4.合流
「っ……く、あっはっはっはっは!」
透があの謎のトンネル落下から今に至るまでを、由久に話し終えると馬鹿笑いをし始めた。この上なくとても豪快に笑う様は、透の心をさらに深くえぐった。
「なに?お前、つまりそんだけ用心深くしておいて、最後の最後で無意識のうちにやっちゃったってことか?うわ、キメぇ!」
「………うっさいなぁ」
体中が激痛に襲われたことや、謎の声が聞こえたことも話したが、由久は構わず爆笑していた。あまりの可笑しさに腹を抱えて悶えている。
その少年の横で、胡坐をかいて座っている透の姿は、髪の長いロングヘアーの少年………などではなく、「不貞腐れてそっぽを向いている可愛い少女」という言葉がぴったりであった。セミロングの、栗色に近い金髪が風に揺られてなびいている。
この姿が、最後の最後で勝手に現れた謎の影の正体だ。
「でもま、その姿なら、魔法を一番、うまく、使えるだろ?」
笑いに伴って、ものすごい勢いで地面を叩いていた由久が、四つん這いになりながら途切れ途切れに言った。息を切らし、目からあふれていた涙を右手の甲で拭う。
「…だといいんだけど」
透は膝を抱え込んだまま、ため息をつくと憂鬱そうに答えた。
この少女は以前、ゲーム中に育てたバランスタイプの女性を魔法特化に育てたもので、由久の「その姿なら〜」という言葉にはそういう意味だった。もちろん、ほかの二人にも同様にキャラクターを使っている。
由久は、自分のメインに欠けている「俊敏さ」と「強力な必殺技」を兼ね備えたキャラクターを。松之介は…かわいそうに。透と由久にいいように流され、半ば強引にグラマーなキャラクターを選んでしまっている。
――まぁ、今となっては関係のないことだけど。透は自嘲的に鼻で笑うと、顔を埋めた。なんて不運なのだろうか。
「にし――ゲホッ!…にしても、松之介は遅いな。………」
「――っ」
笑いすぎて咳をしつつ、由久がぼんやりと呟いた。間を置いて、はっとした。嫌な予感がする。隣を見ると由久も青くなっていた。
「ま、まさかな…」
「…三人パーティー中、二人もネカマなのはやめろよ?」
引き攣った顔でたどたどしく言うと、由久がわざとらしい大きなため息をついた。
「だ、誰が『ネカマ』だ!!」
由久の一言に透の顔が一気に燃え上がった。ネカマとは『インターネット上のオカマ』ということらしい。中学生の時に遊んでいた友人から聞いた話だ。
「あ?だってよぉ…。お前、やってたじゃん。ネカマ。ネットゲームで」
「だぁぁぁぁああ!!あれは違う!」
由久が皮肉めいた笑いをすると、透が叫びながら左腕を横に振り払って立ち上がった。
怒りか、恥からか、顔が紅潮しているのを、体温の上昇で感じる。おそらく、これまでにないほど、真っ赤に染まり上がっているだろう。
「あれは、レベルの低いお前らに合わせるために!それも一時的なもので、お前らが強くなってからは、あいつは消したし――」
「でもなんで女?」
「それは、回復系の魔法が使えるのがそれしか………」
「へぇ?キャラクターごとに固定の能力しかないんだ。ところで、道具の支援ってのは、考えなかったのか?」
透が弁解するも、由久の顔に広がっている不愉快な笑いは一層、毒々しさを増した。
「だぁ、かぁ、らぁぁああ!!」
苛々が募り始めた透は、を踏ん張り、体を大きくのけぞらせると、早朝になり始めた大空に向かって吼えた。その声の大きさに応じて口から、巨大な火柱が伸びる。由久の表情が一瞬にして固まった。
当然、透も目にする。
「!?」
透自身も驚いて凝視すると、口から勢いよく噴射されていた炎が、ふっと消え去った。炎に気を取られ、いつの間にか透の怒りの炎も引いて行く。
「…今のって魔法っていうのか?」
「――え?あ…ああ、そうだよ!立派な『ファイアー・ブレス』っていう魔法さっ!」
慌てて透は、由久の問いかけに適当に答えると腕を組んで頷いた。
にしても透自身、どうして炎を吹けたのかわからない。魔法だということにしても、如何して起きたのだろうか。
