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106 【ルベル】 踊る



「ルベル! 一緒に踊りましょう?」



 至近距離からめちゃくちゃ可愛い顔で微笑まれてうっかり思考が停止した。かつてこんな風に微笑まれたことがあっただろうか。て言うかこれは本当にフレア様なんだろうか。こんな風に笑う人だっただろうか。こんな無邪気な幸せそうな笑顔を見せる相手はみたらし団子だけだと思っていた。



「フ、フレア様。あの、急に、どうし――」

「私と一緒に踊りましょ! ほら、素敵な音楽も流れてるんだし……スペースもあるし良いでしょう」

「いえ、ですが、その、どうしてそんな急に……」

「ルベルは私と踊るの…………嫌?」

「…………~~ッ! ……いえ……」


 そんな上目遣いをされても困る! て言うかなぜさっきから腕を絡めているんだこの人は! 腕の感触もそうだが……その……む、胸が……あた……だめだ考えるな。何も考えるな。心を無にしろ。無にするんだ。冷静に考えろ。ここはきちんと諫めるべきだ。俺は彼女の従者なのだから。貴族の令嬢が婚約者以外にこんなことをしてはいけない。こんな密着するのは良くない。良くない良くない良くない。だがどうして急にこんなことに? フレア様は婚約者にだってこんなことしないはず……



「踊るのだめ?」




 本当にどうしたフレア様。

 あなたはこんな……こんなおねだりのようなことをする人ではないだろう!?



「えっと……フレア? どうしたの?」

「ルカ! ふふっ、私ね、ルベルと踊りたいなあと思って!」

「ルカ様、あの、フレア様はどうもお酒を飲まれたみたいで……」


 焦り気味のステラがとても困った顔をしている。


「うふふ、フレア様超可愛いんですよ~! さっき私のほっぺにチューしてくれたんです~!」


 アンネはとんでもない単語を口にした。ウキウキしているアンネと対照的にステラは疲れ切っている。


「先程までず~っと私たちに甘えておられたのです。それはそれは可愛らしくてもう私のお嫁さんにしてしまおうかと思える程だったのですがちょっと皆様方には刺激が強すぎるのではないかと――」

「踊りましょう? ステラはカノンとね。で、杏は乱蔵と!」

「!!」


 ステラの顔色が一気に赤く染まる。

 一方アランは「ああ!?」と怒鳴り声を上げる。


「俺は踊りなんざご免だ!!!」

「んもう、乱蔵さんそれくらい良いじゃないですか~」

「ですから、フレア様、それは……!!」

「私はルベルと踊って、ステラはカノンと踊るの! それで杏は乱蔵と踊るのよ。一緒に踊れば楽しいでしょう? 子供たちも踊りたいって言ってるし。ね、良いでしょう? ルカ」

「えっと、う、うん……そうだね。良いと思うよ。ちょ、ちょっと聞いてくる」


 ルカが早々に戦線離脱した。


「ふふっ、ルベルとダンス初めてね。楽しみ!」

「そ、そうですね……」


 やばい。フレア様が超にっこにこだ。みたらし団子もないというのに……!!


 こてん、と首を傾げたと思ったら俺の肩に頭を押しつけていた。長い金髪がこそばゆくて思わず体が固まる。固まると同時に、ほぼ反射的に次の行動に出ていた。


「フレア、様、あまりひっつきすぎるのは、その……」

「だめ?」

「だ…………………めです!! 良いですか! あなたは公爵令嬢であり婚約者のいる身です!! このように腕を……その、こうするのはよくありません!!」


 乱暴にならないようにゆっくりと腕を外せば、彼女は抵抗しなかった。ただ残念そうに眉を下ろしている。まるで捨てられた子犬じゃないか。いや子猫か。……いや、ものすごくどっちでもいい。




