33.ラス・ナイク「戦いの夜」
「力量的には、まずまずなのだけれどね……」
扉の取っ手に手を乗せ、扉の隙間から上半身を伸ばすような体勢で三人に話しかける。なるべく残念そうな気持を込めて。
「あ、別にいいです――………」
由久が無表情に答えた。会議が気になるので、愛想笑いをしつつ扉を閉める。
「頭数が多ければ、それ程守るためのリスクが少なくなるのだが……」
「フン! あんな奴ら、うちの団員の一人にさえならんな」
ロインの頭を悩ますように眉間に皺を寄せて言うと、リシアと呼ばれた、褐色に銀髪ショートの女性は、豪く憤慨した様子で吐き捨てた。男の様に乱暴な口調だ。
しかし、カチューシャに赤いリボンを小さい蝶々結びでアクセントをつけているところから、洒落気があることがうかがえる。
左耳につけたピアスの装飾が華やかだ。
「まず、構成団員の服装が、まるで遊び人という時点で気に食わん!」
「まぁまぁ、リシアさん」
ツンとして腕を組む彼女にアーウィンが苦笑しつつ、宥めるように声をかけた。扉の前から話し合いの中に身を投じるべく部屋の方へ進み出る。
「いない人間のことをとやかく言っても仕方ないわ。有名なお二方の団が居れば、心強いもの」
「ふん………良く言うわ」
アーウィンの言葉にリシアが、まだ少女の面影を残すあどけない顔で目を座らせて、鼻で笑った。その白銀の剣のように澄んだ灰色の眼には悪意がこもっておらず、イライラとしていた時とは打って変わって、会話を楽しんでいるような安らかなものがあった。
彼女は最後にあった時も、常に少々喧嘩腰にしゃべっていたのをアーウィンは鮮明に覚えている。
普段は男勝りの大分激しい彼女がお酒を飲むと、可愛らしい女の子に変貌するのだから。アーウィンの覚えているハンターの中でも特に一番記憶に残っている。
「あんた一人で、ここの全員、伸されちゃうじゃないの」
「――リシア。それは彼女が本気を出したらの話だ」
軽く笑って言うリシアに、ロインが比較的砕けた口調で付けくわえた。
「アーウィンさん、今回は魔力がおありで?」
「ええ、一応。ファグリアンの時は、『とっておき』を一度も使えない程度しかなかったけど……」
ロインの問いに、ふと、肩にかけていた槍を掴むと調子を見る様に持つ。
僅かに彼女の手の甲が黄緑に淡く光を放ち始めた。不思議に、または不気味に部屋は薄い闇に覆われ、彼女の足もとからどこからともなく微風が渦を巻いて吹くと、目にうっすらと見える程度の魔力が湯気のように立ち上って行く。
暫くして、ぱっと槍から右手を放すと、瞬時に部屋が明るくなり、息をひそめてしまうような神秘的な空間が木片で少々散らかった会議室へと姿を変えた。
「そうね……」
ふむ……と呟きながら口元を押さえる。
「――使う魔力を抑えていけば十回は行けるかしら」
「十回……ですか」
少し考えこみながら明るく微笑んで言うアーウィンに、ロインは明らかにひきつった笑みで返した。
「それではあの時よりも、貴方だけで数倍の戦力になりますよ」
「ありがとう」
彼らしい数字を交えた偏屈な言い方で褒められると、アーウィンもそれにあわせて愛想良く笑みを返した。
「……さて。思い出話はそろそろお開きにしてくれないか? ――?」
会議室のピリピリとした空気が、幾らか和やかになってきた所に、出し抜けにアルフォリアが、その抑揚のない声で言った直後だった。
全員が会議室の扉の向こうを見透かす様に視線を移す。リシアの少し意地の悪い笑みはサッと睨みつけるような表情になり、ロインのはにかみが、瞬時に鋭さを秘めた無表情に変わった。会議室の全員が一斉に表情を一変させ、緊張がピンっと張り、全神経を空気中に巡らせる。
「……今のは距離から考えて街の外壁の方か」
「爆音からして崩れただろうな」
ロインの低く落ち着いた声に、楽観的ともとれる調子で別の誰かが答える。確かボルドロンと名乗っていた対人向けの剣を携えた中年の男だ。顔に鼻筋を右眉の上から左頬まで斜めに切り込まれた傷がある。
アーウィンは、黙って座っている彼から漏れ出でる覇気に、傭兵よりも血生臭いものを感じていた。
「どこからだ?」
