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僕らの旅   作者: yu000sun
17/43

15.エルフィン

 今回は、多少なりとも血の表現や、気持ちを暗くさせるような表現などがあります。


 苦手な人は、覚悟を決めるか、内容を飛ばして最後の後書きだけ読まれることをお勧めします。

 白色のチェックの入ったパジャマ姿のアーウィンは、靴の代わりに室内用のものなのか、サンダルを履いていた。

 目の前の女性は口元にわずかな笑みを浮かばせ、好奇心のこもった、しかし、落ち着きを見せる表情で、キョトンとしている透に言う。


「あなたも、『彼ら』と同様、違うところから来たのよね?」

「………?………あ――ええ、一応は」


 透の耳は一時的に反応が鈍っていて、『音』が『言葉』に返還されるのに少しだけ時間がかかった。

 『彼ら』。アーウィンの言う彼らとは、一体誰のことを言うのか。少しだけ考えこんだ透は、由久と松之介のことだと瞬時に思いあたり、少し間を開けて頷く。


「そう。なら、あなたはより異質だわ」


 彼女は、透の肩に手を置いて目線の高さを合わせ、目を見開いて囁いた。より露骨に現れた好奇心から目を逸らしたいと思ったが、そうも出来ず、透も見つめ返した。


 透はこのとき、初めてアーウィンの瞳を間近に見たような気がした。


 黒に見えるほど深い翠の瞳で、光が写りこむと鮮やかな――髪よりいくらか暗い色だが――エメラルドグリーンの輝きを持っている。 今は廊下の壁に立て掛けられている蝋燭に燈った火と、天井の油瓶の静かに揺らぐ炎の橙色の明かりで、少し暗い色をしていた。


 しばらく続きの言葉を待って沈黙していたが、彼女も黙っているので、透は慌てて俯いた。


「…あの、服、着替えてきてもいいですか?」


 俯いたのは、顔がほんのり熱を帯びているのに気が付いたからだ。透の様子にアーウィンは少し驚いていた。 いくらなんでも、こんな至近距離で見つめていたら誰だってなるさ、と透は自分に言い聞かせた。


「あ、ごめんなさい――ええ、そうね。仕事が終わったばかりですもの。ついでにシャワーも浴びてくるといいわ――どうしたの?」


 シャワーという言葉を聞いて、透の顔が爆発を起こさんばかりに真っ赤になったので、アーウィンが本当に驚いた様子で聞いた。 透は、二週間たった今でも『自分の使っている体』にさえ目を当てられないほど、苦手だった。


 透は慌てて「い、いえ、なんでもありません」と首を横に振ると、急いで自分たちの部屋に駆け込んだ。


「ふぅ………兎に角、終わったら私の部屋にいらっしゃい。」


 閉めた扉の向こうからアーウィンの声が聞こえる。その言葉を聞いて透は、更に顔を赤らめた。病気にでもなった気分だ。


「は、はい…!」


 心臓の鼓動が耳元に聞こえるなかで、声を少し掠れさせながら弱々しく答えた。喉がカラカラだ。


 しっかりしろ、透!俺は、俺でも体が違う。俺であって透じゃない。


 自分に言い聞かせると、少しだけ気分が落ち着き、深呼吸をしたくなった。

 大きく息を吸って、それに伴い肩も上がっていき、肺も肩もこれ以上無理だとなるまで吸って、そこから肩を落として勢いよく息を吐いた。 少し頭がクラクラするが、割と落ち着いたと思う。


 落ち着いてきた為か、余計に喉の渇きを感じた。


 透は、戸棚をあけて棚からグラスを取り出すと、飲める水が溜められた、小さめの樽についた蛇口をひねる。 今までは、樽の下部に取り付けられたパイプに、コルクの栓がされてあっただけだが、一昨日、透が蛇口を作って取り付けてみた。


