18.お嬢様?透:後編
透は、アーウィンたちが歩いて行った表通りでも人の少ない外側寄りから、内側の人ごみの多い中に体を滑り込ませると、人の間を縫うように走り抜けていく。一方で松之介は、ほぼ直線に近い道のりで透を追いかけた。透が疾走していくのに驚いた人たちが、遅れて道を開けて行くのだ。
その道も、暫くしないうちに、新たに通る歩行人などで再び埋まっていく。時々、松之介にぶつかる人もいた。
「お、お前、あいつら、ぶちのめすんじゃないのかよっ!?」
「馬鹿言うな!あんな、『喧嘩、得意です』集団に勝てると思うのか?俺が!だいたい、こんな服じゃぁ、ロクに動き回れねぇよ!」
後ろで叫ぶ松之介に、透が叫び返した。それに、アーウィンとの約束もある。
振り向くと、松之介が引き抜いた剣を鞘に戻そうと抱え込んでいる状態で走っていて、更に後ろで、人込みを吹き飛ばしながら十数人の男たちが追いかけてくる。
お決まりの、「待ちやがれ」や、「道を開けろ」から「ブッコロス!」などという物騒な声まで聞こえた。
もし捕まったら…透は思わず、身震いした。
「もうヤダァ!!悪夢は見るし、悪党に追われるし!今日は一体何だってい――あ、彼は違います!」
泣き顔に近いこわばった顔で透が泣き叫んでいると、その情けない叫び声を聞きつけた勇気ある人が、松之介のことだと勘違いして取り押さえた。
「お前が紛らわしいこと言うから!」
「あの、すみません!彼は、友達です!」
捕まれ、圧し掛かられる松之介は、顔を真っ赤にしてどなった。慌てて透が、松之介を取り押さえている人々を大声で言いつつ、松之介の上から退かす。
「あの!悪党はあっちです!」
捕まえる人数が増えてきたので、必死に叫び声をあげて、百メートルほど後ろにいる、ナンパ男たちを指差した。
「え、どこだって?お嬢さ――」
それに従って、透の指さす方向を見る果敢な男たち。だが――
彼らを目にした果敢な男たちは急に言葉をなくして、「ごめん!」などと多種多様に謝りながら次々と立ち去って行った。
「うぉい!?ちょっとくらい根性見せてよ!?」
少しかっこいいと思えた、それほど派手ではない、チャラ男系の男性がにこやかに「アディオス!」と言ったところだった。
透が大げさに頭を抱え込みつつ、その男の人に向かって叫ぶと
「フフ、そんな無茶は言っちゃいけないよ、お嬢さん」
キラキラと光る何かを背負いながら気障に言って、そのまま手を振って人ごみの中に紛れて行った。
首筋まで伸びた茶髪のセミロングの男性は、清々しく去っていく。
「ナ、ナイスキャラだお兄さん!俺が劇団を運営してたら間違いなく欲しかった、そのキャラ!」
「んな奴入れたって、精々出来上がるのは、「劇団風お笑い芸人」だ!ほら、逃げるんだったら行くぞ!」
透が焦り顔で親指を立てると、遠くの方で親指を立てた手が見えた。
――もうあそこまで逃げたのか!?つくづくナイスだぜ、お兄さん!間違いなくプレイヤーだな!
