表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/34

初恋のわかれみちⅢ


「元気がないね。どこか具合が悪いの?」


「いいえ元気よ。心配させてごめんなさい」


シュテルン家の邸は、邸というよりもむしろ城。王都の邸は体面も考え、華美さを取り入れているが、領地の城となると昔ながらの堅固なつくり。要塞と呼ぶのが最も相応しいのではと思えるほどだ。


華やかな王城で育ったシェリには、少し風が冷たくなってきた今、少し体に堪えるのかもしれない。


「毛布を持ってこようか」


「本当に、大丈夫なのよ」


微笑む幼なじみが、リアムには心配でならなかった。王女として生まれた彼女は、人に頼ることを嫌う癖がある。


一人で出来ることには限りがある。もっと、周りを頼るべきなのだ。もっと、周りに甘えるべきなのだ。そしてそれは、できることなら、自分が良い。


リアムはシェリの手を包み込んだ。気丈に振舞ってはいるけれど繊細で脆い彼女を壊してしまわないように優しく。けれど、彼女がどこにも行ってしまわないように強く。


「リアム?」


「もう、我慢しないで。俺の前でだけは、本当のシェリでいて。」


シェリは包まれていない方の手でリアムの服を掴んだ。


「わたしはたしかに子どもだわ。けど、けど……! 結婚したあの人を困らせるほど、愚かではないつもりよ、それなのに」


アランが母親と弟の葬式に来ることがわかった途端、シェリは王宮を離れるように命じられた。表向きはリアムの従姉の結婚式への参列だったけど、本当の理由が何なのか、シェリにだってわかる。


「たぶん、きみを守りたかったんだよ。」


「……わたしを?」


うん、とリアムは優しく頷いた。


「きみが普通に接しても、そこから(よこしま)なものを感じ取る輩はいくらだっている」


そんなものなかったとしてもね、と続けた。根も葉もない噂をまるで真実のように横行させる貴族たちから、シェリを守りたかったのだろう。


「きみを信じていないわけじゃない。それだけは、きっと本当だ」


「リアム……」


シェリはそっとリアムの手をほどくと、腕を彼の首に廻した。


「シェリ!?」


上擦った声を出したものの、リアムもまたシェリの背中に腕を廻してくれた。


彼のあたたかい腕にいつまでも包まれていたかった。


まだアランのことが好きなのかはわからない。


けれど除け者にされて悲しかったのは事実だから。それがたとえシェリを守るためであっても。


いつものようにリアムの胸に顔を埋めるとー


「リアム、さっきわたしが本を読んでた間、鍛錬場にでも行ってたの?」


「え?」


「だってあなた、心臓がばくばく鳴ってるわよ」


みるみるうちにリアムの顔が赤くなった。きょとんとした顔でシェリがそれをしげしげと眺めると、笑い声が聞こえてきた。


「ああだめ、ふふふふふ……」


「そんなに笑っちゃ悪いですよ夫人、くくくくく……」


リアムの母、エトワール公爵夫人と二人の幼なじみ、レミが口に手を当てて入ってきた。


「レミちゃんだって笑ってるじゃない、ふふふふふ……」


「母上」


顔から赤みは消え失せ、絶対零度の眼差しでリアムは母親を睨めつけた。


それでも笑いが止まらない公爵夫人のかわりに、何とか笑いを封じ込めたレミが口を開く。


「遊びに来ちゃった。五日ぐらいはいられると思う」


「ほんと?」


シェリはぱっと顔を輝かせた。


レミは宰相・ソレイユ公爵の嫡男である。シェリとリアムの幼なじみにしてシェリの婚約者候補だが、「ほらぼくは陛下の従弟だからさー」とか何とか言ってのらりくらりと躱している。この国では血族の結婚はタブーではないが。シェリの曾祖父の兄、三代前の王の后は彼の姪だったそうだし、姉のようにも慕う叔母の婚約者は彼女の従兄弟だ。