 元々、蛇口というものはあったが――シャワーもあるので、当然といえば当然なのだが――樽にくくりつけるような蛇口はなかったらしい。


 そもそも、そういうものはお手製か、大工に頼むのが普通で、完成品が売られているということは、この街ではないということだ。


 さて、透の作ったその蛇口は、いたって簡単な作りだった。

 筒の中心に筒の内側と同じ太さより少しだけ太い棒を垂直に通して、その棒に穴を入れて水が流れ出るようにする。捻れば栓の役割をするという蛇口だ。 棒と筒の隙間から水が漏れてくるが、そういうとき隙間を丈夫な紐で固めて、筒の方はコルク栓をすればいい。


 作り上げた蛇口から水が出てくる様子を、隣で見ていたスティルに、「器用だな」と一言だけ褒められたが、同時に料理の下手さについても言われ、微妙な気持ちになった。


「まぁ、感謝のお言葉がもらえただけ良かったかな?」


 シャーっと音を立てながら出てくる水を眺めながら、透はその時のことを思い出しつつ、鼻で笑いつつ呟いた。


 水は先日取り換えたばかりなので量も多く、勢いよく水が出てくる。透は、グラス一杯に注いだ水を、口の脇から零れるのにも構わずに噛み付くように飲んだ。こぼれた水が、火照った頬にヒンヤリと冷たい水の感覚をあとに残して伝っていく。


 ぷはっと、グラスを唇から威勢よく離して口元を拭く。なんとなくスッキリして楽しい気分になった。

 グラスを置くとテーブルのほうに歩いて行き、ふぅっとため息を付きながら椅子に腰を下ろす。背もたれにだらりと体をもたれて天井を見上げると、また盛大な溜息を吐いた。


 ふと、ベッドを見ると松之介の姿はなく、ソファーに寝ていた。


 そして、窓が木の戸で占められていることに気が付く。日が経つに連れ、気温が下がっているので、当然といえば当然だった。

 由久の姿も無いので、こっそりと隣の部屋をのぞいてみる。


 こちらの部屋は戸を閉めておらず、広い窓から月明かりが差すなかで、由久が片腕を枕にし、寝息を立てていた。

 透は、静かに扉を閉めると、くるりと向きを変えて脱衣室に向かう。


 ――さぁて。今日は何を考えながら乗り越えよう。


 少し派手な紳士な服にも、気品のあるお嬢様の服ともとれる、フリルのついたブラウスのボタンをはずしつつ、透は思った。

 透は度重なる出血から、他のことを考えていれば考えている程、出血が少ないことに気が付き、実績としてこれまでに二回も出血せずに済んだ。


 松之介と由久にこの話すと、二人は大いに笑った後、「本当にガキで単純だよなぁ」といって透を馬鹿にした。 一方、笑われた方の透は、二人の予想を反して「まぁ、そうかもね」と言って終わりにした。

