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110 【ジーク】 キレる



 遅れてイグニス邸に到着すると何か妙な雰囲気になっていた。僕を見た途端あいつら顔を見合わせて何とも言えない顔になっている。イグニス公爵まで気まずそうに僕から顔を逸らした。誰も俺と目を合わせようとしない。



(あのフレアを見たらどうなるか……)

(やっぱり二人で出て行ってしまった時に何が何でも止めていれば……)

(まさか酒であそこまで人が変わるとは……)

(このタイミングはまずい……)

(シリウス、生きて帰れ……)

(フレア様可愛かったな……)



 なんだこのダダ漏れの心の声は。心の声が共鳴してうるさいくらいなんだが。しかも何だ? フレアが可愛い? 今更何を言っているんだこいつらは?


「……どうしたのかな? フレアは今どこに?」

「フレアはその……」

「フレア様ならシリウスと一緒にどこかに行ってしまいましたよ。仲よさそうに手を繋いで、二人きりで」


 孤児院の子供からとんでもないことを告げられた。


「二人きりで……? 手を繋いで……?」

「殿下、恐らく何か理由が……」


 エイトが何か言っているが耳に入らない。カタカタと皿やコップが震えて音を立てているのに気づいて静かに力を抑えた。……こんなにも力を制御できないのはいつ振りだ?

 シリウスか……。僕は二人の場所を探し当てると、踵を返してその場所に向かった。





――――――――


 そして今に至るわけだが……

 辿り着いた途端シリウスの服をフレアが脱がそうとしているというとんでもない現場を見てしまった。一度大きく深呼吸をしたがダダ漏れの殺気はどうしようもなかった。誤ってシリウスを吹き飛ばさないようにだけ必死で力を抑えた。あれは良い能力を持った便利な手駒だ。ここで殺してしまうには惜しいからな。



 だがそれにしても……この怒りはどうしたら良いものか。



「僕の婚約者はいつからこんな節操のない破廉恥な女になっていたのかな? こんなところで何をしている?」

「べー。ジークには内緒」


(シリウスに猫になってもらおうと思ってたのに! ジークのばか!)


 は?


「猫……?」

「そう! 猫。私猫がすごく……何でわかったの?」


 こてんと首を傾げたフレアは恐ろしいほどに思考がダダ漏れだ。普段の彼女らしくない。まるで10歳の頃に、いやそれ以上に幼い頃に戻ったかのようだ。なるほど、精神年齢が下がったから思考がダダ漏れなのか? しかしなぜこんなにもばかになっているんだ? 酒程度でここまでに成り下がるとはどういう体質をしているんだ?



(ジークが考え込んでる。こわ~い)



 あ?

 何シリウスの腕にしがみついてるんだ? 君はそんなか弱い乙女じゃないだろうが。どんな相手だろうと自分の手で叩きのめして黙らせるくらいのことができるはずだし僕が手放したくない女であればその程度のことをしてみせろ。






『あははっ、笑って笑って』






 ……チッ。この酔っ払いめ。どこぞのクソ酔っ払いの幻聴まで聞こえてくる。嫌なことを思い出させるな。


 今の彼女に何を話しても何の意味も成さないのは明白だ。



「とにかく帰るぞフレア。もう十分遊んだだろう」

「え? もう?」


 眉を下げて目を潤ませて、いやいやと首を横に振っている。……ガキか。これ以上僕を苛つかせるな。


「酒を飲むと君は本当に使い物にならないらしいな。もう二度と君に酒は飲ませない」

「やだ。お酒すごく美味しいんだもん」

「その喋り方やめろ。気持ち悪い」

「ジーク全然優しくない!」

「とにかくそいつの腕を放せ」


 よほど僕の顔が怖かったのか、シリウスは僕を見てゆっくりと離れていった。フレアも無理に引き留めることはせず、僕が腕を掴むと大人しく従った。


「むう……猫ちゃんになってもらう予定だったのに」

「何なんだそれは。猫が飼いたいのなら僕が買ってきてやるからそれで我慢しろ」

「飼いたいというかもふもふしたい」

「なんだそのもふもふというのは」

「もう帰らなきゃいけないの?」


 フレアが立ち止まった。その目が“まだ遊びたい”と訴えている。……およそ1年振りの再会が嬉しかったことはわかっている。行けるとわかった途端にあんなに目を輝かせるほどに。


 もっと自由が必要なのだろう。当然だ、今まであれだけ自由に暮らしていたのに急に閉じ込められればストレスも溜まる。だが今はまだ行方を眩ませた兵器のこともあるし、何より何か些細な問題が一つでも起きれば、彼女は聖騎士の職務に専念するべきだと君を婚約者の地位から引きずり出そうとする思惑も蠢いたままだ。