「あの男はなんて言ったっけ? ……あ〜……」
「確か北の森から魔物が来るはずだ!」
ロインが再び誰ともなしに聞くとリシアがじれったいように唸り始め、それをチャンスと、始終黙りっぱなしだった男が、ここだと言わんばかりに叫ぶ。
「兎に角!ここに居ても仕方ないぜ!?」
リシアが待ちきれないといった様子で腰に携えた、形容の違う二本の剣を引き抜く。重厚で通常よりも巨大なナイフを右手に逆手で持ち、左手には少々短めのサーベルを普通の持ち方で構えた。
それにならって全員が武器を構える。
「よし……迎え撃つぞぉお!!」
柄を一度握りなおすと、腕を振り上げ合図すると、それにあわせて全員が会議室の扉へ向かって駆け出し――
「? ――……まずいわね」
リシアが扉に到着する手前で遠くから甲高い落下音が聞こえたアーウィンは、顔から余裕さっと流れていく。アーウィンが呟いたほんの一瞬の後の出来事だった。
僅かに落下する音が消えた瞬間、瞬時に身構える。
ドカァアン!
衝撃と共に押し寄せる轟音に、アーウィンの脳裏にあった安心に似た確信が砕かれた。
――情報とは別に、まったく違う系統の魔物が、この街を攻めてきている!?
「まずいわ……みんな少し待って! 少しだけ時間を」
衝撃に耐え抜いた直後、走りだしたハンターらを急いで止めると、焦る気持ちを抑えて考え始めた。
ただ、単純に戦っていても……相手側には遠距離攻撃をする魔物がいる。時間的にも大幅な差がある。
国境付近から送られてきた情報とはまた別の……
「――ロイン!」
考えこめるのは本の数秒。冷静に……私が冷静でなければ。
「団員の半分を、街の人たちの救出と避難に向かわせて。貴方自身は先陣を切って、他のハンター達を統合させて指示を出して!」
「ああ、わかった!」
両刃の身の丈ほどあり大斧を片手で重々しく保持しているロインは、わずかに体をひねらせて顔を向けると、力強く頷いた。
「アルフォリア、貴方は急いで仲間と合流して」
『パス』と呼ぶのはどことなくふ抜けているような気がしたアーウィンは、無意識のうちに名前の方で呼んだ。一瞬驚いた様子だったが、すぐにコクッと頷く。続けて何か言いかけようと口を開きかけたが、その前にアーウィンが口を開いた。
「リシアはアルフォリアと一緒に居てくれるかしら? 表通りの『北西門通り噴水広場』付近で待機して――おそらく魔物は街の中になだれ込んできているはず。なら、その広場より北側で何としても食い止めるの。飛び道具を扱える者がいれば、魔物の遠距離攻撃を迎撃して頂戴」
「オーケー、任せな!」
早口で言うアーウィンの指示に、リシアは首絞めの様なポーズをとると、褐色の顔に白い歯を輝かせて、少年のように笑った。
「合流したのちはこちらの判断で動いていいのか?」
会話の一区切りを見つけたアルフォリアが隙間に割り込むように間髪入れずに質問する。
「いいえ、貴方達は遊撃戦をしてほしいの。街は円形状だから、壊された防壁から扇状に広がらないとも限らないわ――ただ、魔法の使えるリーダーには出来るだけ魔物の遠距離攻撃がこれ以上、街中に落ちないように魔法壁を作り出してほしいところね」
「わかった」
次第に焦りが早口に影響してきたアーウィンの言葉を聞きとると、今度はしっかりとした答えと共に、コクっと頷いた。
「ボルドロンと――」
アーウィンはそこまで言いかけて険しい表情になった。名前が思い出せない。どうしたのかしら。数人の名前さえ覚えきれないなんて……いや、記憶と思考がごちゃ混ぜに……
「――貴方達は同じグループの仲間とともにここから弧を描くように街の中を北に向かってちょうだい。戦闘終了後に、魔物が街に潜んでいるなんて事態が起きたら一溜まりもないわ――いい? 重要な役目よ!?」
ボルドロンは無反応だったが、他の彼等が俄かに不服そうな顔をしたような気がしたアーウィンは念を押すように言い放った。
「……最後に一言」
アーウィンが興奮気味の呼吸を抑えつつ、落ち着きはらって言った。
先の爆音によって堰を切ったように騒がしくなり、遠くから響くように鐘の音が聞こえてくる。
