ファーゼスト
空は雲が覆い被さり周囲は暗闇に包まれている。地には一切植物は生えておらず雑草すら生えていない。稀に降る雨のみが恵みとなる。
そこには動くものなど居ないと誰もが思うだろう。
最果ての地に光が差した事など一度も無いのだから。
神に見捨てられた地。生物が最果てに行き落下しない為にわざとこの様な地にしたのかも知れない。
だが、そこには確かに人が住んでいる。
総面積こそ広いものの人々は門に近い所に小さな集落を作り生きている。第四層からの支援や層内部に入れる者の力を借りて。
第四層に入る為には東西南北4箇所に設置されている橋を渡り、門の何れかを通る必要がある。
数ある集落の中の一つ、北側の門の近くにある集落は他の集落に比べたら生き生きとしている方だ。
総人口は2000人ほどで、層内部からの支援により作られた建物が幾つもある。
流石に全員が住める数では無いにしろ、雨風凌げる建物が近くにあるというだけでも充分過ぎるくらいだ。
その集落の中で他に比べ、少しだけ大きい建物の中には集落の者から長と呼ばれる老人が孫と一緒に二人だけで住んでいた。
二人だけでも決して寂しくは無い。
劣悪な環境の中、生きていく為には皆との協調性が大事だ。隣人を愛し、集落の皆を愛する。ファーゼストとは互いに助け合って生きているのだ。
恵の雨が降る日、集落中は活気に満ちていた。
あるものは口を開けて喉を潤し、あるものはここぞとばかりに身体を洗う。
集落の長の孫に当たる青年は集落中を走り回り、水の確保に望んでいた。
青年の名前は藤堂院 影矢。年齢は16歳程度にも関わらず、最果ての地がそうさせたのか、見た目の年齢は立派な男性という印象だ。
長く伸びるだけ伸びた髪は腰まであり、邪魔にならない様首の後ろで纏めている。
髪色は白く、伸ばしているだけとは思えないほど美しい毛色である。その顔立ちは凛々しく、まさに集落のまとめ役としてふさわしい風貌だ。
「動ける者は手分けして水を溜めろ!貯水ケースに入るだけ入れるんだ!」
影矢は集落の皆に指示を飛ばし終えると、自分も一緒になって集落の中央に設置してあるケースに水を集めた。
支持を出された者達も文句を言わず、鍋やバケツを屋外に出し、水が溜まればケースに移して、という繰り返し作業を行った。
この集落に最近来たばかりの男性も年下の命令だからと馬鹿にはせず、一緒になって作業に当たった。
「羽柴さん、慣れないと思いますけど大丈夫ですか?」
「あたしの事は気にしないでくださいな。最果てに来て彷徨っていたあたしを助けてくれたお礼です。こんな歳ですからね、足手まといにゃならんようにしますよ」
「足手まといなんてとんでもない! 羽柴さんが携帯電話を持って来てくれたお陰で、内部との連絡が取りやすくなりましたよ」
「そう言って貰えるとあたしも救われます。あたしはもうここの支援は出来ない身ですからね」
最果ての地へ追いやられた羽柴は、自分が支援していた影矢に救われていたのだ。
太陽の光が差さないこの地では方向感覚もおかしくなる。彷徨っていた所をここの集落の者に見つけてもらい、無事に生き残ることが出来た。
「支援は……気にしないでくださいよ。俺も働ける年齢になったら四層辺りで働きますので」
影矢は羽柴に心配を掛けまいと笑顔を作って見せた。
現在も四層や三層辺りで集落の仲間達が働き、その稼ぎと羽柴のような支援者のお陰で何とか食いつないでいるのが現状だ。その支援者が一人減ることが大丈夫なわけが無いのだ。それでも長の孫として影矢が落ち込んでいる暇などありはしない。
やがて貯水ケースに溢れるほどの水を溜めた頃、皆に礼を言い、影矢は長の待つ自分の家に帰った。
家と言っても部屋が分かれていたり、二階があるわけではない。
だだっ広いだけの部屋の中には、生活の為の食料や、寒い時に暖が取れるように毛布や衣類が置かれているだけだ。
