5.宿屋兼、レストラン「ハウス・ねこ」
透は変な夢を見た。朝から変な封筒が届いたり、友人二人が突然泊まりに来たり、封筒の中身はアンケートで、アンケートに答えたら変な機械が送られてきて。
その機械はゲームで、ゲームの中でなぜか透は、魔法の得意な女の子になってしまって――
「う……朝。…ん?………。――ッ!」
目を覚ました透は少し間寝ぼけて、自分の部屋だと思っていたが、違うことに気が付いて、『ここはどこだ?』という疑問に差し掛かった時、ベッドから跳ね起きた。
はっとして後頭部に手をやる。触れた髪は長かった。
――………夢ではないんですか。
「よっ。目が覚めたか?ネイラ」
右の方から由久の声が聞こえた。一瞬、誰を読んだのかわからなかったが、どうやら由久は、透のことをよんだらしい。「ネイラ」とは、今の姿のもとになった少女の名前だ。透はベッドに座りなおすと
「ここは何処だ。それに、『ネイラ』で呼ぶの止めろ」
感情のない声で目をこすりながら言った。その声は透の不機嫌さを物語ってしている。
すると、彼は不敵に笑いだし、
「んじゃ、透って呼ぶけど、もしお前の事を知っている奴がこの世界にいるとしたら、『透がゲームの世界こんなの姿をしている』なんて事、すぐさま広がると思うけど?俺はそれを考慮して言ってやっているのにな〜。ま、嫌ならいいけどさ」
――余裕な顔で言ってきやがった。もし、この事が広まったりでもしたら。………やばいな。恐ろしいことになる。
透は平然を装って、内心とても焦っていた。落ち着いてきた高校生といえど、このネタに食いつかない人はいないはずだ。それに、高校生になっても落ち着きを見せないような人もいる。
「わ、分った。これからは、名前は、それで名乗る事にするから。えーっと………つー竹」
由久の意見に乗せられて了承してしまうと、透はため息をつきながらベッドに倒れこんだ。
――まずいことになったな…。精神的につぶれちまいそうだ。
しみじみ思っていると、不意に、二人の方が気になった。寝がえりを打つ要領で体を少し傾ける。そこからさらに、少しだけ首をのばして、足元を見るような状態にする。
二人を見ると、由久は口を押さえて笑いを必死にこらえ、松之介は半ばあきれたような嘲笑いを口元に忍ばせながら、溜息をついていた。この表情は、冗談といえど確実に悪意がある。
――う〜ん…。これは見ない方がある意味、幸せだった現実かな?知らぬが仏ともいうし………。いや、そんなはずないか。
透は顔を元に戻し、うつ伏せの状態になると、窓から外を見た。二人が座っているテーブルの上のランタンしかつけていないので、見え辛いものの星が見える。 二人の忍び笑いが、「黙っている」ということに入るのなら、三人の間に沈黙が流れていた。
「あのさ」
「あ?なんだ?」
その沈黙を破ったのは透だった。由久が反射的に反応する。
「ネイラじゃなくてもよくない?あだ名で呼んでも分かる人いないでしょ。」
「いや、分かるかもしれないぜ?」
由久が答える前に、横から松之介が口をはさむ。
どうやら、こちらが気付いていないとでも思っているらしい。どうせ二人は、透が不意に「ネイラ」なんて呼ばれて、どんな反応を示すのかと面白がっているだけに違いない。
「学校でも、俺らがヨルって呼んでるからな」
松之介は透の予想したものとたいして変わりがなかった。それに対しての切り返しはすでにお見通しだ。
「同じ学校で、しかも、ヨルと言われて、俺が連想できる人ってかなり少ないよね?そんな人限られた人がこっちにいつのかな?」
ぼけーっとベッドに寝そべりながら天井を見上げている透は、少しゆっくりと伸びた口調で言った。案外、簡単に終わったことで、退屈しのぎにもならなかったので、二度寝に入りかけている。
「………ッチ」
「やっぱり、わざとだったわけか」
由久の舌うちに、透の感情の…いや、怒りのこもった冷たい声が瞬時に飛んだ。
――まぁ、いい。二人が理由もなしに「ネイラ」という単語を使ったら、瞬時に燃やしてしまおう。…火傷程度にするけどね。
透が、窓―というよりも、四角く切り抜かれた穴―の外を見ると、もう日は落ちたらしく空には星が輝いている。後ろでは、二人が残念そうにぶつくさ言っている。