会議室の中だけに緊張の張った沈黙が流れる。一度深呼吸して、気持ちを再度落ち着かせた。
「生き残りましょう――全員で……!」
耳に残るように、声が会議室の中にしみわたり、全員が頷いた。
「うっしゃぁあ!勝った後は――アーウィンの奢りで、酒を飲むぞぉお!!」
「おぉお!!」
シリアが強引な条件を付けたして雄叫びを上げると、それにあわせて八人の雄叫びが加わった。
「行くぜぇえ!!」
勢いよく助走をつけて扉に向かっていくと、軽々と高く跳躍し、扉を蹴破る。扉を蹴破った軋んだ音のすぐ後に、ドシィィン……と重苦しい音が聞こえてきた。
彼女に続いてアーウィンを含め、会議室を出ていく。
「魔物の襲撃だ!!全員、北の外壁に急げ!!」
ロインの号令がホールの中を震わせる。放心状態になっていたホールのハンター達が一斉に行動を始めた。
――そうだ。彼女らも一緒に……腕前からして戦場は他の新米と同じで初めてのはず。勝手に行動させては助けに行くことすらできない。
「トオル! ヨシヒサ! マツノスケ! 付いてきなさい!」
ホールを横切ってロインが粉砕した玄関口から出ていく際、一瞬立ち止まって流れていく人の波に視線を投げる。
――見えた!
人並みの向こうでこちらに走ってくる松之介をアーウィンは瞬時に見つけた。続いて、すぐ後ろで由久が飛び起きているのが見えた。
「こっちよ!」
腕を振るって合図を送ると、不意に右手首を掴まれた。反射的に振り払う前に、アーウィンはそのまま強引に夕焼けに燃える空の元に連れ出される。
飛び出した役所前の噴水広場は、噴水の中心を僅かにそれ、大きなクレーターができていた。
「テラス!総大将のあんたがちんたらしてんじゃねぇよ!早くしねぇと、噴水塔のあったところから何か起きそうだ」
声に反応して右手首を掴む褐色肌の手を伝っていくとリシアが手首を掴んで走っていた。前をまっすぐ見据え、吹き飛ばされた噴水塔跡地の巨大な穴の脇を通り、左手の大通りを走って行く。
噴水後地を振り返ると、塔の根元があった筈の『空間』に青白く光る円陣が時折激しくブレながら、次第にその明るさを衰弱していくように弱めていく。
視線の途中で松之介と由久を見つけることが出来た。
……瓦礫の所為で大分走りにくい。
――トオルの姿が見えないけど……きっと付いてきてるわよね。
「……ちょっと心配事があったの」
正面に向き直ったアーウィンは引っ張られていたのを、追い越して逆に引いていく様な形で走りだしつつ、弁解した。
「心配事ねぇ……」
ようやく手を放したシリアは、両手の剣を膝の高さに携えて前かがみに走りつつ、呟いた。
「あんた、最近妙なのを気に入りに連れてるって話じゃないか? ――その様子だと、さっきのガキどものことらしいな」
「貴女も大して歳は変わらないけど?」
アーウィンが平然と言うと、リシアはええっ!?と露骨に嫌な顔をした。
「決定的に違うな。歳が近くとも経験がないんじゃぁ、小便くさいガキだね」
「相変わらず、こんな時でも普段の会話をするのね。それより――!」
辺りが、僅かに赤みを帯びて照らされるのを見て、空を見上げた。
橙色に輝く火球が、通りの建物によって切り取られた空を横切っていく。数秒置いて爆音が鳴り響き、煉瓦が吹き飛ばされ、地鳴りと共にガラガラと崩れる音が聞こえてきた。
銀髪の髪を靡かせて後ろを振り返るリシアはヒュ〜っと口笛を吹く。
「こりゃまた、厄介な奴がいそうだ」
「それよりも!」
アーウィンが口調を強めて、イライラと叫んだ。
「貴女、アルフォリアと一緒にいるように言ったはずよ!?」
急に手首を掴まれ、引っ張られてきた上に正論を言われて、思わずそのままにして置いてしまうところだったが、彼女は今、アリフォリア・エデム・パスジュラグ と共に、行動している手筈なのだ。
聞くと彼女は、へ?と思わず口に出して、少し間を開けて、差して気にしていない様子であっけらんと言った。
「んあ。あ〜……テラスが立ち止まっているのが見えて引っ張りだした時には見失った」
「〜……っ」
その言葉を聞いたアーウィンは、ため息をつきつつ、思わず右手で頭を抱える。
――この人は……!
