表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
熱帯楽園少年  作者: 吉田伊織
1/1

 ◆壱◆


授業が終わった学校の門から、巣立ちの時期を迎えた羽根蟻のように、子供達がいっせいに出てくる。わらわらと蠢く虫の集団のようなその中に、真っ直ぐな瞳の少年がいた。


湿った風を全身で受け、ぎらぎらと照りつける二つの太陽を振り仰いだ少年は、黒 い金剛石のような瞳と、あまりにも深くて緑色にさえ見える漆黒の髪をしている。


に焼けた褐色の肌は、その下を通る温かい血がほんのりと上気して見え、いかにも健康的な彼の身体は、まだ幼いと言われる16歳という年頃の無邪気さからか、生命が強い輝きを放ち、いきいきと彼に宿っている事を感じさせる。


ふと足を止め、空を見上げた少年は、被っていた帽子を脱ぎ、汗で額に張り付く髪をかき上げ、輝く瞳をいつもの通学路とは違う、背丈の高い木々が鬱蒼と生い茂る一本の細道へと向けた。口端をわずかに上げた少年は、意気揚々と歩き出す。


照りつける太陽で、今は見えないが、夜になればこの空にはそれぞれ色を違える、五つの月が完全に満ち、なおかつ一年のうちで一番美しく、はっきりとそれぞれの色彩を放ちながら、惑星に居る全員の目に見えるだろう。


今日は第三月だいさんつきで、一年に一度の星系会議せいけいかいぎが行われる大切な日。


この惑星の未来を決めてゆく大事な会議は、三日間に渡って行われる。

それゆえに、今この惑星には、殆どの大人と、幼い子供達はいない。


先刻少年が出てきた学校も、三日間は休校になる。


少年の両親は医者と議員という、この星系では聞こえのいい仕事柄、毎年会議には欠かさず参加している。そういう訳で、少年はこれから三日間つかの間の自由を手に入れられる。

一年で一度の……そして一番楽しみな時間が始まるのだ。


いつもなら親に止められる、合成着色料や保存料のたっぷり入った、いかにも体に悪そうな菓子を買い食いするべく、彼の足ははっきりとした意志を持って、いつもと違う道を選んで歩き出した。


鼻歌交じりに歩いていた少年は、行く手の道で、何人かの生徒が、固まっているのが目に入った。


大声で何か言っているので、耳を傾けながら、そのまま歩いて近づいて行く。

すると、じきにはっきりと、言葉が聞き取れた。


「気色悪ぃんだよ! オマエらが同じ空気吸ってるかと思うと!」


「そうだ、バーカ! 汚ねぇんだよ!」


「青い月に帰れ! 帰っちまえ‼ お前みたいなのが惑星にいるから、オレらが貧乏になるんだよ!」


「クソ‼ お前らが居るから、会議だって三日もかかるし! 選挙権もねぇくせに!」


「なにが、人権だ! この、化け物が‼」


大声で何か言っているので、耳を傾けながら、そのまま歩いて近づいて行く。

すると、じきにはっきりと、言葉が聞き取れた。


「気色悪ぃんだよ! オマエらが同じ空気吸ってるかと思うと!」

しき華奢な人影を、取り囲むようにして、突き飛ばし小突き回すようしている彼等は、一~二学年年上のようだった。

取り囲まれている人間は、全身を紫外線防御の布地で作られた黒い手袋、帽子、上着で完全に太陽の光から、自身を防護している。その顔や肩にまで、わずかにでも紫外線が当たらないように、長い布で覆えるように工夫されている帽子に、一人が何か言いながら手をかけ、むしり取った。


柔らかそうな白い髪が、太陽の光の下に曝され、風に舞った瞬間———考えるよりも先に、少年は全身に力を入れ、全力で走り出していた。

足下の特殊アスファルトに描かれた白い文字も、人家の塀の装飾も、線のように周囲を飛んでいく。あっという間に息が上がるが、構わず叫んだ。


「何してるお前等っ! そいつから帽子とらなきゃ、いられないような、酷い事を、そいつにされたのかよっ?‼」


「うわっ⁈」


「なんだっ‼」


慌てて少年の方を見た彼等の一人に、少年は迷わず跳び蹴りをくらわし、帽子を奪い返すと、そのままの勢いで、容赦なく年かさの少年達の腹や顔面に拳をあびせた。


反撃にでようとした年かさの少年を、中の一人が止めに入る。


「よせバカ! 手ぇだすな、やめとけ! こいつ蘇鉄そてつだ! 親が病院とか議員やってる! 人権擁護とかいって!」


「……はぁ⁈ ばっかみてぇ。こんな奴らかばう事なんてないのによぉ……どーせ、金のためなんだろ? こいつらからの賄賂が欲しいだけなんだろぉが~?」


「莫迦な事いってんじゃねぇ! 賄賂なんかもらって、今どき医者なんてやってられるか! 病院なんてな、本気で儲からねぇんだからなっ?!」


「ふんっ! どうだかなぁ。そんなマジになって、こんな奴ら庇ったりして……必要ねぇじゃん。こんなやつら、死んじまったほうかいいんだよ。つか、マジ死ね!」


言葉と同時に、まだその場に佇んでいた防護服を着た存在に、唾を吐き、逃げるように少年達が駆け出す。


「おいっ?!お前等待てよ!! 言っていい事と悪い事ってのがあるだろうが⁉ こいつに謝れ!!」


人数も体格も勝っている少年達を、果敢にも追いかけようとした黒髪の少年の足を、柔らかな声が止めた。


「ありがとう蘇鉄。でも大丈夫。追いかけなくていいよ。馴れてるし」


足を止めた蘇鉄は、振り返り、取り囲まれていた年下であろう、白い髪の人間を見た。体格からすると少年のようだ。


〘なんか、やけに親しげに呼ばれなかったか? たしかに〝月の人〟の中に友人がいない事もないが、コイツの髪の色は記憶にない。白い髪といっても、皆違っていて灰色がかっていたり、茶色っぽかったりするのだ。コイツのは純白に近い。多分純血なんだろう。光の加減なのか、所々薄紅色にも見えて、白い牡丹の花のみたいだな……〙


誰だったろう、どこで会っただろうか? と考えながら、傍らへ近寄って行くと、そいつは蘇鉄と目が合うなり、本当に嬉しそうに、にっこりと無邪気に笑った。


その瞳の色彩いろは、他の〝月の人〟とは全く違う。薄紅色なのに、奇妙に光を反射して、オパールのような虹色の光を放っているように見える。


この瞳には、覚えがあった。苦痛に近い胸の痛みとともに、その名を思い出す。


「……雪豹ゆきひょう……」


「お久しぶりだね。蘇鉄」


けれんみのない笑顔と声で、そう言う雪豹の言葉が、終わるか終わらないかのうちに、蘇鉄は手にしていた帽子を急いで雪豹の頭に被せる。


「うわっ?!……びっくりした。そんなに急がなくても大丈夫だよ。木陰だし、子供の頃に比べると、ずっと体も丈夫になってるんだし」


「信じられるかっ?!!お前のせいでオレはトラウマになったんだからなっ?!」


蘇鉄の剣幕に、雪豹が可笑しげに笑いだし、そのまま蘇鉄を促すようにして歩き出すので、蘇鉄も促されるまま並んで歩いたが、何となく落ち着かなくて、雪豹の横顔を見たり、空を仰いだりした。


木々が青々とした葉を茂らせ、木漏れ日が特殊アスファルトの焦げ茶色の地面に、二つの太陽の光をユラユラと頼りなく落とす。気持ちの良い風が時折吹き抜けて、蘇鉄は深呼吸をした。


蘇鉄が生まれて初めてトラウマになるような出来事を経験したのも、こんな天気のいい日だった。



まだ、学校へ上がる前の蘇鉄と雪豹は、毎日のように遊んでいた。

いわゆる幼なじみといった所だと思う……雪豹と弟の白兎はくとは蘇鉄の母親の経営する病院の常連で、顔を合わせるうちに親同士も子供も、自然と仲良くなっていた。


そんな中で、自然と蘇鉄は雪豹の家に、毎日のように遊びに行くようになっていた。






蘇鉄が雪豹の家の玄関から、大声で雪豹を誘うと、雪豹の母は、いつも笑顔で出迎えてくれていた。


雪豹の母親は、雪豹と弟の白兎とはまるで違う、綺麗な緑の瞳で鳶色の髪をしていた。


雪豹の両親は、いつもほんの少し戸惑うように雪豹を見ていた。今思えば、まるで常に監視でもしている様子だった。

幼かった蘇鉄は、そんな事は気にもならなかったし、その理由なんて考えもしなかった。


幼かっただけでなく、蘇鉄は両親の影響で〝月の人〟に奇異な感覚を持たなかったから、雪豹の瞳も髪の色彩いろも、ただ、珍しくてキレイな色だと感じていただけだった。

白い果実のような肌色からも分かるように、身体が弱いのだとは分かっていたけれど……。


だからあの夏の日、気軽に海へ誘ってしまったのだ。


『なぁ、明日さ……海にいこうぜ?』


蘇鉄の言葉に雪豹は驚きつつも、薄紅の瞳に不思議な虹色を浮かべて、明るい昼間の海を、本当に見てみたいと言ったが、それでも両親に怒られてしまうからと蘇鉄の誘いを一度は断ってきたのに、蘇鉄はさらに強く誘ってしまった。


『秘密の近道があるんだ。木がたくさん生えてる所を通るから、きっと雪豹も大丈夫だ』と———。


雪豹はまだ不安そうにしながらも、昼間の海が見てみたいという欲望に抗えず、次の日に蘇鉄と海へ行く約束をした。


幸運にもというか、不幸にも、あの日は本当に、今日のような蒸し暑い、良い天気だった。


薄暗い林の中の道は、蘇鉄が近所の友達と見つけたもので、ほとんど獣道と言っていい舗装も剥がれて、長年放置されていた道らしく、足下の悪さに雪豹は何度も転んで、最後には泣き出してしまい、蘇鉄に手を引かれてなんとか海までたどり着いた。


