29.秘密の修行
三日更新、復活できるように奮闘中です。
あぁ〜。背負われるのって、こんなに気持ちがいいものなんだぁ…。
透はトロンとした目をしてアーウィンに背負われつつ、口は未だに悩み続けている芝居を続けた。
自分の思考が今や、幼い子供と同等のものだと薄々気づきつつも、背中の体温の温かさは日向の陽気に当たるそれと似ており、耐えがたい安らかな心地を透に与える。時折、口の芝居を忘れてしまいそうになるが、そこは何とか続けた。
心地よさもあったし、移動するのに運ばれる方が楽だということもあった。そして何より、すべてはアーウィンのからかいに対する報復だ。美人が色仕掛けにうったえるほど、酷い悪戯はない、と透は思っている。
あそこまで顔を近づけられて、不意にあんなことを言われたら……酷い。
――ま、結果オーライかな。
唸り声を途切れ途切れに発しつつ、透は細く笑んだ。
ふと、視線を感じ、ささやき声が聞こえる。透のうめき声をあげながらも顔が笑っている様子をみて、言っているらしかった。
透は急に自分が見っとも無く思い、アーウィンの背中から降りようと思う前に、恥ずかしさから少しだけ身をたじろかせる。
「あ、っと…」
アーウィはすり抜けかけた右足をしっかり抱えなおすと、二度、体をはねらせて持ちやすい体勢に整えた。肋骨を中心に体全体に軽い衝撃と圧迫感を覚える。
「あともう少し、がんばってね」
透は愈々、十五の少年としての羞恥心が目覚め、その一方で甘えたいという恥ずかしい願望が現れた。
背中に揺られている間、起きて今更ながらも、男としての気恥かしさを持ってこの陽だまりの様な柔らかな誘惑に打ち勝ち、滅多にないこの機会を手放すか迷う。
暖かい背中に背負われて、安堵の中をゆられる……。
透自身はこれを恥ずかしいと思い、そして耐えがたいものだった。
だが、心の端に絡まる、違う何かがこれをとても欲した。また、もう一つはそれによって得られる幸福を妬んだ。
この三つの心を量りにかける様に、比べて行くうちに、二つ目の――甘えることを望む心が、焦がれる様に大きくなっていくのを感じた。抑えようとしても、圧迫されるように満たされる、なんとも言い表すことのできない切なさ。
「?……ふふ」
右の側頭部を肩に当てていた透は、頭を回してエルフィンの首筋にうずめると、一瞬怪訝な表情をしたエルフィンは、少し間を置いて意味深に柔らかく笑った。
透はこの行為に、女性に対する委縮と恥ずかしさしか感じられなかったが、心の隅に絡まるソレは、熱い熱湯のような焦がれ切ない気持は、すっと心地よい湯水になり、揺り籠に揺られる子供のように身をゆだねさせた。
一方で、妬ましさをかみしめているアレも、静かに段々と眠りにつくように形をひそめて行く。
次第に透自身も眠気を覚えていき、瞼を開けているのも辛くなってきた透は、そっと転げるように夢の中に落ちて行った……
気が付くと透は、夢の中でまたしても、あの人の月明かりに照らされていた城と同じであろう城に居た。
だが、今回は、少女の姿は見えず、城も明るく証明が灯され、華やかな服を着た人々で賑わっていた。首が勝手に天井を向き――恐らくは近くの大人の顔を見上げるためであろう。微笑む大人たちに向かって透の顔は勝手に笑みを浮かべた。その肩越しに天井を見て、あの月明かりに照らされていた部屋だという事に気が付いた。
透の体は意識と関係なしに歩いて行く。
その頭の中で誰かの声が、呟きの様な小さい声が強弱の波に揺れて聞こえてきた。
思念の声に老若男女の区別がない。頭の中に文字として浮かび上がってくるような奇妙な感覚を受けながらも、その一文字も聞くことが出来ない透は、聞きとるのをあきらめて、歩いてる間にこちらに気が付いて微笑みかけてくる人々に目をやった。
スーツをキチッと着こなす柔らかい面持ちの皺だくれの老人、厳めしい表情であるも、わずかに忍ばせる優しい笑みを見受けられる貴婦人。
透自身、誰が誰なのか分からないが、目をやるたび、その人が身内か他人かの区別が出来る。感覚的にだが、頭の片隅から、壁から漏れ出る声を聞くかのようにぼんやりと感覚的に知ることが出来ていた。
暫く歩いてホールの先に赤い絨毯の引かれた階段がみえる。透の記憶で中世ヨーロッパと連想される威厳の装飾性にあふれた階段だ。踊り場が二つあり、一番上の踊り場から左右真横に階段が分かれていた。
