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100 失い、また歩き始める


 …………


「毒団子を食ったってよ。相当苦しみながら死んだらしい」

「結局口を割らなかったな、あいつ」



――――――――――――


 牢から引きずり出されて、首でも斬られるのかと思っていたのになぜか拘束を解かれて服を着せられた。頭が働かなくてぼんやりする。まずい、ますます頭がばかになったのかもしれない。外の風に当たったのはいつ振りだろう。ようやく深呼吸ができるかと思ったけれど、息を吸おうとしたらそれだけで胸が痛んだ。自分の体が今とてつもなく脆くなっていることを自覚する。


 片目を失った。体中傷だらけだし、右腕はうまく動かないし、普通に歩くこともできない。なんでこんなにボロボロなんだっけって、考えようとしたらまた思考が覚束なくなる。牢屋の中でのことを思い出すとそれだけで気が狂いそうだった。



「麓にある寺に向かえ。そこで浅田殿が迎えに来てくれる。大した距離ではないからその体でも問題ないだろう」


 久しぶりに聞いた義勝の声はすごく冷たかった。

 他にはもう誰もいない。ここが都でないことにも今更気づいた。都からここまで運ばれた辺りの記憶がない。なんならいろんな記憶がぐちゃぐちゃではっきりしない。


「…………あ」


 声を出そうとしてうまく出なかった。

 喉が痛い。叫びすぎたのかもしれない。


「……お、れ……」

「お前をこんな目に遭わせたのは俺だ」


 義勝は無表情で、何を考えているのかわからなかった。


「俺が話した。刀士郎がお前を特別に思っていたことを」


 特別? 何の話だ。


「あいつには他に大勢仲間がいる。あいつがやったことも、仲間のことについても聞き出さねばならなかった。だがあいつは口を割らず、天馬家の庇護があるせいで拷問もできない。だからお前を代わりに拷問した。お前があいつを止めようとしたことはわかった上でそうしたんだ。刀士郎は毎日お前の悲鳴を聞かされて、俺を恨んで死んでいった」

「死……?」


 刀士郎が……?


「毒団子を食って死んだ。どうやって調達したのか知らないが、仲間を守りお前の拷問を終わらせるために自分が死ぬ道を選んだのだろう」


 なんで……


「恨むならば俺を恨め。それだけのことをしたんだ」


 なんで……

 

「命が惜しければもう二度と俺の前には現れるな」

「……て」


 そのまま立ち去ろうとした義勝の背中に掠れた声を掛けると、すぐに足を止めてくれた。ただこちらは振り返らない。


「お前じゃ、ないん、だろ?」

「………………」

「気にすん、な」


 義勝は何も返さなかった。ただ黙って来た道を戻っていった。






――――――――――



「…………来ないと思ったら」


 ザッザッと誰かが近づいてくる気配がする。この声……


「何をしている。日が暮れるぞ」


 浅田さんの声が嫌に響く。風が冷たい。泣きすぎて顔が痛い。目も頬もヒリヒリする。辛い。悲しい。もう何もかも……何もかもどうでもいい。そう思えるほどにはこの世界が随分嫌いになった。



「さっさと来い。その怪我もきちんと手当する必要がある。いつまでもここにいたとしてお前にできることなど何もない」

「うっ……ふっ……」


 何か喋ろうとしたらまた涙が零れた。

 虚しい。悲しい。なんでこんなに無力な人間なんだ。結局俺は守りたいものなんて何一つ……何一つ守れなかったんじゃないか。



「…………約束、したのに……」



 何も果たせなかった。



 刀士郎は死んでしまったし、医者なんて捜すことすらできなかった。他の皆だってどうしているかわからない。誰も連れて帰れなかった。何も出来なかった。何も為せなかった。俺がやったことはただ余計なことして刀士郎や義勝を苦しませたことだけだ。






 無残に焼け落ちた屋敷と道場。

 俺の目の前に広がっていたのは絶望だった。




 麓の寺に向かわずに俺が向かった先は心桜が待つ屋敷だった。

 心桜が待ってる。謝らなきゃって思った。一体どれくらい経ったかわからないけれど、とにかく謝らなきゃって。何も出来なくてごめん。役立たずでごめん。約束を……果たせなくてごめんなさい。



 なのに……心桜はどこにもいなかった。




『大好きです。ほむらさん。それ以外の言葉が見つからないほどに、ずっとずっと大好きです』




 心桜の声が、温もりが、まだ俺の中には残っているのに。




「……八千代殿だったか。神野藤殿の親類の方からこれを預かった。お前に渡してくれと」

「…………」


 浅田さんが差し出してくれたのは鍔だった。

 桜の花をあしらったその鍔を俺は知っていた。


「心桜……」


 そこに心桜の魂の欠片が宿っているような気がした。手に持つと冷たくてずしりと重くて……また涙が止まらなかった。


「他は焼けたがこれだけが残っていたらしい」

「………………」

「心桜殿はお前が捕らえられていると聞いて何度も何度もお前の無実を訴えに来ていたらしい。周りが止めるのも聞かず。嘆願に来ては門前払いされるようになって、あろうことか百度参りをしていたと聞いた」