海が見えると、泣いていた雪豹は途端に泣きやんで、嬉しそうに蘇鉄を見て、喚声を上げた。


砂浜に降りて、靴を脱ぐのももどかしい勢いで、波打ち際に入っていって、思いきり波しぶきを上げながら、もっとずっと小さい子供のように駆け回り、声を立てて笑う雪豹を見て、本当に連れてきて良かったと蘇鉄は思った。


散々遊んで、昼も過ぎた頃、やっと帰る気の起こった蘇鉄が、持ってきていた菓子と飲み物を食べてから帰ろうと、雪豹を蘇鉄と他の友達で作った、崖の途中にある〈秘密基地〉に連れて行った。


海へ誘ったのも、雪豹をこの基地の仲間に入れたかった、というのもあったのだ。雪豹が来るのはは初めてだけれど、いつも蘇鉄と外で遊んでいる仲間には、雪豹も仲間に入れていいと、話はつけてあった。


崖を登っている時は、嫌そうにしていた雪豹だったが、崖の真ん中辺りにある横穴の中を見るなり、嬉しそうに『うわぁ』と声を上げた。

何しろ、イスや机も持ち込んでいるうえ、洞窟の中は外よりもいくぶん涼しかった。

使い古しのテーブルにお菓子を広げ、水筒の水も分けて飲んだ。

小腹も収まったところで、出発しようとした、まさにその時———


雪豹の喉から、ひゅっうっ、という、何とも言えない音がした。


雪豹の顔を見た蘇鉄は、自分の全身からから血の気が引いていくのを感じた。

その感覚を、今でも憶えている。


雪豹の、ただでさえ白い肌が、さらに青白くなって血の色を失い、口端から深紅の血がつうっと一筋流れていった。


名前を呼んで、あわてて傍へ行ったが、口から真っ赤な血を吐いて、雪豹は白目をむいて、椅子から転げ落ちるようにして、地面に倒れた。


あの光景が今でも脳裏にこびりついていて、雪豹を見ると蘇鉄はどうしても、あの時の姿が克明に思い出される。



それなのに、それから後の記憶が、なぜかあまりハッキリしていないのだ。

パニックになりかけながらも、持っていた小型通信機で、医者の母に連絡をして、助けを呼んだように記憶している。


その後で親に、これでもかと言うほど、叱られた記憶はある。


『月の人と自分達の体質は違っているの、今回の事だって、処置が遅ければ命さえ落としてしまう所だったのよ? 分かったのなら、反省しなさいね。二度としては駄目よ?』


『友達なら、相手を理解して、思いやりを持って、きちんと相手の事を考えて、行動しなければ駄目だよ。雪豹君が死んでしまっても良かったのか?』


………あの時、諭すように厳しく、これでもかと父母に説明された。



その甲斐もあってか、今では〝月の人〟の事を、それなりに理解しているつもりだ。

ましてや〝月の人〟の中でも、雪豹のような純白に近い白い髪に、奇妙な赤いオパールのような瞳を持っている者は、滅多にいない純血に近い人種で、ことさらに陽光に弱いのだとも知っている。


そして、〝月の人〟は太陽のない夜ならば、時に蘇鉄のような、いわゆる〝惑星の住人〟を凌駕する、素晴らしい身体能力を発揮する者も居るとも、聞いて知ってはいる。




ちらりと、傍らを歩く完全防備姿の、幼い頃の友人を見た蘇鉄は、こうして話が出来る懐かしさやなんかよりも先に、トラウマに近い感情が湧き出してしまう自分を、ちょっと情けなく思う。


そんな、なんとも複雑そうな蘇鉄の視線に気付いても、雪豹は優しく昔と変わらない、穏和な笑顔で首を傾げる。


「あっ、あのさっ……」


「なに?」


なんとなく気まずくて、話しかけてはみたが、話題が思いつかず、蘇鉄は内心焦って、詮索するのは良くないと思いつつ、口が勝手に滑る。


「あのさ。雪豹って従兄弟と二人暮らしなんだって? ほら、生徒会の書記やってる……女子に人気あるみたいだよな。ウチのクラスでも、カッコイイとかって、いわれてるよ」


「うん、従兄弟と二人暮らし。朱鷺ときっていうんだよ。覚えてくれると嬉しいな。女子はともかく、男子生徒からは人望がないからね」


「へぇ。そうなんだ。でもさ、いつも二人なんてうらやましいよ」


「そうかな?」


「だってさ、親にあれこれ煩く言われないし。オレなんて、この三日間を毎年楽しみにしてるんだぜ?」


蘇鉄の言葉に雪豹は、華奢で成長が遅いせいか、変声も終わっていないらしい、柔らかい声をたてて笑う。


久しぶりに聞いた雪豹の笑い声に、何となく嬉しくなってしまう。


嫌いだったわけではない。お互い同じ学校に通っている事は知っていたし、マンモス校とはいえ、顔ぐらいなら見ていたのだ……。


ただ、トラウマ事件以来、蘇鉄からしてみると、何となく遊びづらくなって、誘えないまま自然と話さなくなって、お互いに別々に友達も出来て、いつのまにか蘇鉄も、強いて雪豹と口をきこうとも思わなくなった。


「あ、そうだ! 雪豹、今日の夜“地球植物園”に行かないか?」


「“地球植物園”……? もしかして、魯三丁目にある【地球熱帯植物園】のこと? 」


「そう! それ! なんなら、朱鷺とかって従兄弟も一緒にさ」


「うん……でも朱鷺はいない方がいい気がする。だって、二人きりの方が、楽しそうじゃない? それなら、いいよ」


薄紅色の瞳を細めて、嬉しげに蘇鉄を見た雪豹は、触れれば消えてしまう、幻の花のように、ふんわりと笑う。


蘇鉄は何となく視線をそらしつつ、雪豹に親指を立てて笑って見せる。


「じゃぁ、二人で行くので決まりって事で。二十時でどうだ?」


「うん。大丈夫。遅れないように行くよ」


にっこりと笑って頷いた雪豹が、おもむろに手を振り、暗い小道のほうへ体を向けた。


「えっ? おいっ、どこ行くんだよ?」


一緒に駄菓子屋へ行って、買った菓子を分けて食べよう、と勝手に考えていた蘇鉄が驚いたように尋ねると、雪豹は蘇鉄を振り返って、にこやかに手袋をした手を振る。


「昔、僕が家族で住んでた家は、とっくに売っちゃってるんだよ。今は従兄弟の家が持ってる別荘に住んでるんだ。だから、ここでお別れ。それじゃ。また後でね。蘇鉄」


「あ、おう。また後で、【地球熱帯植物園】に二十時な!」


反射のようにそう言って、振り返してしまった手を降ろし、蘇鉄は鼻の辺りを掻いた。


〘……なんか雪豹といると、調子狂うなぁ……やっぱりまだ、多少トラウマになってるのかもな……〙


そんな事を考えながらも、深く考えても仕方ないやと思う。雪豹の事はもう誘ってしまったんだし、どっちにしろ誰か誘って行くつもりでいたんだから、と……蘇鉄は予定通り駄菓子屋へ向かう道を一人歩き出した。






雪豹が鍵を開け、家に入ると、玄関には朱鷺の靴があった。


〘いつもより早いな。こういう時に限って帰ってくるの早いんだよねぇ……こういう時こそ、遅く帰って来てくれていいのにさー〙


「ただいま~」


「ああ。お帰り」


朱鷺はリビングにあるソファーに座り、ノートパソコンで何かしている。どうせまた、生徒会絡みの雑用だろう。


書記なんて体のいい雑用係だとばかりに、俺様な会長に日々こき使われる従兄弟の気が知れない。


雪豹は他人に指図され、自分の時間がなくなっていくなんて、嫌だと思う。

思うからこそ、自分と違う従兄弟を尊敬もしているのだが……。

一緒に住んでいるとなると、腹が立ったりする事もよくある。


とりあえず朱鷺の邪魔をしないよう、さっさとキッチンへ入った雪豹は、夕食の支度をし始める。


今日は体育もあって少し陽にあたり過ぎたらしく、買い物へ行くのもだるいので、冷蔵庫にある材料でカレーを作る事にした。


煮込んでいる間、朱鷺に『焦げないと思うけど、見ておいて』と頼んでおく。


頼んでおいても片手間で、焦がしてしまう事のある朱鷺なので、雪豹は大急ぎでシャワーを浴びた。


タオルで髪を拭きながら出てきた雪豹に、朱鷺の深い緑の瞳が向けられる。

朱鷺はきちんとカレー鍋をかき混ぜてくれていた。


「あ、ごめん。もしかして、火が強くて焦げてた?」


「いや。ヒマだったから……それよりキミ、何かあったでしょう?」


「ん? なにかって?」


鍋をかき混ぜる朱鷺の手からレードルを取って、そう聞いた雪豹を、緑の瞳が少々意地悪そうに見ている。それなのに顔は楽しげに笑っているのだ。


「……いや。思い違いならいいんですけどねぇ?……何だか楽しそうだなーと思って。顔に書いてあるよ。また何か、ろくでもない悪戯を思いついたんだろう。やめておけ、また痛い目に遭うぞ?」


そう言われた雪豹は、自分より背の高い従兄弟から、笑いながらも目を逸らしてしまう。

間髪入れずに、強力なデコピンが雪豹の額を見舞う。


「っ!! いった~。なにすんだよっ⁈?!なんにも悪い事してないだろう?だいたい、いつも言ってるけど、手加減してよねっ?!」


涙目で訴える雪豹を朱鷺は鼻で笑った。


「手加減してるし……よーし。言わないって事は、手加減なしで僕の最強デコピンを喰らいたいらしいな……?」


「っ、嫌だって! それ嫌い!……まったく、もう、言ったらつまんないじゃないか……言いたくないけど……仕方ないから言うけど……絶対邪魔しないって約束してよね?!じゃなきゃ、何も言わないし、教えないっ!」