広場に出ると、綺麗に敷き詰められていた煉瓦の道はいたる所が大きく抉られ、北の住宅地から逃げる人々がちりちりに南側の方へ逃げて行った。開けた視界のお陰で、遠方で崩れている外壁が見える。
ハンターの群れは崩れた外壁に進路を決めて、広場をかけていく。
「仕方ないわ……貴女は広場の防衛を固めておいてね!」
「りょーか〜い」
アーウィンが今度こそ、指示に従うように念を押すと、口では能天気に答えた。
「……まぁ、あの表情だったら大丈夫ね」
にやりと笑った後、応えた彼女の眼には戦う者の持つ決意の眼光が煌めいていた。
「あと…サーチャーの魔法壁がカギ――っと」
ふと、窪みに足を取られ体勢が崩れかけた。ぱっと右手で地面をはじき返すと、体を元の姿勢に戻す。手を付いた足元には、石の様な灰色の、魔物の腕が転がっていた。
五十メートルほど先を走るロインが団員と新米ハンターを率いて大斧を声高らかに振るっている。
大斧の奏でる風を切り裂く音が一音を奏でるたび、魔物の肉片が宙を舞っている。
バラザームさん達は無事かしら……。
街の西、表通りより奥に入ったレストランは、役所前まで届く火急の範囲からして、優にその射程に入っている。
計画的に、ある程度の知識をもつタイプであれば役所狙いや、広場を攻撃したということで、レストランの方には行かない――
「っ!?」
彼女の視線の先で、防壁の向こう側から、先程とは比にならないほどの火球が一斉に、耳をつんざく甲高い音を発てて、跳び上がっていく。
ハンターの全員が、一斉に立ち止まる。アーウィンの脳裏に、一つの言葉が過った。
『流星の業火』
「悪夢の序章――そして、終焉」
猛烈な速さで――徐々に減速してつつ上昇していく。赤と青に分けられた空を更に覆い尽くすほどの火球に、まるで悪夢を見ているようだ。
高く飛んで行く火球は次第に速度を落とし、やがて反転して街の方へ――
慌てて右手を腰の小袋に入れると、一つの小瓶を掴み――ふと、もしものことを考えた瞬間、凍りついた。
「……。迷うことなんて、ないわよね」
――大丈夫。
フラスコ瓶の丸い部分をひし形にしたような瓶で紐が括り付けてある。中に入っている液体は緑から青。青から透明。透明から銀と、常に所々で色が変色している。
小瓶の口元から伸びる紐を首にかけた。右手で包み込むようにそっと握りしめながら念じる。
――ルミス……力を借してね。
左手の槍を構え、腰を引いて体を地面と水平になるように屈める。
「閃光の槍使い、ヴェルタナより受け継ぎし、魔の槍――」
アーウィンの額と手の甲に突然、激しく光る点が出現し、左斜め下、次に右斜めに進み……黄緑色に輝く『N』を二つ組み合わせた様な六芒星が現れ、それぞれの頂点を通って、円が囲む。
足元の煉瓦の地面には、複雑な文字の陣が浮かび上がり、内側に額の物と同じ物が、その頂点の一つ一つに小さい円がある。円の中には其々特徴的で不可解な文字が入っている。
「今ここに、魔の力を持って眼前の障害物を……」
焦る気持とは裏腹に、ゆっくりと矛先を天に向ける。声が震えてくるが、失敗は出来ない。それでも早くしなければ……街が火の海に……!