 以前のような自由な生活はまださせられない。


「君は今の生活が不満なんだろう。ストレスが溜まっているのはわかっている。だが今は――」

「ふふっ」

「……何がおかしい」


 今まで見たことのないような腑抜けた顔で僕を見上げていた。


「ジークピリピリしてて怖い。もうちょっと笑ったら?」

「僕は笑ってる」

「お仕事大変だったの? お疲れ様。ジークもゆっくりしていこう?」

「ゆっくりするなら自分の部屋でゆっくりする。こんな場で君が他の男と仲睦まじくしているところを見ながら美味い酒が飲めると思うか」

「あははっ、変なの。ジーク私のこと好きなの?」


 信じられない心地でフレアを見た。僕がフレアを好き……? そんな訳がない。君が僕を好きになることはあっても僕が君を好きになることはない。ただ手放しがたい面白い玩具であって君の全てを僕のものにしたいくらいには思っているがこんな歪みきった感情は恋愛感情と呼べるものではない。

 そう言えば前にも何度かそういう類いのことを言われたな。あの時も信じられない心地になったがこの頭の弱すぎるフレアに言われると更に意味がわからなくなる。少なくとも今の君は好きじゃない。



「馬鹿も休み休み言え」

「そうよね、ジークの意地悪! 私だってジークのことなんか好きじゃないから」


 今の君に好きと言われても嬉しくはないが好きじゃないと言われるともっと苛つく。


「ああそうか。思うことは自由だ。寛大な僕に感謝するんだな」

「べー」

「その幼稚な返しは二度とするな」

「私結婚するならルカみたいな人がいい!」




 ………は?




「思うことは自由なんでしょ? ルカみたいな優しくて優しくて優しい人が好きだもん」

「フ、フレア! 口を慎みなさい!」


 フレアの爆弾発言が放たれたのはちょうど彼らがいる大広間に入ったところでのことだった。イグニス公爵が顔を真っ赤にして怒鳴ったことでフレアがビクつくが今回は本当に君が悪いからな。

 更にムカつくことにはイグニス公子の顔が絵の具で塗ったような赤に染まっていったことだ。酔っ払った妹の戯言を真に受けてそうなるということは……“そういう目”で見ているということだろう。まだ成人にも満たない子供だが苛つくことこの上ない。王太子の婚約者に懸想した罰で死刑に処すかとまで考えてそうなればフレアを手放すことになると渋々諦めた。



「で、殿下。フレアは今かなり酔っておりまして……」

「そうだな、彼らはせいぜい兄妹にしか過ぎない」


 兄妹という単語に公子は僅かに反応した。


「兄妹以上の関係になることはあり得ない。当然だろう。フレアは兄のことを心から慕っているらしいな。長らく兄弟などいなかったから甘い幻想でも抱いているのだろう」


 微笑みを忘れずにイグニス公子の目の前まで歩き、その肩をトントンと叩いた。


「イグニス公子、君ならば大丈夫だと信じている」

「ええ……」

「フレアは僕の婚約者だ。……そのことをゆめゆめ忘れるなよ」






――――――



 フレアの侍女は明日休みを貰っていると聞いていたからイグニス邸に置いて行った。

 ヴェントゥス公爵は王宮に待たせてある。馬車に乗せた途端フレアは力尽きたように爆睡を始めた。


「……当分パーティーは禁止だな」

「久しぶりのことでしたから……親しい者しかおりませんでしたし」

「だからといって許容できる範囲を超えている。大体男どもの顔を見たか。あんな顔をさせるためにフレアに出席を許可した訳ではない」

「ははは……珍しいことでしたね。しかしいつもと違ったフレア様が見られたのは殿下にとっても喜ばしいことだったのでは?」


 僕は首を傾げた。喜ばしい? 何が?


「僕が気に入っているのは何もかもむりやり解決してみせる人間離れしたあの強さと根性だ。僕に堂々と生意気な態度を取るところも気に入っている。それが今日のこれはなんだ? ただにこにこ笑って媚を売るだけの頭の軽い女に興味はない。そんなものは普通の令嬢に任せておけばよいのだ」

「殿下……最後ちょっと言い過ぎです」

「まるで娼婦のようにべたべたして気分が悪い。シリウスに至っては極刑に処してもよかったくらいだ。あの力がなければ」


 挙げ句の果てにイグニス公子のような男と結婚したいだと?


「ふざけるな。彼女の婚約者は僕だ」

「殿下……」

 

 フレアが「んん」と小さく呻いて僕の肩にもたれかかった。


「…………」


 すうすうと暢気な顔で寝ているのもまたムカつくが……まあいい。明日起きたら朝一番に顔を見に行ってやろう。今日のことを覚えているか忘れているか知らないが、どちらにせよ良いネタになる。散々弄ってやるから覚悟しておけよ。




「そんな顔でいられるのも今のうちだからな」




 その瞼にそっとキスを落とした。

 明日になればまた彼女に会える。僕はそう信じて疑わなかった。なのに……







 まさかその翌日、フレアが失踪することになるなんて。


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