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初恋のわかれみちⅡ 《アラン・ボンタノアside》


***アラン side***


「あなた、お手紙よ」


「エカチェリーナ」


わざわざ君が運んでこなくても、とアランは苦笑を浮かべた。


「あらだって、わたくし心配なのよ。あなたが浮気しないかってね」


「するわけないだろ。それに、封筒に書かれてるのなんて、俺の名と相手の名ぐらいだよ?」


そこから何がわかるというのか。


エカチェリーナは妖艶な笑みを浮かべた。東の出身らしい母親譲りの黒髪と相まって、何とも色っぽい。


「あの緑のお姫様からの手紙なら、わたくしが中身を見てから渡そう、と思って」


緑のお姫様。


アランの知り合いに緑髪は二人しかいない。


一人は継母・メアリー。彼女は『お姫様』という年齢ではない。


そしてもう一人は、姪・シェリ。


「エカチェリーナ。何か誤解しているようだが、俺と彼女の間には叔父と姪以上の関係はない」


知ってるわ、とエカチェリーナは微笑んだ。


「もし何かあったのならば、真面目なあなたのことよ。わたくしと結婚するはずがないもの。彼女との結婚が許されなくても、置いていきやしないでしょう」


あなた、セリースに心残りはないの、とエカチェリーナは問うた。


ないと言えば、嘘になる。


アランの心残りの大半は、最近なくなった。まだあるとするならば、それはただひとつ。泣かせてしまった姪の、これからのこと。


「何もなかったとしても、気がかりであることには変わりはないのでしょう? ああ、あなた、エミリア様に感謝すると良いわ」


「手紙の中身を読んだのか?」


差出人は、エミリアだった。きっと、先日の手紙への返事だろう。


「読むわけないでしょ。そうじゃなくて、あなたをわたくしと結婚させたことよ。そして、あの子と引き離したことよ」


どういうことなのか、とアランは訝しんだ。エカチェリーナは馬鹿ではない。夫が権力に固執する男ではないことぐらい、察しているだろう。それに最後の方は、全く意味がわからなかった。


「あの子、将来はさぞかし綺麗になるでしょうね。その時、あなたは理性が保てるのかしら。美しく成長したお姫様を、姪だと思えるのかしら」


そのお姫様が自分を慕っているなら尚更よ、と呟いて部屋を出てゆく妻に、アランは何も言えなかった。手紙はいつのまにか、執務机の上に置かれていた。


***


「陛下、ご機嫌麗しゅう」


久しぶりの王城は、どこか華やかさに欠ける。その華の正体に思いを馳せれば、本宮に出仕するといつも笑顔を浮かべてくれたあの子がいないのだということに気づく。


「葬式の件だが、シェルラリンスの王位継承者の夫たるそなたを、ミュエール妃はともかくフィリップの葬儀に参加させるわけにはいかない。……だが」


「あなたがただの青年ならば可能です。葬儀が終わるまではあなたはアランではなく、フィル。ドゥエリ修道院長の親戚の青年」


リュカの言葉を引き継いだのはメアリーだった。彼女はおちゃめにウインクしてみせた。


「これはお忍びなのよ。ということで、変装しなさいな」


そこで、スっとセラが出てきた。彼女はリュカの元侍女で、レオの誕生後は彼の乳母となり、そのまま王太子専属の侍女となったはず。


セラはソレイユ公爵の第二夫人でもあるが、アランは彼女の性格を知っているだけ、あの正妻と上手くやっていけているかどうか心配だった。


ソレイユ公爵第一夫人・ミレイユはアランの父親の年の離れた異母妹、つまり叔母にあたり、ミレイユが降嫁するまでの数年間はそれなりの付き合いがあった。


しかし、アランは当時から幼心に怖い人と感じており、かなり苦手だった。母親のガブリエル妃は優しい人であったし、兄のキャルム叔父やトリスタモ叔父は気のいい人達だったのに。


そういえば、キャルムはソレイユ公爵の姉・アンリエットと大恋愛の末に結婚したのに対し、トリスタモは未だ独身である。


彼の女好きは社交界では有名であり、しかも年を経ても変わらない、それどころかだんだん磨かれている卓越した美貌の持ち主であるトリスタモの周りには、遊びでもいい、という女性達が群がってくる。


