101 【???】 想う
“忘れな人”と名付けられた。その名の意味を俺は知らない。
たくさんの人間の記憶を覗いてきた。
辛い記憶、悲しい記憶、楽しい記憶、面白い記憶……見た記憶は全て覚えている。その人の一番大切な、一番守らなければならない人間、それを記憶の中から選んで形を変える。そして相手の傷つくであろう言葉を選んで、憎みながら相手を殺す。殺したらまた別の人間の記憶を覗く。形を変える。そして殺す。その繰り返し。そういう風に作られた。殺すために作られた。記憶を覗くのも憎むようになっているのも、それらは全て魔術によって仕組まれたもので、一度発動させられたら最後、一定の人間を殺すまでは止められない。
「ほむら……」
名前を口にしただけで心が揺さぶられる。
たくさんの人間の記憶の中で、 一番強烈だったのは“ほむら”の記憶だった。
フレアの記憶よりも、他の誰の記憶よりも。それはもしかしたら年月の長かったことが関係しているのかもしれないがわからない。
彼女の感情は何もかもが鮮烈で苛烈だ。一つ一つの感情の粒が自分の中に流れ込んできた時、最初は目眩がした。憎い、楽しい、辛い、嬉しい、悲しい……。まるで宝石のようにキラキラ輝いて見えた。彼女が守りたい人間……誰が良いかと思った時に悩んだのは乱蔵と先生と心桜と刀士郎と……そして義勝。
彼らは彼女の記憶の中でも特に色鮮やかな光を放っていた。では誰に形を変えようかと考えた際……初めて今までと違うやり方で形を決めた。
今までならば弱い者にしていた。
一番弱い人間でしかも大切、守りたいとくれば必ず殺す時に躊躇いが生じる。一番苦しむはずだ。だからこの基準で行けば心桜にするべき……
だがそうしなかった。
自分があの記憶の中で“なりたい”者になっていた。
あの中で最もほむらに近くて、あの記憶の中でもし自分が刻まれるなら彼としてほむらの傍にいたいと思った。乱蔵は知り合うのが遅かった。感情豊かな苛烈な頃のほむらを知らない。心桜は弱い。弱かったからそう長くは一緒にいられなかった。先生も刀士郎も途中で自ら彼女の傍から消えてしまった。やはりほむらと過ごした時間は瞬きの間に過ぎていった。
ほむらと共に何十年もの年月を共に過ごし、生涯の相棒とも呼べる存在になったのは義勝だけ。恋人も夫も作らなかったほむらにとって彼は最も近しい人間であり、最も心を許した人間であったはずだ。
義勝は内戦で敗北を悟り自害しようとしていた。
ほむらは命をかけて義勝を助けに行った。
あの強烈な剣技は何度思い起こしても俺の心を震わせる。
不自由な体で敵味方入り乱れる戦場を切り抜け、弾を切り人の意識を奪い、どんな兵器にも絶望的な状況にも屈することなくたとえ目の前に壁があろうとも止まることなく……
あれだけ拒絶されても本当に強制的に彼を連れ去り、その命を国のために使えと道標を示した。必要ならばと拷問のことを責めてまるで本当に義勝を恨んでいるかのような言葉を吐き、そうまでして義勝をこの世に縛り付けた。
それだけの強烈な執着が眩しかった。
恐らくほむらは少なからず義勝に好意を寄せていたように見える。だがそれには気づくことなく、心桜がお似合いだと自分が義勝と恋仲になることを考えることはなかった。それは要するに義勝のことを魅力的な男性と認めるが故に、何よりも大切であった二人が一緒になることを望んだのではないか。
義勝には妻がいる。ほむらはあれだけ義勝の命に従い、彼に生きる意味を与え、死ぬまで守り続けたというのに彼とそういう関係になることはなかった。いや望みもしなかった。二人が仲睦まじくあることを望み、後に二人の間に子供が出来たときは恐らく二人と同じくらい喜んでいた。だが家族ではないが故に常に一線を引き、あやめが不快に思うことがないようにとさまざまな配慮をしていた。護衛として傍にいる時もできるだけ視界に入らないように苦心していた。
なんて哀れなんだろう。
自分の気持ちにも気づかず人の幸せばかりを願い、あの時死んでいれば絶対に得られなかった子供という宝まで二人にもたらしておきながら、ふとした瞬間に自分の所業を責め続ける。大切な者たちを守れなかったことを、義勝を自分の勝手でむりやり生かしたことを。
俺が義勝であれば君を選ぶのに。……だがそうではないのだろう。ほむらが望む義勝という男は、女のために国を捨てるような男でもなければ一度妻とした女に不義理を働く者でもない。そして義勝もまたあやめを愛していた。たとえ奴の初恋がほむらであったとしても、あの男はその想いに完全に蓋をしたのだろう。だから泣いているほむらを抱き締めるような真似もしなかった。なかなか子供ができないことを危惧した親類に愛人を持つことを勧められてもそれを丁重に断ったほどに、あやめだけを愛した。
……ああ、なんて滑稽な。
それなのに義勝が最期の時を過ごすことを望んだのはほむらだった。桜を見ながら事切れた時、隣で肩を貸したのはほむらだったと言うのに。
おかしな感覚だった。
思えばこんな感情的で複雑な思考回路に陥った時点でおかしかった。
人の記憶を覗きこんでここまで感情移入したことなどない。殺すために必要だからただ憎しみを口にする殺人兵器だったのだ。それがまるで自我でも芽生えたような……。そんなことはあり得ないのに。凄まじい違和感だった。だがそのことについて深く考えるよりも、義勝の姿で動揺するほむらと相対することが、彼女の言葉が自分に投げかけられることが何より心地良い。魔術のせいでこの口は憎しみの言葉しか紡げず、この顔は醜く歪ませることしかできないが、それでも今まで他の人間としてきた殺し合いとは何もかもが違った。
そして彼女の火に焼かれた時……
俺を縛り付けていたあの魔術が消え去った。
ほむらの火は特別だ。
あれはただの火じゃない。そのことにあの王子も恐らくほむら自身さえ気づいていないようだった。俺は間違いなくあの火に焼かれたことで目覚めることができた。代わりにもう誰かの記憶を覗く力は失ってしまったようだが、別に構わない。ほむらと……彼らの記憶さえ持っていればそれでいい。
「初めて……か」
思わず口元が緩んだ。
嬉しくて仕方がない。もし自分が消えてしまっても彼女の中に俺は残り続けるだろう。永遠に……
「だけどそれは義勝としてじゃ面白くない」
俺は義勝ではない。
俺自身を彼女に覚えて貰う必要がある。もっとはっきりとした自我を……持たなければ。まずはそう、名前を得るべきだ。“忘れな人”などあのクソ開発者がつけた名前など名乗りたくない。しかし名前の付け方などわからないな。
「まずは……王都へ向かうか」
会いたい人間がいる。
恐らく自分と同じような強烈な執着を持った人間。しかもそれを隠している。あれは使えそうだ。
「あれの近くにいればきっと……」
ほむらに会うこともできるだろう。
そう思えば勝手に体が動く。夜の闇に浮かんだ月が、あの人の髪のようにキラキラ輝いて見えた。