「まさか。わざわざキミなんかの邪魔しに行く程、僕は暇じゃないよ」


「ひどい!!キミなんかって言った!まぁいいけど……邪魔しないって、本当に約束してよ?……今夜、【地球熱帯植物園】に行くんだよ。ただそれだけ」


「植物園に?……今日みたいな日に、わざわざ行ってどうするの」


「まぁ、そこは、ね……? ふふっ。探検、みたいな……?」


「はぁぁっ~~? そんな事して何が楽しいんだ? 他のヤツならともかく、お前———」


レードルを放り出し、素早く朱鷺の口を手で塞いだ雪豹は、蘇鉄と一緒の時とは別人のように幼い、悪戯っ子の笑顔を見せる。


「いいじゃないか。一人で行くんじゃないんだよ? 友達が一緒なんだ」


「友達? ……そんなもんがお前にいるとは知らなかった。驚愕だね」


「うっ………自分だっていないクセに」


「いないし、必要ない。だからどうだっていうんだ。悪いか? それでキミに迷惑をかけたりした記憶は無いんですけどね。キミと違って」


「……あぁ、そうですね。僕が悪うございました」


笑顔を見せる朱鷺に、雪豹も貼り付けたような笑顔を返す。


「で? おバカな雪豹君を誘ってくるなんて、どこのご奇特な人? この前みたいに、ホイホイおびき出されて、袋叩きにされたらどうするつもり?」


「今日は大丈夫だよ。もし万一そうでも、夜なら逃げるの簡単だし」


「……ふーん。まぁ、くれぐれも僕に迷惑かけないで下さいね?…… わかったら返事!」


「了解です!」


「本当かなぁ……」


不安そうな朱鷺に、雪豹は『大丈夫、大丈夫』と満面の笑顔で保証した。





蘇鉄そてつは自転車に乗って、点々と街燈に照らされる道を、駆け抜けて行く。

辺りはいつもよりさらに静かで、人の気配が全くしない。もし、この惑星が人間という生き物を排除したなら、こんな薄ら寒い風景が、延々と続くのだろう。



【地球熱帯植物園】は、蘇鉄がまだ学校へ通学する年齢ではなかった頃、両親に手を引かれ、連れて来てもらった思い出の場所だった。

星系会議の間に、いつか来ようと考えてはいたが、まさか自分が雪豹ゆきひょうを誘ってしまうとは、思いもよらなかった。


蘇鉄が八歳の頃に、この【地球熱帯植物園】は経営が苦しくなって、閉園すると噂された。内心少し残念に思っていたのだが、この星系では唯一地球の植物を展示した、他にはない植物園という事で、大手製薬会社スフェルが買い取ったと聞き、また遊びに来られると、勝手に思ってしまったのだ。

しかし、いざ経営者が替わってみると、植物園は一般人の入園は、不可能になった。

中に入れるのは、スフェル製薬の研究者のみ。

もし、その他の人間が入りたければ、申請をして許可が出れば入園可能、という事になっているらしい。


そこで、子供達にとって、この月会議の期間に【地球熱帯植物園】へ忍び込む事が、ある種の冒険心を満たし、ちょっとした自慢にもなる事から、恒例なっていた。

見つかっても警察でお説教を食らって、反省文を書かされ、二度としないと誓約書を書くぐらいで済んでしまうので、なおさら忍び込もうとする子供が、後を絶たないのだろう。


そうは言っても、親の判断でこの三日間をボーイスカウトやガールスカウトに参加させられ、キャンプや奉仕活動等を行い、集団生活させられる子供達には無理だろう。


実際、大半の子供は親の意思により、集団生活に強制的に参加させられ、月会議の三日間を、不自由に過ごさせられる。


蘇鉄は学校の成績も良い上、両親の理解と信用を普段から裏切らないよう、細心の注意を払ってきた。


ある意味、涙ぐましいまでの努力で勝ち取った、三日間の自由なのだ。

思いっきり楽しむ権利は、充分にある。


自然と力の入る脚で、ペダルを思いきりこぐと、うるさいほど聴こえる虫の声が、耳元で渦巻く風の音で遠くなった。蘇鉄の顔は、自然と笑顔になっていた。



植物園の正門横まで来て、蘇鉄は自転車を止め、周囲を見回してから降りる。

宇宙船の外板にも使われる、硬く特殊な金属の柵で囲われた植物園は、こうして見ていると、鳥籠に詰められた箱庭のようだ。駐車場は広く、明かりは最小限にしか灯っていない。薄暗い駐車場の隅には、二台の車がぽつんと停まっている。


〘やっぱり、無人って事はないんだな……〙


じっと目を凝らすと、園内への入り口と思われるゲートから、非常灯のものなのか、ほのかな明かりが差しているのが見える。


宇宙船の装甲板にも使われる金属の柵に手をかけ、蘇鉄は上を仰いだ。


〘普通に乗り越えるのは、かなり大変そうだな。おまけにきっと、もう要らんって程、センサーとか付いてるんだろうなぁ……入ったって自慢してたヤツ、本当に入れたのか?……こんなの、どうやって入るんだよ……〙


柵に隙間は空いているが、もっと小柄な子供ならともかく、蘇鉄ではすり抜ける事も出来そうにない。


顔を仰向けて、そらに浮かぶ虹色の光華こうかを放つ、五つの月を眺め、ため息をつく。


〘勢いで誘っちゃったけど、これじゃ、雪豹が来たとしても、案内のしようがないな。どうやったら、入れそうかな……それとも、他の場所に遊びに行こうと誘おうか……〙


柵に手をかけたまま、蘇鉄はなおもボンヤリと月を眺めていた。


その時、すぐ背後から、突然声がかかる。


「蘇鉄、お待たせ!」


「——っ⁉」


突然の声に仰天した蘇鉄は、柵を突き飛ばすようにしてしまい、その反動で後ずさりして、声の主にぶつかってしまう。


「あっ、大丈夫? ごめんね。びっくりした?」


体勢を立て直し、首を巡らせ、白い髪と薄紅の瞳を見た蘇鉄は、大きく深呼吸をする。


「あったりまえだろう?!何処から出てきたんだよっ!!」


「そこ。遅刻しちゃいそうだったから、抜け道通ってきたんだ」


笑ってそう言った雪豹は、当然のように傍らの、木々が茂って覆い隠された、細い道を指した。


「……こんなところに道があるなんて、知らなかった……」


「そうかもね。この辺で一番穴場の、秘密の近道だから。1丁目の花屋の裏に、古い遺跡の残骸みたいなのがあるでしょ? あそこと繋がってるんだよ」


楽しそうに笑った雪豹の瞳が、月の光を反射して、煌めいた。


白い髪が柔らかく夜風になびいて、真珠のように白い肌が、月光に不気味なほど浮いて見える。


頷きつつ話しを聞きながら、蘇鉄はどうしても、そっちのほうへ興味がいってしまう。



しかし、〝月の人〟の髪や瞳を、物珍しげに見るのも失礼だと思い、再び駐車場を厳重に取り囲む、高い柵に取りついて、中の様子を見る。その蘇鉄に誘われるようにして、やけに静かな夜の駐車場に、雪豹も目を向けた。


その雪豹の姿に、どうしても違和感を感じていた蘇鉄は、つい横目で雪豹の全身を眺めてしまう。


裸足にスニーカー。七部丈のパンツ。柔らかそうな素材のTシャツを、重ね着している。

蘇鉄と大差ない格好だが、雪豹がしていると、妙な感じがする。


白い手足や身体は、アンバランスに見える程に細く、それなのに整っていて長い。美麗と異形———雪豹の姿は、まったく違う二つの印象を与え、蘇鉄の胸底に空恐ろしい感情を生む。


自分の中に生まれそうな感情に、自己嫌悪を覚えて、無理に振り払おうとすると、幼い頃のトラウマが蘇る……。


〘まいったなーどうしてこんな感じになっちゃうんだよ。雪豹の事、嫌いじゃないはずなのに……〙


「……やっぱり、この柵は飛び越えていくしかないよね? 僕が先に行って、上からロープを垂らすから、蘇鉄はロープを使ってよじ登ってくるといいよ。じゃ、いくね?」


「えっ⁈ おい、飛び越えるって⁉ どう——」


いいかける蘇鉄を無視して、雪豹はまるで野生の猫のように、体をぐっと縮め、トトン・ト・トンッと数歩助走し、次の瞬間、ふわりとその体が宙に跳び上がった。

呆気にとられる蘇鉄の頭上の、細い金属の柵の上に難なく着地すると、雪豹は満面の笑顔で蘇鉄を見下ろしてきた。


「ちょっと待ってて。鞄の奥にロープ入れちゃったから」


いいながら、細く不安定な足場とは思えない、リラックスした様子で立ち上がり、肩にかけていたバックパックの中を探り始める。


細い丈夫なロープを手にした雪豹は、それを自分のいる柵の上へ絡め、片端を蘇鉄の足下へ投げてよこすと、自分はもう片方の端を持って、駐車場側へ躊躇いもなく飛び降り、柵の下の部分に、持っていた縄の端を結びつける。


「蘇鉄、そっちのロープを使って上って、そのままこっちに降りてくるといいよ。丈夫なロープだし、柵もしっかりしてるから、蘇鉄が手を離さなければ平気だと思うよ」


「ああ、わかった」


少々自分の腕力に不安を覚えながらも、言われた通り、なんとか高い柵の上にあがった蘇鉄は、駐車場へ降りようとして、目を瞠る。


広い駐車場が隅まで見え、中が見えないようになっているゲートの先の、植物園の様子も見る事が出来たのだ。


ドーム状の温室と、温室と温室をつなぐ透明の通路……ドームの中の植物が、皓々(こうこう)と輝く月のお陰で、透けて見えているが、蘇鉄にはその名前すらわからない。


それでも、惑星では見た事も無い姿の、生き生きとした緑を美しいと思った。


涼しい夜風に植物の青臭いような匂いが混ざって、蘇鉄の鼻孔をくすぐる。


「蘇鉄? どうかした?」


「……いや、悪い。何でもない」


笑って下にいる雪豹を見ると、雪豹もにっこりと笑い返してくる。


紫外線防御の服を一切まとっていない、“素”の雪豹に、蘇鉄はなんだか酷く戸惑っている。

気恥ずかしいような、奇妙な感情が渦巻いて、頬が熱くなった。


無事に降りて、雪豹の傍らに並ぶと、雪豹は器用に縄をほどき、引っ張る。

すると縄は柵からほどけ落ちて、雪豹の手が馴れた様子で纏めた。


白い長い指のついた手が、てきぱきと動いて、バックパックに収め、蘇鉄に差し出される。


「お待たせ。行こっか!」


「あ、ああ……」


ちょっと戸惑いつつ、差し出された手を取って、走ってゲートに向かう。


警備員に見つかったら、怒られればいいやと、蘇鉄も開き直っている。


それに、人気のない夜の植物園の中に、自分が居ると思うと、ワクワクしてきたのだ。


〘雪豹のおかげだけれど、中に入るのもこんなに上手くいったし、クラスの奴らもなかなか成功していない、【地球熱帯植物園】の温室へ入って、中の様子を見て話しをすれば、クラスでも自慢になるし、一緒に行ったのが雪豹だとわかれば、雪豹の事を苛めるヤツも減るかもしれないよな〙