「なぁ、口からしか吹けないのか?なんか破壊獣みたいで、あれだぞ?」
「えっ…し、しらないよ、そんなの!」
透は、由久の問い乱暴に答えると睨みつけた。少しだけ腹立たしさが戻ってきたのだ。だが、透の恨みのこもった表情は次第に消えて行く。
「………はぁ」
「?」
ため息をつきながら肩をすくませると、数歩離れて座った。由久の頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。 一人で怒って睨みつけていたが、彼の顔を見ていて、透は落ち込んだ。顔をそむけると俯かせて目をつぶる。
――………なんでこうなったんだろ。
透の周囲に黒い影が降りている。本気で落ち込んでいた。
中身は由久でも外見は、想像上のものだけあって、元の由久より普通にかっこいい。由久の特徴が表れている所といえば、目付きがきついのと、声色が似ているくらいだ。
――それに比べ、僕は…。
「………はぁ」
もう一度深いため息を吐いた。透の周りは空気がよどんでいて、由久は苦笑いを浮かべているくらいしかできなかった。
「僕も、かっこいいのが良かった………」
透はショックのあまりに、言葉使いが段々と昔に戻っていく。
由久たちは中学生時代からの付き合いであるために知る由もないが、透は小学生まで、一人称「僕」の「〜です。〜ます。」口調の少年であった。
今の段階は、「俺」が「僕」に変わっている。
「………はぁ」
「お、おい」
横眼でちらりと由久を見ると、再び俯いて溜息をついた。
由久の美化された、すでに別人の姿を――元から別人だが――見ると、それに応じて自分の変わりようも想像できてしまう。
「あ〜あ………。この姿って人としてどうなんだろ」
「言えてる。」
「なんだと!?………。………ですよね」
由久の無情な言葉に、逆上して一時的に元気になるも、由久の口から出たその言葉を、語句として理解した途端に更に落ち込んでしまった。 座り方が膝を抱え込んだ、体育座りに変わる。
「…なぁ、ヨル。俺にはお前の周りに人魂が見えるのは気のせいか?」
「うるさいっ…これは幻覚だ。エフェクト、視覚的効果だよっ!…ああ、なんか憑りついたのかな?涙腺から幽霊の媒体になりそうな液体が流れて流れて仕方ないよ」
泣き始めた透は、壊れかかっている人形のように、不気味にクスクスと笑いながらいじけていた。 日が地平線から顔を出してまだ間もないため、日光の差す角度は浅く、透の左半分に影を落としている。由久には、透の姿がさらに哀れに映った。
「………あのさ、本当に見えてるんだが?」
「え?」
泣きっ面の透が顔を上げてみると、本当に人魂が二、三個ほど浮いていた。それどころか、暗い紫掛った霧が透の周囲に表れていた。
透は何を思っているのか、しげしげと眺めると、
「…魔法って便利。僕の心を映してくれてるんだね……」
そう言って膝に額をくっつけるように俯くと、今度は更に、じめじめした空気が流れだしていた。
「………どうせ僕は……姉に弄ばれて、姉のお下がり着させられたことがあるよっ。………まだ幼かった弟と、二人揃って病気になった僕とお母さんの三人で病院に行った時、医者の先生が母さんの名前を見て、僕のことを女の子と間違えたことあるよ………」
ブツブツと、透が嘆き始める。その様子に「…使えねぇ魔法使いだな…いや、魔女か?」と由久が言ってしまったが、透は聞こえていない。
「………ぁぁぁぁぁああ!」
「うわっ!!」
落ち込みが最高潮の透には、空から聞こえてくる人の声も、由久の短い悲鳴に似た声も右から左へ通り抜けて行った。
「……親戚のおじさんちの近くの山でキャンプした時に、調子づいてたまたま近くにいた子供に、女の子のようにふるまって騙したことがあったよ――あっ、これはその時の天罰?――でも、驚いたその子も、面白がってたし……てか、全部小学生の頃の話じゃんか……なんで今さら…」