松之介に手を引っ張られながら走って逃げる。ふと、後ろを振り返ると、ずいぶんと男たちが近づいてきていた。
「や、やばっ!?なんであんなに足速いの!?」
「お前が立ち止まってるからだ、馬鹿!」
悲鳴に近いキーキー声で叫ぶ透に、松之介が呆れ半分に怒鳴った。横を見ると、剣を右手に携えながら松之介が走っている。歩行人に剣をぶつけないように気を付けているところをみて、鞘に戻せばいいじゃないかと、透は思った。
「…あのさっ!――さっきから思ってたんだけど、なんでお前、剣なんて抜いてるの!?」
松之介が思いっきり力を入れてくるので、その手を振りほどこうと、必死に右腕を払いつつ、透が聞いた。
「…お前が喧嘩吹っ掛けるのかと思って準備してたんだよ」
「おお、こわ。なんだかんだで、松之介が一番抜かりないよね」
やっと手を離してくれたので、隣に追いつきながら横眼に言った。完全に横を向いてしまうと、前が見えなくて、いつ歩行人に衝突して転ぶか分からない。
先程、剣を鞘に戻そうとしていたと思っていたのは、抜こうとしていたとろろだったらしい。
…逃げ出した時点で、不要だとは思わなかったのだろうか。
「アーウィンさんを見つけられ――」
「イタッ!」
透が辺りに視線をキョロ突かせながら言いかけたところで急に何かに躓いた。転びかけたところを、松之介の腕にしがみついて、どうにか耐え抜く。しがみ付いた時に、咄嗟に爪も立てて掴んでしまったので、松之介が痛みに顔を歪ませた。
足もとを見ると、この服の象徴ともいえる(エルフィン的に)最小限に抑えたフリルの長いスカートの裾を踏んでいた。思わぬところで、この服の弱点だ。
「道理で、よくあるお嬢様走りの一つに、膝もとの服を掴んで走るわけだ!」
「んなこと良いから早くしろ!」
膝のあたりのスカートの布を掴むと、腰の高さに持ちあげつつ走り出した。松之介は急いて、透の右腕を掴み上げると、道を開けて突っ走る。
「おお〜確かにこっちの方が走りやすい!」
「感動してる場合か!?クソっ…表通りは目立つ!脇道に入るぞ!」
「え――うわっ」
身を屈めたまま、松之介が急に方向を転換して、円の外側――表通りを出て行こうとするので、透は転びそうになった。
「ちょ、ちょいまち!――『ハウス・ねこ』に行った方がよくないか?」
「お前は…オヤジさんにいくら迷惑をかける気だ!?」
透の提案に、松之介がすごい剣幕で怒鳴った。とっても義理高いんだからこの男は…。
それに、アーウィンが口を滑らしたおかげで、透たちはオヤジの本名がバラザームだと知ることが出来たが、彼一人は、裏でも「バラザーム」と呼ぶことなく、断固として「オヤジさん」で通している。
「…どのみち、迷惑掛けてるじゃないか。それに、捕まったら、捕まったらでさらに迷惑掛けるかも知れないじゃん」
透が不貞腐れて、ぶつくさ言っているをまるで聞こえていない松之介は、横に流れる雑踏をまるで泳いで行くように掻き分けながら、脇道に入っていく。 途中、振り返ると、こちらを見失っていたのか、男たちがキョロキョロと首を振っていた。
彼等が立ち止まっているのは確か…先ほど透が転んだあたりだ。
「なぁ、見ろ!あいつら、俺たちのこと見失ったみたいだぜ?」
「な――馬鹿!やめろ、逃げるんだろ?」
透が調子に乗って指差して笑っていると、松之介が横からその手をはたいた。だが、それも遅すぎて、再び松之介が彼らの方を見た時には、そのうちの一人がこちらを指差して盛んに叫んでいた。
その声に応じて周りの仲間も振り返ってこちらを見る。内、透が殴った男がにやりと笑った。
「………」
「お前は一体何がしたいんだよ!?」
透が硬直して青ざめているので、松之介は透の頭を『殴り』つつ、腕を引っ張って奥に走って行く。
「やっと、逃げきれるところだったのに…お前はなんだ?喧嘩しかたったなら、最初から喧嘩しておけよ!」
表通りから外れた道だけあって、先ほどよりかは、人が少ない。とはいえ、この街は国境付近の貿易拠点と城下街の間を結ぶ、大きな物流拠点だ。 脇道のところどころには、道具屋などの店が点々と店を構え、そこそこに賑わっている。
表通りと比較すると狭い様に感じるが、脇に野菜が積まれた馬車が止めてあるくらいだ。結構広い。
「この道は人通りが少ないな…速く走れるが、あいつらも同じことだ。人込みを利用して足止めなんてできやしないし、見渡しがいいから、少し隠れたくらいじゃあっという間にバレるだろうな…」
いつの間にか剣を鞘にしまっていた松之介は、左手で透の右上腕を掴みつつ、必死に辺りを見回しながら走る。
「クソ…応戦するにも、あれだけ走ったせいで!もうヘバってるしな…こんなんじゃぁ、十三人対二人じゃぁ、勝ち目がない」
一部を強調して、透を睨みつつ再びやり過ごす隠れ場所を探して、目をくまなく走らせる。一方の透は、息が上がってそれどころではなく、痛い所も突かれたので、押し黙ったままついて走った。