そう考えると、今夜は本当に楽しくなりそうだと思い、笑顔の雪豹に並んで、蘇鉄も弾む足取りでゲートの前に着いた。





二人が足を止めた先には、金属と硬化ガラスで造られた、強固に侵入者を拒むゲートがある。当然の事ながらゲートは固く閉ざされている。

主な出入り口らしい、人が二人通るのがやっとの大きさの、つなぎ目も分からないほど精巧に造られた扉に、静脈か指紋認証用のバネルが設置されている。

他に出入りできそうな場所は見当たらない。


「どうすっかな……」


独り言のように呟く蘇鉄の手を握り、雪豹がにっこりと笑う。


「正面突破! 大丈夫。コソコソするから捕まるんだよ」


言うなり本当に雪豹はゲートのパネルに触れる。


鳴り響くであろう警報音に備えて、思わず身構える蘇鉄の予想を裏切り、あっさりと扉が両側へ、人が一人通れる分だけ開く。


人一人というより、雪豹が通れる形状に、まるでモーゼが海を割ったかのように開いた、と言う表現が正しいのかもしれない。


驚きで半ば呆然としている蘇鉄を、楽しそうな雪豹が引きずるようにしてくぐり抜ける。


「ちょっっ、雪豹?! なんだよコレ?!」


「え? 平気だよ? 赤外線センサーとか、ここにはないよ? もっと奥の貴重な植物の周りとか、そっちにはあると思うけど」


「いや、いやいや、そうじゃなくて……」


「どうして赤外線が見えるのか、ってこと?」


「いや……うーん。他にもさ、柵乗り越えた時も、なんか猫みたいに飛びあがったりするしさ……」


「ああ。そういうの。蘇鉄でも驚くんだ。へぇー」


どうでもいい、というか、やる気のない返事に、ムカッときてしまう蘇鉄だったが、雪豹はちょっと意地悪そうに、にっこりと笑う。


繋いだ手をそのままに、ふわっと雪豹の顔が近づいてくる。


ほんの少し動いただけで、唇が触れてしまいそうな距離に、蘇鉄が身を引こうとするが、その前に雪豹の唇が、そっと動いて、吐息がかかる。


「ねぇ、蘇鉄。僕は〝月の人〟なんだよ? 個人差はあるけど、僕は夜の間なら、跳躍能力は桁外れなんだ。夜目が利くだけじゃなく、赤外線とか、色々見えるんだよ……忘れちゃったの? あんなに仲良くしてくれてたのに……」


蘇鉄は視線を落として、雪豹から目を逸らした。

なぜなら、微笑んで楽しそうに言っている雪豹なのに、その白い頬に、白銀に見えるまつ毛が、影を落として、ひどく哀しげに見えるから、蘇鉄が悪い事をきいてしまったようで、自責の念に駆られてしまったのだ。


「……忘れてたとかじゃないんだ。ただ、ちょっとうっかりしてたっていうか……だって、雪豹の能力って〝月の人〟の中でも変わってるだろ?」


「うん。そうみたい。でも、蘇鉄っておっかしーの。〝月の人〟の友達もいるみたいなのに、僕が顔を近づけると、戸惑うんだね? やっぱり純血は気持ち悪い?」


「はぁ⁈っ?!そんなわけあるか、ただ……」


「ただ?」


雪豹の薄紅色の瞳は、浄火を宿した神聖なアルマンディンのように、磨き抜かれた虹色のイリデッセンスを放つ純白のオパールのように、雪豹の感情を宿すかの様に色彩を変え、真っ直ぐに蘇鉄を映す……その色彩は、頭上で輝くどの月よりも、蘇鉄の心を惹きつける。


この瞳や髪、白い肌を見ていると、蘇鉄はいつも、奇麗だと感じてしまうのだ。


「っ、うをおぉぉぉ!!なんでもねぇっ!」


〘オレが雪豹ごときにキレイだとか思うはずがない! だいたい雪豹は男だろう‼ 子供の頃ならともかく、一六歳にもなって、男を奇麗だと思うなんて、ありえねぇし!〙


がしがしと短い黒髪をかき回す蘇鉄に、雪豹は小首を傾げる。


「変なの。ま、いいや。行こう? こっちが大温室だよ。ヤシとか背の高い木がある、みたい?」


笑って、雪豹は手をつないだまま、歩き出す。


「おいっ、子供じゃねぇンだから、いい加減手ぇ離せ!」


「べつにいいじゃん。暗くて危ないよ?」


「危なくねぇよ! もう一六歳なんだから!」


「威張らないでよ。僕だって一六歳だよ。誕生日だって近いんだから、当たり前なのに。なんで怒鳴るみたいに言う必要があるの?」


ちょっとムクれた様に言いつつ、雪豹は繋いでいた手を離して、二人並んで温室の中へ入った。





雪豹は昼間よりも、むしろ軽快な足取りで温室の通路を歩いてゆく。


温室の中は、夜だというのに蒸し暑くて、通路にも所狭しと植物の鉢が並んでいる為、蘇鉄はかなり、足下に注意を払わなければならなかった。


湿度が高いせいなのか、たいして身長が変わらないのに、昼間と違い雪豹の歩調が速いせいなのか、少し息の上がった蘇鉄が足を止めると、前を行く雪豹も足を止めて、振り返った。


この時になって、蘇鉄は雪豹の顔や体、正確には白い肌が、満ちた月の光を受けて、ほの白く発光するように、くっきりと見えている事に気付く。


「雪豹。お前、光ってないか?」


「は? 光ってはいないよ? ヒカリゴケとか、光るキノコじゃないもん。失礼だなぁ……もしかして、月光が反射してそう見えてるのを、夜が苦手な蘇鉄の目が、勝手にそう認識してるんじゃないの? 僕は〝月の人〟だもん。普通の……惑星の人と、多少は違うよ……ねぇ。それって、偏見……?」


「バッカ!!違うって!オレの友達でも、こんな風に見えるヤツっていないし、単純になんでかなって思っただけだ!」


「でも、僕は、純血に近いって言っても、隔世遺伝みたいなものだし、たいした能力は持ってないんだよ?」


「赤外線とか見えてもか?!」


「うん。僕は惑星の人達が〝月の人〟って呼ぶ人種の中でも、正確に言うと〝青き月の民〟なんだ。あの、青い月に住んでたらしい」


そう言った雪豹は、温室の天井を指している。

その先には、美しい青い惑星が浮かんでいる。

月とはいっても、青と赤の月とこの惑星は、密接で複雑な関係を持つ、兄弟惑星なのだ。


「戦闘能力や身体能力は〝赤き月の民〟に断然劣るんだって。その代わりに、個人差で変わった能力を持って生まれるらしいんだ。エイリアンじみてるってゆうの? でも大丈夫だよ。蘇鉄をとって喰べるわけじゃないんだから。安心して?」


そういって、雪豹がちょっと哀しげに、困ったように微笑む。その微笑みは、蘇鉄よりもずっと大人びて見えた。


———何が哀しいって言うんだろう。青い月に住めない事だろうか……それとも、この惑星かその衛星の月にしか住む事を許されず、人権さえ認められない、今の世界だろうか———


「なぁ、雪豹。知ってたらでいいんだけどさ、なんで〝月の人〟は、オレ達と同じように、惑星に住むようになったんだ?」


「……『惑星の人達は、真実の歴史を知らない』そう、朱鷺の祖父様じいさまが言ってた。ただ、僕達に伝わっている歴史が、真実の断片であるという保証はないんだ。真実は……どこかで生きてるらしい、純血の〝赤き月の民〟とその〝王家〟。そして〝青き月の王家〟が伝えているだろうって………今の〝惑星の人間〟が、赤き月を滅ぼし、青き月も、この惑星ほしも、民も、全てを奪ったその時に、王家と神官の血統の中で、運良く捕虜にならずに、逃れた人達がいるらしいんだ。この惑星に住む〝月の人〟はね、みんな〝青き月の民〟の神官系統……その末裔。そして捕虜なんだよ。人権が無いのも当然なんだ……〝赤き月の民〟は僕達と同じ民族で、その中で戦闘に特化して進化してるらしい。宇宙海賊の中に混血者がいるって噂もあるけど、本当かどうかは分からない。ただ、僕の一族に伝わってる伝説では、〝赤き月の民〟は戦闘色っていうのがあって、戦闘になると瞳が血の色に染まり、髪は銀に輝き、その際の身体能力は、人の姿をしている生物の限界を超えている、とあった。なにを言ってるのか意味不明だけど、とにかくこの星系で一番の戦闘民族として知られていたらしい。だから、赤い月は生命を根こそぎ奪うような物凄い化学兵器を使って、一瞬のうちに滅ぼされたんだって……未だに荒涼とした大地が広がっているらしい。そうして、この惑星は君達の物になった」


蘇鉄は学校で習わない所か、両親にも聞いた事がない話しに、絶句し、大人しく聞いていたが、聞き終わると雪豹の作り話なんじゃないかと思えてくる。


「信じなくて良いよ。他人に話したりしたら、蘇鉄が頭おかしいと思われるから。ただ、僕は蘇鉄に嘘は吐きたくないから、話しただけ。僕みたいな純血の子供が産まれる血統は、だいたいあまり混血してなんだってさ。僕の場合、父方も母方も純粋な青の神官家系だったんだ。お互いそこまで血が濃いなんて、知らないで結婚しちゃったみたいで、僕が生まれて、かなりビックリしたらしいよ? 父方は僕が最後の末裔。母方は朱鷺の一族だから、そこそこ人数いるかなぁ……」