「ヨル!松之介が!」
由久が声を張り上げた。
「うう…松之介がどうかしたの?オカマになってたん?」
萎びれた植物のような透が顔を上げて声のした方を向くと、棒立ちになって足もとを見下ろす由久がいた。視線をたどっていくと足もとに少年が倒れている。
透は立ち上がらず、四つん這いになってノロノロと近づいて行った。ずっとうつむいていた所為もあってか、前髪が垂れて前が見え辛い。
「…お前はカメか?もしくは、あの有名な井戸から出てくる幽霊か?」
ただ単に、立ち上がって歩くことすら鬱になっているだけだが、暗い紫色の霧と人魂を背負いながら、這って近寄ってくる透の異様な光景に、由久は若干、冷や汗をかきながら聞く。
透は一旦動きを止めて、髪の合間から由久を見上げたのち首を横に振った。
――僕が幽霊?冗談じゃない。…でも、幽霊になってもいいかと思えてきた。
「なんか、体が重いから這ってるだけですよ。それに貞子は這って移動してないような気がする。それって呪怨の…」
「ああ、わかった。だからそれ以上、不気味な事を言うな!」
どんよりと暗い面持ちの透に、由久が叫んだ。本気で少し怖いらしい。
文句を言いかえそうと透が、乱れた前髪のかかった顔をあげたその時、由久が一瞬、ハッとして顔を赤らめて、それから青くなった。
瞬時に、由久の心を読み取った透は、さらに気分が沈み込んだ。
「………『一瞬、外見だけでかわいいとか思ったけど、中身があれだ』って思ったんでしょ?」
「ああ。んでもって、相当、気色悪いとも思った」
「わかってますよ。根暗な少年以下ですよ、人間失格ですよっ」
拗ねたように言うと、顔を俯かせると再び這って近づいていく。あと五メートルほどだ。
「…外見がこれだから、中身さえかわってくれりゃぁな………」
離れて見ている由久は口に手を当て、声が透に聞こえないように呟いた。透はゆっくりとした速度で、髪を左右に揺らしながら這っていく。
「………」
――…あ〜あ。こいつもあのゲームの姿だ。
垂れこむ前髪のカーテンの合間から松之介の姿を確認した透は舌打ちをしつつ恨めしく思う。 由久は黙ってこちらを眺めている。じめじめとした空気が流れて、二人のところにまで届く距離になった。
「ううっ…!?なんだ、この寒気。」
由久は少し体を震わせると、透の進行方向から横に数歩退いた。あと、3メートル程だ。
「うっ…」
松之介が、異様な空気のおかげで気が付いたようだ。
由久が松之介の方を向く。透は少し速度を速めた。這う速度が速くなるので、より髪が揺れる。草のすれる物音を聞きつけた松之介が、首を回してこちらを見た。
「………っ!!!!!」
透と目があった瞬間、息を吸い込みながら声にならない悲鳴を上げた。透の右斜めの方で、なぜか由久が倒れる。 松之介は起き上がって逃げようよしたのか、立ち上がろうとするも、後ろ向きに倒れた。
腰を抜かした様子で、それでも仰向けに四つん這いになって後ろに這って行く。松之介が逃げて行く理由がわからない透は、疑問に思いながらも追いかけていく。
「く、来るな!!」
二人とも這っているからなかなか追いつかない。どちらかというと松之介の方が早い。いつまでたっても追いつかないので、透は重い体を動かし、ゆっくりと立ち上がった。
「まぁぁ、つぅぅ、のぉぉ、すぅけぇぇえ!」
「あっぁぁあああああ!!」
透は泣きついたつもりだった。だが、松之介は叫び声を上げると、這ったままものすごい勢いで逃げだす。
――ただでさえ、体が重くて辛いのに…!逃げるな!
「ま、まて…」
「くるなっ!!」
――素で傷付くよ、それ。
歯をくいしばって必死の形相で追いかける透は、意識が擦れ始めた中で思った。
フラフラと危ない足取りで走る透に、ゴキブリのように見事なまでに素早い四つん這いで逃げていくい松之介。 由久は、一人離れた場所で爆笑していた。
――なんで、あいつは笑ってるんだ?それより、あいつを捕まえ………なんで捕まえようとしてるんだっけ?
