108 【ルカ】 思考が飛ぶ
フレアが、おかしい。
誤ってお酒を飲んでしまったらしいけれど、いつものフレアと違いすぎて理解が追いつかない。確かに母上に甘える時なんかはあんな感じになっていたのを見たことがあるけれど、あれともまた違う。フレアが甘えるのは何か裏がある時だから。でも今日の彼女は本当に無邪気で距離感近くて甘えん坊で……別人じゃないかなって思えるくらい変わってしまった。いや、だから嫌だとかそういうわけでは全然なくて……ただ、今のフレアとあんまり喋っているとどうしても平静でいられる自信がない。
フレアがルベルと踊って、ステラはカノンと踊って、母上は父上と踊っている。
『お父様!!』
父上にあんな笑顔を向けたフレアを見たのは初めてだった。
父上もかなり動揺していたな。母上は喜んでいたけれど、僕は喜ばしいのと同時に胸が痛んだ。……きっとフレアはずっとあんな風に父親に甘えたかったんじゃないだろうか。母親が欲しかったんじゃないだろうか。なのに現実は……。
父上のことは感謝している。公爵としても尊敬しているし、本当にすごい人だと思っている。父上のようにイグニス家を、この国を守っていくことが僕の目標であることに変わりはない。
でも……
なぜルチアを愛するようにフレアを愛してくれないのだろう。なぜあんなにも毛嫌いするのだろう。その点において僕は父上を許せない。フレアに愛情を注ぐことをせず、躾と言って放電能力を使うなんて信じられない。きっとフレアは寂しかったんだ。だから周りに当たり散らすことしかできなかった。10歳までの彼女はきっと誰よりも孤独だった。
フレアは本当にイグニス家と縁を切るつもりなのだろうか。
もしそうなったら……
「そうなっても、僕に止める権利なんてない」
思わず唇を噛んでいた。
眠たそうなルチアを侍女に任せて、僕はアランのところへ向かった。
「フレアが飲んだって言うお酒は?」
「……酒じゃねえ」
「え?」
ピッチャーの中にはスライスされた干からびたレモンが何枚か残ってはいるけれど、お茶は一滴残らず飲み干されている。
「こりゃ酒じゃねえよ。ただの茶だ。ほら」
「…………確かに」
アルコール特有の匂いが全くしない。
あれだけ酔っ払っているんだしけっこう強いお酒なんじゃないかと思ったけど……
「これ以外のものを飲んだってことはないかな」
「かもしれないですねえ。でもずっとそのピッチャーからコップに注いで飲んでたように思いましたけど。まあ私もずっとフレア様の飲み物を見てた訳じゃ無いんでわかりません」
アンネはぐびぐびとお酒を飲みながら幸せそうに頬を緩めていた。
「君たちはダンスしないの?」
「私はやりましょうって言ってるんですけどねえ」
「誰がやるか! 大体ダンスなんて踊ったことねえよ!!」
この二人は本当に酒が強いんだな。僕はあまり強い方ではないから二人につられて飲まないようにしよう。
「フレア様って昔からお酒飲むとあんな可愛くなっちゃうんですか?」
「……知らねえよ。前世では酒なんて飲んでるところ見たことがねえ」
「へ-」
「そういや酒は昔何度かやらかしたから飲まねえって言ってたな。飲み始めたら止まらねえとも」
「じゃあやっぱりこれ以外にもいろいろ飲んでたんじゃないですかね? イグニス家のお酒は何もかも美味しくて幸せです~」
フレアの前世、か。
僕の知らないもう一つの彼女の人生。それを知っているのは正直羨ましいなと思う。好きな人に、生まれ変わってもまた会えるなんてどんな奇跡だろうか。シノノメ帝国が運命を尊ぶ気持ちも少しわかるような気がする。
「まあ、考えすぎだね。何か危険な飲み物なんじゃないかと思ったよ」
「そんなもんが紛れ込んでるわけねえだろ。ガキどもが仕組まねえ限り」
「あの~、ルカ様ってフレア様のことどう思ってるんですか?」
アンネが目をキラキラさせながら詰め寄ってきた。
最初は遠慮がちだったのにいつの間にかぐいぐい来るようになった気がする。しかも今日はお酒も入っているからいつも以上に勢いがすごい。
「どうって……大切な妹、かな」
「でもでも血は繋がってないんですよね?」