「……信じなくていいって……」


「うん。そう。そんな嘘か本当か分からない大昔の事なんかより、今の方が大切だもん。蘇鉄と今の想い出、作りたい。そっちのほうが僕にとっては大事なことなんだよ」


悪戯っ子のように目を細めて笑う雪豹に、何となく莫迦ばかにされた気がして、ムッとしてしまうと、察したのか、雪豹が蘇鉄の傍に寄ってきて、優しい手つきで蘇鉄のすぐそばにあった葉に、手を伸ばす。


「ほら、変わった葉っぱでしょう? カラテアっていうんだよ。今は咲いてないけどね、オレンジ色の面白い花が咲くんだ」


何事も無かったように蘇鉄に話しかけてくる雪豹に、眉をひそめながらも、示された葉を見る。


「……ああ、変わってる。細い葉っぱだな……」


興味が出て、蘇鉄も葉の一枚に触れる。ヒヤリとして、意外にさらっとした感触が心地いい。


「裏が赤くてね、表には深い緑色で模様があるんだ。見えないかな」


「……見えない」


五つの月から降り注ぐ満ちた月の光は、かなりの明るさに感じるけれど、葉の模様までは、判別出来ない。

葉っぱをひっくり返してみるが、雪豹が言う赤い色も見えなかった。


「やっぱり見えないか。じゃ、僕が案内役兼、見張り役ね」


いつの間にか、すぐそばまでまた顔を近づけていた雪豹に、笑顔で言われ、思わず後ずさる。


「おっ、まえ! 顔近いって!」


「なんで?」


キョトンとした雪豹の顔に、蘇鉄は怯む。


〘……もしかしてコイツ、子供の時とおんなじ様な距離感でいるのか? 普通どんなに仲良くても、いい年こいて男同士で顔くっつけあって、話したりしないだろう。よっぽどの事がない限り〙


軽く咳払いをした蘇鉄は、姿勢を正し、雪豹を見下ろした。この時はじめて蘇鉄は、同じぐらいの身長だと思っていた雪豹よりも、自分のほうが五cm程背が高い事に気付いた。


「とにかく、気安く顔とかくっつけてくるな。普通お前みたいにくっついたり、手も繋いだりしないんだよ」


「ふぅん……そうなんだ。わかった。ごめんね」


本当に分かったのかどうなのか……それでも、素直に謝ってくる、優しく無邪気な笑顔に、裏があるとは思いたくない。


「うん。まぁ、さ。気を付けてったほうが、お前も友達多くなると思うし」


「ありがとう、蘇鉄。気を付けるよ。じゃ、行こうか。足下、そこ、段差があるから、気をつけてね」


そう言って歩き出す雪豹に、蘇鉄は何となくモヤモヤしたものを感じながら、それでも、それをどう口に出したら良いのか分からず、無言で後について歩き出した。





様々な種類らしく、葉の形や幹が違う、背の高いヤシが直に植えられた温室に着くとすぐに、蘇鉄は思わず足を止めて、上を仰いだ。


雪豹も足を止め、蘇鉄の顔を見てから、視線を追うようにした。


「あれは、アレカヤシ」


覆いかぶさってくるような、いくつも細い葉が並んだ植物を指して、雪豹が言う。


細く白い指は、点呼でもとるように、次々と植えられた植物を指さしていく。


「ヘゴヤシ。ビロウヤシ。カポック。アボガド。ベンジャミン。あそこにくっついてる、キレイな花みたいなのはアナナス。あっちのもっさりしてるのは、ドラセナ・ドラコ。樹液が赤いから、ドラゴン・ブラッド・ツリーとも言うんだ」


「すごいな。雪豹って、植物好きだったんだな」


「うん。月にいた時、本当のお兄ちゃんみたいに、面倒見てくれて、仲良くしてくれた人が、植物とか昆虫が好きで、とっても詳しかったんだ。それで僕も、自然と好きになってた」


照れたように笑いながら、雪豹はゆっくり歩き出す。


次の温室へ行く通路へ向かう途中、雪豹が急に蘇鉄の手を取って、植物の茂みの中へ引っ張り込もうとする。

何事かと雪豹の手を振り払おうとするが、華奢な身体からは考えられないような力で、蘇鉄の腕まで引っぱってくる。


「なんっ⁉」


言いかけた口を細い手が塞いでくる。真剣な気配が伝わってきて、蘇鉄は黙った。耳のすぐそばで、雪豹の顰めた声がして、吐息が耳にかかる。


「しぃっ、誰か来る。警備員かもしれない……」


無言で頷いた蘇鉄の口から、雪豹は手をどけてくれた。


どれくらいたったのか、そっと蘇鉄の腕から手を離した雪豹に、小声で尋ねる。


「警備員だったのか?」


「ごめん。遠くてよくわからなかった。こっちの通路には、来なかったよ。足音が遠くへ行った。他の温室へ行ったみたい」


「そうか」


忍び込んでいる事を、すっかり忘れかけていた蘇鉄は、一気に緊張が増したけれど、取りあえず深呼吸をして肩の力を抜く。


「よし! 行くか」


「うん。ごめんね。いきなりこんなところに飛び込んで」


「いや、オレは見えないし、気付けなかったから。隠れてなかったら、見つかってたかもしれないし。サンキューな」


「ううん」


かぶりを振った雪豹は、なにやら照れたように、葉や枝に引っかかって乱れた髪を、手で撫でいた。


二人は自然に、並んで温室を出た。




この植物園は、外でも様々な樹木や草花が育てられているが、基本的に巨大なドーム型の温室が、通路で接続されている中で、植物を育てている。


ヤシなどの植えられた、ひときわ巨大な、まるでジャングルに迷い込んだような温室を出て、雪豹が先導するままに、一つの通路に入った。


入った瞬間、蘇鉄は何とも言えない、ため息のような嘆声をあげる。


幅の広い通路の両側から、天井までを染め尽くすような深紅・黄・白・橙・赤・桃・茶・紅紫・黄緑………。とにかく、色の洪水だった。


近寄ってみると、一つ一つは小さな花だったが、月光を受けて少しずつ形の違う花達は、小さな妖精のように群れ、輝いている。


蘇鉄が足を止めると、無言で雪豹も足を止めた。


「雪豹、これ、なんて言う花なんだ?」


「ブーゲンビレアだよ。オシロイバナ科のブーゲンビレア属。花のように見える色づいた部分は、正確に言うとガクが変化したもので、中央にある雌しべのように見えるのが、本当の花」


「うっそ。すげぇな~」


「花言葉は“情熱”」


「なんか、似あわねぇな。こんなに可愛いのに」


蘇鉄の言葉に、雪豹は微笑んでいるだけだった。


何となくその場を立ち去り難く、蘇鉄が小さな花を触っていると、雪豹が慎重に距離を確かめるようにして、近づいてきた。


「この木、棘があるから。気をつけて」


雪豹はそう言いながら、花と葉をそっとよけて、棘のある枝や幹を見せてくれた。


「うわ。本当だ。結構大きい棘だな」


蘇鉄が感心して、そっと棘を触ろうとした瞬間、雪豹が蘇鉄の腕を掴んだ。

驚いて雪豹を見ると、大きな目で睨むように、じっと、二人がさっきまでいた温室の方を見ている。


「蘇鉄。誰か来る、こっち!」


言うなり、蘇鉄の腕を掴んだまま、駆け出したので、またもや引きずられるように、蘇鉄も走り出す。


通路の出口が近くなった時、雪豹が早口で言った。


「そこ、段差、気をつけて!」


「っ、ぅわっ?!」


見事につまずいた蘇鉄が、バランスを崩してブーゲンビレアの茂みへ突っ込もうとした瞬間、雪豹の体が素早く動いて、蘇鉄の体を庇うようにした。


二人はもつれるようにブーゲンビレアの茂みへ突っ込む。


ぱきぱきッ!ミシィっ!!


ブーゲンビレアの木が、折れたらしい音が通路に響いて、仰向けに倒れてしまった衝撃で、一瞬呆然としてしまってから、蘇鉄は我に返り、自分が雪豹の上に倒れてしまったと気付く。


「悪いっ! 下敷きにした!」


慌てて上から退くと、雪豹も半身を起こし、心配そうに蘇鉄を見上げてくる。


「蘇鉄。怪我しなかった?」


「ああ。オレは大丈夫」


お前は? と聞きかけて、かすり傷も負ってない蘇鉄の鼻が、鉄臭いような匂いを感じた。


「雪豹?!」


「しっ。足音が近くでする。壁際に張り付いて」


小声で言われて、蘇鉄も大人しく口をつぐむ。

雪豹はそっと音を立てないように、立ち上がる。


〘耳までオレ達とは出来が違うんだな……さっきからオレには何も聴こえない〙


しばらくして、笑顔で雪豹が言う。


「大丈夫みたい。もう遠くへ行ったよ」


「そっか、よかった。けど、お前ケガしてんだろ。大丈夫か?」


「ああ。ちょっとだけね。大丈夫だよ」


小首を傾げて笑ってから、ポケットからハンカチを出した雪豹は、手の甲に深く刺さった棘を無造作に抜き取って、茂みの奥へ捨てた。

他にも傷があるらしく、両手にも腕にも血が流れている。


「おい、背中とか大丈夫なのか?」


「うん。多分ね。今日は満月だし」


「なんだよそれ?」


「あれ? 知らないの? 〝月の人は〟もともと、一般の人よりも傷なんかの治癒能力は高いんだよ。特に僕は純血だし。満月には治癒も早くなるし目も耳も人の何倍も利くようになる。他にも色々、あるんだけど、ね……?」