 透自身でも思っていたことで、予想はしていたから、頷いて納得してすんだ。それでも、今思い出すと、少々腹立たしい気もした。


 「ふん」と不機嫌な声を出しながら、ブラウスを、自分の使っているいちばん上の洗濯籠に投げ込む。


 ――確かに、予想はしていたが、それでも話してみたかったのは、少しは違う反応を見せてくれるのではないかと、退屈しのぎに期待したからさ。


 期待に反した予想済みの詰まらない反応を思い出して、「チッ」と舌打ちをしながら、黒のパンツを脱ぎすてる。

 このパンツは紳士服セットなる物の、スーツのパンツで、買ったばかりのパンツは黒のパリパリに固い。

 上着の方は、着ていると動きにくかった為に、後になってエルフィンが上着だけ返品してきてくれた。


 ――そういえば、「返品と言っても、お金は戻ってこなかった」ってエルフィンさんが言っていたな。代わりにもう一着、服を貰ったらしいけど。


 足のつま先でけり上げたパンツの袖をつかみ、籠に投げいれながら思い出した。なんだかエルフィンは袋を抱きしめたまま、満面の笑みを浮かべて喜んでいたっけ。

 桃色の髪に黒色の瞳。セミロングは透も同じだが、彼女は後ろ髪が短く、横がふんわり長い。

 毛先が内側にゆるやかにカールした全体的にボリュームのある髪形で、童顔におしゃれ好きな乙女の彼女は、ピンクが好きでフロアーの制服もこだわっていた。


 ショートブラウスの下に長袖のニットシャツ。スカートは少々厚手のものなのか、ふんわりとした形状を保つなんとも不思議なスカートを着ていた。

 一方で、ブラウスに黒のパンツ、そして地味なエプロンに革靴が、透のフロアーの仕事をする時の制服だ。

 透のものとは違い、全体的にピンクで可愛らしいが、同時に透の苦手なタイプでもあった。


 ――あんな感じの人って裏表激しそうだからね。


 苦笑いしながらいつの間にか脱いだ下着を脇目もふらずに籠に投げいれる。さて、ここからは更に集中しなければ。


 部屋を隔てているカーテンを勢いよく取っ払い、隣の戦場――シャワー室に足を踏み入れた。

 水が脱衣室に流れ込まないように段差ができているため、下を見ていない透は、危うく転びそうになったが、左手でカーテンを掴んでいたので、何とか持ちこたえる。


 ――だが、今回は丁度いい話題を見つけることが出来た。


 透は、再びエルフィンについて思い出し始めた。


 ――どこまで思い出したんだっけ?…あ、そうそう。エルフィンさんが酷いことをしてたんだ。


 彼女は、時々現れるセクハラな事をするお客には、こっそりと悪戯をしていた。塩や胡椒を余分につけたして辛くしたり、砂糖をぶち込んで甘くしたり。


 だが、それに気付かずに常習犯に近くなってくるお客になると、悪戯は加速する。


 料理の中に雑巾の絞り水を注いだり、死んだ虫を、虫だと分からない様にすりつぶして混入させたりと、えげつないことをしているところを、透は目撃してしまった。

 バラザームもそれを横目で見ていたが、驚いた事に彼は呆れたように笑いながら首を振ると「せいぜい、ばれない程度にしておけ」と小さい声で忠告した。


 透はシャワーの前に立って大きめの蛇口を回した。体温より少しだけ温度の高い、生ぬるいお湯が降りそそぐ。

 長すぎる髪に手をのばして洗い、そのあと、石鹸を手にとって腕を洗い始める。


 あの後、ダットに「何故、オヤジさんは彼女の悪戯を止めないのか」と聞くと、

「いや、最初は止めていたんだよ」

と、野菜を切りながら答えた。


「嫌がらせに料理に何か得体の知れないものを混入していたのを見たオヤジさんが、彼女の復讐を止めるようにしてたんけど、そうしているうちに彼女が耐えがたくなったのか、ある日、彼女がお客さんに出した料理に全部に、得体のしれない薬を混入させてね。

