26.二十五日目にして四日目
あれから三日間、ギリアム――ギリアム・ドゥウォン――との決闘(?)も、透の魔法全開でどうにか勝ち取り、他にも目的を果たしたらしい彼は、闘い終わったすぐ後、汗に疲労を帯びた表情で城に戻ると透に話した。
北西門に見送りに行った際、彼の言った主らしき人は見当たらず、透が何気なく探していると、先に帰ったのだと説明された。その代わりにか、キタン――キタン・H・カルバンド――も一緒にハルミティオ城下町に帰っていった。
ナイスお兄さん!と未だにそう呼んで、腕を振りつつ見送る透に、松之介が『察するにあのHが気になる』と耳打ちし、透も薄々そう思っていた。
その一方で、透はエルフィンと殆どまともに話すことが出来ずに、この三日間を過ごした。
最初は結構、積極的に話しかけていた。話すことはできるものの、いつもどうでもいい所で、彼女の切り返しに透はふと変な態度を取ってしまい、余計誤解を深める結果になるので、自分から話しかけるのは一日と持たず半日であきらめた。
由久曰く『墓穴掘りの達人』だそうだ。
その鮮やかな技と来たら、隣で見ていた由久は、透のその足掻けば足掻くほど誤解の沼に沈み込む様に、苛立ちを通り過ぎて痛快を覚えると言い始めるくらい。
そして今日は四日目…。
「――で、話すたびに更に誤解が増えてしまいましてね…」
透は昼の休憩中に、カウンターにある席の…特に壁側の席に座って嘆いていた。
壁側の席五席は、目の前が箪笥と石壁なので、カウンター席であるにも関わらず、奥のバラザームなどと目を合わせずにすむし、壁側から二番目の席になると何をしゃべっても、店の中の物音や話し声でそうそう聞こえない。
「結局、話しかけ難くなってしまって…でも、向こうからは話しかけてきませんし…やっぱり怒ってるんですかね?――直接的には関係ないとは言え、重大な事を起こした人たちと、係わりが少なからずあるらしいんです」
例の老人の横で愚痴を溢しつつ、スープを飲んでいた。今はあまり食欲が出ないので、具たっぷりスープだけでも、十分お腹が満たされていく。
溜息一つ、また吐き出すようにつくとスプーンを突き立てる様にさらにつけた。透は一日と言わず、一時間の間でも数え着ないほどため息をつくようになっていた。
これは、エルフィンのことだけではあらず、毎日のように押し掛ける挑戦者に頭を悩ませていた。
昨日は、エルフィンと顔を合わせるたびに浸される無言の空気に鬱になった透が、気晴らしに街を歩いていると、表通り沿いの東門前の大きな噴水広場で二〇人近い挑戦者に囲まれた。珍しく、全員が初めて見る顔だ。
町に来たばかりの人間が挑戦してくるので、彼らは再挑戦してくる者以外、透の顔を知らないはず。それなのに、レストランからずいぶんと離れているのにもかかわらず、透は囲まれてしまった。
後に聞いた話によると、どうやら彼等が街で聞き込みをしてる際、許せぬ行為を働いているらしい。恐怖を覚えた一部の人たちは透の容姿などを詳細に教え、一方で透に対し逆恨みの念を持つようになっている有り様だ。
お陰で街を出歩く際、あまり近寄らない方がいい場所が点々と増えている。
「…ほう…それは――トオル君も大変ですなぁ……」
隣でいつもの様に味の濃いコンソメスープにパンをしみこませて食べていた老人が、パンをゆっくりと飲み込むと呟いた。
今日は朝早くから居たので、いい加減うんざりしていた透は、八当たりともいえるほどボコボコに彼らを返り討ちにした。
少しだけ気になるのは、最近、益々魔法が安定しなくなってきていることだ。その色も、青白い炎の様な魔力が、今やオレンジになっていた。
炎と同じで威力も弱くなってきているのかと思えば大きすぎたり、逆に思った以上に小さい時と、安定することがなかった。
アーウィンに相談しようかと思ったが、なんとなく態度が可笑しいし、会っても唐突に出くわすことが多いので、それで驚くたび、魔法のことは頭からずり落ちていた。
「…そうですよ〜。こんなんじゃぁ、気軽に散歩もできやしない。…今、最も安全なのはここから少し向こうに行った住宅区の方なんですけど…」
暫く黙って思いふけっていた透は、食べる手を止めて熱心に喋りだす。老人の方を向きつつ、こちらに顔が向いたのを確認すると、レストランの出口を超え、後ろの方を指差した。
「あっちの方に子どもたちが遊んでいる少し開けた広場があるんですが…子どもたちの相手をしている所為か、あちらの方は割と過ごしやすいんです」
「おお、そこならよく知っている。あそこはまだ舗装されてないし、舗装される予定もない。この街にしては珍しい場所だからの」