「色々って?」


「う~ん。色々は、色々。昔話したじゃない……そんな事より、見える? ほら、僕だって血は赤いでしょ……?」


縋るような雪豹の目に見つめられて、蘇鉄はうなずく事しか出来なかった。


「同じ色の血が流れてるのにね?」


雪豹は目を伏せてそう言いながら、ハンカチで滴り落ちそうになる血を拭う。

その様がひどく哀しげに見えて、蘇鉄は何か言ってやりたいと思うのに、何も言えなくて、必死に考える。


考えたが、結局言えた言葉は伝えたい想いとは、ちょっと違った。


「傷、ヒドイみたいだし、どっかで休まないか? オレも喉乾いた。お菓子持ってきたぜ、ジュースも」


「そうだね。この先で休もうか」


優しく微笑んだ雪豹の白い腕には、まだ、血が流れている。


「あっ、そうだ。オレ、タオル持って来てた。使えよ」


「いいよ、平気」


「バカ。見てるほうが痛いんだって。それに、オレのせいだし。その……ありがとうな、庇ってくれて。ゴメン」


むしろつっけんどんな言い方で、差し出されたタオルと、蘇鉄の顔を見くらべて、雪豹はふんわりと不可思議な笑みを浮かべる。


蘇鉄の幼い頃の記憶に間違いがなければ、雪豹はとても喜んでいる、と見ていい。


「ありがとう」


そう言って、タオルを受け取った雪豹は、蘇鉄を促し、ブーゲンビレアの通路を出口へ向かって、歩き出した。






ブーゲンビレアのトンネルを通り抜けると、パッと視界が開けた。


鬱蒼としたジャングルから、いきなり近代的で無機質な、現代アートの美術館にでも、放り込まれた感じだ。


目に入るのは、ドームの透明な壁と土ではなく、硬く冷たい耐久コンクリートで覆われた、段差のある地面……そして、水中から天空へ向かって、射すような色とりどりの光が数条、光の樹のようにそそり立っている。


「なんだ? この温室。何もない……」


蘇鉄の言葉に、雪豹はにっこり笑って、歩き出す。


「ちゃんと植物があるよ。僕は結構好きだけど。水の匂いがするでしょう?」


スロープになっている小道を上がりきって、またもや蘇鉄は息を呑んだ。


幻想的といってもいい。水面に浮かぶ植物と花々の、厳かで静かに佇む強さと儚さ。

そして、僅かな水面の揺れに合わせて、光の波が天井にも壁にも、不思議で有機的な、幾何学模様を描き出す。


「ね? 綺麗でしょう? この辺の、浅い水の中にあるのは、シペラスやマングローブ……」


ゆっくり歩き出す雪豹に、誘われるようにして蘇鉄も歩を進める。


水面に丸い切れ込みのある、可愛らしい葉が浮かび、その中に色とりどりの花が浮かんでいる。


「これならオレも知ってる。蓮だろ?」


「うん。睡蓮だよ……僕、睡蓮って大好きなんだ」


ゆっくりと歩いて、丁度いい段差を見つけると、そこで雪豹は立ち止まって、蘇鉄を振り返る。


「この辺でいい?」


「ああ。じゃ、座るか」


さっさと座った蘇鉄にならって、雪豹も隣に腰を下ろす。


蘇鉄が貸してくれたタオルが、結局血でかなり汚れてしまっているのを、何となく憂えている雪豹の傍らへ、蘇鉄は次々にお菓子やジュースを並べ出す。


「すごいね、蘇鉄。そのバックパック結構物が入るんだね」


「便利だぜ。ロッキチィルのハードタイプ」


「そうなんだ」


最近、月に住んでいる若者の間で流行っているブランド名を、平気で出した蘇鉄に、雪豹は目を細める。


惑星に住む人間は、無意識でもなんとなく、月で流行っているものを避けるのに、蘇鉄はなんの衒いもなく、その名を口にする。


「食おうぜ。あ、ジュース開けてやるよ」


雪豹が手にも傷を負っている事を思い出して、そう言った蘇鉄は、スポーツドリンクのボトルのフタを開けて、雪豹に手渡した。


「ありがとう」


嬉しい気持ちのまま笑顔で受け取ると、なぜか蘇鉄は照れたように、口の中でごにょごにょ呟きつつ、顳顬こめかみの辺りを指で掻いている。


雪豹がよく言葉を聴き取ると、どうやら、『オレのせいでもあるし、なんか、礼とか言われても………』と、そのような事を言っている。


幼かったあの頃と変わらず、優しい蘇鉄に、雪豹は心の芯が、じんわりと温まっていくように感じられて、自然と顔がほころんでしまう。


「……これ、食べていい?」


「ん? おお、いいぜ」


言うなり当然のように、雪豹が指さしたポテトチップスの袋を、蘇鉄が開けてくれる。


「いただきます」


一枚取って口にした雪豹の傍らで、同じようにチップスをほお張りながら、蘇鉄が首を傾げる。


その眉間には、しわが寄っている。


「蘇鉄? どうかしたの?」


「いや。なぁんか、ここに来た事があるような気がするんだよなぁ……」


「蘇鉄。思い出したの……?」


「へっ?なにが?」


素っ頓狂な声を上げた蘇鉄に、雪豹はほろ苦い笑みを浮かべた。



そっと、何かを探すように見つめられて、蘇鉄は戸惑う。


何となく、何か言わなければいけない雰囲気だ。


「……思い出したって、何を?」


「昔、ここに来た事。僕と……蘇鉄と……」


「お前と? ……ここへ来てたのか。小さい頃の話だよな?」


「……うん、そう……」


頷いた雪豹は、目を伏せ、睡蓮の水槽の方を見て、視線を蘇鉄から逸らてしまった。

その白い横顔は、思い出さない蘇鉄を責めているようにも、どこか拗ねているかのようにも見える。


「雪豹。その……ごめんな、思い出せなくて。嫌じゃなければ話してくれよ」


「うん。でも、大した事じゃないから」


ちょっと困ったように微笑むが、蘇鉄の方を見ようともしない。


微笑んだ横顔は、何か落胆しているようでもあるし、心の中で蘇鉄を遠ざけようとしている気配がする。


だから、”大した事じゃない”と言いながら、雪豹にとっては、とても大切な事なのだろうと蘇鉄には簡単に分かった。このまま何も無かった事にしてしまえば、楽だろうけれど、それでは二度とこんな風に雪豹と遊びに行くことはなくなるだろう。


この、今の瞬間を逃せば、雪豹は、蘇鉄を拒絶する。


雪豹は一度嫌った人間は、心の中に入れない所があるのだ。小さい頃の性格だが、今も多分そうだろう。蘇鉄のカンはそう告げている。


そして、蘇鉄の行動は素早かった。


いきなり雪豹の頭をがしっと掴み、自分の方へ顔を向けさせると顔をぐいっと近づける。


「吐け~! この野郎!! そんな構ってください的な顔しやがって! ほっとけるかっつーの!!」


「ええっ?! ちょっ! 痛いよっ?! 蘇鉄!!」


「なら、言うか~!!」


「い、言います! だから、離してっ!」


よし、とばかりに手を離した蘇鉄は、首をさすっている雪豹に、詰め寄る。


「さぁ、話してもらおうか」


「本当に大した事じゃないんだよ? この温室の外に、カフェがあったの覚えてる?…… 僕の六歳の誕生日を父さんと母さんがそこでやってくれて、蘇鉄の家族も来てくれたんだよ。他にも僕の従姉妹達とか、親戚とかも来てくれて、お祝いしてくれたんだけど……」


言われても思い出せない蘇鉄は、困ったように額を掻いた。


「あの頃は、父さんも母さんも仲が良くて、弟も生きていて……今思えば、倖せだったと思うよ。本当に……」


「弟。そういえば、白兎はくとが亡くなったって、聞いてはいたけど……事故か何かで?」


「ううん。〝月の人〟の子供だけが罹る病気でね。特効薬が無いから、助からなかった……」


穏やかに微笑んで、そう言えるほどの時間が経過しているのだろうけれど、雪豹の瞳には、拭っても拭えない、暗く深い哀しみの色が見て取れる。


「お前の家、弟が病気になってすぐ、みんなで月へ引っ越したんだよな? 三年経って、お前だけあの従兄弟と惑星へ帰ってきたけど」


「うん。一家離散」


「え?……えええっ?!そうなのかよ?!」


「うん。母さんは弟が病気になってから、父さんに愛想つかしたみたいで別居。僕の事も見たくないみたいでさ。僕がこんな躰だから、弟が病気になった、全部僕のせいだって、思っちゃったのかな……?」


「なんだよそれ」


「この躰のせいか、父さんも僕とどう接していいのか分からないみたいだし、弟の闘病が長くて、僕もすっかりグレちゃって、親の言うことなんて聞かなくなってたから、余計だよね」


「だから、お前の躰がなんだっていうんだよっ?!」


ぐいっと顔を近づけると、雪豹はふんわりと笑う。


「学校でも隠してないのに、本当に知らないの? 蘇鉄って変なの」


くすくすと可笑しそうに笑う声も、声変わりしていないかのようで、優しい少年の声だ。


そんな雪豹だし〝月の人〟でもあるわけだから、多少の特異体質ではあるだろうけれど、なんだか違う意味合いに聞こえる。


「変で悪かったな。だから、教えろよ」


「うん、それは構わないんだけど……先に気になる事があるんだよね」


言うなり、雪豹がすくっと立ち上がった。


その、水底からの照明を受けて、珊瑚色に煌めく瞳は、温室の奥を見つめている。


「さっきから、うろちょろ後をつけて来て、一体なんの用なの?!」


雪豹の視線を追っていった蘇鉄は、温室の支柱の影から出てきた、スラリとした人影を見た。


「なんだバレてたか。莫迦だから気付いていないと思ってたのに」


残念そうな響きの良い声とともに、背の高い影は、仄かな光の中へ出てくる。


「えぇっ⁈?!なんで?!」


驚いたのは蘇鉄で、雪豹は腕組みをして、ムッツリと人影を見ている。


「バレたか、じゃないよ。バレるに決まってるだろ?!睡蓮の水槽の明かりは、誰でもつけられるもんじゃない。おまけに、いくら月面会議の最中だからって、警備員の一人もいないなんて、おかしいって思うよ、普通」