当初は弟の女遊びに頭を痛め、度々注意をしていたキャルムも、その中から一人を選び落ち着いてくれるのならばそれでいい、という方向に解決したようだ。結婚しないどころか独身貴族を謳歌しているトリスタモに、キャルムも諦めたらしい。


けれど、彼は本当に独身生活を謳歌しているのだろうか。アランにはそれが、偽りのトリスタモであるように感じられた。


自分の感情を殺した(フィリップ)のように。弟は手に入れられなかった初恋から目を背けるかのように、あんなことを仕出かした。


トリスタモの場合は、それが女性だったのではないか。多くの女性がいれば一人ぐらい、愛しいけれど自分のものにはならない人に似ている誰かがいるかもしれないと、希望を持ったのかもしれない。そんなはずないのに。


誰も、その代わりになれはしないのに。それは、アランも同じだった。


(ランチェ)の正妃メアリーは、自分に目をかけてくれていたように思う。縁談を多く紹介されたのも、良かれと思ってのことだろう。孫娘にこれ以上近づいてほしくなかったからかもしれないが。


孫娘-アランにとっての姪にあたるシェリは、『お姫様』を体現したような少女だった。何も知らず、何も疑わず、皆から愛されて真綿にくるまれて大切に育てられたお姫様。


それがある日から一変した。今思えば、あの時すでに彼女は母親の不貞に気づいていたのだろう。


そんな彼女を放ってはおけなかった。一人孤独に、瞳を蔭らせる少女。


初恋の人に、ステファニーに似ていたから。微笑んではいるけれど、いつもどこか寂しそうなあの人に。


ステファニーとの出会いは王家主催のお茶会。彼女はボンタノアの第三夫人。けれど、ミレイユもセラもまだ嫁いでいなかった当時は、彼女はボンタノアの唯一の妻だった。


けれどステファニーは決して幸せそうでなかった。逆に、その瞳に昏い光を湛えていた。


その寂しげな微笑みは、弱々しく儚い母に少し似ていて、アランは知らず知らずのうちに惹かれていた。仲良くなるにつれて、色々なことを知った。


貴族社会においては致命的な程に優しいこと。


暇さえあれば読書する程に本が好きなこと。


ボンタノアとは政略結婚だったこと。


オーバン王子を慕っていることーだけどそれは、叶わない恋だということ。


オーバン王子はアラン達の父・ランチェの異母弟。オーバン王子の母エリーヌは、ボンタノアの従姉。両親を事故で亡くした彼女は、伯父夫婦に養女として引き取られ後宮に入った。


叶わない恋、か。たしかにそうだろう。オーバンは五年程前、ある侯爵家に婿入りしたはずだ。セリースでも有数の名門で、オーバンの妻でもある侯爵夫人は大層美しい女性だった。そうそう、たしかあの家はシュテルン家のエルザ夫人の実家でもある。母が、「わたくしもよくは知らないのだけど、エルザ夫人は姉君ととっても仲が良いそうよ」と言っていた気がする。


そして、「侯爵様は夫人をとっても大切にしてらっしゃるんですって。……侯爵様は精悍な方でね、第二夫人を希望する者が後を絶たないらしいの。侯爵様はそんなご令嬢たちにこう仰ったそうよ-私は妻以外愛せないし、十年以上かかってやっと捕まえた愛しい人にそっぽを向かれると困る、ってね」とも言っていた。……その後母はふっと悲しげな顔をしたので、アランも酷く悲しくなった。多分、侯爵にそこまで愛される夫人が羨ましくなったのだろう。父は家族を平等に愛していた。だけどそれは、『特別』などいなかったということだ。


-あの人も、叶わない恋をしたの。だから私達は結婚した。


この世には、叶わない恋ばかりだ。片思いも、両想いも、それぞれだけど。


フィリップの恋。


ステファニーのオーバンへの恋。


ボンタノアの恋。


そして-アランのステファニーへの恋。


「卿。妻の支度はいかがでしたでしょうか」


「宰相殿」


考え事をしている間に支度は終わったようで、アランはすっかり平民の格好だった。目立ちすぎる銀髪は茶髪に染めた。セリース王族の証たる紫色の瞳はセリースの技術ではどうしようもないので、エトワール公爵領に接する、魔法で有名な隣国フェルディーアから輸入した薬で緑色に変えた。