「どうするか…」
「お、トオルさんじゃないか!」
松之介が呟いていると、不意に透に声をかける人物がいた。見ると、幾度か見覚えのある青年が立っていた。貧相な体つきに、少しだけ窪んだ目。髪は油で撫でつけられたようにギラギラと黒いテカっている。
「(あ、変態さん)ど、どうも」
透は、彼に聞こえないように声をひそめてつぶやいた後、愛想笑いを作って会釈した。
「ええ、こんにちは」
ほんのりと赤らめた顔に満面の笑みで青年が返す。
彼は、透がオーダーを聞きに行った際、間違えたあの日に『偶然』にも居合わせ、「あなたを食べたい」と言った客だった。
しかし、『偶然』と、本人は言ったが、とあることをきっかけに、彼は、透が働く日には毎回来ていた。
「おい、挨拶してる暇なんてないぞ!」
透が「にこやかな表情を作る」という演技をしていると、隣から松之介が、気が気でない様子で言った。
途端に透の演技は崩れ、一瞬にして不安そうな表情に変わる。
その声につられて透は横を向いて分からなかったが、その瞬間、青年の表情に影がちらついた。
「今は早く隠れてあいつ等をやりすごさないと…あの執着心だから、捕まったら何されるか分からないぞ?」
「それなら、僕の家に隠れるのはどうですか?さぁこっちです」
松之介の言葉で、二人が何者からか逃げていることを察した青年が、一件の家の前で手招きしながら言った。
「ど、どうする?」
「そんなこと言ったって…お前の知り合いだろ?」
戸惑う透に、同じく困った表情の松之介が後ろを気にしつつ答えた。
「何してるんですか?早く!」
あせりつつも遠慮する気持ちの板挟みになって足踏みする二人に、青年が声を強めた。 それに合わせるかのように、カーブになっている一本道の奥から、「どこいった!?」と恐ろしげな怒鳴り声を響かせて男たちの気配が近づいてくる。
その恐怖に居ても立ってもいられなくなった透は、松之介の腕を引っ張って青年の方にかけだし、彼の家の中に入った。
足音が響いてあちらの方まで聞こえたのか、より一層怒鳴り声を荒げながら走りだす足音聞こえてくる。
「さぁこっち!トオルさんはこの箪笥の中で――あなたはそこの箱の中に!」
声を低めて、指示を出す青年。透は、入口から入って五メートルほど先に進んだ半開きの箪笥に、松之介は入ってすぐ横にある長方形の箱型物置に入るように言われた。
恐怖に急きたてられていた透と松之介は飛び込むようにそれぞれ箪笥と物入れに入る。
「あ、あれ?しまらない…!」
松之介の方の物置は蓋が重いのか、すぐにバタンと閉じたが、透の入った箪笥は金具が錆び付いているのか、とても固く、分厚い鉄板様な箪笥の扉はビクともしなかった。
「トオルさん、落ち着いて…静かにしていてください――あ、靴は脱いでください」
そう言って注意すると、透が疑問を抱く暇もつかせず、透に靴を脱がした。片手にそれを持つ。
青年が足元で何かいじると、カキっという音とともに、突然扉が嘘のように軽くなり、扉が閉まった。
「あ、ありがとうございます」
透はこの時、隠れられた安心感から、重々しい音を響かせながら閉められた音の中に、ガシャンと何かが閉められた音がしたことに気が付かなかった。
青年はどこかに歩いて行って、何やらごそごそと物音をたてて何かしている。静かに立ち上がると、足音とともに、箪笥まで近づき、
「やり過ごせたら降りてきますので、それまで静かに耐えていてくださいね」
小声でそう囁くと慌ただしく階段を上って行く足音を残して、青年は消えた。
静寂になった後で、男たちの荒々しい喧騒が聞こえてくる。
「おい、どこにもいねぇぞ」
「走っていく足音はすぐに消えたんだ。ここら辺に隠れているはずだ」
透は、恐る恐る、扉にあけ荒れた手のひらくらいの窓から外をのぞく。
部屋の中はまるで倉庫のようで、明るい外から漏れてくる光で、薄暗くはあるものの、部屋の中を見ることができた。
「あれって…商品棚?」
通路を作るような形で机が置かれ、そこに誇りを寒ぶった箱が積み上げられている。見たところ、ここは営業を停止した店で、この階は使われていないらしい。
バコン!!
突然の驚きと恐怖に、小さい悲鳴を上げ透の心臓が飛びあがった。左隣りの方から扉を蹴破る音が聞こえ、同時に悲鳴が聞こえた。
黙れ!と一喝する男の声の後に何やら住人と会話をしている。壁の所為で何を言っているか分からなかった。
しばらくして「本当だ!知らない!」と必死に訴える声と男が何か物を蹴った音がしたのち、再び、静けさが漂う。
松之介の方を見ると、松之介も外の様子をうかがっているらしく、蓋が少しだけ持ちあがっている。と、そこの近くに、先ほどまでは気づかなかった紐と、蓋の下まで伸びた棒を見つけた。
あのままでは閉じようとしても棒が邪魔でしまらない。少しでも覗かれてしまえば見つかってしまう。
(松之介、棒、棒がある!)