口端を上げて、ちょっと嫌味っぽく笑った、背の高い少年は、蘇鉄の記憶に間違いがなければ、雪豹の従兄弟である朱鷺だ。


彼はなんの躊躇ためらいもなく、二人の傍に歩み寄ってくると、蘇鉄の顔を見て、穏やかな笑顔を浮かべる。


上質な緑柱石の瞳に、鳶色の髪をした少年は、雪豹の従兄弟とは思えない。

こうして近くで見ても、確かにハンサムだが、まるで似ていないのだ。


「初めまして。従兄弟で通してますが、戸籍上義理の兄の朱鷺です」


手を差し出され、義理の兄という言葉に一瞬惚けてしまったが、慌てて蘇鉄はその手をとる。


「蘇鉄です。よろしくです」


挨拶をする二人に、雪豹が割って入る。


「ちょと、朱鷺!……こっちの質問無視すんな!バカッ!! 約束が違うだろう?!どういう事かって聞いてるの!!」


「短気だなぁ、雪豹は……」


朱鷺はニヤリと笑い、蘇鉄と握手していた手をほどいた。


その指が雪豹の額をつつくと、小さな雪豹の頭は、クンッと後ろへ行ってしまう。

陽よけの為もあるのだろう、肩の辺りで揃えられている髪が舞って、見えた首も異様に見えるほど細い。


「やめろ! バカにすんなっ!」


「してないだろう? 頼まれ物が終わって、暇になったから、君達の冒険を観察して楽しもうと思っただけだよ」


「だから、それが嫌なんだって! どうしてわかんないのかなぁっ!? 僕は朱鷺の玩具オモチャじゃないんだってば!」


「そんな事、ひとことも言ってないじゃないか。雪豹の阿呆で間抜けな行動を観察して笑っているだけで。そもそも、こんな事をする事自体、僕には信じられないから面白い。自分が将来就職するかもしれない場所に、こんな風に忍び込むなんて。何考えてるんだ? いくらコネで入るって言ったって、就職出来なくなるぞ?」


意地悪そうに笑う朱鷺の言葉に、雪豹はなにか反論しかけるが、結局、何も言わずに朱鷺のスネを蹴りつける。


二人の掛け合いから、つまはじきにされていた蘇鉄が、やっと口を挟めそうなので、朱鷺を見上げて尋ねる。


「あの、すみません。話が全然読めないんですけど……?」


「ああ。そうか……実はここ、僕の実家の持ち物なんだ。植物学者だった祖父の持ってた会社が買い取ったんだけどね」


言いつつ、朱鷺はいたわるように雪豹の手を取って、座らせ、自分も腰を下ろした。


「でも、父も僕も植物なんて、全然興味がなくってね。そうしたら雪豹が好きみたいだし、一族でも他に植物園とか、植物研究に興味があるのがいないし、雪豹が後継ぐか? ってお鉢が廻ってきたってワケ。一族の中ではウチの系統は変わり者ぞろいで、芸術家とか音楽家とか研究者とか多い家系なんだ。だから、父も将来は雪豹のやりたい事をやらせてやりたい。このまま、本家の言いなりじゃ可哀想だって、保護者になったんだよね。本家の人間は警察官とか、星系警備の超エリートとか文武両道のマッチョばっかりで、そういうのを強制してこようとするしね。格闘家の尾白おじろって知ってる? あのヤレヤレな莫迦も親戚」


そういうと朱鷺は、可笑しそうに笑った。


蘇鉄はこの【地球熱帯植物園】が、朱鷺の家の持ち物だという事にも驚かされたし、有名な格闘家が親戚だなんて言うのにも、驚かされた。


でも、それで正面のゲートが、ああも簡単に開いたのだと、納得できた。


そんな事を考える蘇鉄の傍らで、朱鷺は雪豹のシャツを脱がせ、背中の手当てを始めている。


〘……なんか。朱鷺さんって、雪豹に勝るマイペースなんだなぁ〙


思いつつ、雪豹の怪我が心配になって、蘇鉄も露わになった雪豹の背中をのぞき込んだ。


瞬間、蘇鉄は思わず声を上げてしまった。


「ゆっ雪豹っ?!おっ、おまえ、お。おんっっ!?!」


蘇鉄の素っ頓狂な声に、二人が振り返って、すさまじく息の合った溜息をつく。


「一緒にお風呂にも入った仲なのに……本当に忘れてるんだ……」


「この莫迦は、この体のせいもあって、学校中の苛めていいリストの筆頭なのに。蘇鉄君が知らなかったとはね」


嫌みっぽいというより、呆れを含んだ朱鷺の言葉は受け止められたが、寂しげに目を伏せる雪豹の姿が、胸に痛い。


青白いほど白い肌をした背中は、滑らかなで、ブーゲンビレアの棘に傷つき、まだ血が流れている。血の赤が、鮮烈に目を引く。

その身体の滑らかなラインといい、細くくびれた腰といい、自分と同い年の男とは思えない頼りなさだ。

それゆえ、女性という判断をしてしまいそうになったのだが、女性というには、雪豹の胸はいささか貧弱すぎると思う……。


「一体どういう訳なのか、聞いてもいいか?」


躊躇ためらいながら尋ねた蘇鉄に、雪豹があっさり答える。


「僕はね、性別がないんだよ。男でも女でもない。生殖能力も無い。純血に近い〝月の人〟の中に、たまに生まれるんだけどね」


「魚でもたまにいるだろう? 幼魚が性別持ってないってのが。でも、雪豹は一生だけどな」


「魚以下って、酷くない? 例えが悪いよ。だから朱鷺は嫌い」


「事実じゃないか。それに、嫌ってくれた方が有り難いね」


何が可笑しいのか、雪豹と朱鷺は大笑いしていた。



ひとしきり笑いながら、雪豹の手当てを終えた朱鷺が蘇鉄を見る。


「こんな野良犬みたいなヤツでも、弟みたいなものだから、一応心配でね。蘇鉄君の冒険に水を差すつもりはなかったんだけれど。邪魔をしてごめんね」






「……あの、野良犬みたいなヤツって、雪豹の事、ですか?」


「勿論。なにしろ、出会ったばかりのこいつは、懐かないし口もロクにきかない。いつもギスギスしてて、いじめてくるヤツは片っ端から血祭りに上げてく。仕方なく止めに入ってやった僕にまで噛みつくいてくる……まさに、お馬鹿な野良犬そのもの。弱いくせに、喧嘩ばっかりしててね。まあ、弱いから歯を見せて闘うしかないと、思いこんでいたのかな……まったくもって莫迦だね。蘇鉄君が遊んでくれてた頃は、違った?」


朱鷺の笑顔は、とても優しそうなのに、言っている事は結構、酷いような気がする。


そう思った蘇鉄が雪豹を見ると、ムッと口をとがらせ、朱鷺を睨みつけている。


「小さい頃は違いました。っていうか、雪豹はむやみに人を殴ったり、喧嘩したりしないし……だって、今の学校でもそんなこと噂にもなってませんよ? どうしてそんな事言うんですか?」


「どうして? って。実際そうだったからだよ。僕の家に預けられたばかりの頃は、ね……?」


蘇鉄が雪豹を見ると、視線を外して、睡蓮へ目を向けながら、口を開いた。


「だって……あの頃、弟が死んで、父さんと母さんの仲は最悪で。僕は何処にも居場所がなかった。父さんには毎日殴られてたし、母さんは、アンタなんか産むんじゃなかった、アンタさえ出来なければ、こんな人と結婚なんかしなかった、って。毎日、毎日、世界から存在を否定されてる気がしたんだ。挙げ句の果てに捨てられて、孤児院に入れられて。僕は存在している意味もないって。普通そう思うだろ?…… ヤケにもなるよ」


雪豹は睡蓮に目をやったまま、溜め息を吐いた。


「子供も残せないから、自分で家族を作れない。他の人とは根本的に違う体だって知ったのも、親に捨てられてからだったし、何もかもが嫌になってた。でも、孤児院で“お兄ちゃん”に逢って……お兄ちゃんはこんな僕にも優しくしてくれて……頭が良くてね、飛び級して生態学の研究してた。その“お兄ちゃん”が大事に飼ってた、〝青い月〟の蝶がいたんだ。孤児院の裏庭で飼わせてもらってて……“お兄ちゃん”が事故死した後も、僕が世話をしていたのにっ、誰かが、火をつけて全部焼き殺したんだ。〝青い月〟の生き物なんて、余程の金持ちしか手に入れられないのに……孤児院のバカが、平気で焼き殺した。おまけに、守ってくれる“お兄ちゃん”がいなくなった僕に、汚い悪戯しかけてきやがって……月の人間も惑星中の人間も、全部死んでいなくなればいいって、毎日呪ってたよ………」


そこで、伏せていた目を上げた雪豹は、人懐こい目で蘇鉄を見る。


「でもね。見かねたらしい朱鷺のお父さんが、僕を引き取ってくれて………朱鷺に逢えて、僕は何だか少し、救われたんだ。朱鷺が、僕に言ってくれたんだ。

『親が離婚しようと、お前には関係ない事だろう。莫迦か? 大した問題じゃない。お前の存在が、それで維持できなくなったか? 腹も減れば、髪も伸びる。保護者が必要なら、ウチの親がやるって言ってるんだし。そのうち、保護者なんて必要ない年齢になるんだから、その事で悩むのは馬鹿げてる』って……そう、笑って言ってくれたんだ」


雪豹は頬に血を上せ、恥ずかしそうにだったが、蘇鉄にそう言って笑いかける。


優しい暖かな色をした、赤い瞳が虹色に光を反射して、水面に浮かぶ美しい睡蓮のどの花よりも、綺麗な色彩を見せる。


「あのさ、雪豹。オレ……必要ない人間なんていないと思うぜ?なんていうか……上手く言えないけど。雪豹の事、オレ嫌いじゃないし、いてくれて楽しいし。今日なんかホント、雪豹誘ってよかったって思ってるんだ。 だからさ、えーと……」