「むり、だ……」



 一日に百回も参拝する体力なんて心桜にあるわけがない。第一外に出ているのさえぎりぎりの状態のはずなのに。



「よほどお前を助け出したかったのだろう。途中で倒れて気絶していたところを発見された。高熱に苦しみ、翌朝息を引き取った」



 ……心桜。

 ごめん。俺のせいだ。全部全部俺のせいだ。俺が苦しませた。俺のせいで死なせてしまった。





「火事の原因はわからぬ」

「ゆる、さない……」


 放火ならば心当たりがある。俺がボコボコにしたあの連中。あいつらが火を放ったのかもしれない。あいつらが……あいつらが心桜を……心桜の眠りを邪魔したのなら……








 ぶち殺してやる。





「よせ。殺気がダダ漏れだぞ。証拠もないのに人を殺すならばお前にその怪我を負わせた連中と同じこと」

「…………で、も」

「亡くなった夜に遺体の安置されていた部屋から出火したそうだ」

「じゃあ……!!」


 やっぱり誰かが火をつけたんじゃないのか。


「誰も出入りしていないはずだと八千代殿は証言しておる。放火の形跡もなかった」

「うそ、だ」

「だがもうそう断定されたのだ。追求するだけ無駄なことよ」

「けど……!!」

「ただでさえこの道場は呪われているのではないかと噂が立っているのだ。事を荒立てるな。亡くなった者のためにもな」





 呪い……





「なんで……」



 なんだよ、呪いって。

 呪いなら俺にかけてくれ。本当にそんなものがあるのなら、どうして心桜がこんなに苦しまなきゃいけないんだ。どうして屋敷も道場も彼女さえも燃やし尽くされなきゃいけなかった。燃やすなら俺だけ燃やしてくれ頼むから。熱いのも苦しいのも痛いのも俺だけで構わない。なんで心桜が……なんで……!!



「いつまでも悲しんでいる暇はないぞ」

「…………」

「死ぬつもりか?」


 ぴくりと体が震えた。


「……死な、ない」


 死んだら、心桜が悲しむ。

 心桜はあんなに生きることを望んでいたのに、俺が勝手に死ぬなんて許されない。



「ならば来い。私は義勝殿のように優しくはないぞ」







――――――――――



 浅田さんの屋敷に連れて行かれた俺はまず女中に服を剥かれて体を拭かれた。血がこびりついてすっかり赤く染まった髪は綺麗に洗われた。久しぶりにちゃんと食べる食事は確かに美味しいはずなのに、何も感じなかった。


 浅田さんは医術の心得があるらしい。

 俺の手当をしながら「よくここまで痛めつけられて死ななかったな」と少し驚いていた。


「碓氷殿のことは恨んでやるな。あの人はお前の拷問に反対していた」

「…………」

「あのような卑怯で理不尽なことは間違っていると。いくら国全体が混乱に陥っているとは言え、やってよいことと悪いことがあると。だが通らなかった」

「わかってる」


 そんなのわかってる。

 あいつはそういうのが一番嫌いなんだ。確かな理由もないのに人を裁くことをあいつが是とするわけがない。


「お前にも非はあるぞ。何か怪しいものを感じたならまず報告するべきだった。疑われるような行動は控えるべきだった」

「…………うん」

「……まあ、何かと理由をつけて断罪するつもりだった可能性はあるがな」


 浅田さんはうんざりしたように肩をすくめた。


「上の連中はお前の剣技が恐ろしかったのかもしれぬ。天馬の坊ちゃんが口を割らぬから利用してやろうというのもあっただろうが、それよりお前を恐れていたのかもな。神野藤殿のこともあるしあの道場の弟子たちは危険分子ばかり。お前がもし敵に回れば恐ろしいことになると危惧する者がいてもおかしくはない」

「俺は……無力だ」

「少なくとも己の師を斬ったあれは完璧だった。私でさえ見たことがないほどにな」

「…………」

「お前が牢を出されたのも奇跡のようなものよ。義勝殿が苦心したおかげだろう」


 やっぱりあいつのおかげで助かったのか。なのに感謝さえさせてもらえなかった。ペラペラ喋って自分を恨めってそればっかりだった。


 俺がこれからこんな不自由な体でも生きていけるように、浅田さんにかけあって金まで渡して住む場所を提供してくれた。お前がそこまでする必要はないはずなのに。そこまでしてくれる人間をどうやって恨めって言うんだ。