 なんと、僕たちの昼食にも混ぜてあって、料理を食べた後に倒れて三日間は寝込んだな。それ以来、やりすぎない限りは止めなくなったのさ」

 苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない苦笑いをしつつ、話してくれた。


 ちょうどその時、料理を取りにきたエルフィンが少し立ち止まってこちらをみると、その可愛い顔でとびっきりの笑顔を二人に見せたのち、忙しそうに料理を持って行った。

 その時、なぜかゾクゾクっと背筋に寒気が走った。ダットも同じだったのか、ブルブルっと身震いしていた。


「エルフィンさんは怖いね。遠目で見る分には、面白いからいいけど」


 呟いた透の声とともに、蛇口の閉める音が響く。


「ん?あ、もう終わったのか」


 無意識に体を洗っていたりするものだから、終わった事もなぜか他人事のようにこぼした。

 幸い、鼻から血は出ていなかった。あとは服を着るだけなので、意識をいずこへ飛ばすことをしなくとも耐えられる。


 水を(したた)かせる髪を絞り上げながら脱衣室に戻っていくと、ふと、アーウィンとの約束を思い出した。


「魔力…か」


 脱衣室に入った透は、タオルで体を拭きつつ、ぽつりと呟いた。


 ――これは俺の能力じゃない。この姿のモデルの元になった架空の人物の能力を持っているだけであるし、自分自身、才能と呼べるものはない。


 アーウィンの、あの少し興味深げな瞳には、「期待」の二文字が込められているような気がしていた透は、急に申し訳ないような気持ちになった。

 自分に才能なんてない。あの、滅茶苦茶な戦いだって、現実だったら「死」と言う言葉に震えて動けない。

 狂気じみた由久を前に、慌てふためいて逃げ出したことだろう。


 夢だから、ゲームだから出来ることだ。架空であれば現実の自分は死ぬことがない。ここで殺されても、日常が待っているだけだ。


 安心と、「殺し」という攻撃的な本能への興味と狂気があそこまで透を奮い立たせ、そしてまた、体を支配し、操った。

 その事実に、透は悲痛に顔をゆがませ歯を食いしばった。あの下らない若輩の狂気の中で、アーウィンは自分に、一体何を見出したというのか?


 エルフィンが買ってきてくれた部屋着を着ながら透は心の内で呟いた。


 ――もし、魔力であるなら、それは自分の力じゃない。仮に、あの戦い方であっても、それは他にプレイヤーにだってありうることだ。ここが「現実」だって思ってなければ、「死」に対しての恐怖など、あまり意識しない。


「………いや、今は、考えるのはやめよう」


 頭を切り替える為に、軽い舌打ちを起しながら肺に新鮮な空気を送り込んで、盛大にため息を吐いた。

 マンネリ感が戻ってこない内に、紺色の地味なシャツを着る前に胴巻きを頭からかぶさって着る。


 ささっと、下着を取って穿くと、続いて足回りの広いズボンに足を通す。止まる間を与えず、ニットシャツに上半身を突っ込むと同時に扉を開けて脱衣室を出ると、足早に部屋を出た。


 何故、透を異質だと思ったのか、早急に知りたかった。魔力であれば、落胆して終わり。開き直ってまた同じ、刺激のある日々が過ぎて行く。

 もし、透の戦い方や身のこなしであれば、反省こそすれ、喜んでなどはいけない。あれは自分のモラルに反する。

 面白半分に殺し合いなど許したくない、と己の中の良識が喉を嗄らさんと叫んでいる。


「あ、少年!こんな夜中になにしてるんだっ!?」

「?」


 夜の静寂の中、不意に、可愛げのある作った怒鳴り声が聞こえたので、驚いて声のする左の方に振り向いて立ち止まる。


 見ると、パジャマ姿のエルフィンが、タオルを首にぶら下げて立っていた。腰に左手を当て、こちらに向かって小悪魔な笑みを浮かべつつ、指差している。

 透は、この廊下は一本道ではなく、途中で一本だけ左に廊下が分かれているのを忘れていた。


 宿となっている二階は階段を底辺に、逆F字に廊下がつながっている。階段から廊下の突き当りまでまっすぐ見た視点で、途中で左に一本廊下が分かれ、その更に奥の突き当りでも左に曲がっていく。

 廊下の入っていく左側の部屋からは、表通りが見え、透たちの使っている部屋――階段から右側の方は、街の住宅区が見ることができる。


 最近、気になったので調べて知ったことだが、部屋は全部で大小九つの部屋があって、そのうち、住宅区側、階段に一番近い、二番目に広い部屋が透たちの使っている部屋だ。

 アーウィンは、階段から廊下をまっすぐ進んで左に曲がる付きあたりの、一番奥、三番目に小さい部屋にいる。


 エルフィンは、廊下を途中で曲がって、その右側の部屋が彼女の部屋だ。鍵付きと言うこともあり、広さは想像でしかないが、それほど広くない。


 彼女の向かい側の部屋が一番広い部屋で、倉庫になっており、屋上へ続く階段がある。


 ――さて、宿の全体図を忘れていた後悔はやめにして、現実に戻るか。


 例にもれず、彼女のパジャマはピンクだった。その、あまりにも「あたし、可愛いでしょ〜」なオーラに透は右頬がぴくっと引き攣る。

 幸い、彼女は透の左から現れたので、おそらく見えてないだろう。


「まったく………明日は手伝いが休みだろうと、ちゃんと寝なよ?明日は服の調達しにいくから」

「は、はぁ………」


 声の調子からして、バレてなかったらしい。

 近づいてくるエルフィンに、後ずさりしたいと思いつつも、透は対応に困りながらもあいまいに答えた。 彼女は、お金さえ払ってくれれば、宿に泊っている客人に、宿に泊っている間に衣服を買いに行ってくれる。


