母との別離Ⅱ
「王女殿下、ご機嫌麗しゅう」
挨拶にやって来る貴族の令嬢たちに、第一王女シェリは社交用の笑みを浮かべた。
「本日は真に良いお日和ですね。どうぞ楽しんで行ってください」
主催者たる王太后の孫娘で、后から生まれた唯一の子、何より国王が溺愛する第一王女には、媚びを使ってこない者の方が珍しい。
それに両脇は、異母弟である第一王子の次、いや未来の王后となる重責も考慮に入れるならばそれ以上に優良物件かもしれない二人で固められているのだから。
「リアム様、今度我が家のお茶会にいらっしゃいませんか?」
「レミ様、あちらでお話しません?」
王国軍元帥の嫡男リアム。
宰相の嫡男レミ。
二人はシェリの幼馴染である。
無表情で断るリアムと、愛想良く断るレミという対称的な幼馴染を見て、シェリは異母弟レオの方を見やった。
二人のように令嬢を上手くあしらう術をレオが身につけているとは思えない。
-あら、心配はいらないようね
レオの隣ではレミの異母妹・レベッカが微笑んでいた。
レベッカはレオと同い年、まだ六つだがその才気はいずれレオの后にと祖母が望む程だ。
レベッカはレオに群がる令嬢たちを適当にいなしてくれている。
お茶会のお菓子を満喫していると、胸に百合の刺繍入りのドレスを着た女性が近づいて来た。
「待たせましたね、シェリ。レミ、リアム、娘の相手をしてくれてありがとう」
「いいえ、王后陛下」
リアムとレミが深々と礼をした女性は、優しく微笑んだ。
蜂蜜色の髪、うぐいす色の瞳。
シェリの母にして、セリースの王后である。
母は用事があったとかで、お茶会には途中参加なのだ。
その用事の内容を邪推してしまう程には、シェリはもう純粋ではなかった。
「では、ご子息がたの挨拶を受けなくてはね」
このお茶会のメインはレオの婚約者決めだ。
だが、サブの目的としてシェリの婚約者決めもある。
二人の幼馴染、そして諸外国の皇位・王位継承者が婚約者の有力候補とはいえ、この四人だけに凝り固まるのも良くないのだとか。
-まあでも、リアムとレミ以外はまともな会話もしたことがないのだけど……
ご子息たちの挨拶という名の売り込みを笑顔であしらいつつ、シェリはレオの方に視線を向けた。
微笑み合うレオとレベッカ。
この二人は結婚するだろう、遠くない未来に。
たとえ二人に恋愛感情がなくとも。
王族の結婚に惚れた腫れたは関係ないどころか邪魔なのだから。
王の后は、王を支え、子をなす能力さえあれば良い。
だから王の后となる者にとって、恋愛感情は枷なのだ。
-それでも、王を愛することができたなら幸せなのかもしれないけど
その恋愛感情をそれ以外の者に向けてしまったのなら、これ以上の不幸はない。そう、隣で優雅に微笑む母のように。
気づいたのは三年前。薔薇園で睦みあっているのを聞いてしまった時。
父には言えなかった。
父は本気で母を愛している。
きっと激しいショックを受けるから。
綺麗事を並べてはみたが、王女の地位を失うことが怖い、というのもある。
父や祖母の愛を、リアムやレミとの友情を失うことが怖い。憧れ慕う叔父が、もう撫でてくれなくなることが怖い……。
-ああ、なんてずるいわたし
一瞬だけ皮肉げに微笑んだ後、最後の子息に最高級の笑みを返すと、お茶会はお開きのようだった。
祖母の方を見やると、レミの異母兄ギヨームと異母姉エディットと話をしていた。尤も、二人とも母親は違うが。
お茶会のお開きと共にレミを引き取りに来た公爵夫人が、眉を上げていた。
公爵夫人は悋気の激しい女性で、夫の第二夫人、第三夫人は勿論のこと各々が産んだ子まで嫌っているのだ。
第三夫人が産んだ娘が王の側妃に収まり、世継ぎの王子をなしたのも良くは思っていないだろう。
