37.特別講義
リシアが声高らかに宣言したかと思うと、前後から挟み込む形で立っていた二人が同時に走り始める。
それと同時に、後ろにいた松之介も走りだした。
「え、わ? ちょい待っ」
「お前は――」
「!?」
かけ声と共に走って行く松之介の方へ振り返ったその直後、透は突然、背後にふわりと風を感じた。咄嗟に透は転がりこむように横に飛ぶと、風を切る音ともに、左足の靴に何かが掠る。バランスを崩しつつも、すぐさま立ち上がれるように転がるように受け身を取って顔を上げた。
「――こっちに集中した方がいいんじゃないか?」
透はあんぐり口をあけながら、片頬を吊り上げて笑い見降ろしてくるリシアをマジマジと見た。
間合いを詰めるその速さ。十メートル以上の距離をほんの一瞬で……。
右手の棒を肩にかけ、構えを解いた無防備であるはずの彼女だが、慌てて立ち上がった透は体勢を立て直そうと、急いで五〜六歩の間合いを開ける。
「はい、おそ〜い」
間延びした声が聞こえたかと思うと、あっという間もなく、リシアが追い打ちをかけに来ていた。
瞬時に、右と左、彼女の両腕から透の手数の倍近い攻撃が繰り出される。袈裟切り、薙ぎ払い、次々と繰り出される中、振り落として切り返しの振り上げが、透の棒を弾いた直後に遅れて左手の棒が避けようとした透の額を掠る。
それで終わりかと思いきや、宙に飛んだ体をひねらせると、右足の鋭い後ろ蹴りが直撃し、吹き飛ばされる。
痛みに嗚咽する間もなく、転ばぬ様に着地した透に、すでに攻撃態勢に戻った彼女が上げた右腕を振り落とした。
呼吸する間もなく繰り出された袈裟切りを、頭で認識する前に咄嗟に左下方へ弾き飛ばす。
が、彼女はその勢いさえも利用して時計周りに回転すると右手の棒が透の右肩をとらえ、続けざまに左足の中段蹴りが、姿勢が崩れかけている透を吹き飛ばす。
鈍く、疲労に似た痛みが肩を。吐き気を伴うような息を詰まらせる衝撃が脇腹を襲った。
リシアは、脇腹を抑えつつ蹴りの勢いでよろめく透が姿勢を持ち直すのを待つと、再び構えなおして、走りとは思えぬ速さで離れた間合いを詰めてくる。
透には、彼女の残像がまるで一本の帯の様にみえた。
気が付いたときには、その残像の先で彼女は透の目の前で前かがみになっている。
「――ッ!」
両腕が肘から先が彼女の体によって隠されている。前が無防備になっているリシアに、透は咄嗟に出鱈目な突きを放った。
「甘いぜ?」
だが、それも首を左へ軽く傾げただけで交わされてしまい、続けざまに彼女の影に隠れていた左の逆手持ちの棒が、目標を外して脇を通り抜ける棒を大きく弾き飛ばす。
その力の強いこと。手首のスナップだけではじいたとは思えないほどあっけなく上へ弾かれると、今度は透が、数秒の無防備の状態になる。
見開いてリシアの顔を見る透の視界の端で、奥の右腕から直観的に危険な気配を感じた。全身に嫌な汗がでてくる。
腕が唸りを上げて振られた瞬間、透はハッと息をのんで思わず固く眼をつぶった。
嫌な風を顔に感じた直後、時が止まったような静寂が訪れる。
「……ちょっと。ていうか、大分肩透かしを食ったな」
びびっているとしか言いようのないその様子に、リシアは詰まらなさそうに呟いた。
「――ッ」
恐る恐る目を開けると、透の右こめかみから斜めに棒が当たる直前で止められていた。
「あ〜あ。ヨシヒサとかいう奴と互角に戦ったって聞いたから、少しは楽しめると思ったんだがなぁ」
気だるい口調で言う彼女はガクッと肩を落とすと、ため息交じりに右手の棒を弄びつつ、その体勢を呆気なく崩した。
緊張から解かれた透は、初めて満足に呼吸出来た様な気がした。ここまでくると悔しいとも感じない。ただ、終わったことに対する安堵感だけが透を取り巻いていた。
気が付くと全身に汗をかき、熱を発している。五分も持たなかった勝負に、透は心底疲れてしまっていた。後ろ向きに倒れるように地べたに座ると、リシアは肩で息をしている透を見つつ「少しやりすぎたか……」とバツの悪そうに顔をしかめていた。
「だ、大丈夫トオル?!」
あの短い中で起こったことを思い出そうとぼんやりしていると、先程まで松之介の方に気を取られていたアーウィンが慌てて透の元に駆け寄ってきた。楽しそうに応援していた先程の表情とは違い、彼女の表情に後悔にもとれる影が見てとれる。
「ちょ、リシア……。貴女少しやりすぎよ?」
「ああ、あたしもそれを思ってた所だ」
アーウィンが注意すると、少々元気をなくした様子でリシアが頷いた。
「『男相手』だという前提でやったんだが……やはり『女相手』なら、もう少し手を抜くべきだったな」
意地悪半分に呟いた彼女のその言葉に透がピクリと反応した。
「え? トオルはどう見たって女の子じゃない」
何言っているの? といった感じで首を傾げるアーウィンにリシアがため息混じりに言い返した。
「テラスが昨日、酒を飲みながら言ったんじゃないか。『トオルは、自分を男だって言い張る面白い娘』だって」
「あら? そうだったかしら……」
「――もう一度」
「?」
透が小さく呟くと、それを聞き逃さずに二人が透を見た。
「もう一度、やってくれますか?」
「……。おう、いいぜ?」
一瞬、驚いた顔をした二人だったが、リシアは瞬く間にあの片頬を吊り上げた笑みで頷いた。透は黙って立ちあがると、五メートル程の間合いを開けて構える。
先程とは違って、今度は彼女をまっすぐと見据えて。
「いいねぇ、やっぱやる気が無いと、こういうのは――」
反目にニヤリと頬を緩ませながら構えたリシアの表情がそこで固まった。
「――いや、これはこれで、面白くないぜ?」
透の足もとから青い炎の様な魔力が、ボンッと小規模の爆発音と発しながら透自身を包み込んだ。
先程とは明らかに様子が違う。リシアの頬にツツっと汗が伝って行った。
数十秒後。
「俺は男だぁあっ!」という透の雄たけびとともに、あ〜れ〜……と言う虚しい叫び声を残して、リシアは空の彼方へ(実際は森の手前にある丘陵地帯へ)飛んで行った。
「……トオル、そこは『私は女だぁあっ』じゃなくて?」
一人満足げにふうっと汗を拭う透を後ろから見つめるアーウィンは誰ともなしに呟いた。