扉についた窓から必死に小声で伝えようとするが、全神経を外に向けている松之介に、その声は届くはずもない。
(棒だ!それじゃぁしまらないぞ!)
向かい側の家を探しているのか、遠くで扉を蹴破る音が聞こえる中、松之介はその度に覗かせている顔の不安げな影と汗を流した。
(チッ…だから、棒が――)
「どこだクソアマッ!!」
歯がゆさにうんざりして、舌打ちをしつつ言いかけた透は口をふさいで窓から隠れた。けあぶられた音に全身の毛穴が開いたような寒気が走り、心臓が悲鳴を上げた。
とても長い距離を走り終えたように息が上がって、呼吸音が聞こえるのではないかと、更におびえた。
蹴破られた扉が響かせる音が耳に残る静けさの中、静かに足音を響かせて歩いくる。
「…いま、そこ扉の向こうで人がいたな?」
愉快そうに笑いながら男が歩いてくる。更に数人の足音が入ってきたのを透は聞き逃さなかった。
「………。」
「お嬢ちゃん、かくれんぼはやめにしようか〜?」
卑しい笑いを浮かべながら男が歩いてくる。その足音一歩ごとに、透の心臓がせり上がり、鼓動は耳の内にまで聞こえてきた。全身が恐怖に震えて、叫びだしたい気持ちを必死に抑えた。
「さっさと出てこい!」
「何してるですか?」
男が鉄製の扉を蹴り破ろうと思いっきり蹴りだした瞬間だった。青年が、なにごとか?と言った調子の声で、男に問いかける。
一方、けられた扉は、壮絶な音を立ててきしんで、ガクガクに震えていた透は、衝撃で地面に倒れこんだ。
「ここに、赤茶髪の男と、栗色っぽい濃い金髪の育ちの良そうな女が逃げ込んだだろ?早く出せ」
問いかけに答えず、凄みを利かせた低い声で男が言い放った。透は床伝いにゆっくりと扉の左側の方に張り付き、慎重に立ち上がって斜めから外をのぞいた。青年は驚いた事に少々、不安の影を顔にちらつかせながらも、余裕そうな表情だ。
「上から見ていたので、誰が入ってきたか分かってます」
「それじゃぁ、早く連れて来い!」
「あなたたちの言う人間は赤茶の男しか入ってきてません!女性の方は一度入いりかけて、住宅街の方へ逃げて行きましたよ!」
男が吠えると、それに対して青年が声を張り上げた。青年の一言に思わず透は凍りつく。
――この人、なんてこと言ってるんだ?なんで松之介も逃げたことにしないの!?
「男の方だと?」
少しだけ視点をずらして、男の横顔が見えた。目を見開いて青年を睨んでいる。
「ふざけたこと言うんじゃねぇ!足音がここらで無くなったんだ!あんな革靴履いて、足音もなしに逃げれるとでも――」
「おい、ここに靴があるぞ!」
青年の服の襟をつかみ上げて、低い、脅しの効いた声で詰め寄ったその時、ついて着ていた男の一人が、床に乱雑に置かれた透の靴を指差して、片方を掲げた。
「――まぁいい。こいつを表通りで殴り飛ばせば、自ずと出てくるだろ」
掴み上げていた襟を乱暴に離すと、青年は毅然とした態度で、乱れた服を整える。視線をそらして、部屋の中を見渡す男に向って、気付かれない間に、一瞬だけ憎々しく表情を歪ませた。
「で?その男はどこだ?そいつはどこにいる?」
入口の方へ歩いて行きながら男が青年に聞いた。
「さぁ…僕は上からみえただけでしたので…」
「じゃぁ――」
青年が静かに答えると、男が突然、ゆらりと立ち止まった。先を読んだ透は即座にしゃがみこむ。
「この中だろうがぁ!?」
助走をつけた跳び蹴りが炸裂し、扉が軋むが、壊れるような気配は一切しない。
「ざ、残念ながら、それはありません」
「あ?」
荒々しい息で、更にけりを入れる男に向って、青年が答えた。やはり、内心かなり怖がっているようで、荒れ狂う男の姿に驚いた青年の言葉に動揺が表れた。
興奮気味に息を切らした男が、眉を吊り上げて青年に向き直る。青年の顔に、うっと息を詰まらしたように少し青ざめた表情が露骨に表れた。
「そりゃぁ、どういうことだ?」
男の、低くドスの利いた声は、声をかけられた時とは、まるで別人のような声だ。
「そ、そこの倉庫、店じまいしてから全く手入れしてなくて――扉はさび付いている上に閉めた鍵は壊れていて開かないんです。もう何年も開いてませんよ。――ええ、まったく!中身はガラクタだけにしておいたとは言え――」
「もういい。それで?他には?二階はどうした?」
少しだけ声が震えているが、青年の早口の説明から、愚痴に変わりかけた所だった。鬱陶しいといわんばかりに渋った顔をしつつ、青年を矢継ぎ早に攻め立てた。
芝居がかっていたのは、恐怖を跳ね返そうとして奮い立たせた結果だったようで、無理して恐怖を押さえている所為か、段々と訳の分からなくなってきた青年は、
「…だから、二階は僕が居たんでしたって。隠れてるとしたらこの部屋ですよ!」
と、叫び声をあげた。
男が、余裕顔で卑しい笑をする。同時に青年のしまったという顔が現れる。上に何かいただろうか?