部屋の隅には布団が二枚並べて敷かれ、その一つには年配の男性、影矢の祖父である藤堂院影嗣が病に伏している。
影嗣は影矢が帰ってきた事に気付き身体を起こした。
「影矢、いつも悪いな」
「気にしないでよ。俺も楽しんでやってるからさ」
集落の者に指揮を取っていないとき、誰にも見られていない時。その時間だけが影矢が唯一、肩の荷を降ろせる時間だ。
「ーーそうか……無理はするなよ。何度も言うが、儂に何かあればーー名前は忘れたがあいつを頼れ」
影矢は定期的に一層にいる協力者に連絡を取っている。その行動には二つの意味が込められている。自分達の安否を知らせる為、もう一つは最果てに来る者の情報を得る為だ。
ここで得た情報は、近年増えつつある旅行感覚で最果てに来る層民の情報を集め、その者達が自分達の邪魔にならないように来る可能性のある時期を皆に伝えているのだ。
加えて羽柴の様な突発的な来訪者もいる為、その者達を集落に迎え入れるという仕事もある。
元々は影嗣が長年続けていた事だが、歳のせいもあり活発に動く事は出来ない。
影矢は祖父の意志を継ぎ、この集落だけでなく、最果ての者達を救う為に動いているのだ。
「爺ちゃん、その事で気になる事があるんだけど……一層の方が今どんな状況なのか把握しておきたいんだ。今日は雨も降ったし、暫くの間俺が居なくても大丈夫だと思うから、指示だけ出してちょっと一層に行ってきていい?」
「あぁ良いだろう。一人で行くのか?」
「うん、皆も忙しいからね。そうだ、最近パトロールで二人見つけたんだけど、一人は中に入れない人で、もう一人は……その……」
歯切れが悪く細々と言葉を発する影矢の想いを察したのか、影嗣は片手を上げて話しを止めた。
「言わなくていい。初めて来る者にこの地は辛すぎる。現実はそんなに甘くないんじゃよ」
「分かってる……でも俺は皆を救いたいんだ」
影矢は立ち上がり、第一層に行く準備を整えて早々と出立した。
途中、羽柴の携帯電話を借りて今から向かう旨を協力者に告げた。
____
最果ての地とは打って変わって第一層では陽の光が人々を照らし、ファーゼストが感じた事もない様な温もりに溢れている。
星奈は最近生じていた疑問を払う為、最果てに向かうべく、休みを取って空港に来ていた。
第一層から最果てに向かう方法は幾つかあるのだが、他の道を選んだ場合、層を跨ぐたびに検問に引っかかるという手間が生じる。空の道を一直線に向かう方法が一番手っ取り早いのだ。
下位層に向かう場合も上位の層に向かう場合も身分の証明が必要となるのだが、星奈の様にBLCで働く者は職員証の提示だけで済む。
星奈は飛行機で一気に第四層へと向かった。
層の移動は人生で初めての経験だが、素直な感想は「拍子抜け」だ。
幼き日には層の間には結界の様な物があり、それを超えるときには何かを通り抜ける様な感覚なのだろうと考えていたものだ。
だがそんなものは無い。あるのは変化していく景色と、外部の微妙な環境の違いだけだ。
それだけなのに層の中へ戻ってこれないような見えない壁は確かに存在している。
第一層から半日掛け、空港に到着した星奈は飛行機で座り続け凝り固まった背筋を伸ばし深呼吸をした。
星奈は飛行機の中で、着いたらどんな景色や人に出逢えるのか、とウキウキした気持ちになり全く眠れなかったが、それを差し引いても何故か身体の節々に怠さを感じる。
それは気圧や温度といった関係で起こるもの。一層と四層では山の頂上に登ったかの様な違いがある。
学校で教わってはいたのだが、ここまで怠くなるとは思ってもいなかった。
(う〜む……これだけキツイならこない方が良かったかなぁ?なんか寒いし、身体怠いし……環境もブラックリストに入れられたらよかったのに)