「フレア、ダンスをすると聞いたが……酒を飲んだというのは本当か?」



 厳しい顔の公爵が現れた。不安そうな公爵夫人もいる。ルチア様は目をキラキラさせていた。「お酒ってなあに?」と夫人に尋ねている。




「お父様!!」




 フレア様の嬉しそうな声に度肝を抜かれた。

 彼女からのこんな嬉しそうな“お父様”は初めてだ。彼女はいつからか父親のこともイグニス公爵としか呼ばなくなっていたし、そもそもこんな嬉しそうな声を父親にかけているところなんて見たことがない。

 度肝を抜かれたのはルカと公爵も一緒だった。ぽけんと目を丸くして固まっている。公爵夫人は「まあ」と嬉しそうに口元を押さえ目を輝かせていた。



「お父様!! 私お酒なんて飲んでおりませんわ」

「そ、そうか……? いや、だが、どうも様子が……」

「ふふふっ、私が飲んだのはあのアイスレモンティーだけですもの。レモンの香りがふわあっと広がって酸味もちょうどよくって後味すっきりで、とっても美味しかったです!」



 ではそのお茶にアルコールが混じっていたのだろう。でなければこんなことになるわけがない。



「お父様もぜひお飲みになってください!」

「あ、ああ……」

「あ、でも私が全部飲んでしまいました……」


 !? 全部!? ちらりとテーブルの方に目を逸らせるとアランが件のアイスティーのピッチャーを持ち上げて傾けている。本当に空になるまで飲んだらしい。

 フレア様は唐突にパンっと手を叩いた。


「そうだ! お父様もお母様とダンスを踊られてはどうですか? 私お二人のダンスが見てみたいです。お父様は背が高くって格好良いですし、お母様はとってもお美しくて素敵なんですもの。想像しただけでうっとりしてしまいます」

「…………そ、そう、か」

「まあ……! フレアにそんな風に言ってもらえるなんて……」


 公爵夫人は頬を染めて喜んでいるが……公爵は夢でも見ているのかと頬をつねっている。


 正直俺も自分の頬をつねりたい。これ本当にフレア様なんだろうか……? 中身が違いすぎやしないか? もしかしてアイスティーを飲んだことで誰かと魂が入れ替わったとか……いやさすがにそれはない。落ち着け、俺。焦ると非現実的な発想に逃げるところは俺の悪いところだぞ。



「お姉しゃま、お酒って美味しいの?」

「私が飲んだのはお酒じゃなくてお茶よ、可愛いルチア。ふふ、抱っこしてあげる」


 軽やかにルチア様を抱きかかえてほっぺをくっつけている。フレア様もにっこにこだしルチアもにっこにこだし、なんだこの可愛い姉妹は。ルカを見れば口元がにやけるのか手を当てて隠している。耳がほんのり赤い。確かにこんな可愛い姉妹を目の前にすればそうなるのは仕方ない。


「お姉しゃまはダンシュ?」

「ええ、そうよ。素敵な殿方とダンスを踊るの」


 心臓が飛び跳ねた。まさか俺のことを言っているわけがあるまいと思った直後、ルチア様をそっと床に下ろした彼女に腕を引かれた。


「さ、踊りましょうルベル。ステラはカノンとね! 杏は乱蔵と!」

「フ、フレア様……えっと……」

「フレア様! お待ちください! 私はダンスなんて――」

「乱蔵さ~ん! お酒ばっかり飲んでないで踊りましょうよ~!」

「うるせえ!! 誰がんなことするか!!」


 動揺するステラたちを置いて、フレア様は俺をホールの真ん中にまで引っ張った。……あつい。どんどん体温が上がる。照明が眩しくてあついのか彼女に触れているせいであついのかよくわからない。多分……その両方だろう。絡めた指から彼女の熱が伝わる。酒を飲んでいるせいで彼女の白い肌がほんのりと赤い。目は潤んでいるし……そんな顔でじっと見つめられるのは……正直拷問だ。そもそもこんな状態で踊れるのだろうかと思ったしアルコールが回るんじゃないかとも思ったが、彼女のダンスは完璧だった。


