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僕らの旅   作者: yu000sun
19/43

17.お嬢様?透:前編

 その後、異様に元気なエルフィンにソファーの上で必死の攻防をした透だったが、一枚上手のエルフィンに服を脱がされそうになり、思わず、服を脱がさんと伸びてきた彼女の腕を掴むと、投げ飛ばしてしまった。

 一瞬、しまったと思った透だが、ベッドの上を跳ねて落ちる彼女の表情を見た途端にそんな気は失せて、ソファーを飛び出す。

 ベッドを横切ると一目散に廊下に向って走った。


「っえあ!?」


 隣の部屋通じるドアの所で何かにつまずいた透は、躓いたものを派手に吹き飛ばしながら床に転ぶ。


「なんだよ――!」


 透は自分の(つまず)かせたものを確認しようと振り向きかけたが、テーブルや椅子の足の向こう側で、駆けて行く足が見えた。


 ――やばい!出口が…!


 すぐさま立ち上がり、出口に向って走りかけたが、出口と透の間を出口よりの位置に横から両手を広げてエルフィンが割り込んだ。 左手に持っていた、いやにフリルの多い服がその勢いにあわせて大きく揺れる。


「ふ、ふふ…!殺人悪夢から助けてあげた、優しき女性を投げ飛ばすなんて、ずいぶんな真似してくれるじゃないの〜?」


 たじろいで数歩下がる透に向って息を切らせつつ、低い声でエルフィンが言った。

 口元にだけ僅かに笑む無表情に顔を(あお)らせて言う様は、アーウィンには遠く及ばぬものの、まさに迫力がある。「フフフ」と息のように漏らす笑いには、不気味さが漂う。

 年がら年中、安っぽい怒り方をする透には到底、できそうにない迫力だ。


「フフフ、可愛い可愛いトオルちゃん?私がお洋服を、い・ま、着替えさせてあげますからね〜」


 あやし言葉を使うエルフィンに、逃げ道を失った透はゆっくりと歩いてくる彼女を警戒しながら後ずさりをする。


 ――逃げ道がない…なら!

「あ、まて!」


 透はサッと、開かれていた脱衣室に飛び込むと、同時に取っ手を持って勢いよくバタンっと扉をしめた。

 すぐさま鍵を――あれ?


 薄暗い中、取っ手を見た透は顔が青ざめた。この扉は元々鍵なんて付いてない。脱衣室なら鍵が付いているのではないかと思っていた透は、自分の突飛の無い予想を恨んだ。

 慌てて取っ手を固く握る。脱衣室は内側から引いて閉じる扉だが、幸い、取っ手は円形状のものではなく、棒状のものだ。

 と、扉の向こうから引っ張ろうとする力を感じる。


「お〜と〜な〜し〜く、この服着なさい!」


 分厚い、立派な木製の扉の向こう側で少しヒステリック気味に叫んでいるのが聞こえる。


「いやです、そんな服、着たくない!」

 思わず『元の』透で、フリルいっぱいの、ドレスのような服を着たところを想像してしまった。途端、青ざめて反射的に叫ぶ。


「そんな服とはなによ!?」

透の言葉にエルフィンの声が数段階上がった。


「お、俺はこういう服の方がいいです!」

その声に縮み込そうにながらも、透は必死に叫んだ。


 それと同時に、元の男の体であればこんなの必死にならずに済むのに、と透は思った。こんなに腕が細いと、これほどまで力が入らないのか。


「君ねぇ〜!最初に約束したでしょ?部屋着は男物の服を持ってきてあげる代わりに、外行きは、おしゃれに決めるって!」


 どうやら、怒り気味のようだ。声に少しだけ怒気が混じっているのを感じる。


 慌てて透は、

「確かに約束しましたけど!それはさすがに行きすぎです!!――?」

言い訳をしながら必死に大声で訴えると、不意に、向こう側からの力が抜けた。


「…あっそ。ならいいわ」


 静かになった部屋で、エルフィンの拗ねたような声とともに、コツコツと革靴が石畳の床を叩いて行く音が聞こえた。廊下側の方で扉の開閉する音が聞こえる。

 透は急に心の内が冷えて、取っ手を握る手を緩めた。右手を見てみると、圧迫されたせいで真っ白になっていた。

 すぐさま血が通って赤みを帯びる。


「………。」

 (はずかし)めを受けたくない一心で、必死で断ったが…。


 考えてみれば、自分の言い出したことの結果であるし、『そんな服』と言ってしまったが、透の『今の』外見を考えて、似合うと思い、選んでくれたのだ。


 ――…また。


 透はため息をつきつつ、今も取っ手掴んでいる左手に力を入れた。


 ――また、人の好意を粗末に扱ってしまった。


 強い後悔の念が透を渦巻く。無意識のうちに両手で顔を揉む。


 ――そう、昔から。特に『あの時』はこういうことの積み重ねで…。いつも、そう。気づいた時にはもう遅くて……。………?だれか…いる?