たぶん、レオに対しても良い感情はない。
その婚約者の最有力候補として第二夫人が産んだレベッカが収まっているのも。
まあ、夫人の娘のエディットは公にはされていないとはいえ王弟フィリップの婚約者だし、第一歳が離れている。レベッカはレオと同じ年頃の令嬢たちの中では身分が最も高い。レベッカのジュブワ家は新興貴族なので「セリースの三花」の一つでこそないが、その権勢は「三花」にも劣らない。
「三花」は建国王の弟たちを家祖とする三つの公爵家の総称である。
家祖は次男、シュテルン家。軍部の幹部を多く輩出している。リアムはここの嫡男で、現当主である彼の父は王の名代として王国の全軍を統括する元帥閣下だ。
家祖は三男、シュヴァリエ家。跡継ぎの青年は父の側近の一人で、シェリの婚約者候補でもある。その母親の公爵夫人は三代前の国王の末の王女。彼は父の再従弟なのだ。
家祖は四男、アグレアーブル家。文官を多く輩出する名家だが、最近では権勢が衰えている。数代前までは宰相はほとんどの場合アグレアーブル家当主だったのだが、三代前の国王が内政改革を行い実力主義の登用を行ってからはそれも廃れ、現在ではその立場をジュブワ家に取って代わられている。
「三花」に年頃の釣り合う令嬢がいれば彼女たちがレオの婚約者の筆頭候補となったかもしれないが、生憎シュテルン家やシュヴァリエ家には跡取り息子しかいないし、アグレアーブル家の一番レオに歳が近い娘は既に婚約者がいるし、何より六つも上だ。
だから、「三花」ではないが「三花」に劣らない権力を持つジュブワ家の娘で、唯一レオと歳が釣り合うレベッカが正妃になるのは謂わば必然のようなもの。
愚かな人だ、と思う。レベッカはいずれ至高の存在となる。
ー今でさえあんなに可愛らしいんだもの、蕾が花開くようにレベッカ嬢は美しくなるでしょう
レベッカが多数の信奉者を抱えるようになるのも時間の問題。ただ困ったように微笑むだけで、周囲が鉄槌を下すだろう。
ーま、今日のお茶会で騒ぎを起こさなかっただけマシね
きっと攻撃したかったことだろうが、生憎レベッカはレオの隣、つまりはお茶会の中心である。
おいそれとは手が出せなかったに違いない。
小さく、レミの異母兄ギヨームの端正な顔立ちの一角をなす唇が動いた。
何を言っているのかは、結局シェリの方からではわからず、シェリは母に手を引かれて己の住むアプレ宮に戻った。
***メアリー side***
「それで、お話って何なのかしら?」
やけに深刻そうな面持ちをしたギヨームとエディットを自分の離宮、ヴァート宮に呼び寄せ応接間のソファに座らせると、メアリーはそう口火を切った。
「王太后陛下、こちらを」
「これは、手紙?」
手紙は全て開封済みだ。中身を開け、宛先と送り主の名を見てメアリーは目を見開いた。驚愕-そして怒りで手がぷるぷると震える。
「フィリップから、リリィへの恋文ね。ローズ、先日の夜会の招待状へのフィリップの返事の手紙を持ってきて。それから、今日のお茶会のリリィの返事の手紙も」
「かしこまりました」
メアリーに命じられるまま侍女が二通の手紙を差し出すと、メアリーの眉間の皺はますます濃くなった。
「筆跡が同じだわ。どうやら間違いないようね。-子爵、エディット嬢ご苦労さま。これを国王陛下と大王太后陛下にご報告しなければならないから、今日のところは帰っていただいてもいいかしら? いずれまた、来てもらうことになるでしょうけど」
「少しお待ち頂けませんか、王太后陛下」
まだ証拠があるのだろうか? メアリーが続きを促すと、ギヨームは言いにくそうに続けた。
「この手紙を手に入れるのが簡単すぎたのです」
「……どういうこと?」