槍に刻まれた文字が怪しく輝きを放つ。火球の落下音が甲高く聞こえている。
米粒の様な大きさで見えていた火球の大きさが急激に大きくなる。
「――ヴェル・アバスティ!」
ゴゥンッ!
アーウィンの声が高らかに響き渡ったかと思うと、巨大な暗黒の火柱が出現した。
呪文通り、迫ってきていた直径一メートル程の火球を砕いてそれは伸び、辺りには紫の輝きを放つ。
柱は矛先から離れるほど広がっていき、通りの建物を掠め、ラス・ナイク上空から更に広がり、分散した黒紫に帯を引く魔力の球が宙を飛びまわり上空を暗闇に閉ざす。
――やっぱり、間に合わなかった!?
アーウィンの技を掻い潜るように、火球が街に死の恐怖を引き攣れて堕ちた。
一呼吸置いて火球の爆発が、屋根を叩く雨音のように、爆発音が絶え間なく続いていく。街の北側を大きくそれた火球は、乗り越える様に街の南側に、多くはそれさえも飛び超えて外へ落ちて行った。
「全部は防ぎきれないわね……!」
「――今の内だッ! 私たちは防壁布巾の魔物を迅速に一掃する!」
いち早く立ち直ったロインが爆音に負けないくらい大声で叫び、通りを駆け抜ける。すでに、火球の降り注ぐ爆音は下火になっていた。
「フッ!」
最後の一押しに魔力を大きく注ぎ込むと、矛先を振り払った。送り込まれた魔力は紫と黒に輝く柱を、膨らみをもって上へ向かっていく。
雲に触れた途端、激しい雷鳴を轟かせ、まだあるであろう向こう側の火球と共に掻き消え、すでに西の端へ夕焼けの赤い空が追いやられた夜闇が覆う空が現れた。
――少し、無茶があったわね。
ふと、後ろに人が立ち止まる気配を感じる。松之介が由久に向かって話しかけている声が聞こえた。
「三人とも、ちゃんと付いてきてる?――」
「あ、はい」
咄嗟に大技を使った為に起こる副作用の疲れに、少々頭痛を覚えながらも振り返ったアーウィンは、途端に顔色を変えた。
「――トオルはどうしたの!?」
「え?」
アーウィンのただならぬ表情に二人とも振り返ってみると、後ろには火球によって荒れた通りが広がっているだった。
一瞬、由久が「あいつは何やってんだよ」と言いかけたが、途端に二人もその意味をどういう意味か理解したのか、顔から血の気が引いて行き青ざめる。
思わず数秒の流れる三人の上を火球が音を発てて横切る。少なくも、やむことの無い火球は、世界的にも広大なこの街を所々に火を熾し、夜空に浮かぶ雲を赤く染めている。
振り返って街の中心部を見る三人に、燃え盛る街には遠くに悲鳴が、断続的に来る火球の落下音と爆音が劇の一部のように聞こえてくる。
「っ――彼女のことはひとまず後回しよ」
「……ああ」「今は魔物が先決、か」
苦虫をかみしめるように険しい顔つきでアーウィンは静かに言うと、至る所で小さく火を熾して街に踵を返して走り出した。
しばらくぼんやりと見つめる松之介も、続いて由久が走りだすと、それにつられていくように崩された防壁に向かって走り出す。
「トオル……どうか無事でいて!」
三つの月が、魔物の屍を映し出す。
点々と火球の火が燻ぶる道を駆け抜けるアーウィンは、首から下げた瓶を右手で胸元に握りしめつつ、心からそう願った。
……後は神様に祈るしかないわね。
「――さぁ、二人とも!気を引き締めなさい」
石畳ごと抉られた石畳に、仰向けになって無残な姿になった人の死体を見た彼女は、走る足を緩めることなく、後ろの二人に忠告した。
「いい?無茶はしない――ことッ!」
ゴキッ
死んだふりをしていた狼のような姿の魔物が突如、アーウィンの首元に飛びかかるも、アーウィンはそれを予測していたかのように、即座に体を右にひねると、タイミングを見計らって槍を振り払った。
槍の柄が首に当たると、鈍い骨が折れる音が聞こえ、魔物は滑るように石畳を吹き飛ばされていった。
「二人一組で動きなさい。もちろん――」
……ひゅぅうう「ッ!」バカンッ!