「お供は私が致します」


「あなたが?」


祖母(エミリア)の命令だろうか? 訝しげにこちらを見たアランに、ソレイユ公爵はこちらが驚く程に優しく、切なげに微笑んだ。


「私が我儘を言ったのですよ」


アランはますますわからなくなった。アランの弟・フィリップは公爵の娘エディットの婚約者であったのに、彼女を裏切り王后と通じたというのに。


***ボンタノア side***


ああ、似ている。恐ろしい程によく似ている。


あの人の、ジャンヌの優しい雰囲気に。


ボンタノア=ファビアン=デュ=ジュブワは国の公爵を務める宰相。ランチェ王の代から仕える、国の要人。彼の手が届かないものなど、ほとんどなかった。


見目麗しい彼は多くの女性の憧れの的だったし、正妻のミレイユと結婚したのだって彼に片想いしたミレイユが王に頼み込んだのが発端だったのだ。


高慢だが、身分はまぎれもなく高貴そのものの正妻・ミレイユ。


その娘で、完璧な貴族令嬢・エディット。


その弟、公爵家を継ぐに相応しい才覚と異母兄の影響による人柄の良さを持つ嫡男レミ。


かつてリュカの侍女で、現在はレオの乳母を務め王家からの信頼厚い、第二夫人セラ。


その娘、齢八つながら家庭教師達にその優秀さを感嘆され、乳兄妹であり婚約者候補でもある世継ぎの王子(レオ)とも良好な関係を築く小さな淑女・三女レベッカ。


北の砦を守る、ラヴァル家の娘、第三夫人・ステファニー。


その娘で王の側妃であり、王子の母の長女アリス。


温厚篤実で思慮深く、多くの者から慕われる長男ギヨーム。


ギヨームやレミはいずれ政界で活躍するだろうし、今年社交界にデビューしたエディットは国内の名家、あるいは外国の王家に嫁ぐだろう。


エディットが王弟フィリップの婚約者だったことを知っているのは極少数だし、リュカ王は王女を溺愛していて他国に嫁がせようとはしないだろうから。事実、多数の家から縁談の申し込みがきていた。


そしてレベッカは王子の婚約者筆頭候補だ。王太后などは聡明なレベッカを大層気に入っていて、すぐにでも婚約者に仕立てあげたいようだったが、ジュブワ家との結びつきが強くなりすぎることを恐れる国王と大王太后の反対により、それは実を結んでいない。


しかし、レベッカ以上に王子の婚約者に相応しい令嬢がいないのも事実だ。ジュブワ家はボンタノアの父が三代前の国王バルザックの側近として改革に尽力した辺りから勢力を増し、伯爵家から公爵家に上げられた家だ。公爵家としての歴史は短い。だが現在の王国内での地位は、建国王ユージアリの弟から始まる王国随一の名門・『三花』に次ぐ。


勿論、『三花』に王子に合う年頃の娘がいれば彼女が婚約者になっただろう。しかしそんな者は存在しない。


ただ、他の公爵家の令嬢も有力な候補だし、侯爵家や、裕福な伯爵家の令嬢もいる。王太后はレベッカを王子の婚約者に願う一方で、大王太后や国王との兼ね合いから他の候補も考えているようだ。その中でも有力なのが、ウィーサ帝国の第三皇女。王太后の弟の孫娘だ。甥の妻である皇后と度々連絡を取り、王子と第三皇女の婚約を調えようとしているらしい。


……皇后は、本来は第一皇子の妃に王女(シェリ)を望んでいた。このあたりが攻め所だとボンタノアは思っている。王女を皇后に仕立てあげる訳では無い。国王が生きている間は、そんなこと許されないだろう。娘を溺愛するあの王が、外国に嫁がせるわけはないのだから。だが、ウィーサに「第一皇子とセリース王女は仲睦まじい」という噂を流すことはできる。第一皇子の妃に王女を切望する皇后は、第三皇女と王子の婚約に慎重になるだろう。もし第一皇子と王女を娶せることができたら、第三皇女の嫁ぎ先は他国か国内の名門にした方が得策なのだから。