「ばか、だな。あいつ……」



 確かにお前は刀士郎とは対立する立場にあって、俺の拷問を指示した奴の下で働いていたけれど。だからってお前自身は俺の敵でもなんでもない。そっち側の人間だからってそれだけの理由で俺がお前を憎めるわけないだろ。何年友達やってると思ってるんだ。俺にとってお前はクソ長い役職のお偉い人間じゃなくてただの碓氷義勝なんだよ。





 それから何日も静かに過ごした。

 少しずつ傷は癒えたけれど、痕は残った。それで良い。現実から目を背けずに済む。右腕と足は完治しなかった。この手じゃ剣はまともに扱えないだろうし、この足じゃ昔のように走り続けることは難しいだろう。


 これからどうやって生きていけばいいかわからなかった。ふと将来を考えては、俺が思い描いた美しい未来のことを想って泣いた。先生がいて心桜がいて刀士郎も義勝もいて皆たまに喧嘩するけど仲が良くて……



 だけどその未来は永遠に訪れない。

 そして俺はどんなに現実を憂いても死ぬことはできない。ならば俺に残された道は……




「浅田さん、頼みが……あります……」




 この力を誰かのために使うことだけ。








――――――――――



 あれから数年の時が経った。

 めまぐるしく情勢は変わり、かつて刀士郎たちが願った新しい時代が到来した。けれどそれはまだ完璧とはほど遠く、あちこちで不平不満が吹き荒れることになった結果、何が起こったかというと……内戦だった。



 私は碓氷家の屋敷に来ていた。遠くから見たことはあったけれど敷居をまたぐのは初めてだ。浅田さんが付き添ってくれて、少し緊張しながら彼女に対面した。


「碓氷義勝の妻、あやめと申します」


 義勝の妻である彼女は、こんな時でも気丈に振る舞い、凜とした表情の中には確かな意志の強さを感じた。さすがあの義勝の妻だ。


 その義勝とは牢から出たあの日を最後に会っていない。


「ほむらと申します」

「あなたのことは常々聞き及んでおりました。怪我は癒えましたか?」

「ええ、もうすっかり」


 笑ってみせたが彼女から笑顔は返ってこなかった。


「あの御方はあなたのことをずっと気に掛けておりました。……今も、きっと」

「今頃戦場ですから私のことなど忘れておりますよ。あなたに会いたいと子供のように泣いているかもしれませんが」


 そう言うと、あやめ殿はふっと悲しそうに口元を緩めた。


「あの御方はそのような人ではありません。泣いている暇があれば最期まで主君のために戦うお人です。私はそんなあの御方の覚悟を何よりも尊いものと思っています。たとえ賊軍と罵られようと」

「……勝った者が正義となりますからね」

「ええ、いつの時代も。あの御方が最期まで自分の志を貫けることを私は祈っております。たとえ命を落とすことになろうとも、潔く美しい最期を迎えることができればそれもまた武士の誉れとなりましょう」


 強い人だと思った。強くて美しい人だ。涙の一滴も零さず、ただ真っ直ぐに前を見据え、夫の覚悟を静かに受け止めている。


 義勝は今戦場にいる。新しい時代が到来してできた歪みの中で、あいつは武士として最期まで主君と共にある道を選んだ。



「私は義勝殿が勝つとは思えません」


 あやめ殿の表情は変わらない。


「恐らくこのまま潔い死を迎えられることでしょう。その死を持って刀の時代は終わり、新しい時代が来ることでしょう」

「……ええ、そうかもしれません」

「正直に申します。私は義勝殿を死なせたくありません」


 あやめ殿の表情が僅かに変わった。驚きか、怒りか、それはわからない。


「なぜなら義勝殿がいないと困るからです」

「困る、とは……?」

「傲慢と思われるかもしれませんが、私は人よりすごく強いんです。ええ、本当に冗談みたいに」


 ちょっと意味がわからなかったのだろう、あやめ殿はますます訝しげに眉を寄せていた。私は構わず言葉を続ける。


「――ですからその力をこれからの世のため、人のために使いたい。ですがただやみくもに目先の人を助けようとしても限られたことしかできないでしょう。もっと広く、後生の人間のためになることをしたい。剣を振るう必要のない平和な時代を作るために、私はこの力を使いたい。それが生き残ってしまった私にできる唯一のことなのです。ですが一体、誰の指示で動けばそれが叶うのか。欲や過激な排他主義に囚われた愚かな権力者を見抜けるだけの目を私は持たない。何が正しいのかもわからない。いろいろと考えた結果……私が信用できるのは義勝殿だけでした。彼ならば私の力をうまく利用してくれる。少々融通の利かないところはありますが、安心して任せられます」

