文化祭
文化祭当日は高く抜けた空から日差しが降り注ぐ、イベント日和。林立する社屋に囲まれた多目的広場に、色彩豊かな屋台が並んだ。
毎年恒例の行事として開催されてきたこの文化祭。
既に四半世紀近い開催実績の甲斐あって周辺地域における認知度も高く、当社のホームページ、ご近所でのポスター掲示やチラシ配布くらいの控えめな広報しかしていないのに、早くも去年を上回る来場者数が見込まれている。
金魚すくい、くじ引き、かき氷にアニメキャラクターのお面。無難な出し物が並ぶ中で、異彩を放つ屋台が二つあった。
それは、企画部が担当する「イベリコ豚の握り寿司」と、我が財務部の「国産天然うな丼」だ。
一悶着を経て大変残念な事態になっている企画部の屋台のことはまた後述するとして、我が財務部の屋台は大変な盛況。長蛇の列が出来ている。さすがは古くから日本人に愛されてきたうなぎ様、と言ったところか。
本日の気温は軽く三十度超え。
提供する食材が「うなぎ」ということで、屋台のテント色も真っ黒ならば、担当する財務部社員に配布された揃いのTシャツの色もやはり真っ黒。
おまけに炭火七輪でうなぎを焼いて、それを炊き立てご飯に乗せて提供するものだから、全員が文字通り汗塗れで立ち働いている。
オレの隣で炭火七輪を担当している神崎さんが、頬を伝い落ちる汗を手の甲でぐいっと拭った。
きめ細かな肌に炭火の煤が線を引くが、そんなことにはお構いなしにうなぎの焼け具合をひたすら見計らっている。その真摯な眼差しには、熱中できる物を見つけた少年の様な無色透明の閃きが宿っている。
自分の横顔に注がれる視線に気付いた財務部エースが、こちらをチラリと見上げて不機嫌そうに呟く。
「なんですか、部長」
「あ、いや、いつもと同じで君はこんな時でも手抜きしないんだなって。偉いなーと考えていたんだよ」
「当たり前です。これもいわばCSR活動の一環。当社の敷地内で、当社の看板を掲げて開催する文化祭なのですから、手抜きなんて出来るはずがありません」
「うんうん、そーだよね。君がオレなんかの部下でホントに良いのかなって。自信なくしそうだよ」
「……全然わかってないですね、部長」
「え? なにか言った?」
「何でもないです。ところで、さっきからオーバーポーションですよ」
「オーバー…… なにそれ?」
「飲食業界の用語で、レシピの規定量を超えた分量の食材を提供することを言います。要するに、たくさん盛り付け過ぎです」
「えー でも、このうな丼、最初からほぼ原価で提供してるんだし。この際だから、ついでにちょっとくらいオマケしても……」
「ダメです。一人でも多くのお客様にご提供する為に、オーバーポーションは控えてください。そもそも部長にそういう細かい数字を扱う作業は向いていません」
「わ、財務部長としてのオレのキャリア、いま完全否定したよね?」
「深く考えないでください。部長には今後、もっと大局観を持って当社の財務諸表を俯瞰してもらいたいという意味です。えっと、山下さん、部長と交代してください」
神崎さんの呼び掛けに、入社二年目の若手社員が振り返る。
計量器を指し示しながら、うな丼の盛り付け方を説明する神崎さん。
よく見ると、規定量のところにあらかじめマーカーが引かれているじゃないか。
マズい。オレがこれまでテキトーに盛り付けてきたのがバレバレだ。
「あー、神崎さん? その、すまなかったね」
「いえ、人には向き不向きというものがあります。それに、済んでしまったことは仕方ありません。いまから最善を尽くしましょう」
「君と話していると時々、どちらが上司だかわからなくなるよ」
鉄串を器用に操ってうなぎの焼き加減を調整していた手の動きが、ピタリと止まった。マズい。オレはまた何か神経を逆撫でする様な事を言ってしまったのか。
数秒間の沈黙を経て白い腕がスッと上がり、真横を指し示した。
業務で電卓を日常的に叩く為に短く切り揃えられた、飾り気のない五指の爪。
今日はそれらにパールホワイトのネイルが薄っすらと施されていることに気付き、神崎さんもまだまだ若手だということにいまさら思い当たる。入社三年目にして早くも財務部のエースとか呼ばれてるから、普段はすっかり忘れてしまっているけれど。
少し頼り過ぎているのかも知れない。
もう少し負荷を分散させてあげないと……
そんな自省モードに浸りつつあったオレに、エース本人から指示が飛ぶ。
「部長、そこのクーラーボックスにお茶のペットボトルが入っています。並んでくれてるお客様にお配りしてください」
「え、そんなの用意してくれてたの? いつの間に?」
「周辺の企業さんからの協賛金で手配しました。熱中症対策です。あとこれ、首に巻いててください」
「なにこれ。バンダナ?」
「それも協賛企業さんからの頂き物です。その中の特殊高分子ポリマーに水を含ませると、気化熱作用で首周りの熱を発散させてくれるそうです」
「おぉ、なんだかハイテクだね。でも、オレじゃなくて、まずは炭火七輪を担当してくれてる君が巻いておくべきなんじゃない、これ?」
「……ダメです。この繁忙期に部長に倒れられるわけにはいきません」
「あ、二個入ってるよ。濡らしてくるね」
まだ何か言い募ろうとする神崎さんを遮って、クーラーボックスへ向かう。
蓋を開くと白い冷気の中から整列したお茶のペットボトルが姿を現した。炎天下のせいで茶色い液体が黄金色に輝いて見える。腕を突っ込むと、詰め込まれた氷が半分ほど溶けて底に溜まっていた。うん、ちょうど良い。
「はい、濡らしてきたよ」
「いま手が離せません」
「あ、そうだよね。ゴメンゴメン。ここに置いておくね」
「いえ…… あの、部長。そうではなくて」
神崎さんは前屈みの姿勢でうなぎに鉄串を刺し通しながら、こちらにチラチラと視線を向けてくる。あぁ、そういうことか。
冷水したたるハイテクバンダナをうなじに近付けると、ヒョコヒョコと頭部を縦に動かして同意を示す。
そのコミカルな仕草に加えて、黒いTシャツと白い首とのコントラストからちっちゃなペンギンを連想したが、これは内緒にしておいた方が良いだろう。
「ひぃあっ!」
冷水を含んだバンダナがペタリと首筋に触れた瞬間、普段は財務アンドロイドと揶揄されるくらいクールな神崎さんが奇声を上げた。どうやら冷た過ぎたらしい。それが可笑しくて、つい吹き出してしまう。
こちらの様子に気付いた周囲の財務部社員からも、笑い声が上がった。「財務部」という堅い響きの部署に不似合いな陽気な雰囲気は、普段の業務中と同じ。
優秀な部下に囲まれながら、我が財務部の「国産天然うな丼屋台」は文化祭の屋台売り上げ記録を大幅更新していくのだった。