耳をつんざく音が聞こえ、ハッと空に顔を向けると、即座に槍を振り払う。火球が吸い込まれるように槍の矛に当たり、右側にその破片をまき散らしながら粉々に砕け散った。
「アチッ」
松之介が悲鳴を上げて飛び跳ねた。破片の一部が松之介のむき出しになっている腕に当たったのだ。
「――私からも離れないように、ね」
再び後ろ手に槍を構えつつ、アーウィンが二人を見ようと僅かに顔を後ろに向ける。鉄を叩く甲高い音、獣の呻き声、人の怒号そして悲鳴。すべてが大きくなっていく。
が、行く手にはレンガを固めて出来た壁……の朽ちた残骸が立っていた。
「さぁ……」
アーウィンは、タンッと軽い音を発てて跳躍する。
「――行くわよ!」
バコンッ!
壁を崩して視界が開けた先は、崩れた防壁から二百メートルほど瓦礫によって埋め尽くされた広場になっていた。
そこは魔物と人の入り混じった戦場だった。
通りにも満ちていた血の匂い、魔物の体液の発する刺激臭が、より一層濃くなる。
「っっしゃぁぁぁあああ!!」
突然、松之介が吠えたかと思うと、アーウィンを抜いて魔物とハンターの入り混じる戦場に飛び込んでいく。
「あ、待ちなさい!マツノ――」
「まぁまぁ」
声を張り上げようとした彼女の顔の前に、サッと左から由久が手を差し出し、止める。そう言いつつ、片手に持った剣を一振りすると、こちらに視線を合わせた魔獣に両目を切り潰した。
鮮血が宙を舞い、犬の泣き叫ぶような声を上げて魔獣が転げていく。
「やっと、あいつの見せどころなんだ。好きにさせてやってくれ――」
由久は、狂ったように駆け抜けていく松之介の姿を、懐かしむような、それでいて楽しむような目で追いつつ言った。
右から迫る犬に昆虫を混ぜた様な魔物に、右手に持ち変えた槍を一突きすると、彼の視線につられてアーウィンも松之介の姿をとらえた。はっと彼女は驚きの表情に変わった。
飛び込みざま、唸る腕で鋼の剣を振り上げると、次々と戦闘用に変化した魔獣の首を刎ねていく。掛声は強く、はっきりと。その声が辺りの魔物の注意をひき、彼は更に力強く闘志に燃える表情で更に切りつけていく。
腕輪の水晶が、けたたましく光っていて、剣を振るう両手が、青白い帯を引いているようだった。
「特攻隊長……俺たちの間で使ってるあいつの呼び名――だッ!」
囲まれた松之介が立ち止まったので二人も、周りの魔物を片付ける様に手を加える。
松之介は魔物に囲まれても尚、気合いのこもった掛け声で、鋼のナイト級の両手剣をまるで乱舞するように振るっている。
「まだまだぁぁあっ!」
魔物を跳びかかれば上へ、噛みつこうものならば横へ、近寄ろうとすれば下へと切り飛ばし、斬り倒す。
次々に切り倒していく彼の姿に、髪を振り乱して魔物を二体同時に吹き飛ばした彼女は、思わず細く笑んだ。
――これは……
「……マツノスケ!私たちはもっと奥に行くわよ!」
「ヌァアッ! ――わかりました!」
アーウィンが叫ぶと、彼は掛け声と共に剣でなぎ払っていたところだった。刃や柄に、魔物が吹き飛ばされて宙を舞う。
――二人とも、筋がいいわ
「ヨシヒサ!街の外に出て、火の球を打ち出す魔物を倒しに行くわよ!」
「ああ!」