 ――俺達の分は、町長の補助金からきてるんだっけ?


 理由は、単純に服が買いたいだけならしい。おしゃれ好きで、買い物好きなだけあり、自分の服は、箪笥が一杯でもう買い切れないと言っていた。

 だから彼女は、宿に泊っている間の服を、自分のセンスと相手の容姿や性格を照らし合わせて、服を選んでくるのだ。

 幸い、旅人の多くは着の身着のままか、少ない衣服で旅をしているので、しばらく留まる様な旅人や、ちゃんとした服が欲しいといった一部の旅人関しては人気があるらしい。


「…でも少年。君が頼んだから買ってきた男物の服――」


 エルフィンは顎に手を当てながら腕を組み、ワザとらしく、反目に眉間のしわを寄せる。透は顔を背けていたので、どこを見ているかまでは気にしていなかった。

 透の今の服装は、紺色の長袖ニットシャツに、ポケットのいっぱい付いた、脛の途中まで丈のある黒のハーフズボンだ。


 透は一週間ほど前からエルフィンに頼んで、せめて部屋着だけでも男物がいいと懇願していた。


 最初は、首をかしげて可笑しなものを見るような目で透を見ていたが、必死にお願いしているうちに、エルフィンが「いいよ」頷いてくれたのだ。 代わりに、外出用の服はエルフィンの希望通りにすることと、一緒に服を買いに行くという条件を出された。


 それが先ほどの、「明日は服の調達に行く」と言った理由だ。


 女の子に、男物の服を着させるなど考えたことも無かった彼女は、欲しがる本人も連れて行って、選んだ方が楽だと思ったらしい。

 事実、透の欲しがる服は単色の地味な服ばかりで、それに比例して外行きの服はどんどん「女の子らしさ」を増した。


「着てくれるのは嬉しいんだけど――いや、似合ってるよ?でも――ちゃんと胴巻きを胸にまかないと大変なことになるよ?」

「へ?」


 ニヤニヤしながら言うので、何かあると思ったが、エルフィンが視線をちらっと下に逸らして意地の悪く笑ったのをみて、慌てて胸を見る。


「ニットシャツでも特に伸縮のあるシャツだから、ボディラインとかが〜」


 ニッシッシと口に手を当てて卑しく笑う。


 ――………やば。


 慌ててシャツの下に手を入れて、腹に巻いてた胴巻きを引き伸ばし、上がるところまで上げる。肺に息苦しさを感じるが、ニットシャツの上からは、平坦に近くなった。


「そそ。そうしないと、少年じゃなくて、大胆な少女だからね。気をつけなよ、しょ・う・ね・ん!」


 顔を赤らめる透に、クスクスと笑うエルフィン。その表情はまさに、子供がとっても面白いからかい相手を見つけた時の表情そのものだった。


 ――やっぱり、この人嫌いだ。


 顔面の紅潮はまだ引かないが、体を軽くのけぞらせつつ腕を組み、目を細めてエルフィンを軽蔑した目線で見る。


「んん?なんだね、その反抗的な目わっ!あたしが言ってあげなかったら、恥ずかしい格好のまま行くところだったでしょ?」

「…まぁ、そうだったかもしれないですけど…――あ!」


 小さく声を上げて軽く髪を舞い上げつつ、体を揺らした透は思わず口元に両手をあてそうになって、寸前でこらえた。


 ――あれ、あれ?俺ってどのくらいこうして話してる?いや、話してるだけだったら、それほど時間かかってないよね?あれ?でも、思い出してる間って時間の流れはどうなってるんだろう。


