109 【シリウス】 固まる
皆仲良いな……
わいわいして……ダンスとか踊ってさ……
もしかして俺のこと忘れてるんじゃ?
一緒に謝りに行こうって言ってくれてたカノンもいつの間にかあいつと踊ってるし。……ダンスか。孤児院に派遣されてきた教師に教えて貰ったことがあるから一応できなくはないけどこんな場では踊ったことがない。いや、て言うか無理だな、だってあいつと手を繋ぐとかあんな近くで話すとか……考えただけで無理だ。死ぬ。
これがきっと恋と呼ばれるものだろうと気づいたのはいつだったっけ。俺の特別は全部あいつだけだった。だって他の女の子にはいくらでも何でも言えるのに、あいつの前になるといつもうまく喋れない。顔とかドレスとか性格とか、褒めたいと思うことはたくさんあるはずなのに。あのドレスだって本当はいつもと全然雰囲気が違って可愛いと思った。似合ってると思った。なのに出てくるのはあいつを怒らせるような言葉ばかり。初対面の相手にだってすらすら褒め言葉が浮かぶのにあいつにはまるで無理だった。
「はあ……」
わかってる。この恋が実ることは絶対あり得ないって。身分は違うしあいつは俺のこと嫌いだろうし、俺よりすごい奴が周りにいっぱいいるし。
王太子殿下なんて化け物だった。アジトみたいなとこに行った時なんてめちゃくちゃ怖かった。何あの力。念力? て言うのかよくわからないけど、あんなの反則じゃん。あいつのことめちゃくちゃ好きみたいだし、まあ婚約者だし当然なんだけどさ……。
しかもまさかカノンやルベルまであいつのこと好きだったなんて。絶対無理じゃんそんなの。俺に勝ち目ないだろ。
「弱虫」
「メラク……なんだよ、お前だって」
「俺は別にあのお嬢さんのこと何とも思ってない。お前と一緒にするな」
「な、なんだよ! じゃあ放っとけよ!」
「お前が惨めで弱虫で哀れだから放っておけなくてな? もう誰も構ってくれなくて可哀想に」
こいつほんと昔から嫌い。
なんだよ、俺が脱走したこといつまでも根に持って嫌味ばっかり言ってきてさ。でも結果的にそれであいつに出会えて俺たちは地獄から抜け出せたんだろ。そうだ、あいつに出会えたから……姉は今も生きているし、俺は生まれて初めて人並みの生活を知ることができた。
だとしたらこの想いはもしかして、たくさんもらった恩に対するものなんだろうか。
「いや……違う」
絶対違う。だって恩人にドキドキするなんておかしいし、それを言うなら姉のことを好きになってなきゃおかしいけど俺は姉のことを姉としか思っていない。ものすっごく大切だけど……姉と恋人っぽいことしたいなんて思ったことがない。
一番最初に何かおかしいと思ったのは、多分意外に歌が下手だってわかった時だ。素直に可愛いって思った。それから次が、俺の命も尊い命だって言ってくれた時。泣きそうなくらい嬉しかった。
ただ傍にいるだけでめちゃくちゃ緊張するようになって、知れば知るほど好きになっていった。「嫌いだ」なんて言ったのをどれだけ後悔したかしれないし、謝りはしたけれどやっぱり視線を合わせられなくて、もっとちゃんと謝れたらって何度も思った。
「はあ……」
情けない。思わずため息が零れた。
ふと顔を上げると、姉が俺のところにツカツカと歩いてきた。
「どうかした? あ――」
「シリウスちゃん、今こそぐっと距離を縮めるチャンスよ」
「へ?」
ガッと肩を掴まれむりやり立たされる。
「な、何?」
「今のフレア様はチャンスだわ。シリウスちゃん、ここが頑張り時よ」
「は?」
「カノンさんやルベルさんに後れをとってはだめだわ。たとえ明日には記憶をなくしていようとも、今のフレア様とできるだけイチャイチャしてイチャイチャしたという既成事実を作りましょう! さあ、殿下がいないうちに!」
「ちょ、ちょっと待って。何を言って――」
「さっ、こっちへ!」
姉に引っ張られながら視線を彷徨わせているとメラクと目が合った。あの野郎、“ざまあみろ”って顔で笑ってやがった。ほんと明日覚えてろよ許さねえから。
「フレア様、シリウスちゃんとも踊ってくださいませ!」
「えっ」
案の定あいつの目の前まで連れて行かれたと思ったらとんでもないことを姉が言い出した。
「お、おおおお俺は無理だ! ダンスなんてそんな……そんな……」
「シリウスちゃんはダンスだって踊れます! 先程のお二人より上手なくらいですよ」
「さらっと嘘を吐かないでくれ!」
姉が暴走してる。ダンスはとにかく無理だって!!! そんなことよりさっきのこと謝らなきゃ……ああでも何て言えば……
「シリウスのばか」
……え?