槍を突き刺したところで振り返った先の、由久の表情には、恐れを微塵も感じさせない。射殺すような鋭い眼が、冷たく光った。素早く一度だけ彼が頷く。
踵を返して、魔物の群れを切り飛ばしつつ防壁の向こうを目指してかけだす彼女は、全身にゾクゾクッと芯にまで走るものを感じた。
由久はすぐ後ろに、松之介はすでに魔物を吹き飛ばす勢いで猛進している。
――いけない。こんな時に喜んでいるなんて……。
アーウィンは気持ちを持ちなおすように首を振った。でも――
今夜、確実に彼らは私に期待と希望になる。おそらく、この先に居る魔物が、現時点で最悪な奴らであっても――
「アーウィン、そっちは街の外だぞ!」
魔獣をボロきれのようになぎ払うロインが、風のようにかけていくアーウィンを見つけると大声で叫んだ。
彼女は、聞こえなかったように無視して駆けて行く。
「……あとは、三人とも無事でいてくれればいいわ――」
魔物の群れを抜け出したアーウィンは、月明かりに照らされる遠くで、火の球を空に打ち上げる魔物たちに向かって走って行く。そのすぐあと、由久が。続いて松之介も壊れた防壁を超えて外に出る。
少しばかり街から離れると、ハッとして思いなおし、アーウィンは足を止めた。少しして二人が追い付く。魔物がかけてくる音も聞こえ、バッと二人は振り返ると、剣を構えた。
松之介は、腰を落として背筋を伸ばす、透と似た様な構え方。一方で由久は、剣道の正眼の構えを取る。
「悪いわね二人とも、少しだけ時間稼ぎして頂戴」
首から下げた瓶を優しく握りしめつつ、アーウィンが後ろの松之介と由久に言った。彼女の足もとが柔らかに輝き始める。
「……まぁ、仕方ないか」
「わるいわね」の意味を理解した松之介は、溜息をしつつ、残念そうに答えた。
「一撃に終わらせたいの。時間がかかるわ」
「そりゃそう――だなっ!」
風を切る音、獣の唸り声が聞こえたかと思うと、二人はアーウィンから遠ざかるように追いかけてきた魔物たちを迎え出る。
「閃光の槍使い、ヴェルタナより受け継ぎし、魔の槍――」
アーウィンの額と手の甲に突然、激しく光る点が出現し、それがやがて六芒星を形作る。足もとには半径二メートルの巨大な魔法陣が出現する。
「今ここに、魔の力を持って眼前の障害物を……」
槍に刻まれた文字が怪しく輝きを放つ。まだ……まだ、威力がたらない。
やがて槍から放たれる淡い光は強さを増し、バチバチッと放電に似た現象を起こし始める。
――まだ
アーウィンの頭の中で地鳴りが聞こえてくる。魔力が瓶から体を巡って槍へ注ぎ込まれていく。
放電は何時しか、矛先から順に大小の輪ができている。
「――ヴェル・アバスティ!」
ドゴゥンッ!
空気を押しのけ、猛烈な風圧を伴ってアーウィンの矛先から噴出したソレは、先ほどのそれとは違って、蛍光緑のまばゆい閃光を放ちながら一直線に飛んでいき、闇の向こうにいた魔物が一瞬姿が見えた次の瞬間には、夜空の端を飲み込むほどの巨大な大爆発が巻き起こった。
「す げぇ……」
魔物を切り倒して佇んでいた松之介は、その光景を目の当たりにして思わず、掠れ声になるほどの小さい呟きでただ呆然と言った。
「フフフ」
地面に柄を突きさした槍に持たれつつ、アーウィンは思わず勝利の笑みをこぼした。