再びぼけーっとして、のんきに、「もう夜なのか」と、透が呟いていると、
「――明日は、職を探しに行く」
先ほどまで松之介相手にしゃべっていた由久が、透にも聞こえるように、少々声を大きくして、突然と宣言した。
「え?」
透は驚いて起き上がりざま、聞き返す。おかげで、二度寝の強力な眠気が吹っ飛んだ。
「金が無いんだ。ここの宿泊金も一応、三日だけタダで貸してもらってる。まぁ、今日はもう夜だから、明日と明後日の二日だけどな。」
由久の言葉を聞いて、改めて部屋を見あたしてみる。少しばかり広いダイニングキッチンだ。
――…俺の部屋と比べたら、とっても広いな〜………。………。
透の部屋は長方形で、横幅二.七メートル、奥行き五.四メートル九畳の部屋だ。しかし、この部屋は目分量で自分の部屋を基準に、横幅が透の部屋の奥行と同じ。問題の奥行きが透の部屋の奥行の倍近くある。
由久は部屋に据え置きされている簡単なキッチンで、コップに水を汲んでいた。金が無いのにこんな部屋であと二日も過ごせるのか、と透は思った。 広いばかりではなく、整然とした部屋は、自分の部屋よりずっと、快適に生活できるだろう。
「職か。旅をしながら出来る物が良いな」
透がポツリと言った。
「――ところで、ベッドの配分だけどさ」
今度は松之介が、何の脈絡もなしに突然切り出した。
「この部屋に一つ、隣の狭い部屋に一つ。合計二つしかない。つまり、誰かが、この部屋にあるソファーで寝てもらう事になる」
松之介の後を継いで、由久がソファーを指差した。透が後ろを向くと、驚いた…
先ほどは寝そべっていて、たいして気にしてなかったが、ベッドと壁の間には3メートルほどのスペースがあり、脚の低いテーブルとそのテーブルを挟んでソファーが二つ置いてあった。
「そこは窓に近いこともあって、結構寒い。ベッドと一メートルほどの差しかないのに、別世界だ――と聞いた。」
窓ガラスが無く、穴と言ってもいいような、大きく開け放たれた窓からは涼しげな風が吹いている。木製の窓を閉じればいいのだが、それでも寝る時には冷たい隙間風となって、とても寝辛いであろう。
「ここは公平にじゃんけん!…と言いたいところだが――」
由久は言葉を一旦引きとめて、透をじろりとみた。
「ヨルはここにきてから丸一日気絶状態で、ベッドを独占してたんだ。公平とは思えないな」
「うっ……で、でも、気絶したのって………」
由久が冷めた目線を投げかけられて、透は少したじろいだ。すぐさま反論…というよりは言い訳に近いものを言い出そうとしたが、口籠った。
「お前、あの場所で気絶してて、なんでここにいるのか。考えてみたか?」
言い訳に悩んでいた透に向かって由久が片眉吊り上げつつ愉快そうに言った。勝負が決まった瞬間だった。
透は露骨に「うっ」とした表情で固まった後、
「チェ…なんだよそれ〜………」
とぶつぶつ言いながら顔をそむけてしぶしぶ黙り込んだ。
その後、松之介と由久がじゃんけんによってどちらのベッドにするか決めようという話になり、その間に透はソファーにかけてあった毛布を被って先に寝付こうとした。
ふと、風に誘われて外を見ると、自分が住んでいた駅の近くや実家の星空よりも。これこそ星の絨毯という言葉が合いそうなほど輝いていて、空が明るくさえ思える星空があった。
窓のふちは、町の灯火によって、揺らめきのある橙色に色づいている。
「…きれいだな」
透は純粋にそう感じた。 空は…そう。まるで呼吸している。透は目を輝かせながら、そう思った。これほどまでに星が多いと、一瞬弱まったり、逆に強く光ったりするのが分かる。
窓枠は、揺らめく灯火が生き物のように見え、同時に空と窓枠は、絵と額縁のようにも思えた。
一目見ただけで先ほどまで心を埋めていた、ちっぽけな理不尽さがスゥッと星空の空気に溶けて消えてしまったようにどうでも良くなった。 そして、この夢のような世界をもっと見ていたいと強く思い、頭を窓側に向けてうつ伏せになり、肘を立てて顔を支えながら寝転がった。
その後、二人の間では暫くして決着がついたようで、結局は由久が隣の部屋、松之介がこの部屋のベッドで寝ることになった。
二人が寝付いた後、透は意識がなくなるまでぼんやりと星空を眺め続けていた。