「エディットがこのことに気づいたのはつい二月ほど前のことです。一ヶ月に一度のフィリップ殿下とのお茶会で。だから手の者をアプレ宮に侍女として仕えさせた。この時点でおかしいはずなんです。身元がしっかりしていない者が王城-それもアプレ宮に仕えられるはずがないのに!」
そう、アプレ宮に仕える資格を持つのは伯爵家以上の家格の出身者だけ。
でも、例外はある。それは-
「本で読んだことがあります、王后陛下がお気に召した者ならば、身元がしっかりしていなくとも仕えることができると」
「つまりあなたたちは、リリィがわざとこの手紙を見つけさせたと言いたいの? 一体何のために?」
「そこまでは、わかりませんが」
「じゃあこんなことを言うのはおやめなさい。それに、もし仮にそれが本当だとしても不貞を働いたのは事実なのだから」
不満げな二人をローズに無理やり帰してもらい、メアリーは手紙を机に置いた。
国のトップしか知らない情報がある。リリィの出身国ウィズリアは今内乱が起きている。世継ぎの王太子が幽閉されたのだ。王太子はリリィの兄にあたる。
不貞を行えば王城を追放される。貴族出身ならば修道院行きだろう。けれどリリィは外国の王女だ。王城を追放されれば母国に帰るはずだ。
リリィはウィズリアに帰ろうとしたのか、幽閉されている兄のために。
「本当に、全くもって理解できないわ」
自分なら、絶対に弟のためにこんなことはしない。メアリーは帝国の皇女だった。父帝は亡くなり、弟が即位した。弟のことは普通に好きだ。けれど弟のために自らを犠牲になどできない。
「王后の地位を手に入れるために、私がどれだけ……」
夫ランチェはたくさんの花嫁候補がいた。国内の有力貴族の娘は勿論のこと、外国の王女も大勢名を連ねていた。
メアリーはその中で、ただランチェの、正確に言うのならば王太子の正妃の地位を勝ち取るために死に物狂いで努力した。
父が帝位を手に入れたのは真っ当な理由とは言えなかったから。父の伯父、つまりメアリーの大伯父は悪政で民衆を苦しめた。父はその皇帝を処刑し帝位についたのだ。
ー父様は正義だった。けれど正統ではなかった。普通の世ならば帝位につける血筋ではなかった。だけどわたくしが王太子の正妃、ゆくゆくはセリースの王后になれば父様はセリース王の義父になれる、わたくしはただそれだけを思って……
「お父様は正統にはなれない。わたくしも正統にはなれない」
父の前の皇帝がまともな為政者だったのなら、メアリーはどこか適当な貴族に嫁ぎ、間違ってもセリースの王太子になど嫁がなかったはずなのだから。
「だから、だから……欲しかった。そんなもの枷ともしない権力が。それを、あなたは」
もちろん、メアリーが王后の地位を手放したくなかったのはそれだけが理由ではない。王后として国民の母となり王を支える地位に誇りを持っていたし、二人の子どもも愛していた。何よりメアリーは、政略結婚の相手に過ぎないランチェを愛してしまったから。
「あの人を愛したって……辛いだけなのにね」
ランチェはメアリーに心をくれなかった。いつも優しかった、ドレスも宝石もアクセサリーもくれた。折々につけてプレゼントもくれた。けれど最後まで心だけはくれなかった。メアリーと一緒にいても、心ここに在らずという感じで、どこか遠くを見ているようだった。ランチェには側妃が二人いたから、そのうちの一人かと思った。けれどすぐに違うと思い直した。
「望めばどんなものだって得られる立場のあの人は、喪失感に埋まった顔をしていたもの。きっと好きになってはいけない人を好きになったのね」
メアリーはコツンと机に爪を立てる。
「うふふ……可笑しい人。あの人も、私も」
どこまでも滑稽。好きになってはいけない人を好きになってしまったランチェも、一生振り向いてはくれない人を見つめ続けた自分も。