四層の空港から最果てへ向かうバスを待つ時間、星奈は自分の目的を忘れ、浅はかな行動を取った自分自身に腹を立てていた。
そこからバスに乗り更に一時間程経った頃、目的地である四層北門に着いた。四つの方角からこの門を選んだ理由は単純明解。
自分の家が北側にあったからだ。
星奈が門を超えるとき、薄着のまま向かおうとしていると、守衛から呼び止められた。
「君、BLC職員なのに何も知らないのか?そんな格好で行くと死んじまうぞ?」
「寒くなったらカバンの中にいっぱい服があるから大丈夫ですよ!」
「今すぐ着た方がいい。寒くて慣れてないと凍えちまうぞ」
星奈は守衛の言葉が不思議でならなかった。
確かに四層にいる今も、彼の言う通り寒さは感じているが凍えるほどはない。
門を超えるだけで急激に寒くなるなどありえない、と考えた。
だが、BLCの職員である以上揉め後を起こすわけにも行かず、星奈は素直に上着を着た。
職員証の確認も終わり、門を抜けると守衛の言葉が正しかったのだと直ぐに理解した。
そこは極寒の地。寒いとは聞いていたが想像以上だ。飛行機の予約を取る際、案内人を勧められたのも頷ける程その環境は悪かった。
帰りたいという思いを胸に抱くも、目的を思い出し、踏みとどまる事ができた。
星奈は予定していた通り北門の側にあるという集落へと歩き出した。
歩く事約二時間。寒さを凌ぐために追加で履いたズボンの重さと、引きずってきた旅行鞄の重さも合わさり星奈は疲れ果てていた。
どこまで歩けば着くのか、と。
ここまで歩いて来ても景色は変わらない。遠くに見える集落は幻影の様にも感じられる。
引き返すなら今が一番いいのでは無いか。そう考えてしまう程この地の環境は辛いのだ。
そこからさらに一時間程歩き、ようやく目的地に到着した。
周囲の建物からは人の動く音が聞こえてくるが、誰一人出てくる様子はない。四層とは違いお土産の屋台や食べ物屋も無く、周囲には古びた建物しかない。
どの建物からも人が出てくる様子がない事から、自分が警戒されているのだと理解した。
集落を探索していた星奈は一人の人物を見つけた。
つい最近仕事帰りにニューレストについての話しをした人物。自分の上司に彼の事を報告し、この地へと追いやってしまった羽柴だ。
出会った時と服装も様子も変わっているが見間違う筈がない。毎日のように心の中で謝罪を行い、ここに足を運ぶに至らせた出来事を忘れる筈がない。
星奈は彼に出会った場合、謝罪をしようと決めていたが、その場から足が前に進まない。
彼は自分の事を怨んでいるかもしれないと考えてしまったからだ。
逃げ出したくなる思いを拭い去り、なるようになれ、と、意を決して彼に話しかけた。
「羽柴さん……ですよね?」
羽柴は振り返り、星奈の顔をじっと見つめた。やがて、誰なのか理解した様子で、その顔には笑顔を浮かべていた。
「あぁ!あの時のお嬢さんか。君も飛ばされたのかい?」
羽柴は星奈がここにいる理由を自分と同じものだと勘違いしたようだ。
「ごめんなさい!そうじゃないんです。私の所為で……その……こんな所に来ないと行けなくなってしまって、ごめんなさい!」
星奈は深々と頭を下げた。惚けた表情を浮かべた羽柴も彼女がなぜ謝っているのかようやく理解した素振りを見せた。
だが、星奈に対して怒る事はしない。星奈に頭を上げさせてからもう一度笑顔を作って見せた。
「気にしないでください。自業自得ですからね。それより一人でこの地へ来たんですかい?あたしの住んでる建物だと寒いんで、とりあえず長の所へ案内しましょうか」
怒りを見せない羽柴の態度に星奈は安堵すると共に、申し訳ないという気持ちが強くなった。
いっそ責め立ててもらった方が気が楽だ。
星奈は泣きそうになったが、決して涙は見せない。羽柴と共に周囲の建物より少しだけ大きな建物へと向かった。