「私だってシリウスとは踊りたくないもん」
ぷいとそっぽを向いてしまった。別に俺はあんただから嫌だとかそういうんじゃなくて本当はそりゃ踊ってみたいとも思うけどどうしても緊張するから無理ってだけで……何か勘違いしてないか!?
つーか“もん”って……。同年代の他の女ならちょっと引いてるのになんでこいつだと可愛いとか思ってしまうんだ!? クソっ、冷静に考えろ俺!! とにかく今のこいつは普通じゃないんだ! 最早別人だ!! 普通じゃない時に謝るのも普通じゃない時に普段しないことしようとするのもなんかちょっと卑怯じゃないか!? 姉が何考えているかわからないけど俺は離れたところでじっとしていよう。お酒怖い。
「じゃ、俺はもう――」
「フレア様、シリウスちゃんが先程の無礼のお詫びにフレア様のお願いを何でも聞いてくださるそうです」
「は!?」
「え……本当?」
じっと上目遣いをされて思わず後ずさった。姉が言い出したこともびっくりだけどそれに食いついたこいつにもびっくりだ。姉を見るとこっそり親指を立てている。いやいやいや! なんてことしてくれるんだよ!! 俺そんなこと一言も言ってないよな!?
「本当に何でもお願い聞いてくれる?」
う……。
いつもだったら冷たく睨まれるのに何だよこの顔。こんな可愛い顔されて尋ねられて俺は一体どうしたらいいんだよ!?
「はい、何でも聞いてくれますよ」
おい姉!!! 勝手に答えないでくれ!!
「じゃあちょっと外に出ましょう」
「!?」
腕を掴まれて軽やかに扉の方へ連れて行かれる。姉もこれには驚いた顔をしたが、すぐにまたぐっと親指を立てた。ちょっ……そんなことしてないで助けてくれ!!
「いや、あの、その、俺は……」
口がうまく回らない。しどろもどろで情けない。ぎゅっと掴まれた手の感触がこそばゆい。どうしようどうしようお願いって一体何なんだ? わかんない怖い怖い怖い。とんでもないお願いだったらどうしよう。全然思いつかないけど!