 目線をキョロつかせて、オロオロとする透。すべきことは分かっているのに、混乱していて、先ほど無理やり堪えた手は、いつの間にか肩を上げる動作のオマケつきで口元にきていた。


 その姿勢のまま、透は凍りつく。


「ん?どうした、少年?可愛いしぐ――」

「んの、俺の馬鹿がぁあッ」「!?」


 次の瞬間、突然透は右手に力をこめて思いっきり、自分のこめかみに叩き込ん――だのはいいが、あまりの痛さに他人に殴られたかの様に顔を横に向かせて固まる。


「――ッイッタァ………」

「そりゃぁ、アイアンナックルで頭を殴ればねぇ」


 エルフィンは、目を見開いてため息とともに言った。

 透は、振り乱した髪を整える余裕も無く、自分で殴ったところを押さえる。アイアンナックル?そんなもの持ってなんて――


 左手で、こめかみを押さえつつ、右手を見る。鈍く灰色に光る鋼鉄の籠手が、透の腕に覆いかぶさっていた


「これは籠手ですよ…なんで、こんなゴツゴツしたモノが?」

「え、隠し持ってたわけじゃないの?」

「………。隠し持つって、とても隠し持てるものじゃありませんよね?これ」


 驚いているエルフィンの言葉に、ため息を付きながら答えた途端、エルフィンの目がキラキラと輝きだした。


「え、え?それじゃぁ魔法?魔法ってやつ?」

「いや…まぁ………」


 急き込んで身を乗り出して聞く彼女に、顔をそむけてあいまいに答える。


 ――そういえば、アーウィンさんが、この国では魔法使いが極端に少ないって言っていたな。………アーウィンさん?


 ハッとした瞬間に、エルフィンが小首を傾げて覗き込む。一瞬子犬のようにも見えて可愛いと思ってしまったが、今はそれどころではない、と首を思いっきり横にふる。


 ――そうだ、呼ばれたんだった!


 途端に青くなった透は、

「あのっ…俺は待たせてるんで………」

 逃げようとしていることを察したエルフィンが掴みかかるのを、後ろに後ずさりして避けながら早口に言う。


「ん?待たせる?」


 掴みそこなった右腕を、ふむっと口に手を当てつつ腕を組み、可愛らしく呻きながら視線を泳がす。 可愛らしいとは思うけど、わざとらしさにムカつきを覚える。勝手な考えで失礼なのだが、でもワザとっぽく見えてしまう。