 不意に、扉の向こうに人の気配を感じた透は、いつの間にか放してしまっていた取っ手を、いそいで掴みかかる。だが、それより早く、扉は透の手より先を行って、奥に開かれていった。


 ――…。そう、いつも気づくのは遅いのだけれど…


 取っ手をつかみ損ねてバランス崩しかけた透は、前のめりになる。視線を落とした先には、わずかに見覚えのありそうな、薄ピンク色のニーソックス。


 ――こういうのは、初めてかな。


「ハロ〜?しょ・う・ね・ん」

「あ………」


 引き攣った顔で見上げた先には、ニヤニヤといかにも楽しそうな表情に得意そうな声で、仁王立ちするエルフィンが居た。


 ――やられた。


 透は目をそらせないまま、聞こえないように舌打ちをした。エルフィンは、部屋を出て行ったと思わせておいて、忍び足で脱衣室まで歩いてきていたらしい。


 おしゃれな革靴を履かず、靴下で歩いているのはその為だろう。こんな初歩的な事に引っかかるなんて…。


「さ〜て――いい加減観念しなさないよ?」

「!」


 再び取っ手に手をかけた透の手首をつかむと、エルフィンがにこやかに言った。部屋から脱衣室に向かって光が入ってきているため、見上げる状態の透からは、エルフィンの顔の中央付近一帯に黒い影があらわれている。

 無表情から口元を緩やかに釣り上げた『にこやか』が、数倍の効力を発揮した瞬間だった。


「えっと…あ〜、ちょっとシャワーを――」


 言い訳を言いかけたが、透は途中で止めた。口元だけの『にこやか』が、意地悪な笑みに変わったからだ。


「そう?じゃぁ、私が手伝って――」

「結構です!!」


 顔面真っ赤にして叫んだ透は、エルフィンの手を振り払って乱暴に扉を閉めた。


 薄暗い脱衣室の中で、扉の向こう側から、

「あなた、相当うなされてたのよ?大丈夫なの?」

と言いつつも、エルフィンの忍び笑いが聞こえた。心配も含まれていると信じたいが、悪戯好きのエルフィンのことだ。


 ほぼ間違いなく、からかっているのだと、透は思った。それでも扉を半開きにして、腕を伸ばす。


「………服、貸してください。出た後で、着ますから」

 一瞬、キョトンとした表情になったエルフィンは、次の瞬間には満面の笑みが広がっていた。


「はいはい、どうぞどうぞ」

「………。」


 複雑な顔で受け取った透は、黙ったまま扉を閉めた。受け取った服を棚に丁寧に置いて、何時も通りに他のことを考えながらシャワーを浴びにいく。

 だが、今日はあの夢のことで頭がいっぱいで、あっという間に済ますことが出来た。


 自分(かこ)自分(いま)に嫉妬している。それこそ、殺してしまいたいと思っているくらい。夢の中に兎が出てきたのも気になった。それに加えて、腕が切り落とされていたのも気になる。

 津々と疑問は出てくるばかりだが、気が付けば透は体を洗い終わっていた。


 さて、問題の服だったが、透は、このドレスとも取れるような服の着方が全く分からず、手古摺(てこず)るものの、何とか着こんだ。

(実際は、着替えている最中に、しびれを切らしたエルフィンによって、着せられただけだが。)