「そんなに睨まないでよ、リアム」


「別に睨んでない」


「怒ってるのは大好きな彼女との時間をジャマされたこと? それともぼくが来たことに彼女が喜んでること?」


ゴスッという音がした。シェリはあわあわと慌てるが、公爵夫人は呆れ顔だ。


「冗談じゃないかー!」


「ちょっと、レミ、リアム! やめてよ、殴り合いなんて」


放っておけば酷いことになりそうだったので、仲介に入る。


「レミと遊べるのはここにいる時だけなんだから。こんなことしてないで一緒に遊びましょう。わたしがピアノを弾くわ」


「じゃあ俺はヴァイオリン」


「ぼくはフルート」


ーレミと遊べるのはここにいる時だけなんだから


レミは王都では、シェリと幼なじみの範疇を越えた付き合いをしないようにしている。


全ては、父親からシェリを守るため。


廃された后の娘といえど、シェリは国王が寵愛する愛娘。花嫁に迎えることができれば、出世は約束されたようなもの。それをレミの父、宰相ソレイユ公爵が狙っていないはずはない。


だから三人が三人のままでいられるのは、宰相の息がかかっていないここエトワール公爵領だけ。


軽やかな音色が、屋敷を包んだ。シェリ付きの侍女、アンヌがカモミールティーを淹れる。公爵夫人はそんなアンヌを伴って、三人のいる部屋の扉をノックする。アンヌが押すワゴンには、焼きたてのスコーンも載っている。


「お茶にしましょう、三人とも」


***


レミが来てから二日後の朝のこと。


「旦那様のお帰りーーー!」


リアムの父、エトワール公爵は一人の客人を伴い屋敷に帰って来た。


「兄上!?」


レミが頬を紅潮させ、目を見開いた。


この国では珍しい、黒髪の客人はトルトゥリエ子爵ギヨーム。レミの異母兄である。


彼は宰相の長男だが、母親は第三夫人であるため跡継ぎではない。しかしそれを不満に思うこともなく、異母弟をいつも優しく、時に厳しく育てている。苛烈な母親を持っても彼自身が紳士なのは、ひとえにギヨームの努力の賜物だろう。


「エディに聞いたんだよ。レミがエトワールに向かったってね」


ギヨームの異母妹にしてレミの同母姉エディットは、今年社交界デビューした。エディットが以前フィリップと婚約していたことを知るのは僅か。十六歳の美しい令嬢は貴公子たちを虜にし、縁談が次々と舞い込んでいる。


エディットの嫉妬深い母親は、夫の第二夫人、第三夫人だけではなくその子どもたちも嫌っている。第三夫人の子ども、成人しているアリスとギヨームはともかく、第二夫人の娘レベッカはまだ九つの少女だ。内のことを仕切る第一夫人の手にかかれば、人間不信に陥るレベルで虐め抜かれるに違いない。


エディットはそんな母親から異母妹を守るため、悪女を演じている。腹違いの妹を虐める冷酷無比な女を。


だがその演技に騙されているのは第一夫人ぐらいだろう。


第一夫人が通った時、エディットはメイドに理不尽な要求をする。だが、酷く申し訳なさそうな顔をするのでメイドたちはみんな事情を把握している。『綺麗でお優しい最高のお嬢様』としてエディットを崇めているくらいだ。


晩餐の時、エディットはレベッカに意地悪をする。だがそれは虐めにはほど遠く、また泣きそうな顔をしているのでレベッカは晩餐の後いつも部屋で悶絶しているとメイドから報告が上がっている。