「あなたに……何ができるというのですか。その体で」


 当然の疑問に答えたのは浅田さんだった。


「ほむらの力は私が保証しましょう。不自由な体でありながらその力はまさに一騎当千。戦場において碓氷殿をお助けすることは容易なものと思われます」

「あの方を……助ける……」

「新しい政府の人間も人材不足は否めませぬ。碓氷殿ならば味方に引き入れたいと思う者もおりましょうし、私が助命を呼びかければ多くの者が賛同するでしょう。何年かは辛抱することになるかもしれませぬが、将来的に国政に携わることは不可能ではない」


 あやめ殿は少し視線を彷徨わせた後、キッと私を睨み付けた。


「なりません。あの御方の邪魔をなされないでください」

「そう仰ると思っていました」

「何よりそれは主君を裏切れと言っているのと同じこと。義勝様は、主君と共にあることを選ばれたのです。その覚悟を迷わせないでください。汚さないでください。あなたは知らないのです。あの人がどれだけ悩み、苦しみ、決意されたのか――」

「ええ、何も知りません」


 知らないからこそ、こんなことができるのだろう。


「私はあなたの愛する人を、安らかな極楽浄土ではなく地獄に引きずり落とそうとしています。ですからどうか私を恨んで下さい」


 最初から許されるとは思っていない。止められても止まるつもりはなかった。今日ここに来たのは許しを得るためではなくて、ただこれから何をするか伝えるためだった。


 私は鬼だ。所詮自分のことしか考えていない。


「私はこれから戦場に向かいます。もし義勝殿が生きていれば助け、死んでいればその骨を持って帰ります。義勝殿が嫌だと言ってもむりやり連れて帰ります」


 もしすでに亡くなっていれば別の人間を捜すしかない。私が力を貸そうと思える高潔な人間を。


「義勝殿とあなたを生涯守り続け、勝手に死ぬことも許しません。義勝殿の命に従い、この力を新しい世のために使います。ただし万が一義勝殿が道を踏み外すようなことがあれば私が義勝殿を斬ります」


 先生の思いを裏切ることにはなっても、それが私の“覚悟”だ。その時は私も自害する。共に地獄を彷徨おう。


「勝手な……」

「ええ、まさしくその通り」



 あやめ殿は最後まで私を睨み付けていた。

 ただ屋敷を出る時、その顔が一瞬泣き出しそうに、縋るように歪んで見えたのは……恐らく私の気のせいだろう。




―――――――――――――



「今までお世話になりました」


 頭を下げると、浅田さんはいつものような仏頂面で「別に構わん」と返した。


「碓氷殿に合わせる顔がないがな。元々お前の身の安全を約束させられていたのに戦場へ見送ることになるとは。相当責められるだろう。今度会うのが億劫でならない」

「あなたの厳しい授業のおかげで戦場でもやっていけそうです。よく私のような者に教えてくれましたね」

「あれだけ頼み込まれればな……根負けだ」


 私は浅田さんから医術を学んだ。守るための剣、それを体現するには人体の構造について熟知する必要があったから。ただ強いだけでは足りない。たとえ戦場に降り立っても、私は人の命は奪わない。

 浅田さんは「お前の人生だ。好きにしろ」と私の行動を止めるようなことはしなかった。代わりに私の剣技をつぶさに観察されることになり……ちょっと怖かった。たぶんとても研究熱心な人なのだろう。


「せいぜい死なぬようにな」

「はい」



 別れを告げ、山道を降りた。





――――――――



「お前……ほむらだろ?」




 しばらく歩いたところで声を掛けてきたのは懐かしい顔ぶれだった。私が昔ボコボコにした連中だ。よく覚えている。……放火してやるなどと口走っていた。



「お前とっくの昔に死んだと思ってたぞ。呪われた道場の女だからな」

「顔傷だらけじゃねえか! もう女とは言えないな」

「他の連中はどうした? 皆死んだか?」


 道場の皆は次々亡くなったという知らせが入った。知らせがない者もいるが、だからと言って生きているとは限らない。ここに帰ってきた者は誰もいない。

 なぜこいつらが生きて心桜たちが死んでしまったのか。そう思わないわけではない。だけど……


「おい何とか言――ッ!?」


 首元を軽く叩き意識を奪った。崩れ落ちた彼を見て他の者は一斉に口をつぐむ。どうせ私が以前のように暴れられないと思って声を掛けてきたのだろう。



「命拾いしたな。これが牢を出た直後なら私はお前たちを殺していた」



 怒りに囚われ真相など構わずこいつらをなぶり殺していただろう。

 だがそれも昔の話だ。


「お前たちに構っている暇はない」



 足をひきずりながら山道を降りた。追いかけてくる者はいなかった。


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