広い部屋は、実は二階への吹き抜けが大きなされた玄関ホールだという事を悟った透は、本当に城であることを改めて知り、もっと周りを見たいと思った。
首を曲げれるように必死に意識的な意味合いで力を入れていると、不意に体がかけだす。
驚いて意識を、意思とは関係なしに視線を向けている先にあわせた。階段の一つ目の踊り場そこには美しいロングウェブのブロンドヘアーの女性が立っていた。
数人の老若男女の中からその姿を見た途端に、頭の端から幸福感が雨漏りする滴のように落ちてきては、透の心に染みた。
走っている内、数人の男女と会話をしていた彼女は、ふとこちらに気が付くと、一瞬驚き、すぐさま微笑むと白い純白のドレスをなびかせてこちらに振り向き、数歩歩み寄る。一方で体は、息を上がらせながらも階段を上っていき―――
突如としてぐらりと世界が反転し、階段を駆けて行く視界から切り離された透は、暗闇の中に落ちて行く。急速に離れていく中、ドレス姿の女性が両腕を広げて体を受け止める一歩手前までを見た。
「トオルちゃん?着いたわよ?」
「――う、……〜?」
しばらく暗闇の中を彷徨うような感覚で次第に目を覚ました透は、不意に体の体重が軽くなり、何故かと疑問を抱く前に、ゴンッと固い何かに頭と背中を打ち付けた。
「イタッ!」
「あ、ごめんなさい!」
ほぼ同じところを打ちつけたことで、絶望的な痛みに目頭と鼻の奥にツンっと湿り気を帯びているのを感じつつ、何かひんやりした固いものに背凭れていることに気が付いた。
透は今、広がる草原を目の前に座るような形で固い何かに背凭れていた。ふと、視線の左側に入っていた物が突然、アーウィンであることを認識する。
「あれ?ここは?」
心の端で先ほどとは違った悲しく冷えて行く切なさと焦燥感を感じながらも、透はあたりを見渡した。不規則的に木を叩く乾いた音がする。と、アーウィンの肩越しに松之介と由久が気の棒で何やらチャンバラをしているのが見えた。
「ここは、街の外よ。そうね……北西門から出て結構歩いてあるところだから、南西西辺りの場所ね」
アーウィンの言葉に耳を傾けつつも、二人を見た。チャンバラに見えるも、動きは真剣そのもで、本当に真剣を持たせて戦わせれば、決闘の様を体しそうな勢いだった。
「じゃぁ、二人のしてたことって……」
「そう。訓練ね」
「やっぱりそうなんですか」
透はこの現状を見て、何故自分はしなくて良いのか聞いた。面倒事を避けられたような気がして嬉しい気持ちもしたが、それ以上に何故か寂しい気持ちも抱いた。
わかってる。自分勝手なことだけど、これは昔の……。透は『一人だけ』という状況がとても嫌いだった。
「ほらあなたは魔法が使えるから十分に強いし、それに――魔法は私の専攻外なの……」
アーウィンが困った様な顔をした。申し訳ないと思っているということを察して「ですね」と相槌をして愛想笑いをし、それ以上は聞かなかった。
本当は、基礎だけでも教えてくれたりしてくれてもよかったのでは?と心の内に呟いていつつ、孤独感を感じてしまった自分の心の弱さを痛感していた。
その後は、アーウィンは二人の脇で、透は少し離れた外壁に背凭れたまま観戦した。
長いこと、二人は戦い続けていたようで、あの松之介でさえ軽く息を上げさせていた。由久も息が荒くも、霧吹きで吹かれたような汗を全く気にすることもなく、常に正眼の構え――武器を持つ手を腰の高さに、切先を相手ののど元の高さに持つ中段の構え――をしつつ、その目には力強い気迫が籠っている。
松之介が木の棒を振るえば、由久はその切先から中腹にかけての所で、わずかな動作で叩くというよりも流すように捌いては、それによって出来る「隙」に袈裟切りや払いを使って主に首筋、胴を重点的に反撃を狙っている。
松之介はそれを飛び退いたりとして避けては次の攻撃の手に移る。由久より何倍も動いているはずだが……。
さすが、と言ったところか。
最後に松之介が強烈なスイングアッパーを由久の側頭部に掠めさせると、それの乗じて出来上がった隙に、由久が鋭く鳩尾を気の棒で突いて勝敗を決した。
咄嗟に後ろに飛び退くも、由久の独特な歩法はそれを逃さず、彼に強烈な一撃を与える。
ぐうっと締め上げた様なうめき声を残して松之介が吹き飛ばされると、木の棒で掠めただけなのに切れてしまったこめかみを押さえつつ、由久はほっと安堵のため息をついた。