そんなエディットを見るのはとても楽しい。だが役作りの一環としてか、レミとギヨームの二人にも冷たいのだ。それが二人には寂しい。


「姉上は誘わなかったんですか?」


「誘ったよ。断られたけど」


ーあんな田舎、お兄様にはお似合いでしょうけどわたくしは嫌ですわ


訳すると、「美しいエトワールの草原はお兄様にお似合いです」。


エトワールには美味しいアップルパイを売っているカフェがある。その特集が載った雑誌を読み込んでいたのを知っている。


が、今は第一夫人が寝込んでいる。


ギヨームにとっては害悪そのもののような人でも、エディットにとってはたった一人の母親だ。そばにいたいのだろう。


「ねえレミ、小父様(おじさま)がピクニックに連れて行ってくれるんですって!」


***


「子爵、よろしくお願いします」


「いえいえ、姫君を乗せることができるなんて光栄ですよ」


わざと気障(きざ)におどけるギヨームにシェリは微笑んだ。


公爵の誘いでシェリたちはピクニックに出かけることになった。エトワールの草原は馬駆けにぴったりなので、各々馬に乗って。


ただ、公爵夫人は公爵の馬に、シェリはギヨームの馬に、アンヌは騎士の馬に乗る訳だが。


「話には聞いていましたが、綺麗なところですね、エトワールは」


「ふふ、そうでしょう?」


この領地を褒められることが、自分のことのように誇らしい。


広大な公爵領をいずれ父親から受け継ぐリアムに連れられて、公爵領の色々なところに行った。


フェルディーアとの国境に在る『魔女の森』。背丈の高い木々が鬱蒼と生い茂るその森で探検したのがバレて、公爵夫妻にひどく叱られた。熊や狼だけではなく、恐ろしい魔獣もいるんだとか。


エトワールを北と南に分けるアザール山脈。その麓で育てられた牛の乳から作ったチーズは絶品だ。近くにある公爵家の別邸で、チーズフォンデュを頂いた時など、美味しくてほっぺが落ちそうだった。山の斜面にはぶどう畑が広がって、別邸にいる時はもぎたてのぶどうがデザートとして出てきた。このぶどうから作るワインはエトワールの特産品らしく、祖母などひどく気に入っている。


「ああそうそう、エトワールは林檎も有名ですのよ。領都には美味しいアップルパイのお店がありますから、今度はエディット嬢もお連れになるといいですわ」


「ええ、是非。殿下はエトワールのことに随分お詳しいのですね。公爵家の花嫁と言われても何ら不思議がない」


「いやですわ、わたしはまだ十三ですのよ? 花嫁なんていう年齢じゃありません」


「けど、公子は殿下の婚約者候補ですよね?」


たしかにそうだが、何もシェリの婚約者候補はリアムだけではない。レミに加え、少々年は離れているがラ・ロシュフコー公爵の一人息子、イザイ伯爵もそうだし、諸外国の王位・皇位継承者も候補だ。


シェリは正直皇后や王妃なんて御免願いたいし、何より父が離したがらないので国内の貴族に嫁ぐことになるのだろうなと思う。侯爵家の者も一応候補にリストアップされているが、きっと恐らく、リアムかレミかイザイ伯爵の誰かに嫁ぐことになると思う。


イザイ伯爵は父の側近で、シェリに王女への礼儀を欠かすことはない。しかし親しいというわけではない、全く。イザイ伯爵の母親はシェリの祖父ランチェの従妹姫なので、父の再従弟にあたるわけだが、祖父にいとこはたくさんいたのでそんなのごまんといる。兄弟も多かったので、父のいとこは十四人、はとこは二十五人。