「ああ〜この先の部屋と言ったらルーさんの部屋ね」

「?」


 ルーという名前の人なんていたっけ?と腕を組んで顔を横に向けて少々俯かせる。


「やだな、テラス・ル・アーウィンよ。ミドルネームが「ル」だから、ルーさん――」

「え、テラス・ル・アーウィン?」


 頓狂な言葉に、透は思わず聞き返してしまった。エルフィンは、一瞬驚いて、こちらを睨んできたが、少し間を開けたのち、ハァっとため息を吐いた。


「君ね〜、女の子の名前に『アーウィン』なんて、いかにも血筋の名みたいなものをつけると思ってるわけ?テラスが名前よ」


 「あ」と声を漏らして頷く。そうか、日本名と同様に考えてしまった。だが、納得した後「ん?」とまた、新たな問題が浮上してきた。


「アーウィンさんて、『アーウィン・ル・テラス』って自分から名乗ってましたよ?」

「………あの子、自分の名前を逆に言う癖があるの」


 肩をすくませて、どうにもならないと首を振る。


「でも、なんでそんなこと――」

「ト・オ・ル・君?」「――うっ」


 困惑顔でエルフィンに聞き返そうとしたら、間近でアーウィンの声がした。ゆっくりと右横に向いて、少し見上げる。

 いつの間にか話に夢中になっていた透は、アーウィンが近づいてくるのも気づかずにいたらしい。不機嫌な表情で立っていた。


「あなた、一体どれくらい時間が経ってると思ってるの?」


 右手首を左手の人差し指で叩きながらアーウィンが言った。


「えっとあの…今行こうと思っていた所で――」


 ――何度も思い出したのに、その度に脇道にそれるなんて…。透は、顔を青くさせて冷や汗をかきながら、自分の実行力の無さに悔いた。


 ふと、横を見ると、エルフィンがにやにやと笑っている。と、急に顔を深刻そうにした。アーウィンがそちらを向いたからだ。

 少し間を置くと、アーウィンの視線が透に戻ったのか、またエルフィンの顔がにやける。


「…まぁ、いいわ。どうせエリーの所為でしょに」

「ありゃ、バレてた?」


 アーウィンが呆れた顔でエルフィンを見ると、ニヤッと笑って舌を出す。


「悪戯好きのあなただもの。大方、トオル君が部屋に戻っていく時の会話を盗み聞きしてたのでしょう?」

「盗み聞きとは失礼ねぇ〜あたしは、ただ、トイレに行こうと思っていたところに、たまた、彼が通って、今に至るという所よ?」


 そういうも、エルフィンの顔は未だ愉快そうに笑っていた。


「はいはい、わかったわ――それで、トオル君。」

「はいっ!?」


 呆れてものも言えないといった感じのアーウィンは、急に透に話かけた。返事をするも恐怖に(おのの)き、声をうわつかせた。

 透は九日目の一件以来、アーウィンが尊敬と恐怖の対象になっていた。


「今日はもう遅いわ。明日、また話すからいいわね?」

「あ、は――」「あ、だったら〜」


 透が頷きかけたところに、エルフィンが横から透に抱きついて、アーウィンの注意をひきつつ割り込んだ。


「明日、ルーさんも服をかったりするのに一緒に行く?丁度この少年は、あたしと服を買いに行く予定が入っていてね」


 透が小さく悲鳴を上げたことに、エルフィンはまたニヤッと笑うも、気付かなかったふりをして続ける。


「たまには、一緒に買い物に行かない?お話は、買い物しながら話すか、落ち着いたところで話たいなら、あたしお勧めの喫茶店でさっ?」


 肩に腕をまわして、嬉々として楽しげに話すエルフィン。迷惑そうに顔をしかめながら腕を振りほどこうとしていた透は、その表情を見た途端に、意欲を失った。


「…まぁ、それもいいかもしれないわね。でもあなたのお勧めって、前に教えて貰ったわよね?」

「フフ、それがまた新しい喫茶店が開いたの!表通りから少し外れた住宅区の方に――ねっ!」「うわっ!?」


 諦めて、されるがままにしていると、エルフィンが腕に力をいれて思いっきり抱きついた。我慢ならなくなった透は全力で腕をふりほどいて、二、三歩後ろに飛び退く。


「あ、逃げれらちゃった」

「…何がしたいの、エリー」


 残念そうに言うエルフィンに、呆気にとられつつアーウィンが聞くと、彼女は小悪魔な笑みを再び浮かべ、


「え?楽しくない?彼で遊ぶの。まるで初々しい少年の様で――」

「あ、遊ばないでください!」

「こら、今は夜中よ?静かにしなきゃまた怒られるわよ?」


 エルフィンの言葉に全力で腕を横に振りつつ、怒鳴るとエルフィンが人差し指を立てて声をひそめた。

