107 【カノン】 手を差し出す
――――――ステラとダンスを踊りながら、俺は心配になって声に出していた。
「フレア様大丈夫かな?」
「……まさかお酒を飲むとこんなに変わる方だとは思いませんでした」
「でもめちゃくちゃ飲んだっぽいのに酒の臭いは全然しないんだよな。……なんか変じゃないか?」
「変、とは」
俺は踊りながら「うーん」と首を捻った。
「あのピッチャーの酒を全部飲んだならさすがにもっとアルコールの臭いすると思わないか? それにあのピッチャーは酒の集められているテーブルとは別のテーブルに置かれてあったと思う。子供たちでも手の届くところに」
「ではあの変わり様はお酒が原因ではないと?」
かと言って他の原因は思いつかない。
「あはは……まあ顔赤いしどう見ても酔ってるよな。ごめん、変なこと言った」
「いえ……」
あれがアルコールのせいじゃないならあれがフレア様の本当の姿ってことになってしまう。いや、あれはあれでめちゃくちゃ可愛いんだけど。ルベルなんて腕組まれて密着されてて正直うらやま……そこまで考えて必死で思考を振り払った。
ちらりとフレア様とルベルのダンスを盗み見る。……やっぱルベルって何でも出来るんだな。ダンスもうまいし、なんか洗練されてる感じがするし、優しいし、さすが女の子にモテる奴は違うなと思う。あいつに惚れてるって子が何人もいるのも納得だ。
俺には王太子殿下よりルベルの方が合ってるんじゃないかと思う。あいつはしっかりしてるし何でもできるし格好良いし、めちゃくちゃ優秀な従者だしそれに…………フレア様のことすごく大切にするだろう。
いろいろ考えてると、何かステラにも申し訳なくなってきた。やっぱ俺よりルベルとの方が楽しかったよなと思ってじっと見下ろすと、ステラはちょっと狼狽えてから俺を睨んだ。
「な、何ですか?」
「いや、俺とダンスでなんかごめんな。ルベルだったらもっとこう……優雅なダンスができると思うんだけど」
こんなことになるならもう少し真面目にダンスの授業を受けとくんだった。ゆったりした感じのダンスは苦手だ。ステラは小さく首を横に振った。
「いえ、私がダンスに……慣れてないだけですから」
「後でルベルと踊ってみたらどうだ? きっと楽し――」
「いえ結構です」
……あれ? 何か怒ってる?
わからないけど何か怒らせてしまったような気がする。なんでだ? わからない。何が悪かったんだ? ステラは誰に対してもいつもにこにこしているけれど、何か俺に対しては怒っていることが多い気がする。俺が気づかない内に怒らせるようなことを言ってるんだろうけど、いまいち何がまずかったのかわからない。
この前も高いところの物を取ろうとして届かなくて困ってるみたいだったから代わりに取ったらなんかすごい睨まれたんだよな……あれ何でなんだ? どうしても自分で取りたかったとか? うーん……あ、背後から手を伸ばしたのがダメだったのか? 背後に立たれるのは嫌だなよな、うん。次からは先に声を掛けるようにしよう。
ステラは必要最低限しか話さないと言わんばかりに唇を結んでいる。俺とダンスを踊るのも最初からちょっと嫌そうだったし、なんか悪いことしたなと思う。でも今日のステラは本当に……
「そのドレスめちゃくちゃ似合ってるな」
思ったことを口にしたら、ステラがびくりと肩を震わせた。
「…………そんな気を遣っていただかなくて結構です」
「え? いや、気を遣ったとかじゃなくてほんとにさ。ステラは赤が似合うな。目も綺麗な赤だし――」
そこまで言うと絡めた指にぎゅっと力を込められた。
「あ、ごめん。なんか嫌だった?」
「………………いえ、そういうわけでは。私よりフレア様の方が、ずっと」
「まあフレア様も可愛いけどステラだって――」
「ルベル様と踊られているところを見て……嫉妬されないのですか」
「嫉妬?」
まあ普通好きな人が他の男とダンスしてたら嫉妬するのかもしれないけど……そもそも俺に嫉妬する権利なんてない。フレア様は王太子殿下の婚約者だ。最初から手の届かない人だとわかっている。わかった上で俺は……
「叶うと思ってないからさ」
それでも憧れずにはいられなかった。
フレア様はいつだって凜として格好良くて、そういうところにまず惹かれた。両親やイグニス家の人間は皆彼女のことを悪く言うけれど、難しいことは俺にはわからなくて、ただ自分が感じたことを信じた。彼女の強い表情はイグニスの聖騎士に相応しいって思った。
それからいろんなことがあって、彼女の言葉や行動に何度も救われて――――
「守りたいなとは思うけど」
あんなに強いなんて反則だ。
思わず苦笑してステラを見ると、彼女はじっと俺を見つめていた。
「叶わぬ恋は辛いですか」
「え?」
「私ならば辛いのではないかと思ってしまいますが」
「うーん……まあ辛いこともあるかもしれねえけど、俺は嬉しいって思うことの方が多い」
「嬉しい……?」
「好きな人が楽しそうにしてると嬉しい。好きな人が本当に好きな人と幸せになってくれるとめちゃくちゃ嬉しい。俺はけっこう本気でそう思ってるよ」