よく知らない伯爵に嫁ぐよりは、リアムやレミの方が気が楽なのは事実だろう。まあ正直、レミの母親は苦手なのでできればリアムに嫁げればいいな、とは思う。


「わたしが誰に嫁ぐかはお父様が決めることですもの。わたしはそれに従うだけですわ」


そんな無駄話をしている間に、いつもピクニックをしている花畑に着いた。トルトゥリエ伯の手を借りて馬から降りる。


「じゃあ、婚約者候補の方々から敢えて選ぶとしたら、一体誰なんです?」


「そうですねえ……」


顎に手を当て、数秒後に答える。


「やっぱりリアムかしら」


「ちょ、リアム大丈夫!?」


後ろを振り返ると、馬から降りたばかりのリアムがずっこけていた。


「あら、どうしたの? 手を貸しましょうか」


心做しか顔も赤い。もしや体調が悪いのだろうか。


「いや、大丈夫……」


フフフ、フフフ……と立ち上がり、リアムは傍の木に顔を埋めた。


「顔が汚れるわよ」


「ダイジョブダイジョブ、動揺しないしない。シェリが言ったのは消去法で選んだらそうなっただけ、落ち着け俺……」


「ちょっと、何言ってるのか聞こえないんだけど……」


ブツブツと呟くリアムに、訝しげなシェリ。


「兄上、リアムを揶揄(からか)うためにわざとあんなことシェリに聞いたんですね? 趣味が悪いですよ」


「ふふ、人形みたいに綺麗だけど表情が変わらない公子が、殿下の前ではそうじゃないって聞いてね。試してみたくなったのさ」


兄の悪戯(いたずら)にも困ったものだと、レミはため息をついた。シェリは公爵夫妻と侍女アンヌと共に、ピクニックシートを広げに行っている。


「リアム、あんまりニヤニヤすると気持ち悪いよ」


「うるさい」


「リアムー! レミー! 子爵ー! はやくはやく!」


シェリが手を振っている。三人は甘い花の香りを愉しみながら、みんなのもとへ向かった。


***


「おいしいな、これ」


「これはぼくが作ったんですよ!」


花畑にピクニックシートを広げ、みんなでランチ。お手製のキッシュを褒められ嬉しそうなレミに、シェリの頬も緩んだ。


「子爵、こちらもどうぞ」


「これも美味しそうですね。初めて見ますが」


「ウィーサでのファーストフードのようなものらしいですわ」


「殿下はウィーサにご友人でも?」


シェリの代わりにギヨームの疑問に答えたのは公爵夫人だった。


「ウィーサは王太后陛下の母国ですもの。メアリー様の侍女から聞いたのよね、シェリちゃん」


「ええ、ローズという名の侍女がいましてね。お祭りでよく食べたと言っておりました」


祖母と同じような年齢の侍女。元はしがない平民だったという。しかし曾祖父が暴政を敷き女に溺れた皇帝を弑し、国内を制圧した時多くの武勲を立てたローズの父親は、伯爵位を与えられ、娘のローズは皇女だった祖母の侍女となった。


祖母の侍女となってからは好き勝手なことは出来なくなったそうだが、ローズにとって平民として街を駆け回り近所の子供と思う存分はしゃいだ日々は一生の宝物なんだそう。祖母の宮に遊びに行った時、ローズはその時のことをたくさん話してくれるのだ。ウィーサの料理や遊び、歌のこと。勿論、祖母の少女時代の話もしてくれて、それはそれで楽しいのだが。


「ローズといえば、赤薔薇様のご婚約が決まったそうですね。みんな残念がっていましたよ」


「まあ」


『赤薔薇の姫君』。それは社交界に咲く王妹殿下の通り名である。波打つ真っ赤な髪と華やかな雰囲気が、赤薔薇を連想させるのだとか。


そんな叔母は、シェリと五つしか年の離れていない、姉のような存在である。早くに母と別れ、祖母が母のような存在だったこともあったのだろうか。叔母は祖父の側妃の娘で、祖母とは血が繋がっていない。だが早くに母親を亡くしたので、祖母のもとで養育されたのだ。


ーシェリ! お庭の薔薇が綺麗よ。紫色の薔薇なんて、お城でしか見られないのよ。王家の色なんですから


ーほらほら、こんなに良いお天気なのに、部屋に籠ってちゃ損よ。ご本を読むのは雨の日にすれば良いの。さあさ、お散歩に行きましょ?


「駄目ですよ兄上。シェリは王妹殿下が結婚してお城を出るから、ずっと寂しがっているんだから」


「レミ!」


半目で睨みつけるが、レミは何処吹く風だ。


「まったくもう……」


ため息をついていると、奥から騒がしい音がして、一人の騎士が駆け寄ってきた。


「閣下!」


「何事だ」


人の好い小父様は姿を消して、冷徹な公爵閣下が現れる。騎士は震える声で報告した。


「王都から早馬が……。だ、大王太后陛下がお倒れになった故、王女殿下は速やかに城に帰還なさるようにと!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