逃すのは無理だわ。これからしばらくここで厄介になる可能性を考えると自分のためにもまずはここを整えないと。
「私が人間らしい生活を教えてあげるからちょっと待ってなさい」
そう宣言するとレインは目を丸くした。
「……へえ。それは楽しみだなあ」
口元を歪めて、レインは愉快そうに微笑んだ。