「そうか―――おい、上を探しに行くぞ」
二階に上って行く階段を上がっていくので、窓に顔を近寄せた透は、青年が男の姿を目で追いながら気づかれないように、嘲るように鼻で笑ったのを目撃した。
そうか、全部芝居だったのか…、と呟きながら感心した。どこから芝居なのかと言えば、最初から芝居だったのだが、途中から、素に戻ったのかと思ってしまった。
透の視線に気が付いた青年がこちらを見てウィンクした。表通りにいた気障なお兄さんの時は、思わず「ナイスキャラ」だとか思ってしまったが、彼がすると、透は背筋にムカデが走って行くような異様な寒気を感じた。
ふと、彼の足が――と言うより踵が、足元の紐を何気なく捕らえて引っ張ったのを、透はみた。
途端に、松之介の隠れている物置の上に置いてあった本の束がずれ落ちる。
「!?」
「どうした!?」
入口から外を見張っていた仲間の男が驚いて物置の上にばらまかれた本を凝視している。あの男たちの仲間だと思われる一人は、ゆっくりとその箱に近づいて行く。それに間髪入れるドタバタと降りてくる男たち。
透は、青年のしたことを飲み込むまで、そう時間がかからなかった。
「と、とつ」
「突然、物入れの上に積まれてあった本が崩れたんです」
青年が目を見開いて、『恐怖におびえる』演技をしながら物置の方を凝視していた。
男たちは、一瞬、驚きを顔にちらつかせたが、すぐに意地の悪い単調な、毒々しい笑みが広がって、足早に物入れに近づいて行く。
「…おお、これは盲点だったなぁ…」
「――くそっ!」
男が物置の隙間を覗き込んで呟いたのとほぼ同時だった。蓋を吹き飛ばして松之介が飛び出した。
「おっと、どこに行くんだ?」
無表情に近いその表情で、入口に向かおうと跳躍した松之介の横腹に拳を叩きこむと、斜めに吹き飛ばされた松之介が壁にぶつかりながら落ちて、仲間が上から押さえつける。
「放せ!クソ、放しやが――」
「黙れ、こんのクソガキがっ!」
「………。」
足掻く松之介に向って男が蹴りを入れ込んだ。それにつられて数人が袋叩きにする。
鉄の扉の向こうで、透は、もはや恐怖さえ感じない憤怒に燃える感情で目を見張って拳を握りしめていた。
ふと、覗き込んでいた窓に誰かの後頭部が割り込んできた。青年だ。
「その人、一体どうするつもりですか?」
毅然とした態度に戻った青年は、嘲にもとれる口調で聞いたが、
「んじゃ、表通りにでっか。あのクソアマを誘き出すぞ」
仲間たちと下劣に笑いあって、青年の質問を無視して外へ出て行く。引きずられていく唇をかみしめている傷だらけ松之介には、怒りと恐怖の影がちらついている。
「…ここを出してください――」
「し、質問に答えてください!」
透の怒りに震える声で静かに言うと、その言葉を慌ててかき消すように青年が叫んだ。笑い声が収まる。
「…てめぇには関係ねぇよ、カスが」
眉を吊り上げて笑う様はさながら、言葉とともに背筋を冷やすものを感じる。どっと、一気に笑い声が上がった。
「用済みになったら街の外で殺して、魔物の餌にでもしてやるさ、なぁ?」
「それはいい考えだ!こいつ使って魔物でも手懐けてみるのもいい!」
「!?――待て、お前ら!!――」
「有効利用だな!」
男たちの笑い声の合間に、遠くから叫びあげる女性の声がするが、彼には聞こえない。
「――もう我慢ならない」
青年によって視界を邪魔されている透には当然見えることも無く、歯を食い縛り、透が呟いた。
そして――
「…離れてください」
「え?――」
ドゴォォオオン!