好きな人の本当に好きな人が自分であれば……なんて夢見ることがゼロかって言われると正直ちょっとはあるんだけどさ。俺だってそんな清く正しい人間じゃねえし。でも幸せになって欲しいってのは嘘偽りない本心だ。あんな強くて格好良くて可愛い人が幸せにならないなんておかしい。絶対幸せになって欲しい。それが王太子殿下でもルベルでもシリウスでも……あの人が心から好いた人と幸せになって欲しい。
「あなたは……そういう人だから……」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
ステラは俺から顔を逸らしてしまった。
また何か気に障ることを言ったかなと思ったけど、耳が赤いからもしかしたら俺がこっぱずかしいことを喋ったせいで気恥ずかしくさせてしまったのかもしれない。
そう言えばステラには誰か好きな奴とかいるんだろうか。やっぱルベルか? それとも……実はアランとか? まあ誰を好きでも叶うといいな。ステラなら誰が相手でもうまくいくだろう。昔はあんなに病弱だったステラが何不自由なくダンスを踊っているのを見るのは、けっこう心地良いもんだなと思った。
――――――
「フレア様、カノンさんとも踊ってくださいませ!」
ダンスが終わった途端、ステラがフレア様に詰め寄った。なぜ。いやありがてえけど。急にどうしたんだと思っていたら――
「うーん……」
「さあ!!」
「やだ!」
けっこうショックだった。
「お、俺、何かしましたか……!?」
「カノンはやだ」
「フレア様!!」
カノンは……やだ……。
これがもしフレア様の本心だったら俺……実はけっこう嫌われてんのか? まじか……。心臓を鷲づかみにされたような衝撃にふらつきそうになる。やめろルベル、そんな哀れみの目で見るんじゃねえ。
しばらくこそこそ話した後、フレア様はおずおずと俺に近づいた。
「カノン……さっきはやだって言っちゃってごめんね。私と踊ってくれる? もちろん嫌だったら断ってくれて――」
「踊りたいです!」
反射的に答えて手を差し出していた。フレア様の声と顔を見ればそれで十分だった。良かった、多分嫌われたんじゃない。そう思えばみるみる元気が沸き起こってきた。
「いえ、どうか俺と踊ってください!」
フレア様はちょっと驚いていたけれど俺の手を取ってくれた。
指先が少し熱い。ダンスを踊ったせいか酒が回っているせいかわからなくてやっぱり踊らせるのは良くないんじゃないかと心配になったけど、フレア様のダンスは完璧だった。
「フレア様、気分悪くないです? 大丈夫ですか?」
「ええ、すごく楽しい」
フレア様がにこ~っと微笑む。
それが可愛くて可愛くて――――次があることを考えてダンスはちゃんと練習しといた方がいいなと本気で思った。
「カノン、私ダンス上手でしょ」
「ええ! 本当に」
「ドレスも似合ってる?」
「めちゃくちゃ似合ってますよ! シリウスはちょっと照れちまっただけで…」
「ふふふっ、ステラの見立てに間違いはないもの。可愛いでしょ。お化粧も髪もね、いつもよりちょっと大人っぽいのよ。ふふっ」
「ええ…………可愛いです。本当に」
にこにこ頬を緩めてえっへんと心なしか胸を張っているフレア様はいつもと別人だ。なんつーか……こんな甘えん坊なフレア様を前にすると変な気分になる。もし最初に会った時にこういう感じだったら俺は普通に可愛いなとしか思わなかったかもしれないけれど、普段凜とした人がこんな甘えん坊になるのは反則過ぎる。
……これ、アルコールが抜けた後に記憶はどうなってるんだろうか。忘れてても覚えてても、明日のフレア様に会ってみたいなと思う。なんかその反応が今からめちゃくちゃ気になってしまう俺は意地悪だろうか。
「カノンもすごく格好良いわよ。褒めてあげる」
「あ、ありがとうございます」
フレア様は俺を見つめて愛らしく微笑んだ。
……この笑顔だけは、俺のもの、だよな。
この先彼女が誰に恋をしようとも、この瞬間は確かに俺だけを見てくれている。できることならこのままずっと踊っていられたらいいのに。そう思わずにはいられなかった。
――――――
「喉が渇いちゃった! お茶はどこかしら?」
「フレア様、私のお勧めはこれです!」
「杏は結局乱蔵と踊らなかったの?」
「そうなんです!酷いんですよ~乱蔵さん!」
お酒を飲ますのはもうさすがに……と思って声を掛けようとしたら
「カノンさん」
ステラの方から珍しく声を掛けられた。
「私はカノンさんのことを応援しています」
嬉しいけどちょっと照れる。
「お、おお。ありがとう」
「だけどシリウスちゃんのことも応援しています」
俺を見上げたステラは口元に悪い笑みを浮かべていた。
「むしろシリウスちゃんの方を応援しています。心から」
「あ、ああ」
「あなたのことはシリウスちゃんの次に応援しているくらいなものです。たまには手伝ってあげてもいいと思っていますが、基本的に私はシリウスちゃんの幸せのために動きますので、あしからず」
「えっと……別に俺のことは放っといてくれて構わないぞ?」
「いえ」
ステラはふっと俺から視線を逸らした。
「……あなたが幸せそうにしているところを見るのも悪くなかったので」
「え?」
「何でもございません」
彼女はそのまま壁際で小さくなっているシリウスの方へと歩いて行った。
その後ろ姿は凜として、どこかフレア様に似てるなと思った。