「だから……余計あなたに腹が立つわリリィ」
欲して欲して得られなかった夫からの愛。リリィはそれを十分に享受しているではないか! それをくれた相手は違おうとも、腹が立つものは立つ。
リリィの兄である王太子を幽閉したのはリリィたちの叔父である国王。先に崩御したリリィたちの父王に中継ぎの王として指名された王。
『ウィズリアの百合』、それがリリィの二つ名だ。父王に慈しまれ、王太子に可愛がられ、国民に敬愛される可憐で聡明な姫君。その呼び声はセリースまで届き、何度もリュカの后にと婚約の打診をしたものだ。だが王は遠回しに何度もそれを断った。
王が若くして亡くなり、弟のマシューが即位すると状況は一変した。マシュー王は姪のリリィをリュカの后として差し出した。ウィズリアの舞踏会で何度か見たリリィ王女の幸せそうな笑みは消え失せ、リリィ妃は何かを諦めたような笑みを浮かべていた。
そう、奪って后になったメアリーと奪われて后になったリリィとでは何もかもが正反対。
だから一生、わかりあえることはない。
「まあ良いでしょう。リリィが何を考えていようともこの手紙が告げる事実は変わらない。この手紙のことを大王太后陛下にお話しなくてはね」
嫁いでからずっと、心が泣き続けていたことをメアリーは自覚しない。いいや、自覚してはいけないのだ-
***フィリップ side***
それから、三日後のこと。フィリップは大王太后の執務室に召された。
祖母の他には、王太后メアリー、第一王子レオの元乳母にして、王子付きの専属侍女セラ。
「申し開きをさせてあげましょう。何も聞かずに罰するのはわたくしの信念に反します」
かつて『氷の后』と呼ばれた祖母の冷たい瞳がフィリップを射抜いた。フィリップはその瞳の冷たさに竦みそうになりながらも、若い王に代わり実質的な権力者たる祖母を見返した。
せっかく上手くいっていたのだ。婚約者を使って宰相へ近づき、その権力のお零れを貰い、なおかつ異母兄の大切な二人を奪うことがフィリップの目的で、それがフィリップなりの祖母への復讐だった。若くして亡くなった父の息子は三人いた。
一人は現国王。彼は王后が産んだ唯一の男子だった。そのことが理由となって、祖母に守られた。母親の祖国からの声もあった。
一人は側妃の息子でありフィリップの実兄であるアラン。彼は多くを望まず、ただ願ったのは母と弟のしあわせ。母は小国の公女に過ぎず、国内に後ろ盾もない中、アランは弟を守るために強くなった。義母メアリーが親愛の情を向け、姪シェリがほのかな憧れを募らせたのも頷ける。
そして最後の一人は、フィリップだ。フィリップには王家は肉親の情に囚われるべきではないという考えは到底理解し難いものであり、祖母の冷たさを恨んでいた。宰相の娘を妻とし、祖母の権力のお零れをもらうのは当然の権利だと妄信していた。
「……誤解です、陛下! 私と王后陛下の間に疚しいことなど一切ございません。私を妬む者が流した偽りに違いありません!」
「では、これはどういうことなのです?」
眦を吊り上げたメアリー、蔑みの目を向けたセラを背後に従えた祖母は、先程からまるで変わらぬ、それが余計に畏ろしさを加速させる無表情のまま、一枚の紙を突き出した。そこに綴られたのは、フィリップからリリィへの、愛の言葉。
「……フィリップ。あなたは実に家族思いだった。ですから、このようなことになったのは本当に残念です」
●メアリー シェリの祖母。王太后。ウィーサ皇帝の姉。夫を愛していた。
●ランチェ シェリの祖父。先王。故人。
●ローズ メアリーの侍女で第一の忠臣。
●マシュー リリィの叔父。ウィズリア王。
●アラン シェリの叔父。先王ランチェの第二王子。フィリップの実兄。