静かに囁くと、青年が驚いたように振り返る。次の瞬間、とてつもない轟音が鳴り、突風が部屋から外へ突き抜けて行った。扉に張り付いていた青年は転がるように外へ放り出される。
青年が転げ出てきて、外で笑い声をあげる男たちの声も静まり返った。
「なんだ?お前」
「い、いや僕は――」
脅しをかけながら襟をつかみ上げる。青年は慌てて首を振って言い訳を言いかけたが、それを遮って再び轟音が鳴り響いた。
やっと、この轟音が部屋の中にいると悟った男は目線を入口からまっすぐ奥にある、青年が『箪笥』といった倉庫を睨んだ。
ふと、靴と部屋に入った時に見たあの陰で、目的の人物が中にいると勘付いた。
「あそこにいるわけか――」
ドゴォォオオン!!
卑しい笑みを顔に纏わせて歩きだした途端に、再び轟音が鳴り響く。轟音に応じて大きく軋む扉を見て、途端に仲間たちにざわめきが走った。
男の表情が一瞬にして凍りつく。扉についている窓の向こうがで、爛々と光る何かを見てしまった。
「――あ、いやぁ………ち、違うな!こいつが、あのクソアマは逃げたって言うし」
首を振って愛想笑いに近い笑みを作ると、応じて仲間もそうだそうだと言いだした。
「よし、表に出るぞ――」
「あそこに!」
急に踵を返して立ち去ろうとした男の踝を青年が掴む。
「…あそこにいます」
ドゴォオオオン!!
一際大きく響く轟音と突風に男が小さく悲鳴を上げた。
「ば、馬鹿、何言ってんだ、放せ!」
「あの人は…あのなかに――」
男が必死にしがみついてくる青年を蹴り飛ばそうと足を上げたその時だった。
今まで以上の突風に、二つの黒い影が男の脇を通り抜け、一つが向かい家の壁を破壊しながら突き刺さり、もう一つ地面を転がって石畳の道を抉りながら転がって、軋みをうねり上げながら地面に倒れた。
「ああ、確かに透はあの中『だった』な」
男たちの恐怖の色に、はれ始めた片頬を吊り上げて愉快そうに松之介が言った。
静まり返った通りに、ヒタ、ヒタ、と素足の足音が聞こえてくる。外は明るいため、中はより暗くなっていて、中の様子は見えにくい。
だが、こちらに歩いてくる影と、顔付近の高さに時折現れる小さい炎はしっかりと見えた。
「…な、なんだよコイツ…どこが…どこが『お嬢様』なんだよ」
泣きそうな震えた声で男が言うと、松之介を押さえている二人を除いて、急にはじかれたように他の仲間たちが走りだした。
「な、逃げんな!に、に、逃げた奴は、俺がぶっころすぞ!?」
「…その前に俺がお前をブッコロス」
「ヒッ!?」
透の低い声に、振り返った男は思わず悲鳴を上げた。
青白く輝く身の丈のある分厚い大剣。憤怒に燃え、熱気を帯びた風を纏う。風になび、乱れる金髪の奥に光る眼にはまぎれもない殺気が渦巻いていた。
「い、いやだ、死にたくねぇ!」
「うわぁぁあぁぁあ!」
「ば、てめぇら!」
松之介を取り押さえるという役目で、何とかその場に堪えていた二人の仲間も、逃げだした。解放され、同時に支えられることの無くなった彼は地面に倒れこむ。
「…おい」
「!」
松之介の様子を、無表情で見ていた透がぶっきらぼうに声を上げた。男が絶句して、一瞬にして固まる。
「お前、俺の友達に何したか分かってるよな…?――全員、一人残らずブッコロスしてブッタ斬ル…!」
憎悪に歪んだ表情で一言言うと、その巨大な剣を左腰に構えた。
「覚悟しろ!」
「う、うあああぁぁぁあ!!」
かけだした透に、思わず腕で頭を抱え込みながらしゃがみ込む。彼女の足が目の前までやってきて、叫び声をあげながら固く眼をつぶった。
――だが、しばらくたっても何も起きない。
「え、え?」
男が恐る恐る顔を見上げると、女がこちらを見下ろしている。逆光で表情は見えなかった。
「こ、殺さないのか?」
「いや、殺す」
「――うわあぁっぁああ!」
期待のこもった震える声で聞くと、透は子供のような仕草で素っ気なく首を振った。両手に持った大剣を振り上げると、男は再び震えて縮こまる。
だが、またしても剣は振り落とされず、生きている。
「? ?」
「ほれ」