 着替えされせられた後、脱衣室を出た透はテーブルをはさんでエルフィンの正面に、姿勢正しく椅子に座っていた。


「う〜ん…」

「…まだですか?」


 円形のテーブルをはさんで向かい合って座る透は、腕を組んで唸っているエルフィンに向かって聞いた。

 透とエルフィンは、まだ部屋から出ておらず、時刻はもう昼が近い。


「そろそろ時間が…」

「ちょっと待って。君の頭に、何が似合うか考えてるんだから」


 真剣な眼差しで頭を見られるというのは、中々、気恥ずかしい気分である。しかも、恥ずかしさを紛らわすため、少しでも頭をかいたりすると怒るのだ。


「でも、アーウィンさんとかは?」

「大丈夫よ。ルーさんには、時間になったらこの部屋に来るよう、言っておいたから。あ、ちなみに昼食は外でとるからね」


 やはり、昨日の話通りにこの格好で外に行かなければならないらしい。ふと、そう言えばアーウィンさんが話があるとか言っていたっけ、と透は思い出した。


「う〜ん、服装はばっちりだからね…。やっぱりここは何もなしに日傘かな?」


 透が着ている服は、濃い茶色の生地に白いフリルのあしらわれたドレスだ。全体的にふわっとしていて着ている透は、何故、スカートがここまで膨らむのか不思議だった。

 実際は、パニエと言って大きいドレスなどにふくらみを持たせる下着とも言うべきものを穿いているためなのだが、透自身は、パニエをスパッツと同じようなものだろうと思っていた。


「落ち着いた感じにおさめたから、このままで大丈夫かしら…」

ぶつぶつと呟きながら目を細めて、眉間にしわを寄せる。


「シックで落ち着いた『お嬢様』風に仕上げたから、ウェーブをかけてみる?いや、このままの方が似合ってるし…」


 唸る様は、いつものあの可愛げある仕草ではなく、どちらかと言うと、素であると、透は思った。ワザとらしくなくていいのだが、普段が普段なので、急に年上だというのを感じる。


「…うん、このままがいいわね。唾の広く大きくて真っ白な帽子をかぶせてみようかとおも思ったけど、日傘と、この小物入れを持ってもらった方がしっくりくるわ!あ、あとこの手袋もね!」


 テーブルの上に乱雑に置かれた、帽子、髪留め。フリルのついた帯などを掻き分けて、これまた服の茶色の近い色の――せいぜい財布の代わりにしかならないと透は思った――小物入れを出してきた。金の止め金が付いている。

 手袋もその中から出してきたのだが、シルクの手袋で非常に手触りのよい、上質な手袋だった。

 足もとから白の日傘をだす。開いて見せると、これにもフリルが付いているとおもった透の予想をはずれ、傘には細かい刺繍が施されていた。


「トオル君。ちょっと小物入れの紐を腕にかけて、この日傘を差してくれる?――立ってね」


 座ったままやろうとした透に向ってエルフィンが注意した。「あ、はい」とだけ答えて席を立つ。


「そそ、そんな感じで―――もうちょっと日傘を優しく――がっつり持つんじゃなくて、こう、軽く手のひらに抑える感じで――そうそれ!それで少し背筋を伸ばして。体をゆるやかに――余裕をもった感じでいいのよ――そう!もうばっちりよ!!」


 戸惑いつつも、エルフィンの指示に従うにつれ、彼女は喜々とした表情でとび跳ねた。


「完璧!その姿を基本に優雅に歩いて、こんな感じで」


 立ち上がった彼女は透に見本を見せつつ、透に真似させる。


「そうね。これで、笑う時は『上品』という言葉を忘れずに。でも気取って『ホホホ』なんて言わなくていいのよ?ただ静かににっこりと頬笑むの」


 困った要に顔を歪ませたが、少しだけ考えたのちに透が言われた通りにしてみると、エルフィンがうっとりしたような表情になった。


「いいわね。呑み込みが早いわ。なんで今まであんな子供っぽい行動をしてたの?」


 彼女は、不意に怪訝そうな顔をした。気をよくした透は調子に乗って、演技を続けつつ、


「あれが素ですから仕方ありませんわ」

と答えた。突然、狐に抓まれたような表情をしたエルフィンが可笑しくて、透はつい吹き出してしまった。


「あ、楽しいです、これ」

「そうね、今日はこれで行きましょう!きっとみんな驚くわよ?」


クックックッと腹を押さえながら言う透に、エルフィンが横から興奮気味に言った。


「そうですね。これは面白い――」

「シッ」


 笑いが収まってきて、口のニヤけが取れないまま言いかけると、エルフィンが透の口を押さえる。

 彼女は廊下への扉を睨んでいた。


「誰か来る。たぶん、ルーさんとマツノスケ君ね」


 透が扉からエルフィンに視線を変えると、にやにやとしていた。透も頷く。急いで日傘を畳んで、透の認識している『上品』な持ち方をする。単に緩やかな手つきで傘を両手に持つだけだ。