言っているうちに、自分でも何を言いたいのかが、分からなくなり、頭を掻きむしるようにした蘇鉄に、雪豹はその顔をのぞき込んで、ふんわりと笑う。


「ありがとう。蘇鉄。僕も蘇鉄大好き。約束忘れてても」


約束!?……そういえば、さっき朱鷺が現れる前に、そんな事を話していたような……。


あらためて、尋ねようとした蘇鉄だったが、蘇鉄が口を開く前に、朱鷺が口を開いた。


「こんな所にいつまでいるんだ? 飽きた」


「そうだね。蘇鉄はもう大丈夫? もう少し休む?」


「えっ?いや、大丈夫。ちょっとまってくれ」


言いながら残ったポテチの口を止めて、自分の分のジュースをバックパックにしまう。


雪豹も、蘇鉄に渡されたジュースを自分の鞄につめた。


悠々と、何の気負いもない自然さで、先に立って歩き出した朱鷺に続いて、雪豹と蘇鉄も後をついて歩き出し、睡蓮の温室を出る事にした。



歩きながら、蘇鉄は傍らに居る雪豹を、横目で捉える。色々と蘇鉄を混乱におちいる発言をしてくれた雪豹と朱鷺と共に、睡蓮の温室を三人で出たが、朱鷺に食ってかかっている。


「二人にしてよ! 帰って! 今すぐ!」


「邪魔なんかしてないじゃないか。アナタが呼ぶから、親切にも出てきて差し上げたんですよ?」


「はぁっ?!信っじらんないっっぃ〜〜!! 最低~っ!」


聞きたい事は、山ほどある。


〘雪豹の体、性別がないなんて、本当にあるのか…?〙


もし、あるとして、それが雪豹であっても、蘇鉄の雪豹を友達だと思う気持ちに変わりは無いと思う。


思う。のだが、幼い頃の約束というのが、妙に心に引っかかる。


〘一体、子供の頃のオレは、雪豹と、どんな約束をしたんだ? ……思い出そうとしても、ぜんぜん思い出せないのは、あのトラウマになった”海”事件と、何か関係があるのかな?〙


いつの間にか。並んで前を歩く二人に聞きたくて、話しかける隙をうかがうのだが………。


「だいたい、邪魔しないっていう約束を平気で破ったうえに、一緒に行動しようなんて、図々しいんだよ!」


「それを言うなら雪豹君こそ最低最悪。僕は父さんと母さんにキミの事頼まれてるのに、こんなに躰を傷だらけにして。また母さんが心配するでしょうが」


「あ! 朱鷺さんそれ、オレのせいで……」


割って入ろうとする蘇鉄など眼中に無いらしく、朱鷺は雪豹に説教を始めてしまう。


〘困った。入っていけない……そういえば、学校でこの二人が一緒の所は、見た事がない。もしかして、仲が悪いのだろうか?〙



そんな考えが蘇鉄の脳裏をよぎった。


しかし、前を歩いている朱鷺が雪豹を見る瞳は、慈しむような優しい色を帯びている。


もっとも、吐き出される言葉は、説教といえばそうなのだろうが、雪豹を小馬鹿にして、楽しんでいるとしか思えないシロモノで、聞いている蘇鉄も思わず笑ってしまう。


雪豹との約束を尋ねるのは、二人のやり合いが終わってからにしよう、と蘇鉄が諦めた時、前を歩く二人が足を止め、同時に互いの目を見交わした。


「どうか———」


最後まで言わせず、野生の獣のような俊敏さで蘇鉄の口を雪豹がふさいだ。

そのまま何処をどうされたのか分からないほど素早く、通路に置かれた鉢の中で、茂っている植物の影へ引きずり込まれる。


雪豹の体から伝わってくる気配も、その瞳も、まるで、獲物を仕留める肉食獣のようで、蘇鉄の体に悪寒が走る。


気付けば、朱鷺も同じように通路の壁際に身を寄せている。


そっと、蘇鉄の口から手をどけた雪豹が、申し訳なさそうに蘇鉄を開放して言った。

「ごめん。驚いた? でも、なんか変なんだよ………」


不安そうに朱鷺を見る雪豹につられるように、蘇鉄も朱鷺を見た。


ちょっと意地悪そうだが、さっきまで優しい色をしていた緑の瞳が、今はまるで獲物を狙う野生の獣のように鋭い。この先の温室ヘ続く通路を見ている。


通路は十メートルほど先で、二手に分かれていて、左の通路の先には微かに非常灯の明かりが見えるが、右の通路から先は真っ暗だった。


こんなに明るい月夜だと言うのに、中にどんな植物があるのか、いや、何があるのかさえ見えない程に真っ暗な温室だ。朱鷺と雪豹の視線はそこに集中している。


ぼそりと朱鷺が呟いた。


「コソ泥にしては、静かすぎる侵入だな……」



その呟きで、蘇鉄は初めて思い至った。


〘この植物園にある植物って、そういえば、今は地球でも絶滅してしまったような種類もあるって聞いた。だから、簡単に閉園も出来なくて、当時この惑星の税金で買い取るとか、無駄金だとかさんざん揉めてたんだ。今でも、警備が厳しいのはそのせいだって……〙


頬が触れそうなほど近くにいる雪豹の顔を見ると、眉間にしわを寄せ、真っ暗な温室を見ている。

その瞳孔は、いつもとは違う金褐色に光って見えた。


「視えるか?」


低く、ひそめた朱鷺の声に、雪豹はさらに鋭い瞳で温室を見る。


「外から見えないように加工された温室だから……」


「そんな事は分かってる。莫迦か、お前は。人影で、お前なら人数ぐらいなら分かるだろ?」


「バカって……ひっどいなぁ。なんかもう、やる気失せた……」


「じゃぁ阿呆だ。あの温室の中身を知ってるのに、ここで逃げるのか? それで酷い目にあう人間がいても、自分には関係ない、か。まぁ、他人なんて皆死ねばいいって思ってるんだもんな。雪豹君は」


ぷうっとむくれた顔をして、雪豹が答える。


「………見えるのは……七人。動きから見て惑星の人間じゃない。女の人もいるみたいだ。僕と同種っぽい……」


「そうか」


まずいな。とでも言うように、朱鷺は厳しい顔つきになって、背負っていた小さな鞄を降ろすと、中から小型の通信機を出して、蘇鉄に渡してくる。


「1#でここの警備室。2#で———まぁ、どこでもいいから、キミは連絡をとって。どこも駄目だったら、星系警察に通報をお願いします」

「えっ?あの?……」


「とにかく、泥棒である事は確かだから。不法侵入者だしね」


言いつつ、当然のように鞄から小型のレーザー銃を二挺出して、安全装置を外す。


〘ええ~!!? 確かに護身銃程度ならこの年齢でも、法律上は免許が取れる事になってるけど、適性テストや実技が大人よりも厳しくて、普通取れないって言われてんのに、何でこの人持ってんだよ?!しかも二挺って、まさか雪豹も、なんて事、ないよな?!〙


傍らの雪豹を見ると、同じように鞄を降ろして、中からハンドライトのような物を取り出している。


「なんだ。それ……」


「ああ。これ? ただのショックショット〈神経電撃〉付きの棒。ちょっとビリッとするだけだけど、きちんと急所にぶちこめば、上手くすると気絶してくれるよ。ヘタしても五分ぐらいは動けなく出来るから」


にっこり笑ってそう言った雪豹は、ボタンを押して軽くソレを振る。


シュッと棒が伸びて、一二〇㎝ほどの長さになった。


〘なんで二人共、そんなもの持ち歩いてるんだよ〜?!〙


と、蘇鉄は叫びたかったが、リラックスした笑顔でいながら、張りつめた二人の空気に、問い掛けるのを我慢した。




張りつめた空気の中、蘇鉄を見た不思議な金紅色の瞳に捕らえられて、なぜか半歩後じさる。


「……あのね? 蘇鉄。あの温室には〝青い月〟で生息していた、珍しい植物なんかが育てられてるんだ。テトラヒドロカンナビノール等が多量に含まれていて……要するに人に幻覚を見せたり、陶酔感・快楽をあたえたり、痛覚をマヒさせる。簡単に言えば、麻薬になるものなんだ。しかも、あの温室の中の多年草は雌雄異株のうえ、遺伝的に近い個体とは交配しない。宇宙でも一・二を争う強い麻薬成分と、交配の困難さ……その為に、病的なコレクターからジャンキーまで、金に糸目をつけずに欲しがるものなんだよ」


なんと返事をしてよいのか分からず、黙ったまま頷く蘇鉄に、朱鷺がにっこり笑ってみせる。


「だから、遠慮せず、星系警備でも警察でも、何でも呼んで結構だよ。あの温室は、祖父が生半可なモラルのない人間には絶対渡せない、と、心に決めていてね。生前贈与で、この中にある植物は事実上全て雪豹のものだし、もう一つ、同じような温室と研究施設は僕の名義なんだよ」


「ええっ⁉」


「しーっ。蘇鉄、静かにしてて。多分、宇宙海賊だと思うから、殺されないように隠れてて。ヘルプコールをよろしくね? 僕と朱鷺が温室のドアを開いたら、すぐにコールだよ。その前にコールすると、相手にも悟られて逃げられてしまうかもしれないから?……いい?」


「わ、わかった」


了承のしるしに力強く頷いて見せると、微笑んだ雪豹の両腕が、ふんわりと蘇鉄の肩に回る。


「?!っなっ!!」


「ごめん。なんか、変な事になっちゃって。危なくないように、逃げて欲しいけど、隠れていたほうが安全だと思うから。他に仲間もいるかもしれないし、気を付けて……ケガとか、絶対しないでね?」


「あ、ああ。気を、つける」


そう言って、なんとか頷く蘇鉄から離れ、雪豹は獣のように、しなやかな動きで朱鷺の傍へ行ってしまう。

二人に目顔で隠れるようにいわれて、茂みの中へ無理やりに体をねじ込むようにして、隠れた。


それを見た雪豹と朱鷺は、厳しい顔をして互いに目を見交わすと、ほとんど足音を立てずに、温室のドアの横にある電子錠のカバーを外し、指紋認証らしい鍵に手を触れた———。






                              〜弐へつづく〜








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