パンを口に運びかけていた老人が微笑んで頷く。透はその様子に、少しだけ元気が回復したように思えた。人の邪気のない笑みは心を和ませてくれる。
「特に、あそこの近くには猫が沢山、住み着いているからの………」
「え、猫ですか?」
老人が懐かしむように視線を落とした途端に、その言葉に透が「ダンっ!」と音を立て造りつけのテーブルに手を付いた。老人が驚いて透の方を向き直ると、透は目を輝かせていた。
「なんじゃ?少年と言われている割には猫好きか?」
「いやもう、猫好きに性別なんて関係ないですよ〜!…アレルギー持ちですけど」
「ん?あれるぎぃ?」
透の発した「アレルギー」と言う言葉に老人が怪訝な表情を浮かべる。
「最近ではそんな言葉があるのかぁ…?」
「あ、いえ、なんでもないです。ただ――猫を触っていると病的な症状が…」
「はっは!それほど好きなのか」
「…まぁ、そんな感じです」
どう説明すればいいか分からなかった透は、会話に興じるのも程々に、エルフィンと交代するためにスープを急いで飲み干すと、慌ただしく立ち上がる。
休めるのなら休んで居たいが、エルフィンとは今、とても微妙な関係なのだ。少しでも気を配って行動しないといけないような気がしていた。
「さ、店の手伝いにもどらなくちゃ…じゃ、おじぃさん。僕はこれで…」
「ああ、がんばってくださいな」
食器を持って軽く会釈すると、陽気に笑って応えてくれた。さて、では彼女に声をかけなければいけない…。今日は一体どんな反応をするだろうか。
真剣な表情で視線を店の中に移した透は忙しく動き回るエルフィンを見た。いつもと変わらず、お客に対して『愛らしい』と言われる頬笑みで接客する彼女は、前と変わらずに見える。
取り敢えず食器は老人の視線より少し上の方にある窓に置くと、奥の方へ押しやった。僅かに水と食器がこすれる音が聞こえる。その向こうでスティルが食器を洗っているのだ。
ふと、後ろの方で忙しく駆け足する革靴の足音が近付いてきた。察するに彼女かも。何気なく振り返ると、やはりその人だった。
「あ、エルフィンさん…」
「オヤジさん!これどこに持っていけばいい!?」
「――あ、あの…エルフィンさ――」
「おう!それは〜、三番だ!右のは六番、端の少なめの奴は十番のエスタナさんだ!」
料理を取りにきたエルフィンに向かって声をかけるも、気にされることも無く、彼女はそさくさと料理を持って行ってしまった。口を開きかけるも、その言葉は喉で行き詰まり「あ…う……」と、うめき声を漏れるだけで、ため息をついた後、いつの間にか伸ばしていた腕を下ろす。
「肩を叩いてみてはどうかの?」
出鼻を挫かれ、どうしたものかと気まずそうに佇んでいるとし始めた透に老人がそっと後ろから言った。
「え?」驚いて出てきた声は、意図せずかすれたような声だった。そんなことなど気にも留めずに振り返る。
「店の中は騒がしいし、聞こえてなかったかもしれん。肩を叩いて話しかければ気が付くじゃろう」
「そう――でしょうか…」
老人の言葉に透は不安そうにお茶を濁しつつエルフィンの方を向いた。
老人にはそれほど多くのことを教えていない。あの日から声をかけても無視されるのが度々あるのだ。
唯一の救いどころと言えば…一度視線を合わせれば、必ず受け応えをしてくれるということか。
何にしても話しかけなくては。出来れば話しかけたくないと思いつつも、透は心の内で決心し歩いて行く。料理を置いてお客と話すエルフィンの後ろまで来た後、一瞬躊躇ったが左腕を上げて手を伸ばし…
「あの、トオルさんですか?」
「え?」「!?」
彼女の肩を叩いたのは、別の人だった。驚いて横から伸びてきた腕をたどって行くと、四十代であろう中年の男性がいた。エルフィンの肩から幾分、離れたところに肩を叩いたその余韻としてか、右手を上げている。
小さく悲鳴に近い驚いた声と、視界の端でピンク色の何かが動いたのを見た透は、咄嗟に上げかけていた左腕を瞬時に下げた。
「貴方がトオルさんですか?」
男性はもう一度、エルフィンに問いかけた。それに応じて、エルフィンが困惑した顔つきで透を見る。
その視線を追って男性も透の方を向いた。
「――僕が透です」
少しだけ間を置いて言う。透は、男性がばつの悪そうに顔をしかめたりするだろうと思っていたが、彼はそんなことさえせずに、口早に切り出した。
「少し、手伝ってもらいたいことがあるのですが――よろしいですか?」
その、唐突な彼の言葉に、エルフィンと透は顔を見合わせた。