アリスが産んだ王子が王になり、レベッカがその正妃となった(あかつき)には、ジュブワ家の地位は確固たるものになる。アリスは王太后に、レベッカは王后になるのだから。今まで王后を輩出したのは、シュテルン家を始めとする五家のみ。どれも、王国有数の名門だ。レベッカが王后になれば、「成り上がり」と蔑まれ続けたジュブワ家は真の名門になることができる。


王后を輩出する名誉は、王女の降嫁を賜る名誉に勝る。


エトワール公爵レーニエ。シュテルン家の当主。王の名代として王国軍を統括する元帥閣下。その一粒種のリアム=ユーグ=デュ=シュテルンは王女と随分親密だ。恐らくだが、王女の降嫁先はシュテルン家になるだろう。


しかし、こちらのレベッカが王后になれば、『三花』たるシュテルン家の権勢にも勝てるはず。


誰もがボンタノアを羨ましがるだろう。手に入らぬものなどない、臣下として高みを極めた者として。だが、そんなボンタノアにも一つだけ手に入らないものがある。彼女さえこの手を取ってくれるなら、地位も権力も名誉も財産も要りはしないのに。


最初から、叶わない想いだったのだ。知っていた。だから告げなかった。太陽が弾けるような笑顔も、あの人がくれた優しさも、全て記憶の淵に閉じこめた。そうでなければ、想いが溢れてしまうだけだとわかっていたから。


ジャンヌが嫁いだランチェは天性の女たらしだった。何人の女性が彼の無自覚の甘い言葉に恋に落ちたのか。


ジャンヌもその一人だった。ランチェが側妃にジャンヌを娶ったのはセリース王国とミュエール公国の結び付きを強めるため。ジャンヌはそれでもランチェを愛していたけれど、ランチェが彼女に政略結婚以上の思いを向けることはなかった。妃として尊重はしていたが、愛することはなかった。


ボンタノアは知っている。ランチェがずっと、ステファニーを愛していたことを。


表立って守ってやることは出来ない。けれどその代わりに、影ながら守れるように力をつけた。


好きでもない高慢ちきな王女と結婚したのも、王の侍女と愛のない結婚を交わしたのも、辺境伯家の令嬢を妻にしたのも、死に物狂いで努力して宰相になったのも、全て全てジャンヌのため。まあ、ステファニーを妻にしたのは幾分かランチェへの復讐が入っているけれど。愛しい女が王城の庭で泣いているところを、何度見たと思っているのか。


隣では、ジャンヌと同じ面差しを宿すアランが、表情を凍らせていた。全く、平民の演技をしろと言ったのに。ゾッとするような無表情は、ただ者でないことを思わせる。


神父が死者への悼みを告げる言葉が、やけに遠く聞こえた。聖書によると、生まれ変わりは邪なるもの。善そのものだったあの人が、生まれ変わってきてくれる可能性などないのだろう。だったら、彼女のために多くを利用した邪である自分も、生まれ変わりたくはない。彼女が手に入らなくても、彼女を想うだけで幸福になれる。だが、彼女がいない世界は途端に色あせていくのだから。




●ミレイユ=ジゼル=デュ=ジュブワ ソレイユ公爵夫人。シェリの曾祖父アントワヌ王の第三王女。キャルム、トリスタモとは母が同じ。ボンタノアの正妻。レミやエディットの母。


●キャルム=パトリス=デュ=ガルニエ ヴィアール侯爵。シェリの曾祖父アントワヌ王の第四王子。トリスタモ、ミレイユとは母が同じ。王位継承争いを避けるため臣籍降下。


●アンリエット=テレーズ=デュ=ガルニエ ヴィアール侯爵夫人。ボンタノアの姉。


●トリスタモ=ノエル=デュ=ピノトー イノー侯爵。シェリの曾祖父アントワヌ王の第五王子。キャルム、ミレイユとは母が同じ。


●オーバン=マルク=デュ=マイヨール シャルパンティエ侯爵。シェリの曾祖父アントワヌ王の第六王子。母はボンタノアの従妹、かつ彼女はジュブワ家の養女なので義妹でもある。マイヨール家の跡取り娘(リアムの母の姉)と結婚、侯爵位を継承。



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