扉を出てしばらく歩いてから、中庭っぽいところに出た。噴水があって水がきらきら月明かりに輝いていて、花壇も綺麗に整備された静かな場所だ。……うん、金持ちっぽい。こいつがここのお嬢様なんだって思うと改めてすごいよな。いくらこいつが本当はめちゃくちゃ優しい性格してるからって、孤児の俺たちのためにあそこまでしてくれるなんて何度考えても不思議だ。姉の手術のために自分の大切なものまで売り飛ばしてさ。俺たちにそこまでする義理なんてないのに。
姉の手術を待っている間、めちゃくちゃ怖かった。死んじゃったらどうしようって最悪のことばかり考えて震えていた。そんなとき、あいつは……
『怖い? …………そうね、怖いわね』
『お前にっ、何が……!!!』
『わかるわよ。……まあ、少しはね』
どうせ嘘だって思ったし今まで気にもとめなかったけど、もしかしてこいつにもいたんだろうか。俺にとっての姉のような、大切で、でも体の弱い人が……。ふとそんな考えが頭を過った。だって病人の看病にめちゃくちゃ手慣れてて、孤児院で子供が体調を崩したら大したことなくてもめちゃくちゃ心配してて、自分は全然風邪とか引かないのに他の人間へのそういう配慮はちょっと異常なくらいだった。俺はこいつの過去なんてろくに何も知らないけれど、よく考えてみたらその行動の裏には誰かがいたとしか思えない。
誰か……大切な誰かが。
もしかしたらその誰かを救うような気持ちで、姉を救ってくれたんだろうか。
「シリウス」
名前を呼ばれて体が固まった。
月明かりに照らされたあいつはやっぱりめちゃくちゃ可愛かった。俺何考えてたんだっけって、さっきまで考えていたことも霧散してしまう。
「私、ずっとシリウスにお願いしたいことがあったの」
ずいっと近寄られる。近い近い近い!!! て言うか……ずっと? ずっとってどういう……
「あのね、シリウス……」
「…………~~~ッ、な、なに……」
「猫になって欲しいの」
…………………………………………はい?
「あ、あのね、私猫がすっごく好きなの。でも全然猫ちゃんと遊べる時間もないしここ1年はろくに外にも出られなかったから猫を見ることさえできなくて。もう耐えられないの。早く猫をもふもふしたい……!! シリウス、猫ちゃんにもなれるんだよね? 人助けだと思って、今この時間だけでももふもふさせてくれない!?」
急に肩の力が抜けた。
「ま、まあ全然それくらいなら……」
「ほんと!? ありがとう!!」
ぱあああっと輝く笑顔が眩しい。すげえ可愛い。
そう言えば猫派とか言ってたような気がする。そんなに好きだとは思わなかったけど。まあ別にちょっと猫になるくらい………………ん? いや、どうなんだ? 俺が猫になってもふもふ……つまりこいつに抱っこされたり撫でられたり膝の上に載せられたり………………
「~~~~……ッ!!」
だめだ。
想像するな。だめだ。それはいろいろ良くない気がする。
大体こんなところで猫になるのもだめだろ!? 誰かに見られたらまずいし猫から人間に変わったら裸になっちゃうし……絶対だめだって!!
「だ、だめだ。やっぱり後日にしよう。今はだめ――」
「次会えるのいつかわからないのに……?」
悲しそうに目を潤ませているのは演技だと信じたい。
「またしばらく会えないかもしれないのに……?」
そんな顔で見ないでくれ……!!!
それはわかってるけどでもだめなんだって!!
「私、久しぶりにシリウスに会えてすごく嬉しかったのよ」
ずきっと胸が痛んだ。
あいつを見ると悲しそうに微笑んでいた。
「だめなら良いわ。会えただけで嬉しかったから」
「…………」
俺だってずっと会いたかった。
ずっとずっと……1年近く会えなかったけどずっとこの思いは変わらなかった。好きで恋しくて顔が見たくて、早く会いたいってずっと思ってた。本当はあいつがいなかった間のこととか話したいことがたくさんあるはずなのに、いざ喋ろうとしたらうまく口が回らない。
このまま明日になったらまたしばらく会えないんだろうな。
「………じゃあ、ちょっとだけ」
「ほんと!?」
泣きそうだった顔がまたふわあああっと笑顔になる。
まさか演技……いや、考えるのはやめよう。
「服を脱ぐの?」
「元に戻った時すぐ着なきゃいけないから。だから向こう向い――」
「私が手伝ってあげる!」
「!?」
あいつが俺のボタンを外そうと指をかけた。……それを見た途端頭がボンッと爆発しそうになる。咄嗟にあいつの手を掴んでそれを止めた。
「? どうしたの? シリウ――」
「何をしている?」
……心臓が飛び出るかと思った。
体がガチンと固まって、声のした方に振り向く事も出来ない。
「何をしている、と聞いているんだが?」
やばい。俺……殺されたりしないよな?
ギギギ……とむりやり体を動かすと……
ものすごく怖い笑顔の王太子殿下が立っていた。