 透の咳払いする声は扉のドアノブが回るガチャっという音で掻き消された。


「エリー。もうそろそろ時間だけど、終わ――」

「ええ、終わりましたよ」


 入ってきたアーウィンは思わず両手を口元にあてて立ちまった。余裕顔でエルフィンが答える。


「どうしたんですか?アーウィンさ――」


 続いて入ってきた松之介も透の姿を見て絶句した。


「すごい………!とっても似合ってるわよ!」

「ありがとうございます」


 アーウィンが走って近づいてくるので、先ほどエルフィンにしたように、微笑んでお礼を言う。だが、エルフィンのような驚きの表情ではなく、喜びに近い様な表情な気がした。


「あなた、実は生まれのいいところのお嬢さんとかじゃない?そう思えるほどよ!」


 その答えに、透は少しがっかりした。そうか、アーウィンはエルフィンと違って、内面が男だと認めてくれてないらしい。まぁ、エルフィンも、認めているかどうか分からないが。


「は、はぁ。ありがとうございます」

「エリー、あなたがちゃんと、服選びすれば、トオルちゃんもあんなに!」

「そうでしょ?今回は高貴な女性をイメージしたのよ?小道具も気を付けて――」


「…どうしたんだ?」


 アーウィンとエルフィンが盛んに話し始めたので、横からそろそろとやってきた松之介が、とっても苦々しい表情で聞いてきた。


「か〜な〜り、気色悪いぞ」

「そうだろうな」


 松之介の嫌味に、素っ気なく答えた。まぁ、松之介の反応の方が面白かったからいいけど、と透は思い返す。

 ふと、透は、もう一度、やってみたらどうなるかと思い、試したくなった。


「それより、似合います?この服」


 アーウィンを、つまらなそうな目で見ていた透はくるりと松之介に向き直ると、微笑みながら聞いた。 それにあわせて首を少しだけ傾げてみる。効果は絶大の威力を誇った。


「!?――ッイ!?」


 目を見開いた松之介は、ズザザっと後ずさりすると、勢い余って頭を壁にぶつけた。その様子に、透は思わず大声で笑ってしまった。


「冗談!冗談だよ。まったく、俺が本気だと思ったのか?」

 はっはっはと上機嫌に笑って、頭を押さえて屈みこんでいた松之介の背中を叩いていった。


 松之介は恨めしそうな目で見てきたが、透は別段、気にせずに無視して

「さて、もうそろそろ行きませんか?ちょっとお腹が減ってきました」

と言って、エルフィンの方に向き直った。


 普段だったら言い出しそうにないが、今は別。上機嫌で、何をしても拒まれるという恐怖が頭から消えていた。

 立て続けに成功した、松之介に対しての悪戯によって気分を良くした透は、お腹を軽くさすりながら、盛んに話し合っている二人に言った。


 透に割り込まれた二人は、会話を中断すると、

「そういえば〜、今日は外食にしゃれこもうと思っていたんだっけ?」

とエルフィンが顎に手を当てながら言った。また、あの子供のような猫撫でた声を作って言う様に、再び勝手ながらイラッときた。


「エルフィンさんが言ったんですよ…」

 はぁっとため息をつきつつ透は言った。と、不意に自分の態度が大きいことに気が付いた透は、不安の影が心のうちに湧きあがった


 だが、危惧していた透の予想とは反対に、

「そうだったわね。昨日、廊下で言っていた喫茶店に連れて行ってもらおうかしら」


 アーウィンが相槌を打って頷くと、エルウィンが会話を喫茶店のことに切り替えながら一緒に部屋を出て行った。

 透と松之介も彼女らのあとをついて部屋を出る。



「残念ね〜三人にも見せてあげたかったけど、お店がね」


 アーウィンは肩をすくませて言った。三人とは、バラザームにダット、由久のことだ。お昼時なのだから仕方がない。


「でも、スティルにあったじゃない?いつも無表情の石像君だけど、さすがに、最後の『アレ』で面白い表情をしたわよね」


 エルフィンがキャキャとはしゃぎながら笑う。スティルには、洗濯物を運んでいる最中に出会った。

 透の『お嬢様』姿に一瞬、動きを止めたが、あの無表情な仮面は剥がれることはなく、エルフィンの問いかけにも普段と変わらず、淡々と答えた。

 仕方ないので、透が割れ際に「頑張ってください」と穏やかに笑って『上品さ』を念頭に、軽く腰を曲げて会釈すると、スティルが持っていたシーツを、ドバッと落としたのだ。透の演技はそこでも続いていて、「あら」と言いつつクスっと笑うと、スティルが顔をほんのり赤らめて足早に立ち去っていた。