 また、怒られるわけにはいかない透は、歯を食いしばって握りこぶしを作り唸りつつ、エルフィンをにらんだ。


「ほら、顔を真っ赤にして!かわいいじゃない?」

「…とりあえず、彼女を男の子扱いするのはなぜ?」


 手を叩いてはしゃぐエルフィンに、先程からずっとあきれ顔のアーウィンが聞いた。


 エルフィンはちょこちょこっと手を手招きして、アーウィンを少しかがませる。それでも足らない彼女は、つま先立ちで背伸びをして耳打ちをする。


「………。」

「へぇ――あ、それで――え?まさか――ふぅん」

「と、言うわけですよ」


 エルフィンが何を言ったか透には聞こえなかったが、これで、男扱いされるようになれば、過ごしやすいことこの上ない。

 女の子扱いをされても、透は戸惑うばかりだ。だが、アーウィンの答えは…


「服の好みだけで、男の子扱いは良くないわ」

「ええ〜?そうかなぁ」


 当然と言えば当然な、無難な答えだった。おそらく、エルフィンに反抗的な態度をするのは、エルフィンが男の子として扱うせいだと思ったらしい。


 ふと、透は顎の付け根辺りに違和感を覚え、こらえきれずに顔をそけると、大きく欠伸をした。

 なんだかんだいって、アーウィンが現れてからも時間がたっている。


「お、少年はもう眠いのか?」


 元気一杯なエルフィンが聞いてきた。こっちは疲れてるんだ、と思いながら目をこする。


「今日は彼女が当番だったもの、当然でしょう。さ、明日朝に起きれなくなる前に寝ましょう!」

「はい」「え〜」


 アーウィンの一言で、透は頷くと部屋に足をむけるが――


「うわっ」

「お姉さんと一緒に楽しまないか?少年」

背中を向けた透に、なんだか紳士的な男性の声色を作って言いつつ、エルフィンが背後から飛び付いた。


「ちょ…やめてください!」

「ハッハッハ――」


 脇の下から腕を回された透は、必死にもがくが解きにくい。エルフィンがとってつけたような笑いをしていると


「いい加減にしなさい」

アーウィンがエルフィンの首をつかんで引っぺがした。


 ――さすが、街のハンターが恐れるベテラン。


 透はエルフィンを猫のようにつかみ上げるアーウィンを見ながら思った。


「フフフ、焼き餅を焼いたかい?それなら、私と――」

「はいはい、よかったわね。あまりあの子のことをからかわないの」

「ふん、ルーさんつまんないっ!」

「詰まらなくてもいいわ――あ、気にしなで寝ていいわよ?」


 腕を組んで不機嫌そうな顔をするエルフィンと、ふぅっとため息を吐きながらエルフィンを引きずっていく様子を眺めているとアーウィンが言った。


「あ、はい。おやすみなさい」

と、透が就寝の挨拶を言うと、アーウィンも笑って

「お休みなさい」

と返してくれた。


 透は、小走りに近い早歩きで廊下を歩いて部屋に戻ると、まっすぐベッドにまで歩いて行き、倒れこむように寝ころんだ。

 透の気力が限界に来ている。


 ――…。明日、松之介どうするんだろう。図書館は?


 ふと思いつつ、疲れていた透はあっと言う間に意識を失って夢の中にすべり落ちていった。


 要約。


 眠りに落ちた透は、夢の中で自分の部屋に戻っていた。


 暗い部屋の中、自分の部屋で勉強している。

 ふと、丹葉(たんば) 広樹(ひろき)のことを思い出し、そこから無意識のうちに、トラウマの領域に入っていく。


 過去の自分を思い出していた透は更に深みに入り込み、悪夢から目が覚めた後も、透は錯乱しつづける。


 窓から飛び降りようとして、危うく死にかけた所を、そうとも知らずに、助けてくれたエルフィンにトラウマの影を見てしまう。


 いよいよ、精神的に狂い始めた透に、鳴り響く乾いた音。


 頬を殴られたショックで錯乱がおさまった透にエルフィンは


『大丈夫だから――大丈夫』


汗で冷えた体で、人の体温を感じ、次第に落ち着いてく透。


 エルフィンの印象が、「うざったい女性」から「恩人」に変わった瞬に間だった。



――と、今回は、

 丹波(たんば) 広樹(ひろき)の存在

 子供の頃のひどいトラウマ。人間不信の過去。


 そしてエルフィンの

「ただ単に、子供みたいなところだけじゃないのよ!」

と言ったところがポイントでした。


 次回は、いよいよ、松之介を含めた四人が町をぶらつきます。

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