透は立ち止まると、なぜ追いかけていたのか思い出そうとした。だが、何も思い出せない………いや、元からそんなものはなかったのだ。
「逃げたから、追っただけだね。無意味……だった。…はぁ。つか…れ………」
どうしようもない理由で追っかけていたことに気がつくと、気が抜けたのか、膝がひとりでに折れて跪いた。
「あ、れ?」
透の周りに飛んでいた人魂が次々に消滅していくと、周りを囲んでいた霧も嘘のように晴れて行った。 それだけではない。体に力が入らず、透は膝立ちが精いっぱいだ。体が重いので、そこからどさっと正座の状態に座り込む。
「どうした?ヨル」
先程まで爆笑してた由久が肩を叩きながら聞いてきた。
だが、彼の中には先ほどの余韻が残っているようで、笑いを必死に堪えているのがわかる。顔を変に歪ませているのだ。
「ヨル?!じゃぁ、この幽霊みたいなの夜茂木沢透?!」
由久の言葉を聞いて驚愕する松之介。彼の見開かれた目は、後ろから叩けば飛び出してしまいそうだ。
――いや、人数考えればわかることでしょ。と、透は心の中で松之介にツッコミをいれた。
「そうだよ。こいつに見覚えあるだろ?」
由久が透を呼びさして言うと、大いに松之介が首を振った。
「いや、全然。ヨルはこんな顔じゃない。まず、一番に言いたいのは、あいつは女じゃないだろ?」
「おい、そういういみじゃ――ん?ヨル?」
自分の手の内からつかんでいた透の肩がすり抜けていたので、手の先を見ると、透が顔を横に向けてうつ伏せに倒れていた。
「おい、ヨル?」
「うぁ〜………なんか………すごく……ね……む…」
目が虚ろで、口調もグデグデに酔った人のように危なっかしい。
「起きろー」
「うげっ」
松之介が、透の服をつかんで起き上がらせる。
襟が首に食い込んで苦しい。少しもがくと、松之介がぱっと手を離す。何とか膝立ちをしているという感じだが、数秒してゆっくりと倒れた。
「むり……ねむ……」「かゆ…うま」
透の言葉の後にすかさず由久が「かゆ…うま」と呂律が回りにくそうに言って見せる。
「ひ、とを……ズォンビィ〜…みてぁく…するな……」
と、透が精一杯の反論するが、
「いや、今のお前は十分、ゾンビっぽいよ」
松之介の素早いツッコミが透の心を貫いた。「うがぁ……」とだけ声を発すると、徐々に瞼は閉じられて、そのまま透は黙ってしまった。
「………。こいつ、寝ちまったな」
由久は、体を仰向けに起こさせ、ゆすってみるが、透はスーッスーッと静かに寝息を立てているばかりだ。
「どうしたんだ?ヨルは」
「その前に、お前も持て」
透の腕を肩にまわして担ぎ起こす由久に、透の様子を見ながら松之介が聞くが、由久は無視して、松之介に空いている方の肩を担がせる。
「わからない。………ただ、言える事は、火を噴いたり、自分の周りに人魂や薄暗い霧を発生させたりする、コントみたいな魔法に、ヨルに何らかの負担があったんだろうな。―――よっと」
透を支えながら立ち上がる。透は「うぅ………うか…ぶ…」なんて、意味のわからない寝言を言い始めた。
「取り合えず町を探そう。ここから始まるんだ。町も近い筈だ」
「いや、まて」
歩きだした由久に松之介が待ってをかけた。
「こいつ、軽いじゃん。一人で背負った方が早いって」
松之介の言ったことに怪訝そうな顔をしたが、改めて考えてみると、元の透より軽い。
「そりゃぁ、背が縮んでるしな」
由久が頷くと、待ってましたと松之介が放した。グデッと透が由久に寄り掛かる。
「…おい」
「おれが来る前から、幽霊みたいな状態だったからな。どうせお前が、からかったんだろ?それに火を噴いたってことは、怒らせたりでもしたんだろ?」
どういうつもりだ?と言おうとしたところで、松之介が腕を組んで勝ち誇ったように言った。 しばらくにらみ合っていた二人だが、苦々しい表情で透を見たのち、「OK」と小さく吐き捨てた。
「…へいへぃ。わかったよ」
チッと舌打ちをすると、もう片方の腕も自分の肩に乗せ、背負い込む。
「あ、こいつ、一丁前に胸がありやがる」
「器が器だからな」
途端に由久がうげぇっと、顔を気色悪そう顰めると、横からケラケラと笑いながら松之介が言った。
「まったく。つかぇね魔法使いだ」
「魔女だろ?」
松之介がツッこむと由久は「違いない」と笑った。
だが、すぐに由久は「ああ、言葉が足りなかったな。」と思い出したように言うと、空を仰ぎながら止まった。松之介も立ち止まって振り向く。
「『情緒不安定な』、魔女だ」
一呼吸貯めて言った由久の顔には意地の悪そうな笑いが広がった。その笑みは松之介にまで広がってい行き、
「はは、確かに言えてるな。」
と一言を言うと、栓を切ったように二人の大笑いがあたりに響き渡った。
ぽつぽつと疎らに立つ針葉樹と、芝生の茂る丘陵。日が昇り始めた早朝の光が照らし、朝露が輝いている。
心地よくひんやりとしたそよ風の中、二人は気絶をした透を担ぎ、街を目指して歩き始めた。