「お前さ、演劇の才能あるんじゃねぇの?」


 松之介が隣で日傘をさしながら歩く透に向って、小さい声でつぶやく様に言った。二人の少し後ろを歩く透と松之介は、街に住まう人々から注目の的だ。


 周りからは、

「え、あれがあの凶暴と言われる少女?」

「実はいいとこ生まれだったのか」

「大人しそうじゃないか。噂は噂か」

などと声が聞こえてくる。


「演劇の才能?そんなの、知れたこと。前々から言ってたじゃねぇか」

段々と、注目する視線がうっとおしくなってきた透は、不機嫌そうに声を低めて答えた。


「あれは冗談で言ってたんだ。でも、今日の演技はホントすごかったぜ?」


 松之介が身振り手振りに言う。透は、普段から冗談で演技をする時があった。特に、文章を声色を変えて色々と演技をしながら笑わせることが好きだ。

 その度に、演劇に入れなどと、色々と言われた。でも、程度が知れていて、それはそれで、単なるほめ言葉だった。


「…本気にするよ?本気で演劇目指すよー?」


 相変わらず、気分の盛り下がっている透は、だるそうに言うと、はっはっはと取ってつけたような無機質な笑いをした。 いくら日に日に気温が下がっているとはいえ、この服装は熱がこもり易い。汗なんてながしたら大変だろうから、必死にテンションを下げて、無駄に体温が上がるのを防ごうとしているのだ。


 風が吹かないかなと思っていると、ふと、気持ちのいい風が吹く。

「あ〜いい風〜」

「は?風なんて吹いてねぇよ?」


 そよそよと涼しげに吹く風に思わず気をゆるましながら呟くと、横から怪訝そうな顔つきで松之介が言った。


「ふう、松之介さんってにぶいですのね?こんな心地よい涼しい風が流れているのに気付かないなんて。ふびんでありませんわ――にしても気持ちがいいものだ」


 フフフと笑みを漏らしながら気取って言うと、再び気だるそうな口調に戻す。松之介は本当に気持ち悪がっているようで、苦々しく顔をゆがめるとため息をついて首を振った。


「お〜い〜。折角、おだてに乗って演技してやったのにそれはないんじゃないのか?まったくこれだから…」

「そこのお嬢さん、一緒にお茶なんていかがですか?」


 ワザとらしくため息をついて、松之介の反応を楽しんでいた透は、不意に横から声をかけられた。

 見ると、数人の若い男性がいつの間にか隣を歩いていた。


「え?私ですか?」


 思わず立ち止まって、答えてしまった。松之介が「ばか…」と呟いて、めんどくさそうな顔をする。思ったより大きな声で返してしまったのか、透の驚いた声に反応して通りの人が数人、振り返る。


「そう、あなた。彼と一緒にいて楽しいかい?どうせなら俺たち一緒に楽しい旅の話なんかどうだい?」


 おお、と透は思った。ナンパされるのも、ナンパされているところも初めて見た透はちょっとした感激を受けた。うん、5〜6人の青年たちは、なかなかの顔立ち。でも、どちらかと言うと不良に近くて、その人相から性格がわかってしまうような人間だった。


 透の嫌いで、苦手なタイプの人間だ。ついて行ってはいけない。


 ――どうせ、断ってもしつこいんだろうな。


 ふとアーウィンたちの方をみると、同じ仲間だろうか、二人の前にも若い男性がいて、誘っている。だが、二人は呼び止めにも答えずに、盛んに話し合ってそのまま言ってしまった。


「…いいえ、結構です」

 二人を追おうと静かに断ると、突然、目の前にいた黒髪の男が透の腕をつかんだ。


「一緒にどう?隣の男はいらいないけど」


 透は、掴みかかってくる男の眼をじっと睨らむ。

「………。あいにく、俺は女じゃないんでね」

静かに呟いた途端、目の前の男の顔面に思いっきりパンチを決め込んだ。


 数歩よろめいて後ろにいた仲間に受け止められると、黒髪の男は頬に手を当て驚いた顔をしている。


「逃げるぞ松之介!」

「え、ちょ、まて!」

 脱兎の如く逃げ出す透の後を慌てて追いかける松之介。数秒遅れて男たちも酷い形相で追いかけてきた。


 十人近くの鬼がいる鬼ごっこの始まりだ。


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