様子を見るために再び勇気を振り絞って、男が顔を見上げると、再び透は大剣を振り上げた。再び絶叫して頭を抱える。その様子に透はケラケラと笑いだした。
「…お前、遊んでるだろ」
「見ての通りだよ。結構面白いでしょ?」
松之介の呆れた声に、笑いながら答える透。二人の会話を青年と男は呆気にとられてみていたが、不意に男は我に返った。
歯をくいしばって人睨み利かせると、
「ちょ、調子に乗ってんじゃねぇぞ、このクソア――ギンっ!」
猛って掴みかかるが、透は横に倒した大剣の刀身をふりかぶると、思いっきり男の頭を殴って気絶させた。
「仲間が全員、逃げ出しちまったんだから、最初に捕まえた奴まで殺すわけないでしょ。少しは頭つかえば?」
鼻で笑って男を掴み上げると、そのままずるずると青年の家の中にある、鉄の倉庫の中に投げ込んだ。
彼が目を覚ました時、立場が逆転した「楽しい鬼ごっこ」が始まるのであった。
他の仲間たちを探し出すために男を起こした後、逃げて行ったほかのやつを探し出すのに協力させようと脅しをかける。
すると、男は以外にもすんなり要求をのみ込んだ。どうやら自分だけ残して逃げて行った仲間たちが許せないらしい。結局透は、仲間を見つけては松之介の二倍程度に痛めつけただけで、男に言った「ブッコロシテ、ブッタ斬ル」を実行しなかった。
実は、男の滑稽な行動に存分に満足してしまっていた透は、そこまでやる執着心がなかったのだ。
さて、気絶から目を覚まさした男に話を聞く際、透を狙ったのは、金持ちの娘だと見て、金を強請り取るつもりだったと自白した。それを聞いた透は、逆にお金を没収するということを繰り返した。
「はっはっは!儲かった儲かった」
夕日もとっぷりと暮れ、夜闇になり始めた道を歩きながら言った。全員捕まえるのに思った以上に時間がかかってしまった。
彼らを見つけるのに、主犯格だと思われる、あの男を使って、無傷に上機嫌で歩かせて透を倒したことをほのめかす。しばらくすると恐る恐る近づいてくる、または一目見て逃げ出そうとしたり、そわそわしたやつを捕まえるという算段だった。
透本人がやれば良いと松之介が言ったが、透は、
「少し距離を取って観察した方がわかりやすいものだよ」
と言って、実際にそうなったのだから、透はますます上機嫌になっていった。
たんまりとお金の入った袋を肩に下げて、透は満面の笑みだ。一方の松之介は絆創膏や湿布をはった顔で苦笑いしていた。
「いくら稼いだんだ?」
松之介に聞かれた透は、えーっと目線を空に泳がせながら思い出し始めた。
「あ〜これでも二百ゴールド行くか行かないかだよ。お金持ってないんだね、あの人たち」
残念そうに肩を落とす透。その様子をみて、松之介はやれやれと、首を振った。
「金に困ってたから、お前を狙ったんじゃないのか?」
「え?でも、前科があるような態度じゃなかった?あれ」怪訝そうな表情で透が言い返した。
「前に奪い取った金が底を尽きてきたんだろ?それか、何か買うのに、金がたらなかったとか」
「え〜」
松之介が言うと、透は未だ納得できていない面持ちで声を上げた。いつの間にかレストラン「ハウス・ねこ」の所まできた二人は階段を上っていく。
「尽きるって行っても食費代なんてたかが知れてるし…」
「彼らが、この街に住んでるのじゃなくて、長期滞在で、高い宿屋に泊っていたら?」
「あ〜そうか。それだったらわかなくもないかな――」
「おかえりなさい、二人とも?」
透が笑いながら扉を開けた瞬間、凍りつかせるような冷たい声が二人を貫いた。
「ア、アーウィンさん…」
「デートはいかがでした?重要な話があるといっていたのに、二人で――駆け落ちですか?」
足の高い円形テーブルについて、紅茶を飲んで微笑んでいるアーウィンはとても様になっている。が、同時に吹雪のような冷たい空気を流し出していた。
椅子の足に立て掛けてあるのは、いつの間にか落としていた日傘だ。
「え〜と、これはデートでも、駆け落ちでもなくてですね…」
「あ、私の話を聞くのがいやだったのですか」
「だ、断じて違います!」
紅茶のカップをテーブルに置いて、スプーンで掻きまわしつつ、アーウィンが呟いた。全身に悪寒を感じ、身震いしながら透が急き込んで首を振る。