「ふふっ、ルベルってやっぱりダンスが上手なのね」

「そ……そうでしょうか」


 教養としてダンスは習っていたが令嬢と実際に踊ったのは初めてだ。まさかフレア様と踊る日が来るなんて想像もしていなかった。


「あ、見てみて。ステラとカノン。すごくお似合いだと思わない?」

「……ああ」


 ステラの赤いドレスはまるでカノンと揃いになるように選んだもののように見えた。確かに踊っている二人は様になっている。そこでようやく合点がいった。


「フレア様はあの二人が見たかったのですね?」

「ええ!」


 そうか……。ほっと安堵した。なぜかはわからないがフレア様はステラとカノンが踊っているところを見たかっただけらしい。ステラはカノンにまだあまり心を開いていないようだからそれだけが少し心配だが、まあ大丈夫だろう。俺はただ二人がダンスを踊るための口実に過ぎないというわけだ。

 心を落ち着けようと小さく息を吸い込むと……




「それに私はルベルと踊ってみたかったし」




 うっかり息を止めてしまった。


「ごほっ! ごほごほっ!」

「大丈夫?」


 思わず顔を逸らして咳き込んでから視線を恐る恐るフレア様に戻した。キラキラ輝く青色の瞳が眩しい。顔が熱くなるのを感じてさっと視線を逸らした。



「ルベル顔が赤いわよ。ふふっ、リンゴみたい」

「だ、大丈夫、です」

「ねえ、ルベルは……私のこと嫌いなの?」



 思いもしない言葉に固まった。一気に頭が冷え、クリアになった思考で彼女の言葉の意味についてもう一度考える。だがどうしてもなぜ彼女がそんなことを言ったのか理解できない。



「な、なぜでしょう、か?」

「だって今日のルベルは目が合ったら逸らしちゃうし……ねえ、ルベルもこのドレス私に似合わないと思う?」


 そんなことを気にされていたのかと思うと、早めに正直なところを言っておけばよかったと後悔した。


「いえ……似合っていらっしゃると思います。ただシリウスたちは照れているだけで……まだ子供ですから」

「本当? ルベルも照れてるの?」

「お、俺はただシリウスの面倒を見てやらねばと思っただけで……照れているわけではありません。目を逸らしたのにも深い意味は……ないです。シリウスの面倒がその、大変で目が離せなくて」


 すまん、シリウス。お前を面倒な奴扱いしてしまった。後で謝るからどうか許してくれ。


「じゃあルベルは私のことが嫌いじゃないの?」

「当然でしょう」

「でも昔は嫌いだったでしょう?」



 そう言われれば思わず返答に詰まってしまった。

 事実だ。そしてそれをフレア様はずっと気づいておられた。過去を否定することはできない。できるなら過去の自分を殴ってやりたいとは思うが。



「ふふっ、意地悪を言ってごめんなさい。今嫌いじゃないのならそれでいいわ」

「……すみません」

「私のためにあんなに泣いてくれたものね」

「…………ッ忘れてください。あのことは」

「私はすごく嬉しかったわ。だから今日こうしてダンスが出来て嬉しい。ありがとう、ルベル」


 にこっと微笑まれてまた顔が熱くなる。クソ……本当にこの方はフレア様なのか。それとも何か企んでいるのか。いっそ何か企んでいてほしいとさえ思ってしまう。だが仮に媚を売る演技だとしても俺に媚を売ったところで得られるものなどないはずだ。彼女は媚を売る相手はしっかり見定めるはず。だとしたらこれは演技でも何でも無いということに……