それまで傍らで黙って真剣な眼差しで見ていたアーウィンが、お疲れ様、と二人に声をかける。
「マツノスケはもう少し素早く払うように心がけた方がいいわね。力強い振るいがあなたの特徴でもあるけど、振るう前の力み過ぎで全体的にやや動きが鈍いわ」
突かれた箇所を右手で揉みながら苦しそうに立ち上がった松之介に、アーウィンがキビキビとした口調で指摘した。前傾姿勢で苦痛に顔をゆがめながらも、「はい」と少し掠れた声で答える。
「ヨシヒサは……そうね。動きが早くて力加減もいいわね。――ただあなたの型が……少しづつだけど、乱れてるような気がするわ。忘れてきているのかしら?」
問いかけつつハンカチを差し出すと、由久は口を紡いでそれを受取ってこめかみに当てた。血と一緒に汗もハンカチに滲む。
アーウィンは肩から掛けていた鞄からタオルの代わりの布を二枚、二人に渡した。透は初めて、アーウィンが鞄を肩から掛けていることに気が付き、驚いた。
「忘れているというかまぁ…勝手が違うというか、そんな感じだ」
由久は、やや気分を損ねたかのように眉間にしわを寄せつつ視線を逸らした。
「そう……」
アーウィンは、僅かに目を細めて由久を見据える。と、小さくため息をついた。
「独特な構えだから具体的な事は言えないけど、もっと安定して臨機応変に出来るといいわね」
由久にそう告げて、松之介、透の方に向くと、その後ろで由久は悔しそうに歯をくいしばり、顔を歪めていた。
「さてと――」
アーウィンは急にいつもの口調に戻して、一度手を叩いた。いつもの口調――はきはきとしつつ固さを感じない少し砕けた言い方と優しさを足したくらいの、凛とした口調だ。
「三時半を少し過ぎたくらいかしらね。今から一度帰りましょう。――二人はシャワーも浴びた方がいいかもね」
汗だくで佇む松之介…並びに振り返って由久を見ると、そう付け足した。
「あと一時間以上あるけど…アナタはどうする?トオル――ちゃん」
二人を呼び捨てにしていた余韻か、透のことも呼ぶ捨てにする。が、後から気が付いたのか少し間を開けて「ちゃん」を付け足した。
「いいですよ、『トオル』で」
透は少しだけ笑ってから、さして気にしていませんと言った感じの態度を取り繕いながら言った。実際、そうであったが、こういうときは表向きにも分かるようにすべきだと思ったのだ。
「あ…そう?――ならそうさせてもらうわね」
遠慮深げにちょっと両肩を肩をあげて聞き返すので、透は「はい」と答える。ほっとしたような表情でそう付け足した。
「それじゃぁ、改めて…。あなたはどうする?トオル」
「そうですね…」
「ちゃん付け」が解消された透は俄かな喜びを感じながらも、宙に視線を泳がせた。やがて、ふと自分の服装に視線が降り、店を手伝う際の制服姿のままであることに気が付く。
「お店を――時間まで手伝おうかと思います」
ふと、大変忙しいであろうレストランの様子を思い浮かべた透は、頭で考える事もなく口から自然と言葉が出てきた。
アーウィンはあっと声を漏らして何かを言いかけるも、ふと何かを考えだしたようで、無意識のうちに首の高さに上げた手のひらをしぼませ、視線が横の草原の空を飛ぶ。
やがて、閉じかけた口を開くと、
「ええ、その方がエリーもよろこ……(…ばないかも知れないかもね)」
肯定しつつ、急に意見を撤回したくなったアーウィンは視線を、今度は右手の外壁に流して悩み始める。
だがそれも、一分もしないうちに結論が出たらしい。
「まぁ………文句を言われても気にしないことね」
あまり本心ではなさそうな様子を窺わせながらそう言うと、続けてアーウィンは、今の彼女は少しへそ曲がりになってるかも知れないから、あまり真に受けないことよ、と助言した。
すると、透は笑って、
「え? へそ曲がりな所は、前からじゃないんですか?」
と、少し驚いた様な口調で切り返す。
アーウィンは時がとまったように唖然とした顔をしたが、不意にクスクスと笑いだした。
「ちょっとビックリしたわ。そういう冗談はヨシヒサくらいしか言わないと思っていたのに」
「そうですね、僕の言うところではないかも知れません」
それにつられるかのように楽しそうに笑いつつも、透は心の内で、実は冗談で言ったわけじゃないんだけどなぁ、とそっと思っていた。
30話までには旅立たせたかったのですが……書いているうちに次で30話に!!?
すみません。旅に出るのが伸びるかもです。