「取り敢えず、部屋の出入り口で立ち話させるというのも好きじゃありません。二人ともこちらへ来たらどうです?」
口元を吊り上げただけの笑みに、横に倒してこちらを見る顔の角度のせいか、額から目元にまで暗く影が降りている。その影の奥にある眼には光は当然、写りこんでおらず、その視線は二人を再度凍らせた。
透が小さく悲鳴を上げる。情けないと思いつつも、怖さに半泣き状態だ。どうしようかと、松之介に聞こうと振り向くと、さすがに松之介も青ざめていた。
足を張り付けられたように微動だにしない二人。
「さぁ、こちらへ」
素敵な手つきで手招きをしながら、ゆっくりとアーウィンが言うと、二人とも観念して震える足取りでトボトボと席に着いた。
ニコニコと不気味に笑うアーウィンに、縮こまる二人に、部屋の中は沈黙が流れていた。
「あ、あの」
「なに?」
透がおずおずと声を上げる。アーウィンが透に微笑みかけながら答えた。その表情は笑えていない。口元をゆがませると表現した方がいいと、透は思いながら、ここに居ないエルフィンについて聞いた。
エルフィンがいるときはいつも、呆れたような、困りつつも笑っているような表情をしているので、和むのではないかとおもったのだ。
だが――
「ええ、彼女なら私と一緒に、貴方達を探して!…疲れながらも部屋にもどって仕度をしてますよ」
一向に和むことも無く更に気まずくなってしまい、松之介が透に向って『なにやってんだよ』と、目線を送ってくる。
「あの、仕度って?」
ここで再び沈黙が流れれば、透は重苦しい空気に発狂しまうかもしれないと思いつつ会話を続けるために聞いた。
だが、それを聞いた透は、知りたくなかったと後悔することになる。
聞かれたアーウィンは一瞬、きょとんとしたのち、
「ええ、あなたが明日着る服は、一体どんなものにしようかと、下劣な笑いをしながら部屋に戻って行きましたわ」
と言って、満面の笑みを見せた。
それを聞いて、松之介は「うわ」と声を漏らし、透は完全に凍りついた。
「…さてと」
構わずアーウィンは、残り少ないカップの紅茶を飲み干すと、ふぅとため息をつきながら呟いた。
二人に戦慄に似た何かが走る。
「あなたたちは………マツノスケとトオルは、一体どこで何をしていたの!!??」
「ごごご、ごめんなさい!!」「すいませんでした!」
急に言葉使いが戻り、ものすごい剣幕で次第に声を荒げて怒鳴るアーウィンに、二人は恐怖に身を震わせながら謝った。
彼女の怒鳴り声は、一階の店にまで響き渡り、その後の叱責の内容までも聞こえたほどだった。
それから、アーウィンが疲れて怒鳴るのをやめるまでの三時間ほど、店は静まり返り、怒鳴るのを止めた後も会話を聞きもらすまいと静かであったという。
しばらくこの話は、店に来た者の間での話題に頻繁に上り、それに合わさって、透の奮闘っぷりを目にした青年がその時の話を広めていき、扉を壊した下り辺りから取って「破壊神」や、男をからかって遊んでいた所から「小悪魔」や「鬼畜」などという呼び名まで出始めた。
一方で、松之介の方は、身を呈して透を守ろうとした(実際には青年が売り渡した)ことで「騎士」や「紳士」などと褒め称えられていた。
結局、呼び名は「少女とは思えない凶暴な新人ハンター」から「破壊神」にかわり、松之介は「真面目な」から「騎士精神の」というものに変わった。
そして、それから間もないうちに「破壊神」という、勝手につけられた呼び名から、フロアーの仕事をしている最中に透に挑戦しにくる輩が出始めることになる。
このことで、レストラン「ハウス・ねこ」に新名物の「透の喧嘩」を見に、店には一層、客が入るようになり、とても足りなくなったテーブルは、新たに作られ、店の外にまで伸びる様になった。
そんなことが起こるとも知らず、アーウィンの叱責にただ、ただ身を縮こませる透は、最後に「明日こそはちゃんと話をしますからね」と命令口調に言い渡され、残った二人は、由久が仕事を終えて帰ってくるころには、屍のように動かなくなっていた。