「今年も騎士団試験受けたのでしょう?」


 騎士……その言葉に思わずドキリとした。


「ええ……結果はもうすぐ届きます」

「楽しみね。昨年は残念だったけど、カノンもルベルも優秀だからきっと大丈夫よ」

「だと良いのですが……」

「どこを受けたの?」

「……全て」


 案の定フレア様は目を丸くした。


「全部? あらすごい。てっきり第一騎士団だけだと思っていたわ」

「騎士団によって試験内容は違います。これを機に……いろいろ受けてみようと思いまして」

「そう、良い心がけだわ。全部受かってると良いわね」

「……そうですね」


 俺の腕の中にフレア様がいる。そのことがものすごくこそばゆい。ステップを踏むたびに彼女の金の髪がさらさらと揺れた。……きっと彼女とダンスを踊るなんてこれが一生の内で最後だろう。そう思えば自然と、今はただこの光景を目に焼き付けておこうと思えた。彼女の金の髪も青い目も聖女のような微笑みも……何もかも。





――――――


 ダンスを終えたところで息つく暇も無く、ステラがフレア様に迫ってきた。カノンの手を引いて。


「フレア様、カノンさんとも踊ってくださいませ!」

「うーん……」

「さあ!!」

「やだ!」


 まさかの拒否。カノンの顔がみるみる青ざめる。しかも「やだ」って……ルチア様じゃあるまいし。やはり酒のせいか精神年齢まで下がってしまっている気がする。思わず噴き出しそうになったのは何とか堪えた。


「お、俺、何かしましたか……!?」

「カノンはやだ」

「フレア様!!」


 ステラが真っ赤な顔でフレア様に近づき、何やらこそこそ話している。カノンを見れば魂が抜けかけていた。フレア様が拒絶したのは確かだが決してカノンを嫌ってのことではなく何か考えがあってのことだろうとは思うが、一体どういう考えかはわからない。しばらくしてステラに説得させられたらしいフレア様がカノンに近づいた。


「カノン……さっきはやだって言っちゃってごめんね。私と踊ってくれる? もちろん嫌だったら断ってくれて――」

「踊りたいです!」


 さっと手を差し出したカノンの表情は生気を取り戻している。


「いえ、どうか俺と踊ってください!」


 さっき拒絶された相手にするものとは思えない元気な笑みだ。

 フレア様はちょっとぽけんとした後、こくこくと頷いた。



 二人が楽しそうに踊っているのを見ながら、良かったなカノンと思っていると、ふと隣から小さなため息が零れた。ステラはじっと食い入るように二人を見つめている。その視線があまりに真摯で熱っぽくて、まさか……と思った時には声に出していた。



「ステラ、まさかカノ――」

「それ以上は」


 ステラは俺の方は見ずに声だけで制した。耳だけはまだ絵の具で塗りつけたように赤い。


「……しっかり者の君は良いパートナーになると思う」

「それ以上言ったら怒りますよ」

「すまない」


 慰めたつもりが怒られた。……女心はわからない。


「……ルベルさんもフレア様のことをお慕いしているでしょう」


 仕返しのように爆弾を投げつけられた。


「していない」

「またまた」

「していない。勘違いだ。カノンも言っていたが俺はただ――」

「フレア様を恋人にしたいと考えたことはないのですか?」

「彼女は王太子殿下の婚約者だぞ。ステラ、前も思ったがそういうことはこういう場でも言ってはならない。不敬に問われても仕様が――」

「すみません」


 ……まあ、さっきあれだけカノンがぎゃーぎゃー騒いでいたしフレア様もステラもレインも殿下にいろいろ失礼なことを言っているし、今更不敬云々というのは些末なことだろうか。いや、だからといって些末なことで片付けてはならない気もするが……


「俺もすまない。……少しムキになっていた」

「いえ。私もムキになっていましたから」


 ステラの赤い目が儚い蝋燭の灯のように揺らめいた。視線の先で、頬を染めたカノンが優しい笑みを浮かべている。





「……叶わぬ恋も、辛いばかりではありませんね」





 ステラは微笑むと、優しい表情で静かに二人を見守っていた。

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