「まあ、そうだね」
「ちょっとその~、イケナイ気持ちになっちゃったりはしないんですか?」
「いけ……え!?」
「おいクソ女給、ガキもいるのに何言ってんだてめえ」
「えっ、だってだって、乱蔵さんだって気にならないんですか? 乱蔵さんも――むぐっ」
「これでも食っとけ鬱陶しい」
アランがアンネの口にカップケーキを突っ込んだ。
「アラン、女性にそんな乱暴な真似は――」
「ももふぐむふほ、ふぉれふぉいひいれすね!」
「な、なんて?」
アンネは幸せそうにカップケーキをもぐもぐしている。多分美味しいと言いたいのだと思う。
――――――
しばらくしてフレアがダンスを終えてこちらに向かってきた。カノンとも踊ったせいかそれともお酒のせいなのか、顔が赤い。
「喉が渇いちゃった! お茶はどこかしら?」
「フレア様、私のお勧めはこれです!」
「杏は結局乱蔵と踊らなかったの?」
「そうなんです!酷いんですよ~乱蔵さん!」
アンネがフレアにお酒のグラスを渡す。
「あ、そろそろもうお酒は……」
「んっ、美味しい! このお酒すっごく美味しいわねえ」
フレアがとろんと目を潤ませた。思わず顔を逸らした。あまりに可愛すぎて直視できない。
「ねえルカ。どうしたの? ルカもこれ飲む?」
「いや……僕はいいかな」
「そう。調子でも悪いの? なんで目を逸らすの?」
「あ、いや、ごめん。気を悪くしたなら……」
顔を向けたらめちゃくちゃ至近距離にフレアの顔があった。フレア、近い。さすがにちょっと近すぎる。上目遣いで見上げないでくれ。
「その、フレア、ええっと……」
「ルカの目は綺麗なオレンジね」
「え?」
「ふふっ」
フレアは急に背伸びしたかと思うと僕の耳元に顔を近づけた。
「今日のドレスね、色は私が選んだのよ」
それだけ囁いて、そっと僕から顔を離した。……それでもまだ近いことに変わりは無いけど。
……今日のフレアのドレスの色は明るいオレンジ。
フレアには珍しい色だと思った。だけどまさか……それはつまり……
にっこにこのフレアを見るに、今囁いた言葉は本当だ。つまりそれは……本当にそういうことだって思っていいんだよね? このドレスは僕のために選んでくれたんだって。
「可愛い?」
「……か、可愛い」
ドレスの話かフレアの話かわからないけどどっちにしても可愛い。フレアはふわあっと嬉しそうに微笑んだ。こうして微笑むとちょっとルチアにも似ているように思った。
心臓を何とか落ち着かせていると、フレアの様子がどこかおかしいことに気づいた。何て言うか……もじもじしている。
「どうかした? フレア」
「ううん、ええっと、その……」
また上目遣いで僕を見上げる。
「ありがとう。……お、お兄様」
……………………
やばい。一瞬思考が飛んでいた。
お、お兄、様? フレアに……お兄様? こんな恥ずかしそうに頬を染めてお兄様なんて呼ばれたことがあっただろうか、いやない。
「えへへ……ブローチ、大事にしてね。お兄様」
「う、うん……」
フレアは僕にだけ聞こえるようにひそひそと声を潜めた。
「あるお花をモチーフにしてるの。気づいた?」
気づかなかった。
素敵なブローチだなと思ったしフレアからの贈り物なら何を貰っても嬉しい。ただ、花と言われるとものすごく気になった。この国では花を贈る時の花言葉をとても重視する。だからあまり良くない花言葉はほとんど存在しないはずだけど、彼女がこのブローチにどんな思いを込めたのかって……
「あなたを守りたい」
驚いて彼女を見つめると、フレアは頬をますます赤らめてはにかんだ。
「それって……」
「ふふっ、内緒ね!」
フレアは僕から離れてアンネの方へスキップしながら近づいていった。
“あなたを守りたい”
それは家族や恋人、大切な人に送る花言葉。
熱くなった頬に手を当てた。熱をごまかすためにアルコールを取っておけばよかった。ルベルと目が合うとなぜか労るように肩を叩かれた。
「苦労が多いな、“お兄様”?」
「……まさか君に茶化されることになるとは」
思わずお酒の入ったグラスを取って煽ると、冷たいワインがすっと喉を流れていった。




